札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

札幌市南区の建築探訪③ ※再訪エドウィン・ダン記念館

2024-05-16 11:04:43 | 札幌市南区

 

「エドウィン・ダン記念館」 旧北海道庁真駒内種畜場事務所

所在地 南区真駒内泉1丁目6
建築年 明治20(1887)年
指定等 登録有形文化財、さっぽろ・ふるさと文化百選
開館時 夏期開館日:4月1日から10月31日まで(午前9時30分から午後4時30分まで。毎週水曜日は休館日。)
    冬期開館日:11月1日から3月31日まで(金曜日、土曜日、日曜日のみ開館。午前9時30分から午後4時30分まで。年末年始は休館日) 
入館料 無料(記帳あり)
 
 
約4年ぶりの再訪
今回は記念館にある珍しい「オンコ桜」、「エドウィン・ダン記念公園」の桜花見と併せて行ってきた。
 
車は買物があるので近くのスーパーへ
すぐ近くの南区役所の駐車場でも良いと思います。
 
最初に記念公園へ
ここは小さいながらも池があり、芝生や子供が遊べる遊具がある
また桜もあり、池のほとりのしだれ桜が特に良かった。
 
公園の中心部にエドウィンダンの銅像がある。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
それでは記念館へ
まず外の「オンコ桜」を見る
これはオンコの木に、おそらく鳥が運んだであろう種から桜の木が伸び開花している。
 
 
記念館の係の方より昨日までが最高に良かったが夜半の風でかなり花が散ってしまい驚いています とのことだった。
 
 
 
記念館は無料で記帳して見学
先ほどの係の方より、この出窓前に座ってみる「オンコ桜」が綺麗ですと教えてもらい、テラスにも出れるのでどうぞとのことだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
テラスからは記念公園を見下ろすように見える
管理は丁寧に綺麗にされていた。
 
 
 
 
 
 
記念館は現在の自衛隊基地の場所にあったもので、移築したもので、100%当時の建材を使用しているわけではないようだ。
 
 
エドウィンダンが創った真駒内種畜場は、第二次大戦後に進駐軍に徴収され基地化された その後に返還され現在の自衛隊基地に至る。
基地は地下鉄「自衛隊前」にあり事前予約で見学もできる。
 
 
 
 


2024年4月28日撮影
 
 
 

札幌の建築探訪 中央区⑧ ※創成イースト、大通~すすきの再訪など

2024-05-12 14:09:30 | 札幌市中央区

 

久しぶりに中央区の創成イースト地区を軽く歩いてみた

まずは

「T氏宅」 大正13(1924)年建築

 

黒い下見板張りと白枠の窓が印象的
以前見た時よりきれいになっているのを見ると現施主さんの管理ぶりが伺われる

和洋折衷のとても素敵な住宅で、もはや札幌市内では貴重な建物だ。


※2024年4月撮影

 

 

「旧金石商店蔵」 明治期建築

 

これまで営業していたジュース屋さんが閉店して空き家になった
このような古い建物は使用していないと劣化が進むと思うと心配だ

※2020年9月撮影

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※2024年5月撮影  廃業した「リトルジュースバー」の名が薄く見える

本来の軟石と重厚なドア

石造り2階建ての重厚な蔵であるが次の活用を期待したい。

 

 

 

「&VOGUE GALLERY」 昭和期(戦前)建築 中央区南3条東2丁目

&VOGUE GALLERY (and-v.co.jp)

 

こちらは札幌の歴史に大変詳しい札幌時空逍遥様を参考に初めて行ってみた

建物の元は靴の卸屋さん「北海製靴」だったとのこと
札幌軟石を使用した建物は倉庫兼事務所だったようだ

正面から見ると縦長窓が古い建築物を思わせるが一部に石造りを見ると
さらに歴史的な建物と認知できた。

現在はレンタルスペースとして天井や柱、梁、階段など古い木材の様子が見れる。


※2024年4月撮影

 

 

 

