札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

北海道開拓の村建築探訪③

2021-05-22 23:44:11 | 札幌市厚別区

 

  • 36-旧山本消防組番屋 - 札幌市厚別区 - 大正後期

火の見やぐらは当然だろうが木製のはしごを登っていく
先日、小樽で見たやぐらは鉄製であった。
山本地区は平地が中心なのと高い建物が無かったと思われるので、これくらいの高さで良かったのだろう
番屋は消防器具を置いておくという意味では、まだ各地にありそう。

 

 

  • 37-旧若狭家たたみ倉 - 檜山郡上ノ国町 - 江戸末期築

たたみ倉は珍しい工法らしい
目に付くのは木材で棟上げした基礎部分で、ネズミは上がって来そうだが?湿気対策かと思う
主に上ノ国町周辺に多いとのことなので漁師、農家の利用なのでしょう。

 

 

  • 38-旧ソーケシュオマベツ駅逓所 - 虻田郡喜茂別町 - 1907年(明治40年)頃築(主屋)(1983年(昭和58年)移築)

ソーケシュオマベツとは、現在の喜茂別村と旧大滝村の中間地点らしいですね その名前の川もあるし
ソーケシュ製パンとかパン好きにはお馴染みの店もあります。
駅逓とは今のような鉄道駅の旅客の乗り降り中心だけではなく、貨物運搬や郵便から宿泊などもしていたとのこと
馬小屋もあり移動中の休憩などによく使われ地域にはなくてはならないものだろう。



 

  • 39-旧田村家北誠館蚕種製造所 - 樺戸郡浦臼町 - 1905年(明治38年)築(1983年(昭和58年)移築)

養蚕所が全部そうかは分からないが横長の建物になっている
それぞれの部屋で作業が違い流れるような配置かと推察する。
北誠館は浦臼で養蚕を教えていた田村氏が明治34年から建設を始めた建物で各部屋を見回ると
大体の役割がわかると思います。

 

  • 40-旧農商務省滝川種羊場機械庫 - 滝川市 - 1921年

滝川市は今もジンギスカン発祥の地と言われ羊が重要な産業になっています
この建物は北欧の建築様式を取り入れて建築した農業機械庫です。
主に羊の飼料となる牧草の栽培に使用する大型機械を展示している。

 

 

  • 41-旧納内屯田兵屋 - 深川市 - 1895年(明治28年)築

深川市納内に屯田兵が赴任したのは明治28.29年ころと言われる
北海道自体には明治8年ころで各藩の士族が中心であった
この頃になると平民からも募り家族とともに暮らし開墾に従事した。

 

 

  • 42-旧山田家養蚕板倉 - 札幌市西区 - 1881年(明治15年)頃築

琴似の旧屯田兵屋は琴似神社内と北洋銀行の裏手に2棟残されているが
屯田兵村は現区役所含め、その地域にあった。
屯田兵の中には養蚕に着手し独自の施設を持つこともあった。
この建物は山田家の施設として現在の琴似神社の近くにあったものと言われている
兵屋以外に当時のくらしぶりを伝える珍しい建物である。

 

 

  • 43-旧信濃神社 - 札幌市厚別区 - 1897年(明治30年)築(1983年(昭和58年)移築)

信濃神社および一帯は長野県からの移住者によって開拓された土地です。
神社の他、信濃公園、信濃小学校などにその名前を見ることが出来る
開拓者にとって神社、寺院は心の拠り所である。

 

 

  • 44-旧岩間家農家住宅 - 伊達市 - 1882年(明治14年)築(1983年(昭和58年)移築)

岩間家は旧仙台藩の士族移民団の一員として明治4年に入植した
この建物は明治15年の建築で郷里の大工によって建築され、仙台地方の特徴を受け継いでいる
旧領主が立ち寄ったとあるので士族の中では上級の位だったのではと推測する。
農家のというよりは旧士族の住宅と考えたほうがよいか

 

 

  • 45-旧河西家米倉 - 札幌市厚別区 - 1897年(明治30年)頃築

河西氏は前記の信濃神社がある地区に長野県から移住、開拓した中心人物である。
現在の地区に水田はすでに無いようだ
米倉なので高床になっている。

 

 

