札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 清水町の閉校

2024-03-31 11:16:21 | 木造校舎・廃校

清水町の閉校(小学校) 赤字は今回レポート

  • 清水町立上芽室小学校(1958年)
  • 清水町立上羽帯小学校(1976年
  • 清水町立北清水小学校(1976年清水町立清水小学校へ統合)
  • 清水町立羽帯小学校(1977年御影小へ統合)
  • 清水町立上旭小学校(1978年旭山小へ統合)
  • 清水町立上清水小学校(1988年清水小へ統合)
  • 清水町立人舞小学校(1999年清水小へ統合)
  • 清水町立旭山小学校(2000年
  • 清水町立北熊牛小学校(2004年清水小へ統合)
  • 清水町立美蔓小学校(同上)
  • 清水町立熊牛小学校(2005年清水小へ統合)
  • 清水町立下人舞小学校(同上)
  • 清水町立下佐幌小学校(同上)
  • 清水町立松沢小学校(同上)

 

「旧清水町立羽帯小学校」

 

開校:明治39(1906)年
閉校:昭和52(1977)年
校舎:大正15(1926)年竣工

清水町羽帯南2線10

 

今回の閉校巡りは1泊2日しか余裕が無く
特に「木造校舎」が複数現存している芽室町を優先にスケジュールした結果、
清水町からは国道38号線に面している旧羽帯小学校だけの訪問になった。

現在は「清水町ともに共同作業所」として活用されており、
車も停まっていたので敷地外から撮影をした。

旧羽帯小学校時代のものとしては、門柱(校名プレート無し)
記念碑(近づかず)、そして二宮像が健在だ。

学校校舎は校門の正面に一列にあった
現在は解体されており、新たに現在の建物が建築されたもよう。

やはり平地にある学校は敷地が広いものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年3月撮影


 


清水町の建築探訪

2024-03-30 22:34:41 | 清水町・芽室町・幕別町


清水町には「道東の建築探訪」(2007年発行、北海道新聞社)において
4軒の掲載がある
そのうち2軒は十勝の重要な農作物である甜菜(ビート)の工場と施設
あと2軒は木造小学校である。

 

「日本甜菜製糖(株)清水工場」 道東の建築探訪 NO87

所在地:清水町南5条1丁目
建設年:大正10(1921)年 
指定等:なし

 

甜菜とは、ビート、砂糖大根のことで砂糖の原材料としてはサトウキビと並ぶ重要な農作物である。

日本甜菜製糖は大正9年に創業し、翌年清水町に工場を作った
その工場が正面に見える建物であろう。

敷地は広大で工場、事務所、社宅、集会場や運動場など福利厚生施設も設けられるぐらい
従業員の多い工場だったのでは。

現在は「バイオ工場」「紙筒工場」として稼働している
背後はペケレベツ川が面しており、工場内には関係者しか入れないから
工場の全貌は航空写真でしか分からない。

 

 

2024年3月撮影

 

 

「日本甜菜製糖(株)清水事業所集会所・社宅」 道東の建築探訪 NO88

所在地:清水町南5条1丁目
建設年:大正12(1923)年 
指定等:なし

 

上記の甜菜工場とはすぐ近くだが敷地外にあるので撮影が出来た
この周辺は社宅やグラウンドなど福利厚生施設があった場所。

現在は社宅は解体され、この集会場だけが残っている
外観は塗装がきれいで定期的に管理補修をしているようだ。

屋根の換気塔、縦長の上げ下げ窓、入り口屋根の持ち送りなどが印象的だ。

 

 

 

 

 

 

2024年3月撮影

 

 

「旧上羽帯小学校」 道東の建築探訪 NO89

 

所在地:清水町羽帯南10線94
建設年:昭和7(1932)年 
指定等:

未訪問

 

 

「旧上旭小学校」 道東の建築探訪 NO90

 

所在地:清水町字旭山118
建設年:昭和8(1933)年 
指定等:なし

解体

 

 

「清水印刷」 旧北海道銀行清水出張所

所在地:清水町本通4丁目
建設年:昭和11(1936)年
指定等:なし

 

