札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 北広島市の閉校

2023-09-27 11:47:02 | 木造校舎・廃校

小学校  赤字は今回訪問

  • 北広島市立若葉小学校(2012年広葉小と統合し北広島市立双葉小学校へ)
  • 北広島市立広葉小学校(2012年若葉小と統合し双葉小へ)
  • 北広島市立高台小学校(2012年緑陽小と統合し北広島市立緑ヶ丘小学校へ)
  • 北広島市立緑陽小学校(2012年高台小と統合し緑ヶ丘小へ)

広島町(1996年・北広島市へ市制施行)

広島村(1968年・広島町へ町制施行)

  • (私立)聖母女子小学校(1959年休校、1963年廃校)

 

 

「旧広島町立仁別小学校」

 

開校:明治42(1909)年
閉校:昭和46(1971)年
校舎:()年竣工

北広島市仁別138

 

仁別小学校は北広島市の奥の奥にあると言っても過言ではない場所にあった。

昭和46年という古い閉校ではあるが校舎の一部と体育館は結構残っていて
ガラス工芸のギャラリーとして再活用されていた。

校舎は正面の森をバックに建っており小さな可愛らしい学校であった
その手前のスペースが前庭になり、体育や運動会などそこでしていたのだろう。

やがてガラス工芸は同じ北広島市の別の場所に移転し校舎関係も解体された。

敷地には地域の会館が建っており現在では学校がここにあった痕跡は
何も見つけることが出来なかった。

それは寂しいことだね。

 

 

 

 


2023年9月撮影

 

 

 

「旧広島町立西部小学校 跡地」

 

開校:明治32(1899)年
移転:平成17(2005)年
校舎:昭和41(1966)年竣工

北広島市島松284-1

 

この西部小学校跡地は移転前であり、現在の校舎は北へ数百メートル行ったところに西部中学と隣接して建てている。

旧校舎は国道36号線に面しており、交通量が激しい道路沿いが敷地だ
その国道から進入路がある また角を左折した仁別方向へ向かう道路側にも進入路がある。

はたしてどちらが正門かは現在不明 校舎などはすでに解体されている。

敷地内には50周年の碑と旧校門が現存していた
空いた広いスペースに校舎とグラウンドなどがあったのだろう。

ここに通学していた世代は、校舎こそ無くなったが
思い出に浸れることはあるだろう うらやましい。

 

 

 

 

 

 

 


2023年9月撮影

 

 

 

「旧北広島市立若葉小学校」

 

開校:(確認中)年
閉校:平成24(2012)年
校舎:()年竣工

北広島市若葉町3丁目12

 

wikipediaによると北広島市小学校の閉校は、広島町時代の1970年代に2校あったきり無かった。

それは札幌の隣町として人口が増え続けていたことだろう
だが2012年に4校が2校に統合された。
常に人が増えていると思った北広島市でも減少していた。

若葉小学校は広葉小学校と統合し、校舎は若葉小学校を使用している。

なので「閉校」という概念にはならないのかも知れないが
それは卒業生ではないと気持ちはわからない。

校門から少し離れたところに石碑を見つけた
が、それは背を向けていてなんと書いてあるのかわからない。

訪問日は平日だったため学校は授業がある
そのため部外者が校内敷地に入るのは止めた。

 

旧若葉小学校校舎はまだまだ使えそうに見えるし
改修しきれいにしたそうだ
これからもこの校舎が歴史を重ねていくはずだ。

 

 

 

 


2023年9月撮影

 

 

 

「旧北広島市立広葉小学校」

 

開校:(確認中)年
閉校:平成24(2012)年
校舎:昭和48(1973)年竣工

北広島市広葉超3丁目1


広葉小学校は若葉小学校と統合し、双葉小学校となり校舎は若葉小を使用している。

こちらの現在は「広葉交流センターいこ~よ」として多目的のコミュニティセンターに生まれ変わった。

他の学校同様に、あまり古さを感じないので今後も親しまれるのではと思う。

校舎は車道から下がった場所にあり正門からは石段を下りていく
体育館はさらに奥にあるため全容を見ることはなく引き上げた。

校庭だった場所に白いモニュメントがあったので撮影をしたが
こういうのが残っていると、さらに学校だったことが印象強くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年9月撮影

 

 

 

「旧北広島市立緑陽小学校」

 