  • 46-旧樋口家農家住宅 - 札幌市厚別区 - 1897年(明治30年)築(1983年(昭和58年)移築)

樋口家は富山県からの移住、開拓者である
明治26年に入植し5年後にこの建物を建てた。
岩間家同様に郷里の棟梁に建築を依頼し、郷里の建築工法を取り入れた住宅を建てた
仏間にある先祖の写真を飾ることは、昔は多くの家庭で見た光景だ。

 

 

  • 47-旧小川家酪農畜舎 - 札幌市清田区 - 大正後期(1986年(昭和61年)移築)。

大正末期の建築なので北海道の酪農畜舎の走りであろう
小川氏がアメリカから取り寄せた設計図を基にとなっているので、当時のアメリカの畜舎も
このような感じということでしょう。
敷地は牧草箇所を広く取っているので遠くからでも見栄えがよい建物です
元は清田区平岡公園9丁目、現在は住宅街になっている地区と思われる。

 

 

  • 48-旧菊田家農家住宅 - 江別市 - 1893年(明治26年)頃築(1986年(昭和61年)移築)

こちらは北越から野幌に移住した、菊田家の住宅ですが菊田氏は他の移住者の住宅を購入して移築した。
内部は明治40年ごろと言われ、開拓からも落ち着いたころでしょうか
お祭り当日の様子が食卓からも、うかがえるとのこと。
それにしても茅葺屋根が見事。

 

  • 49-開拓小屋(再現)

移住当初はこのような家に住んでいたようです
想像で冬の寒さの辛さや、熊の怖さが感じられるよ
先人たちは偉大だ。

 

 

  • 50-森林鉄道機関庫(再現)

すでに建物は無かったので聞き取り調査などで再現をした
確かに北海道は木材資源が豊富なので、運搬する鉄道は必須だったのだろう
正面から見る姿はとても素敵である。

 

 

  • 51-旧平造材部飯場(再現)(1986年(昭和61年)移築)

この建物に寄宿し造材作業をするなら、仕事が終わった後の酒宴くらいと思ってしまう。
やはり冬の寒さの厳しさは大変だったろうと容易に想像できる
まずはこの宿舎を建てるところから仕事は始まる。

 

 

  • 52-炭焼小屋(再現)

現在では、中々このような炭焼き小屋を見ることは少ないし、ある場所も知らない
大正末期の窯ということだが素人には立派に見えるのです。

 

 

「開拓の村」は以上で終了です
文中には「開拓の村」HPから引用させていただきました。

 

 

 


北海道開拓の村の建築探訪②

2021-05-20 13:30:52 | 札幌市厚別区

 

  • 21-旧近藤医院 - 古平郡古平町 - 1920年(大正9年)築(医院棟)

以前は古平町にあった近藤医院の分院として建てられた 裏手の文庫蔵はその際に買収したものである
大正8年の大火で当初の分院を失い、自らが設計して建てたのがこの建物。
だからか文庫蔵には医学書のほかに建築書も多数残っているという
当時の診断室、手術室の様子がわかる。

 

 

  • 22-旧近藤染舗 - 旭川市 - 1913年(大正2年)築

「近藤染舗」は、明治31年(1898)創業の旭川で最も古い染物店であるが、この建物は店の繁盛に伴い、
大正2年(1913)、地元の建築業者により新築されたという
のれんは藍染で、藍の産地は現在北海道では伊達市のみとなっている
印象的な看板は電話番号も載っており当時の看板の様式がうかがえる。

 

 

  • 23-旧武岡商店 - 静内郡静内町 - 1898年築

武岡家は、旧徳島藩の家老「稲田邦植」に従い、明治4年(1871)に淡路島から移住。
明治15年(1882)から、米穀、雑貨、荒物等を扱う商家であったという。
よくある店舗と住宅の兼用建物だが、面積が広く庭も広い
洋風窓や床の間もあり当時の繁栄をしのばせる。

 

 

  • 24-旧大石三省堂支店 - 帯広市 - 1907年(明治40年)頃築

名前からして本屋かと思ったらお菓子屋であった
元は愛媛の大石氏が家族と札幌に移住し、その三男が帯広の中古店を大正14年に購入して開業したのがこの建物
しかし昭和30年で菓子業から撤退したとのことです。
今でも帯広は菓子業が盛んであり、往時はその一翼をになったのでしょうか。