ネットで清水町のレトロ建物を探していたら辿り着き行ってみた。

建物は大きくないがとても素敵な建物だ
現役の会社のため中の様子などはかり知ることも出来ないが
住宅街の中でひと際目立つ存在感を出していた。

アーチ型を正面玄関と両翼に配し、左右の壁にも3連のアーチ型窓があった
いったいいつ頃建てられたものなのだろう → 昭和11年

※旧北海道銀行は戦前の銀行で現在の北海道銀行とは違う

 

 

 

2024年3月撮影


札幌のホテル探訪③ センチュリーロイヤルホテル

2024-03-10 18:06:17 | 札幌市中央区

 

竣工:昭和48(1973)年
設計:日建設計
施工:竹中工務店
施主:住友生命

 

2022年の暮れに「札幌のホテル探訪②」にて
次に解体が心配なホテルでセンチュリーロイヤルホテルをあげた。

そしてこの2024年5月31日をもって営業を終了し、解体になる。


ビルのオーナーは住友生命でビル名が「住友生命ビル」。
主なテナントが「センチュリーロイヤルホテル」で1~3階、9階~23階を賃借している。

場所はJR札幌駅の西隣りで「超」の付く一等地である
駅とは地下直結なので地下鉄もそうだし大通、ススキノまでも、新千歳空港駅からも地下直結で傘いらず
また、はす向かいが空港までの高速バス乗り場なので旅行客に大変便利だ
こちらと匹敵するのは「JRタワーホテル」くらいである。

だが築51年になるビルには限度がきたようだ
この先の再開発を見据えて解体する。

なのでコロナ過を乗り切ったホテルの不調が理由ではないだろう
ちなみに運営は札幌国際観光㈱でかつては「札幌ロイヤルホテル」も運営していた。

センチュリーブランドとして函館の「センチュリーマリーナ」釧路の「センチュリーキャッスルホテル」
利尻の「アイランドインリシリ」を運営している
オーナーは釧路市のクリーニング会社である。

 

住友生命ビルは地上23階で竣工当時は札幌一の高さを誇ったビルだった
駅の西側にすっくと立った姿はランドマークとなり地域では無双のビルであった。

縦型の箱を二つ重ねた上に回転レストランを乗せている
この回転レストランがホテルの顔で国内でも数少ない店舗だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新聞にて 一部抜粋
>閉館 100 日前を迎える 2 月 21 日からは、カウントダウンボードを設置するほか、
3 月より 2 階ロビーでは、ホテル開業時のパンフレットや昔のレストラン、ブライダルのフライヤー等の広告物を展示いたします。

とあったので見てきた。

 

 

ついでにホテル内部を

 

1階

 

 

 

 

 

2階ロビーへ

 

 

 

こちらはロビーラウンジ

 

 

ロビーとフロント

 

 

 

 

 

開業当初は「センチュリーローヤルホテル」

 

 

 

 

 

モニターから動画が流れていたが懐かしかったのは鉄道高架
陸橋がホテルと札幌駅の間にあった


※左側は次の画像がかぶった

 

壁にもパネルが

 

 

 

 

 

 

 

 

参戦していた(笑)


会場は20階の宴会場で

 

 

※2015年の写真

 

2階には「朝食の美味しいホテル」で有名になったレストランがある


終わると聞くと行ってみたくなるね ランチビュッフェも人気があった

2016年2月撮影

 

 

 

次はホテルの顔「スカイレストラン ロンド」

ここも終わるので一度利用しようと今年2月に利用した時のものを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※もはや予約もできない? 3/10現在 HPより

■3月のランチタイム 全日満席
【対象日】2024年3月1日(金)~3月31日(日)

■3月のディナータイム 全日満席
【対象日】2024年3月1日(金)~3月31日(日)

■4月のランチタイム 全日満席
【対象日】2024年4月1日(月)~4月30日(火)

■4月のディナータイム 金・土・日・祝日満席
【対象日】
2024年4月5日(金)・6日(土)・7日(日)・12日(金)・13日(土)・14日(日)・19日(金)・20日(土)・21日(日)・
26日(金)・27日(土)・28日(日)・29日(月・祝)