開校:(確認中)年
閉校:平成24(2012)年
校舎:昭和52(1977)年竣工

北広島市緑陽町1丁目3-2

 

緑陽小学校は2012年に高台小学校と統合し、緑ヶ丘小学校となった
校舎は高台小学校を使用。

閉校後の現在は「北広島団地地域サポートセンターともに」として
第二の人生をおくっている。

他の学校とちょっと違うオレンジカラーは閉校後に塗装したようだ
旧小学校時代はライトグリーンがベースである。

学校の場所は奥まった場所にあり裏手は森林で道は無い
よく見ると旧高台小学校とはすごく近い
どちらかが増える生徒のために新設したのではと推察する。

だが最終的には一つに戻る
これは今までもよく見た光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年9月撮影

 

 



「旧北広島市立高台小学校」【未訪問】

 

 

開校:(確認中)年
閉校:平成24(2012)年
校舎:()年竣工

北広島市高台町2丁目1

 

 

 

 

「旧広島町立共栄小学校」【未訪問】

 

 

開校:昭和35(1960)年
閉校:昭和54(1979)年
校舎:平成8(1996)年竣工

北広島市共栄174-1

 

 

 

 


木造校舎・廃校 白老町の閉校 ※4校を追加しました

2023-09-17 21:54:07 | 苫小牧市 白老町 登別市

小学校の閉校 赤字は今回訪問

 

中学校

  • 白老町立森野中学校(2003年閉校。跡地を活用して研修施設「ふるさと体験館・森野」が2004年6月にオープン。)
  • 白老町立萩野中学校(2013年4月に白老町立白翔中学校へ統合
  • 白老町立竹浦中学校(同上
  • 白老町立虎杖中学校(同上

 

 

「旧白老町立森野小中学校」【NEW】

 

開校:昭和8(1933)年
閉校:平成15(2003)年
校舎:昭和42(1967)年竣工

白老町森野62

 

森野小中学校があるところは「四季彩街道」といい旧大滝村に通じている道路だ。
またその先の分岐を喜茂別、倶知安方面に向かうと最後には日本海に出て
太平洋に面した白老町から日本海に出ることができる道路である。

尚、冬季の場合は森野小中学校のすぐ先でゲートが閉じられる。

 

校舎はなぜここに?の閉校あるあるだが、同じ白老町の閉校 飛生小学校と同様に鉱山によって出来た学校である。

鉱山に従事する鉱員や社員等の子らのために学校が作られた。

閉校後に平成28年までは「体験館」として再活用されていたが
それも終わった。

同じく隣接して「こだま園」という障害児施設が建てられたが
これも閉業している。

今は旧大滝村に向けて走る車が素通りするしかない場所になった
赤い屋根の平屋校舎は味があるが、建物の具合からして
もはや再活用への道は厳しいものがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年9月撮影

 

 

 

「旧白老町立社台小学校」【NEW】

 

開校:明治27(1894)年
閉校:平成28(2016)年
校舎:平成2(1990)年竣工

白老町社台


白老町社台は日高地方のように、競走馬サラブレッドの牧場がある地区である。

社台小学校の閉校は平成28年とまだ10年と経っていない
学校のほとんどは閉校時のままのようだが、校門にはサラブレッドが描かれている全国でも珍しい校門であろう。

また校舎もデザイン性に富み、生徒も地域の方も町の学校として誇れる学校だったのではないかと思った。

とても素敵なファサードのこの校舎の竣工は平成2年だった。
閉校後も芸術のイベントなどに校舎が使用されたりしているので
まだまだ中も見る機会はあるだろう。

今回は限られた時間の中であったが、本来はもう少し細かいところなどを
見ておきたい校舎。

 

裏に回ると、すでに草ぼうぼうのグラウンドにはバックネット、遊具が健在である

またこちら側から見る校舎は遮るものがなく壮観であった。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年9月撮影

 

 

 

「旧白老町立白老小学校 旧校舎」【NEW】

 