 

 

  • 25-旧太田装蹄所 - 札幌市中央区 - 大正後期

元は国道12号線沿いにあったようです
馬が運輸や農耕の中心であった時代にはこのような作業所や馬具の製造販売店はかなりあったようだ。
蹄鉄は資格のいる免許制で行われており、2階には弟子部屋もある
住居も兼ねており客間から子供部屋まである建物です。

 

 

  • 26-旧藤原車橇製作所 - 雨竜郡妹背牛町 - 1903年(明治36年)築

兵庫県出身の宮大工、藤原氏が深川に入植し、その後明治36年に開業した製作所です
車橇製造は今では馴染みが無いが当時は運搬などに必需だったようだ
建物は住居兼作業所で、中央に広く台所を配し部屋から部屋へは台所を通るようになっている。

 

 

  • 27-旧本庄鉄工場 - 石狩市 - 1897年(明治30年)頃築

建物があった場所は石狩湾と石狩川に挟まれた狭い地区で、石狩川側に面していたらしい
この建物自体は本庄氏が大正14年に古屋を購入し鍛冶屋とした。
当時の職人の建物は、住まいと作業場が混然とし建物の質も高いとは言えないようだ
それだけにこのように保存されることは重要である。

 

 

  • 28-旧広瀬写真館 - 岩見沢市- 1924年(大正13年)築(1991年(平成3年)再現)

この建物は大正末期から昭和33年まで岩見沢市で開業していた写真館兼住居の再現である
ファサードから採光採りがある北側のデザインがレトロモダン木造建築に思えるし見栄えがする。
内部も洋風の作りや什器備品が目立つが、住居部分は和風中心とのこと
ただあれだけの斜めのガラス窓がある北側の強度はどうなんだろうと変に心配してしまう。

 

 

  • 29-旧札幌拓殖倉庫 - 札幌市中央区 - 1907年(明治40年)築

札幌拓殖倉庫は現在も札幌で創業100年を超える企業として健在である
かつて本社は北6条西1丁目にあり事務所と倉庫があったが、鉄道の高架化に伴い取り壊された
しかし貴重な札幌軟石を使った建物として、そのうちの1棟を移築したのがこの倉庫です。

造りは当時多かった木骨石造り、社章の「五稜星」は当時の開拓使の旗印としていくつかの企業が
「五稜星」を用いた社章を使っていた。

 

  • 30-旧札幌農学校寄宿舎 - 札幌市北区 - 1903年(明治36年)築

札幌農学校(現北海道大学)は、明治9年(1876)現在の時計台付近に開学した。
明治36年に現在の大学の位置へと移転して寄宿舎も新築され、同40年に“恵迪寮”と命名された。
当時は玄関棟と2棟36室および厨房棟があったが、ここでは玄関棟と2棟12室を復元した。

恵迪寮は今でも北大生の寄宿舎として、代々引き継がれているので思い出深い建物でしょう
復元は全体では無いにしろ見学には結構広いので廻る順番を考えて行ったほうがいいと思う

 

 

  • 31-旧札幌師範学校武道場 - 札幌市中央区 - 1929年築(1998年(平成10年)移築)

この建物は、北海道教育大学札幌校の前身である北海道札幌師範学校の武道場として昭和4年(1929)に建設された。
入母屋造り、平入りの和風建築意匠を強調した木造平屋建ての建物で、剣道、柔道場として使用されたが、
戦後昭和24年(1949)からは一時図書館、ついで第二体育館として利用された。

学校自体は1951年に廃止されており、現在の教育大学札幌分校は北区あいの里にあるが
当時は中央区の中央図書館に隣接している公園が当時の校舎跡だそう。

 

 

  • 32-旧土谷家はねだし - 二海郡八雲町 - 1887年(明治20年)頃築

「ハネダシ」の呼称は、海岸の地形に合わせて海側に跳ねだすように建てられた事に由来するという。
ハネダシが海岸線に連なる光景は、ニシン漁全盛時の日本海沿岸を特徴づける光景であった

陸側に出入り口で床に開口部を持つ建物である。

 

 