「北陸銀行札幌支店」はすでに新ビルで営業中

昭和41(1966)年竣工 
令和3(2021)年解体

令和6(2024)年新ビル竣工

 

 

個性のあった以前とは似ても似つかない高層ビルに建て替え済
同じほくほくグループの北海道銀行も入居し、次は道銀ビルが解体される

※2021年1月撮影

👇 

※2021年4月撮影

👇

※2024年4月撮影

 

旧店舗の屋上にあった「鶴の舞」は豊平支店に移設した

 

 

 

すすきのの中小路にある㈱マルゲンビルさんの蔵を見に行く

不動産業のマルゲンビルは「第二マルゲンビル」に札幌軟石を使用
これは解体し組み換えをして軟石を再活用したそうだ ※ZEPP sapporoの向かい


※2020年8月撮影

 

その敷地づたいに通りに出る エクセルホテル東急との間に石蔵がある

屋号のある素敵な蔵だ
こちらもエクセルホテル東急の新築の際に移築したものだそうだ

 

 

 

ここから過去掲載

 

「札幌ESTA」

 

所在地:札幌市中央区北5条西2丁目
建設年:昭和53(1978)年
指定等:なし

「札幌ESTA」の閉店は8月31日 いよいよあと三か月くらいに迫ってきた。

それもあってしばらく利用していなかった2階のカフェを利用して
一部撮影をしてきた。

 

 

古い人にとってこの建物は「札幌そごう」である
昔の札幌駅を挟んで右に「札幌そごう」左に「住友生命ビル(センチュリーロイヤルホテル)」が駅の風景であった。

 

その後、そごうは閉店し核テナントとして「ビッグカメラ」が入り
地下に「エスタ食品街」、最上階10階に「らーめん共和国」、「ロフト」や
「ユニクロ」も入った。

 

外観は実に堂々としている
デパート全盛時代のデパートらしいデパートだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食品街は特に利用した覚えがあり、特に現アピアと繋がる入り口付近にあった「くるみや」のフルーツケーキは何回購入しただろうか
その後に入った「梅屋」のシュークリームは当時一番好きだった。

 

 

最近になってフルーツケーキファクトリーで買い物したり
ルピシアもそうだ
地下鉄東豊線近くの立ち食いソバは一度も利用してないなぁ

 

そごうのレストラン街ではファミレスみたいなのがあったかな
ライオンとかあったような気が?
確か、窓から西側がきれいに見える店ではなかったかなぁ

 

今となれば階段の手すりも撮りたくなる

 

 

 

そうだ「そごう」といえばこの窓

 

 


またバスターミナルがあり高速バスなどは「ESTA」ここから乗ったよ

 

それだけ思い出があるようでいて初めて知ったことも多い

 

約3辺につながるテラスは今回が初めて歩いたと思う
また通路にある模様も知らないし
天井の照明など見る由もなかった。

 

 

 

東急デパートはどうする?

 

 

 

エレベーターはこんな素敵だったのかと今頃になって発見が多いね

 

 

 

閉店後にはあっという間に解体されそうだ
同じく札幌駅の反対側で両翼を担っていた住友生命ビルも来年の6月以降に解体されるだろう
どんどんどんどん街並みが変わるのは仕方がない
建物には寿命があると思う。

 

解体後は46階建てでJRタワーより高いビルが出来るらしい
新しい札幌の顔として歴史をこれから刻んでいくのだろう

もはや老体の自分が見に行くほど興味があるビルになって欲しいし
面白い造りになっていればいいなと思う。

 

まだ閉店まで日にちがある
機会があれば、再度訪問したい。

 

 


田上義也氏の設計探訪(未確認物件) ※2軒追加しました

2024-05-10 09:19:02 | 田上義也氏

田上義也(たのうえ よしや、1899年(明治32年)5月5日- 1991年(平成3年)8月17日)は、日本の建築家、音楽家。

大正から昭和にかけて、北海道を拠点に活躍した。若くしてフランク・ロイド・ライトの影響を受け、確かな腕を持つ棟梁の小島与市と出会った。北海道の気候風土に根ざした、特徴的な要素を持つ洋風建築を数多く残している