開校:明治12(1879)年
閉校:平成28(2016)年
校舎:昭和31~昭和33(1956~1958)年竣工

白老町大町1丁目6-1


白老小学校は平成28年に白老小、緑丘小、社台小が統合し
新しい白老小学校となった。

統合校舎は緑丘小を使用になったため、ここは旧校舎となったが現存している。

校門側にはチェーンがあり立入禁止なのだろうが
グラウンド側は解放されており、向かいの役場の駐車場にも利用されているかもしれない。


正面玄関には看板が掲げられており、この校舎が少し前まで使われていたことがわかる。

社台小学校ほどのデザイン性は無いが玄関の形状と、コンクリートの古さが出ておりこれはこれで味がある校舎だ。

広い校庭、グラウンドには2面にバックネットがあり広さを物語っている
どこにでもあったであろう水飲み場が懐かしい。

 

校舎は1期2期の工事で竣工に差があるが現在は同化している
竣工時に入学できた生徒は立派な校舎を喜んだことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年9月撮影

 

 

 

「旧白老町立荻野中学校」【NEW】

 

開校:昭和29(1954)年
閉校:平成25(2013)年
校舎:昭和54(1979)年竣工

白老町荻野286

 

萩野地区は白老町の中でも西側にあり登別市側になる
平成25年に近隣地区の竹浦中、虎杖浜中と統合し白翔中学校となった。

校舎は荻野中学校を継続使用している
同敷地内には荻野小学校があり、ここに荻野の名前は残った。

校舎は近代的で立派な校舎だなと思ったら竣工は昭和54年になっている
白翔中学になってから改築をされたのだろうか?

前庭しか見ていないが、閉校記念碑など旧荻野中学を表すものは無かったと思う
おそらく校内に何か資料室のようなものがあるのだろう。


荻野小学校の方は時間的に逆光となった。

 

 

 

 

 


2023年9月撮影

 

 

 

 

 

「旧白老町立飛生小学校」

 

開校:明治21(1888)年
閉校:昭和61(1986)年
校舎:昭和24(1949)年竣工

白老町竹浦520

 

白老町の飛生には今や珍しい木造校舎が現存している。

閉校後の再活用は1986年に設立された共同アトリエ「飛生アートコミュニティ」。

 

普段は部外者は入ることが出来ないが、校舎内と森でのアート展示がある
「飛生芸術祭」が開催された(2023年9月9日(土)〜9月17日(日))

アートには疎いが貴重な校舎が見れることと、意外とカミサンがアートを見たい! ですと…
それで芸術祭を主目的に白老町の閉校を廻ってみた。

 

まずは飛生小学校まで。

ナビで簡単に行けるので迷うことは無いが、閉校あるあるで
ここに学校があったんだ の他に何もないような場所だった。


アプローチに校門が一つ残っていた しかもプレート付きで!

 

 

 

 

それでは芸術祭に入ります。

 


右手に校舎、左手が原っぱで今回は来訪者の駐車場として開放している
以前はここが校庭だったのだろう。


 

 

車も人も多くて賑やかだ さすが日曜日の好天でもあるが
好きな人には恒例の楽しみなのだろう。

校庭にあるオブジェなどはアートコミュニティになってから作られたものだろうね

 

 

 

 

 

それでは木造校舎を外側からゆっくり観ながら
校舎内へ。

 

 

 

 


ここが玄関で、芸術祭もここから入る
入場料は正面に募金箱があるので寄付という形で金額は来訪者が決める。

また同時期に白老町自体もアートイベント中なのでフライヤーなどが置かれていた。

入場するとマップを借りれます(返却)

 


まずは入って左側へ

 

 

 

中にカフェもあるが土日のみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玄関の右手にはプレハブ状の1室があり ここは閉校後に増設したのかも?
ちょうど時間的に絵画教室のイベント中で、絵を描く人でいっぱいだった。

 

体育館へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アートコミュニティは学校の裏にある森にも作られている
閉校後に整備されたのは中々大変だっただろうと推察する。

 

 



これは子供が喜びそう 

大人はこちら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森の中に教職員宿舎のような建物があり
ここも展示スペースだった。

 

 

 

 

 

次の予定があり30分程度で予定を組んでいたが、駆け足でも40分以上かかった

それだけ展示が多く、面白かったということ。

思ったより人が多く、特に子供連れのファミリーが多かったのが微笑ましい

小さなうちからアートに触れるのもいいものだね

飛生小学校は小さな学校なので閉校だけを見るなら15分で十分だった。

 