  • 33-旧青山家漁家住宅 - 小樽市 - 1919年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「青山家」は小樽市祝津の三大網元(青山、白鳥、茨木家)の一つで、開拓の村ではその青山家の本宅と
それに連なるニシン漁場の建物が、集約的に保存されており、数少ない貴重な遺構の一つとある。
開拓の村の中でも最も広大な敷地を使用しており、森の中ではあるが海を思い浮かべながら見学をすると
情景が浮かぶかも知れない。

当時の大網元の繁栄と漁に関わる施設など初めて見るものが多いはず。

「青山家別邸」
は小樽に現存しており国の登録有形文化財に指定されている。

 

 

  • 34-廊下(再現)

建物自体は再現であり、やはりこの種類の建物で現存しているのはもはや無いらしい
ニシン漁のためなので日本海側ならではの建物だったようだ。

 

 

  • 35-旧秋山家漁家住宅 - 苫前郡羽幌町 - 1920年(大正9年)築

この住宅は焼尻島にあったもので、やはりニシン漁を中心とした漁家住宅である。
秋山家は秋田から明治末期に移住し昭和53年まで住んでいたそうだ。
住宅は屋根に棟飾りを持つ洋風の意匠もある。

 


北海道開拓の村の建築探訪①

2021-05-15 22:03:31 | 札幌市厚別区

 

「北海道開拓の村」は1983年に開村した北海道開拓時代の「博物館相当施設」であり、54ヘクタールの敷地に52棟の歴史的建造物が移築または再現されている

全部をゆっくり見ると1日では足りない
そこで年間パスポートも発行されている。

北海道開拓の村入場料金
区  分 個人 団体 ※中学生以下・65歳以上の方は無料
(65歳以上の方は年齢を確認できるものをご提示ください)
※障がい者手帳(身体・療育・精神)をお持ちの方は無料
(またその手帳をお持ちの方1名に対し引率・介助者1名免除)
※高校生で次に当てはまる場合は無料
 土曜日・こどもの日・文化の日の利用、10名以上の団体
※車椅子、ベビーカーの貸し出し、授乳室があります。
★7月17日『道みんの日』は入場無料(2017年より)  
一  般 800 700
大学生・高校生 600 500
開拓の村年間パスポート
「村民パスポート」(一般)
1,500  購入日から翌年の同月末まで
何度も入場できる開拓の村の年間パスポート
お体の不自由な方の見学届
 ・・・老人福祉施設・介護施設などの団体
利用料金免除申請
 ・・・在道留学生、博物館・学校関係者、報道関係の方など
 
 
北海道博物館とのお得な入場券
区  分 料金  備考
開拓の村北海道博物館
共通入場券
一般 1,200 ※北海道博物館への入館は総合展示のみ
有効期限:2023年3月31日まで
大学生
高校生
700
開拓の村北海道博物館
共通年間パスポート
2,000 購入日から翌年の同月末まで、開拓の村と北海道博物館(総合展示)の両施設に何度も入場できる年間パスポート

*北海道開拓の村HPより

 

私は2回に分けて見学をしたが、北海道新聞の「ぶんぶんクラブ」カードを提示して100円の割引をうけた。

必要なのは夏などは炎天下を長時間歩くので、帽子や日傘、タオル、飲料水、適度な休憩(昼食)食堂はありますが芝生などでの持ち込み食事はOKです
(ゴミは持ち帰りですね)

現在は北海道へ緊急事態宣言が発令されており5月31日まで臨時休館をしています。

 

一応ナンバリングはされているので順番に掲載しますが、必ずしも番号順に見学したわけではなくルート的に見やすい順に見学した。

訪問日は2020年10月4日と10月6日です

 

  • 1-旧札幌停車場 - 札幌市中央区 - 1908年(明治41年) ※入場口、管理棟(外観再現)

 

 

 

 

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自分はJR札幌駅といえば駅前通りに向かって横長に長い駅舎を思い出すが
この建物は実寸より縮小再現された それはあまりにも駅舎が大きかったからとのこと
おそらく北都の玄関にふさわしい堂々とした駅舎だったのだろう。

 

 

  • 2-旧開拓使札幌本庁舎 - 札幌市中央区 - 1873年(明治6年)※ビジターセンター(1998年(平成10年)外観再現)