また、札幌交響楽団の創立者でもあり、初代指揮者も兼務した。 
※wikipediaより

 

現存する主な設計作品として

※旧小熊邸(現ドリーバーデン)札幌市
※坂牛邸 小樽市
※旧佐田邸 函館市
※旧北見教育会網走博物館 網走市
※北海道銀行本店 札幌市
※八雲町庁舎・公民館 八雲町
※人形劇場こぐま座 札幌市
※日本キリスト教会札幌北一条教会新会堂 札幌市
※札幌教育文化会館 札幌市
※北海道立旭川美術館 旭川市
※本郷新記念札幌彫刻美術館 札幌市
※豊平川さけ科学館 札幌市

上記以外でも現存、すでに解体された建物がたくさんあるのが特徴。

 

いくつかの書籍やサイト、ブログ等で設計したことがわかっても
それが現在残っているのか無いものなのか自分でわからない物件を深堀していきたい。

ただ「これは⁈」という物件があっても確証が無いものがあり
ここに保留物件として記載して行こうと思う


田上氏関係の書籍以外に研究のサイトとして非常に参考となる
「札幌ノスタルジック建築散歩」様を参考にさせていただきました

 

 

 

1976年 大成寺会館 当別町 NEW

「当別町 大成寺会館」で書籍に記載があったので検索するとこちらになった
というだけで確認はしていない。

田上氏の設計では宗教ではキリスト教教会に代表作があるが仏教ではあまり聞かない 
もとより氏自身が洗礼を受けた教徒であるからだろう

神社では札幌伏見稲荷会館がある。

どのような経緯でお寺の会館を設計したかは不明
大きな三角屋根が特徴な建物だ。

 

 

 

 

 


2021年4月撮影

 

 

1975年設計 月寒公民館 札幌市豊平区 NEW

 

月寒公民館も設計リストに載っていただけで、この建物が田上氏の設計とは確証はない。
ただ建物が築48年で補修次第で使えること、国土地理院の航空写真で1961~1969年では別の建物だが
1974年版には現在と同じ建物が写っていること。
なにより他に「月寒公民館」が無いことにより、そうではないかと思われるが…

この公民館は区役所ではなくても住民票や印鑑証明など各種証明書が取得できるので便利だ
その昔に旧豊平町として役場がここにあったからと思われる
豊平区が設立され現在地に区役所が新築されるまで役場はここにあった。

その後、ここの役場は解体され田上氏による公民館が建てられたと推測する。

国道36号線に向いている階段室の窓にデザイン性を見るがどうか

 

 

 

 


2021年1月撮影

 

 

1969年設計 丸越㈱ 帯広市 


書籍「北のまれびと」の田上氏設計史に
「1969年 丸越ビル 帯広」の記載あり

ネットで見てみると
昭和26(1951)年設立の「丸越株式会社」があり自社HPには社屋ビルの写真があった
繊維製品総合卸の会社で業者向けの卸会社である

田上氏との繋がりは不明だが、帯広に行ったので寄ってみた。

出来れば「定礎」があれば竣工年が判ったと思うが、探したが無かった。

一般個人への販売はしていないので関係者以外はビル内に入ることが出来なく未確認物件です

 

 

 

 

 

 

 

1967年設計 札幌造形美術学園 札幌市

この記録からネット検索すると「同名」の学校はヒットしない
類似したもので

①「北海道造形美術学園」 創立?
②「札幌美術学園」 創立1953年
③「北海道造形デザイン専門学校」 創立1961年 ※1966年北海道美術学校に改名

このうち①は創立年がわからず また現校舎はそんなに古いものではない
③は学校の沿革がきちんと記載されており田上氏の設計ではないようだ

②の「札幌美術学園」は60年の歴史ある校舎と謳っており、期待して行ってみた。


中央区南5条西26丁目


この正面の建物はまだ新しく見えたが、その裏に建つ建物が歴史あり


裏面


校名が見えるので、建築当時はこちらが本校舎だったのかも知れない。

屋根は変更されているように見えた
塗装の剥げ具合が歴史を感じる
連続する窓がいい感じだ。

 