■5月のランチタイム 全日満席
【対象日】2024年5月1日(水)~5月30日(木)  

 

ホテルの営業は5月31日の朝食とチェックアウトで終了する
宿泊と人気の朝食の予約状況は不明
和食堂はまだ予約できるかもしれない

市内のシティホテルでは「札幌グランドホテル」「札幌パークホテル」に次いで
歴史のあるホテル。

それだけ利用した人は多い
さすがに最終日までは行くことは無いと思うが寂しくなるねぇ。

 

個人的な宿泊利用は1983年というかなり昔の話
自分でもよく持っていたなと思った。

 

 

※1716号室は当時珍しいサウナ付きの部屋で現在は改装されて無い
 松山千春の宿泊部屋として有名だった記憶が

 

 

 

帰りは地下鉄まで地下を通った

ビルのオフィスフロアはすでに転居済みが多かった


地下1階には飲食店

 

 

 

 

あいさつ文がテンプレなのはちょっと寂しいかな

1階のこちらは早めに閉店

 

ビルが解体することはホテルだけではなく、当然だがテナント全店が閉店となる

そしてまた新しいビルが出来るが、やはり箱型の面白みのないビルになるのだろうか。

 

 

 

 


北海道のユースホステルと田上義也氏

2024-03-03 10:04:25 | 田上義也氏


「北海道ユースホステル協会」の役員に建築家、田上義也氏の名前が出てくるのは
昭和40年度(1965年)の役員として常任理事に名前がある。

昭和45年(1970年)から会長となった。


日本ユースホステル協会が直営する全国第一号は「支笏湖ユースホステル」だ
昭和35(1960)年に田上氏設計で全面改修され地表まで届くような三角屋根が印象的。

支笏湖ユースホステルは最古のユースホステルだが、令和3(2021)年の解体まで
林間に建物が現存していた。

田上氏は全国に14か所のユースホステルを設計されたと記載があるが
手持ちの資料と数が合わない
もしかして設計だけで建築しなかった物件があるのだろうか
もしくは軒数を「協会直営」のユースに限定したのか不明だ。

ユースホステルは全盛期には道内に108か所あったが現在(令和5年1月)では24か所に減少している
旅行者の意識や動向が変わっているのでやむを得ないだろう。

 

 

田上氏のユースホステル設計としては
「北のまれびと」現代美術社 1977年発行を参考にすると

昭和35(1960)年 宮ヶ丘ユースホステル(札幌)、支笏湖ユースホステル(千歳)
昭和36(1961)年 玉川ユースホステル(網走)
昭和37(1962)年 北湯沢ユースホステル(大滝)
昭和39(1964)年 日本ユースホステル協会功労賞を受賞
昭和40(1965)年 この年に常任理事になる
         富良野ユースホステル(富良野)、美幌ユースホステル(美幌)
昭和42(1967)年 定山渓ユースホステル(札幌)
昭和43(1968)年 ライオンズユースホステル(札幌)(日本ライオンズ青年の家)

昭和44(1969)年 標津ユースホステル(標津)
昭和45(1970)年 日本ユースホステル小清水中山記念館(小清水はなことりの宿ユースホステル)(小清水)
昭和46(1971)年 室蘭ユースホステル(室蘭)、イクサンダー大沼ユースホステル(大沼)、
         摩周湖ユースホステル(弟子屈)
昭和49(1974)年 留辺蕊ユースホステル(留辺蕊)、北海道青年会館(札幌ハウスユースホステル)(札幌)
昭和51(1976)年 サロマユースホステル(佐呂間)

上記の記録がある
古い建築物ゆえ、すでに解体されている建物が多く
またユースホステルとして閉館しているのも多い。

一応、解体された建物は各出版物の写真と、現存の建物はストリートビュー
ほか、なんとか撮影に間に合ったもので構成した。

 

写真転載出版物
青春の落葉様(ブログ)