わずか5年で火災消失した悲劇の本庁舎だった だから次は赤レンガにしたのかな? 
ホワイト&グリーンが鮮やかでとても良く合うお洒落な建物は北海道の庁舎にふさわしい
なんでも今でも外形が縁石で示されてあるとのこと 確認に行こう。

 

 

  • 3-旧手宮駅長官舎 - 小樽市 - 1884年(明治17年)築(1983年(昭和58年)移築)

小樽市に今でもあってもおかしくない建物で洋風の外観がきっと似合うはず
当時はこのような建物が実際には結構あったのだろうけど今はほとんど見なくなったから貴重だ
小樽の鉄道記念館に保存でも良かったかな。

 

 

  • 4-旧開拓使爾志通洋造家 - 札幌市中央区 - 1878年(明治11年)築

やはり洋風の造りはお洒落だ アメリカ中西部の洋式建築を模範としたとのこと
こういう建物が市内中心部には多かったようだ
白ペンキが塗られていたことが、俗称「白官舎」の由来で1棟2戸建ての建物が4棟並んで建てられていたという
この建物は南2条西6丁目から移築した。

 

 

  • 5-旧福士家住宅 - 札幌市中央区 - 明治時代(1983年(昭和58年)移築)。開拓使官吏であった福士成豊の旧宅

福士氏は独学で英語を学び、お雇い外国人ホーレス・ケプロンの道内調査団に通訳として同行、さらにはブラキストン線で有名なブラキストンから気象観測を受け継ぐといった才能の持ち主であった

現在でも和洋折衷の建物は残っているものが多いが和風建築の方を後から増築したようだ
明治期には洋風建築がステータスだったのかも知れない
当時は北4東1にあったとのことで現在のホテルモントレーの一角だろう。

 

 

  • 6-旧松橋家住宅 - 札幌市中央区- 1897年(明治30年)築(1983年(昭和58年)移築)

内部の備品や什器を見ると実業家、経営者というのがわかるが経歴を見ると
札幌駅助役、江別駅長、岩見沢駅長を勤めたとあるので特に鉄道に明るかったのだろう
住宅もそれに見合う当時としては大きな邸宅だと思うが、松橋家は後から購入した
この建物があった北1条東7丁目近辺には北海道帝国大学総長や北海道庁長官が住んでいたという。

 

 

  • 7-旧有島家住宅 - 札幌市白石区 - 1904年(明治37年)築(1983年(昭和58年)移築)

文豪、有島武郎はこの家に1年2か月しか住まなかった 子供の木馬が微笑ましい
外観は洋風、内部に和室のこの住宅は菊水の豊平川近くにあった
この後、現在南区の芸術の森に移築した住宅に居住したが、そちらも短期間の居住であった。

 

 

  • 8-旧浦河支庁庁舎 - 浦河郡浦河町 - 1919年(大正8年)築(1983年(昭和58年)移築)

1897年(明治30年)に北海道庁は郡区役所を廃止し、支庁制度を設けた結果、浦河支庁が置かれることとなった
ピンクの外壁塗装がとても綺麗で、村内でも目立っている建物
内部には往時のものを展示していたり、階段手摺の意匠などなんともいえない素敵さがある

 

 

  • 9-旧小樽新聞社 - 小樽市 - 1909年(明治42年)築(1983年(昭和58年)移築)

小樽新聞社は1894年(明治27年)11月に創立されており、北海道を代表する新聞の一つだったが
1942年(昭和17年)には北海道新聞に統合されてしまい消滅した

社屋は昔の新聞社らしい重厚な札幌軟石の石造りだが内部は木骨であり、小樽でいくつかの木骨石造り建物が現存している
明治、大正の北海道は小樽の役割が高い その新聞社なので記者の意気込みが想像できる。

 

 

  • 10-旧開拓使工業局庁舎 - 札幌市中央区 - 1877年(明治10年)築(1983年(昭和58年)移築)(2013年(平成25年)に国の重要文化財に指定)

開拓使は、北方開拓のために1869年(明治2年)から1882年(明治15年)まで置かれた官庁
その中で建築・土木・工業分野を統括していたのが、この開拓使工業局である
当時は大通りの東1,2丁目に工場を要し中心にあった建物です