田上氏、同年の設計で現存しているのは

「高台病院」 豊平区

これを推して似ているとは中々言い難く、札幌美術学園が田上氏設計の確証はまだない
もう少し調べてみたい。

 

これは学校案内のパンフにあったもの

 

 

1962年設計 K谷氏邸 札幌市


K谷氏は苗字しかわからない
しかし田上氏設計の建物の代表者にK谷氏の名前を見る。

自宅から始まり次に会社の建物を依頼する
またその逆も氏の設計にはよくみるパターンで、
古くは関場博士の別荘から自宅
旧小熊邸に入った北海道銀行初代頭取の島本氏は邸の増築から銀行支店の数々と例がある。

一応設計の記録では
1956年 施設の改築
1962年 自宅新築
1968年 施設新築竣工
1969年 寮新築 となっているが関係性の確証はまだない

K谷氏の自宅をストリートビューで見てみると、補修や改築はありそうだが
田上氏の個性は?と言われると……

ただ真上からの写真を大きく見ると

 

マークの下に見える白い枠はパーゴラではないだろうか
田上氏の住宅作品の中でパーゴラが一つの特徴でもあったと思う
ストリートビューからは木々が多く確認はしていないが。

もちろん他者でもパーゴラを用いたりするだろうが
今回は、「同性」の方が代表をしている施設の設計を田上氏がしていること
そして「同性」の方の自宅にはパーゴラがありそうなこと

だが同じく確証はないので保留としたい。

 


千歳市の建築探訪 ※1軒を追加、2軒を再訪しました

2024-05-09 14:41:43 | 千歳市

 

千歳市内は比較的新しい建物が多く、支笏湖近辺には歴史的建造物が残っている

 

 

「山線鉄橋」 【NEW】

 

所在地:千歳市支笏湖温泉
建設年:明治32(1899)年 大正13(1924)年移設
指定:千歳市指定有形文化財

 

支笏湖温泉の南側にあり人目を惹く真っ赤な鉄橋が「山線鉄橋」

>山線鉄橋は、千歳市支笏湖温泉地区の千歳川に移設された英国製の200フィートピン構造ダブルワーレントラス橋で、道内現存最古の明治期の鋼橋 です。 ※土木学会HPより

 

この橋は千歳川が支笏湖に流入する場所に架けられており
千歳川の綺麗なエメラルドグリーンと支笏湖のブルーが一度に見れる。

橋を渡れば「親水公園」になり、湖畔まで降りれるようになっておりたくさんの観光客が渡っている。

当初は空知川に架けられていたが、王子製紙の専用軽便鉄道として現在の場所に移設された

ここに鉄道が走っていたということに驚いた
苫小牧から各水力発電所を結び、湖畔まで資材や乗客を運んでいたとある
この鉄道は昭和26(1951)年に廃止した。

現在の鉄橋は王子製紙から千歳市に寄贈されている
また平成7(1995)年から3年かけて解体修復工事が行われて
歩道橋として利用されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年5月撮影

 

 

 

「支笏湖別邸(支笏湖倶楽部)」 【再訪】

 

所在地:千歳市支笏湖温泉
建設年:大正5(1916)年  昭和43(1968)年に現在地に移築

 

これは王子製紙苫小牧工場の建物である。

当時は苫小牧工場に明治42年に「迎賓館」として建設されたものが
「本俱楽部」と呼ばれ、苫小牧を訪れた貴賓がまずは本倶楽部でもてなされ
支笏湖の倶楽部で宿泊するのが一般的だったようだ。

 