さて卒業生らしい方からのクチコミで改悪された との記載を見た

その気持ちわからないでもないが

幼稚園から小学校、中学校、高校の1.2年の学び舎をすべて失った私には

校舎が現存しているって、とても羨ましいものだと思うがどうだろうか。

 


2023年9月撮影

 

 

 

 


白老町の建築探訪

2023-09-12 22:23:35 | 苫小牧市 白老町 登別市

白老町ではかなり古いと思われる建物は少なく

蔵・倉庫関係しか見当たらない

しかし一般住宅には古いタイプの住宅があり、探せば洋館がありそうな雰囲気だった。

 

「しらおい創造空間 蔵」 旧相吉家石蔵2棟

 

所在地:白老町本町1丁目7-5
建設年:昭和9(1934)年

 

相吉家の醸造所の酒蔵として建てられた二つの蔵。

戦後は農協の倉庫として使われた

二つの蔵が繋がっている母屋のような和風屋根の建物は
旧相吉家の住宅なのだろうか?

こちらも気になる建物だ。

 

 

 

 

現在はJAとまこまい白老支所の敷地にあり 「しらおい創造空間 蔵」として一般に活用されている。

大きい蔵は多目的ホールに
小さい蔵はギャラリーに使用されている。

 

 

 


2023年9月撮影

 

 

 

「旧大昭和製紙すずらん寮」

 

所在地:白老町北吉原
建設年:昭和30年代

 

現在は日本製紙になっているが、近辺の人には大昭和製紙でしょうね

苫小牧に王子製紙、白老に大昭和製紙と隣り合う町に大企業の工場があります。

すずらん寮は独身寮のようですね 昭和30年代の建物のようだ。

 

現在は地域の避難場所のようですが、外観からちょっと心配だよね

すでに寮は空き家のようで屋上にも草が生え、朽ちていくかのようだった。

 

 

 

 

 

また隣接して一戸住宅があるが、一部は関連企業の事務所になっている

当初は家族寮、もしくは管理職クラスの社宅だったのかも知れない。

王子製紙の社宅もそうだったが、同じような道を辿っているように見えた。

特に寮はどうなることやら。

 

 


2023年11月撮影

 

 


木造校舎・廃校 苫小牧市の閉校

2023-09-05 09:36:10 | 木造校舎・廃校

小学校の閉校  赤字は今回訪問

  • 苫小牧市立柏原小学校(1971年)
  • 苫小牧市立静川小学校(1971年
  • 苫小牧市立植苗小学校永光学園分校(1981年休校、1984年廃校)
  • 苫小牧市立丸山小学校(1982年)
  • 苫小牧市立明徳小学校(2020年苫小牧市立錦岡小学校へ統合)
  • 苫小牧市立植苗小学校(2023年苫小牧市立植苗中学校と統合し苫小牧市立植苗小中学校へ)

中学校

 ・苫小牧町立西中学校錦岡分校(1948年以前)
 ・苫小牧市立弥生中学校(2013年)

 

苫小牧市は他の都市に比べて閉校が少ない
歴史の古い、新しい事柄もあるだろうが、イメージは発展を続ける都市ゆえ
人口の減少が少ないのでは? と思ってしまう。

実際に人口を見てみると2010年のピークまで右肩上がりを続け
それから減少に転じていた。
それ以降の閉校は人口減少になったから当然なのだろう。

 

「旧苫小牧市立弥生中学校」

 

開校:昭和22(1947)年
閉校:平成25(2013)年
校舎:平成12(2000)年竣工

苫小牧市弥生町1丁目9

 

現地へ行ってみて、跡地には案内板があった

そこには解体前の校舎の写真、位置の航空写真、校歌に沿革とすべて網羅されている。

だが沿革には新校舎竣工が2000年、閉校が2013年とある

閉校はやむなしとしても新築校舎をわずか13年で解体したということか

なんとももったいない 何か転用の道は無かったのだろうか

もちろん市や教育委員会もその辺は考えた結果の上だろうが……

 

跡地にはホームセンターの広大な敷地になっている

民間に転用した方が良いということだろう。

旧弥生中学校の旧校舎と新校舎の写真はネットにあり、両方を一緒に載せているのは珍しいと思うし
とてもいいことではないか。

 

旧弥生中学校の思い出をしのばせる品々を展示したメモリアルホールを苫小牧西小学校に開設されている。

卒業生やOBにとっては良かったことだろう。