国の重要文化財に指定された建物で明るいペンキの色が洋風建築によく似合う
大通りの西側は大型商業・金融施設などが目立ち、東側は工場が目立つ存在だったのだろうか。

 

 

  • 11-旧北海中学校 - 札幌市豊平区 - 1909年(明治42年)築(1983年(昭和58年)移築)

写真撮影には残念ながら正面の木が邪魔である
現在の北海学園にあった建物で学園から寄贈されたものです 内部には学校の歴史などもあり。
古い作りであるが窓は上げ下げではなく横開きである
札幌では古くからの名門校、北海高校の前身でもある。

 

 

  • 12-旧龍雲寺 - 札幌市北区 - 1893年(明治26年)築

龍雲寺は現在も北区篠路にあり
その歴史は、篠路の開拓の中心として活躍した荒井金助の長男・好太郎の妻ナツは、荒井家の菩提を弔うために1872年(明治5年)に自らの遺産や耕地を寄付し、お寺を建立した。
開拓時にはお寺や神社は重要な建物であっただろう。

 

 

  • 13-旧札幌警察署南一条巡査派出所 - 札幌市中央区 - 1911年築

南1条西1丁目の創成橋のところにあった交番で、大正天皇が行幸の際に木造からレンガに建て替えられたもの
開拓の村に移築の際はそっくりそのままトレーラーで運ばれたそうです。
今、創成橋にあったらとても素敵な交番ではないか。

 

 

  • 14-旧島歌郵便局 - 久遠郡せたな町- 1902年(明治35年)築(1987年(昭和62年)移築)

島歌は現在のせたな町 この地域も日本海側でニシン漁で活気があったと想像する
郵便局も地域の重要な建物であったであろう
このような建物は当時の通り外壁には塗装をしないほうが合っている。

 

 

  • 15-旧山本理髪店 - 札幌市中央区- 大正末期築。1986年(昭和61年)3月までは開拓村内で実際に理髪店として営業していた。2013年(平成25年)7月1日に全国理容生活衛生同業組合連合会の「理容遺産」全国第1号に認定された

開拓村内でも営業をしていたとは驚きです
当時でもモダンであったファサードは円山地区にお似合い
山本さんはこの建物では三代目の床屋さんで初代、二代目と代々床屋さんがここで開業した
特に窓枠の桟が印象的で今でもお洒落に感じる こんな床屋で散髪してみたいものだ。

 

 

  • 16-旧渡辺商店 - 枝幸郡中頓別町 - 大正後期築

中頓別町は当時、砂金掘りでにぎわっていた さらに大正5年の鉄道開通後は、交通の要所として発達した
渡辺商店は雑貨店で、漆喰仕上げの土蔵造りは、北海道では建築例が少ないという
内部ではこまごまとした雑貨類が当時をしのばせるように展示してある
裏手にある蔵も立派なものだ。

 

 

  • 17-旧浦河公会会堂 - 浦河郡浦河町 - 1894年(明治27年)築

浦河公会堂はクリスチャンによる神戸からきた開拓団「赤心社」によって建てられた
シンプルな建物で、2階から階下を見ることが出来る
現在、浦河町には昭和60年に新築された元浦河教会が歴史を繋いでいる。

 

 

  • 18-旧来正旅館 - 旭川市 - 1919年(大正8年)築

創業者の来正氏は旧土佐藩から来た屯田兵で現旭川市に旅館兼待合所を新築し営業を始めた
当時は、旅人の宿泊や馬車や鉄道の待合などに利用されて賑わったらしい
この建物は昭和59年まで営業を続けてから移築・復元をした
創建時の建物は、1階に待合室2室と帳場兼茶の間、家族の寝室などがあり、2階には客間5室と布団部屋があったとのこと。

 

 

  • 19-旧三ます河本そば屋 - 小樽市 - 1909年頃築(主屋)(1987年(昭和62年)移築)

石川県から小樽へ移住した河本氏がそば屋で修行を積み、やがてはそのそば屋を買収するまでに至った
のれんを継いで新築、営業を始めたのがこの店舗である
店舗があった小樽市住吉町は古くから交通の要所として栄えた場所でありお店も2階に宴会場を設けるなど繁盛したようだ
現在も小樽市には三〼屋の店舗と離れが現存しており(閉店)そちらの店舗もレトロモダンの香りがする。