※北のまれびと様現代美術社 1977年発行)
※北海道新聞社様
※75‘北海道ユースホステル様(㈶日本ユース・ホステル協会監修)
※札幌オリンピック施設様(㈱工業調査会 1971年発行)

 

「昭和35(1960)年 支笏湖ユースホステル(千歳)」 解体

全国で第一号のユースホステルで2021年まで現存していた
撮影は、解体年にラストチャンスで内部撮影が出来たので嬉しかった
印象的な螺旋階段は同様の形状を「網走市郷土博物館」でまだ見ることが出来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※2021年4月14日撮影

 

「昭和35(1960)年 宮ヶ丘ユースホステル(札幌)」 解体

ネット検索で他の方のブログがヒットし所在地がわかった
現地には敷地を一段高くした後の石垣が残っていた
それ以外にはここにこんな建物があったとは思えないだろう。

 

 

 

 

 

※2021年5月6日撮影

 

「昭和36(1961)年 玉川ユースホステル(網走)」

確認中

 

「昭和37(1962)年 北湯沢ユースホステル(大滝)」 解体

航空写真では閉館後も建物が現存している
これは田上氏設計の建物を解体しての2代目のようだ
そう遠い場所ではないので確認してみたい。

 

 


昭和40(1965)年 富良野ユースホステル(富良野)

確認中

 

「昭和40(1965)年 美幌ユースホステル(美幌)」 閉館現存



「昭和42(1967)年 定山渓ユースホステル(札幌)」 解体

国道230号に近く、定山渓小学校の裏手にあったようだ



「昭和43(1968)年 ライオンズユースホステル(札幌)」 解体

田上氏はライオンズクラブメンバーとして他のメンバーの自宅や記念碑
その他の設計も多い
このユースホステルは当初「ライオンズ青年の家」として
オリンピックが行われた「宮の森ジャンプ競技場」のすぐ下に建てらえた。
現在は空き地になっている。

 

 

 

 

「昭和44(1969)年 標津ユースホステル(標津)」 解体



「昭和45(1970)年 日本ユースホステル小清水中山記念館(小清水)」 閉館現存



「昭和46(1971)年 室蘭ユースホステル(室蘭)」 現存

クラウドファンディングなどで営業をしているが客数が戻ったかが気がかり
早いうちに撮影したい1軒だ。

 



 

「昭和46(1971)年 摩周湖ユースホステル(弟子屈)」 現存

現在もユースホステルとして営業しているのは上記「室蘭ユースホステル」と
この「摩周湖ユースホステル」だけ
早いうちに見てみたい。

 


※HPより



「昭和46(1971)年 イクサンダー大沼ユースホステル(大沼)」 2022年解体

函館旅行への道中に立ち寄り撮影した 
この後に解体されたので、まさにギリギリで間に合った 
正面両側の太い柱や軒下の三角の換気口に個性を見る。

 

 

 

※2022年6月20日撮影

 

「昭和49(1974)年 留辺蕊ユースホステル(留辺蕊)」 解体

 

※2012年ストリートビューより

 

「昭和49(1974)年 札幌ハウスユースホステル(現:北海道青年会館)(札幌)」 現存

ビル型のユースホステルは珍しいと思ったが建物の一部を利用してユースにしていたようだ
現在は青年会館として宿泊を受けている。

 

 

 

※2021年2月16日撮影



「昭和51(1976)年 サロマユースホステル(佐呂間)」 2021年閉館現存

コロナ過での閉館となった 建物も現在は未使用のため痛みが早くなるかもしれない
解体される前に見に行きたいが遠い……
全貌は見えないが軒下の換気口が田上氏らしい?

※2023年ストリートビューより

 

1960,70年代のユースホステル建築で、それ以前にはリゾート地での
ホテルも設計している
それよりは小さめの宿泊施設になるが、氏らしいと思わせる特徴が外観にあり。

ほとんどが解体され、現存していても閉館しており中を見ることが出来ない
唯一「支笏湖ユースホステル」の撮影は幸運の何物でもなかった。

ユースホステルだけではなく設計された建物の多くは現存していない
数少ないユースホステルも現存しているものは何とか外観だけでも見に行きたいものだ。