 

 

  • 20-旧武井商店酒造部 - 古宇郡泊村 - 1886年(明治19年)頃築

建物、敷地とも開拓の村内では大型なのは、店舗プラス酒造工場や蔵があるからだろう
2階建ての洋館は1階が店舗、2階が住居となっている
武井家本家は青森や樺太で多角経営をする企業一族で、この建物は二代目の娘婿が泊村に建築した
昔の日本海側はニシンで賑わい活気があったと思われる
1944年まで清酒は製造をしていたが戦時下で中止命令が出て止めたのは残念である。

 

 

 

この後は随時補充して行きます


当別町の建築探訪

2021-05-14 22:57:17 | 当別町

 

今回は当別町です 「道央の建築探訪」では当別町からは1軒の記載がありました

「伊達邸別館」NO-124       
       
 
所在地 当別町元町108
建築年 明治13(1880)年
指定等 当別町文化財
開館時 10:00~16:30 
休館日 毎週月曜(祝日にあたるときはその翌日) 冬期間は休館
入館料 無料
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
伊達邸別館と記念館は隣接しており、別館は名士来村の際の宿泊や諸会議のための建物になっており、内部の2階には人形を配置してその様子を再現している。
 
北海道で伊達氏の移住では伊達市になるが、当別町には仙台藩岩出山(現宮城県大崎市)の領主伊達邦直によって開拓の歴史が築かれた。
邦直の住居に併設された別館は昭和55年に町が譲り受け100メートル離れた現在地に移築された。
 
記念館にはゆかりの品々が展示され街の開拓の歴史として見ることが出来る。
 
2020年10月撮影
 
 
 
 
 
 
当別町の気になった建物を
 
「白樺緑地」ここには石蔵と休憩所
 
 
 
 
 
2020年10月撮影
 
 
 
 
「個人住宅」 レトロな洋館で素敵です
 
 
 
 
2020年10月撮影
 
 
 
 
今度「木造校舎・廃校」で紹介しますが当別町には他の街に比べて
多くの木造校舎が残っているのです。(すべて2020年10月撮影)
 
「旧蕨岱小学校」
 
 
 
 
「旧川下小学校」
 
 
 
 
「旧東裏小学校」
 
 
 
 
「旧弁華別小学校」
 
 
 
「旧材木澤小学校」 ここだけ2021年4月撮影
 
 
 

栗山町の建築探訪

2021-05-11 18:42:36 | 栗山町

 

 

 

「小林酒造 北の錦記念館道央の建築探訪NO-152 旧小林酒造事務所       
       
 
所在地 栗山町西錦3丁目
建築年 昭和19(1944)年
指定等 国指定登録有形文化財
開館時 10:00~17:00 
休館日 年末年始
入館料 無料
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北の錦記念館は小樽の銀行をモデルに設計され、昭和19年に完成した旧本社事務所。
入口を入ると酒造商品の販売所があり、お酒の試飲も出来るので本来は車で来ない方が楽しめる?
 
館内には創業当時より使用され続けてきた徳利や酒杯などお酒に関する道具を中心に、約五千点を展示。
珍しいところでは歴代総理大臣の色紙も展示している。
二階展示室には、造り酒屋祝宴を再現したコーナーや終戦後にCHQが駐留し簡易裁判を行った応接間が当時のまま保存展示されている

売店の円柱やタイル、階段などインテリアから外観で丸窓など見どころが多い建物である。
 
 
「2.3番庫
「4~6番庫」
「製掬室」
「仕込室」
「ビール倉庫、缶詰資材庫」
「小林家住宅」
「蒸米放冷室」
 
小林酒造の創業は明治10年に札幌で開始し、同34年に栗山町の現在地に移転した。
夕張川にかかる一万坪の敷地にれんが造りや石造りの倉庫が立ち並び、
木造2階建ての本宅が風格を備えている。
 
蔵のある本宅は現在は喫茶店として営業しているので一部は創業当時の内部を見ることが出来る。
また敷地内には美味しい蕎麦で有名な「錦水庵」、
「道具館」や「なつかしホール」「現事務所」と建築物が並ぶ。
また以前の杜氏さんの住宅がトイレとして使われており、かつては2階の内部も見学が出来たが
現在はトイレのみ。

最奥には夕張川が滔々と流れ、かつての工場などが廃屋のように建っています
一部は屋内も見れるが、マニア以外はあまり寄らない方がいいかも知れない
ただ、いにしえの建築物まで見れるのはそんなにないと思う。
酒蔵、酒造工場の見学は団体で事前予約のようだが、それらを見なくとも十二分に楽しめるはず。

小林酒造は本宅や蔵、工場などが国指定の有形文化財に登録されており
一度は見学をお薦めします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020年10月撮影
 
 
 
 
 
 
 
「泉記念館道央の建築探訪NO-153 旧泉鱗太郎邸       
       
 
所在地 栗山町角田60番地4
建築年 明治31(1898)年
指定等 栗山町有形文化財
開館時 10:00~16:00 
休館日 月曜日、祝日の翌日、年末年始
入館料 100円
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
栗山町の開発功労者である、泉鱗太郎は旧仙台藩角田の藩士で明治3年同志51名を率いて来道し、
同21年にこの地に移住して開拓の礎を築いた。
 
茅葺屋根の建物は北海道ではもはや珍しく、町の有形文化財に登録されている
純和風建築に見えるが一面は上げ下げ窓を使用しており内部も洋風の意匠もある。

隣接している開拓記念館で入館料(共通)100円を支払い内部見学が出来る。
展示物は開拓記念館も興味深い。
 
 
2020年10月撮影
 
 
 


 
「雨煙別小学校コカ・コーラ環境ハウス道央の建築探訪NO-154 旧雨煙別小学校       
       
 
所在地 栗山町字雨煙別1
建築年 昭和11(1936)年
指定等 
開館時 9:00~18:00 
休館日 毎週火曜、年末年始
入館料 見学は窓口に確認を *宿泊施設です

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭和前期に建てられた木造小学校では増毛小学校などを除けばほとんど存在しない
現存しているだけで貴重な建物である。
 
平成10年に閉校してからしばらくは活用予定がなかったが、平成21年から雨煙別小学校コカ・コーラ環境ハウスが開設された。
再生工事には延べ1500人の町民がボランティアとして参加し、歴史的建築物の再生活用方法として注目されている。
内部や外壁など綺麗に塗装されたり、床板を外して吹き抜けにしたりの改築はあるが
ほぼ原形を留めている。
 
関係者の方に突然の見学依頼にも親切で優しい対応に感謝したい。
 
 
2020年10月撮影
 
 
 
 
ここからは、「道央の建築探訪」には記載されていないが、気になった建物を紹介していきます。
 
「旧桜山小学校」 2020年11月撮影
 
 
 
 
大正7年開校・昭和62年に閉校し、ほぼ現役時代のままの姿かと思う。
自然の家として再活用されているなら一番いい
ただ損傷が激しい箇所もあり、果たしてこのままの状態ではいつまでもつのか…
 
 
 
 
 
「旧新二岐駅」 2020年11月撮影
 
 
 
 
 
大正15年の竣工で昭和29年に改築されている
夕張鉄道と角田炭鉱方面への専用鉄道の分岐駅でもあった。
昭和50年に夕張鉄道とともに廃駅となり道道沿いに残されている。
 
特異な丸窓が特徴的な建物で鉄道は裏手にあった 横の公衆トイレは健在である。
 
 
 
 
 
「石田家住宅」 2021年2月撮影
 
 
明治25年に徳島から移住した石田氏が本州から宮大工を招き、6年がかりで建築した住宅である。
車で走っていたら畑の中に忽然と重厚な姿を現す
住宅の廻りは木々が多く全貌を見ることは出来ないが、屋根の造りを見て北海道の住宅とはやはり違うと感じる。
 
 
 
「旧日出小学校体育館」 2021年2月撮影
 
 
明治34年開校・昭和56年閉校し、校舎はすでに取り壊されているが印相的な体育館が現存している
現在はクラシックな中古車の会社が中で展示と夏季はカフェも営業している。
再活用されたことで体育館も補修されたのは喜ばしい。