元は湖畔に面した場所にあったが、昭和43年に天皇陛下をお迎えするにあたり現在地に移築した。

またその時に新館を新築している。

建設時は平屋ながら総檜造りの豪奢な建物であったという。

 

 

支笏湖へはまず「ポロピナイ」で休憩&トイレタイムが多い
人が多く、サップに興じる人が多いのにおどろいた。

 

支笏湖倶楽部は湖から離れてすぐにある
温泉街までは行かない位置だ。

 

現在は本館、新館とも閉館しておりグーグルマップの表記では
「王子貴賓館跡」となっている。

入口はチェーンがかかっており覗く程度しかできない
しかし両サイドが小高くなっているので靴などが汚れても良いのなら
その上からも見ることが出来る。

新館は完全に敷地内に入らないと見え無さそうだが
それはいけない。

また湖側からは立入禁止区域なのでこれも無理だ
入口のチェーンの向こうにいた 鹿は一瞬居なくなったが最後にはまた私を見ていた
これは中に入るなよ!の警告だろう。

 

 

 

 

 

 

 


2023年9月撮影

 

尚、王子製紙は支笏湖に「王子製紙 支笏湖山荘」を近くに持っているが
現在の営業は不明である。

 


写真と一部情報は下記より

※王子製紙苫小牧工場創業100周年のあゆみ
※写真集 王子製紙と苫小牧の100年 より

 

 

ここから再訪の写真

もう少し葉が無いとどう見えるか、ちょうど支笏湖に桜を見に行ったので寄ってみた

撮影できる場所が限られているので、目新しい発見は無かった
ロープがある敷地に入るわけにはいかない

 

 

 

 

 

 

 

2024年5月撮影

 

 

 

「支笏湖ユースホステル」 ※2022年解体 【再訪】

 

所在地:千歳市支笏湖温泉
建設年:昭和35(1960)年


支笏小学校の校舎を利用した日本最古のユースホステル
地面まで伸びる三角屋根が印象的な旧館は北海道を代表する建築家
田上義也氏の設計によるもの。

田上氏は同年に札幌の「宮ヶ丘ユースホステル」を設計しその後も多くのユースホステルを設計した

また支笏湖には1967年に「ホテル鹿の湯」を設計した(解体済)


湖畔にほど近い木立の中に見える赤く三角の屋根は非常に素敵だ
支笏湖とは間に翠山亭を挟んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

支笏湖ユースホステルは日本最古のユースホステルであり
現存している最古のユースホステルでもある。

すでに数年前から旧館は営業しておらず林間に姿を見せるだけであった。

 

 

内部には螺旋階段を設け、これがとても印象的である
田上氏の代表作に螺旋階段を設けた施設が他にもある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また階段廻りの小さな窓は師匠である F・L・ライトの意匠に通じるものがあると言われる

 

訪問時には、すでに照明関係や備品等も取り外されており
一部の床や躯体などに不安がありそうだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここが玄関だった

 

 

 

 

 

 

 


食堂かな 1枚板のカウンターがいいね 奥に厨房がある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新館は1980年代の建物で設計は田上氏ではない
こちらだけで営業を続けていたがコロナ禍で打撃を受けたろう

 

 

支笏湖ユースホステルは2021年3月に鶴雅グループが取得した
その後、再開発が企画され支笏湖ユースホステルは解体されるようだ

建物には人間もそうだが寿命があり、長く大勢の宿泊客に親しまれたまま
ピリオドをうつ

最後の最後に内部を見ることが出来て感謝しかないなぁ

 

2021年4月撮影(新館は2020年10月撮影)

 

ここから再訪の写真

解体から2年が経ったので、当然だが建物は無い
あったものが無くなると寂しいものだ

跡地にプレハブがあるので、鶴雅グループの次の土地活用を期待したい

 

 

 

 

2024年5月撮影

 

 

 

 

 

 

「王子製紙(株)第一発電所」 *道央の建築探訪 NO104

 

所在地:千歳市水明郷
建設年:明治43(1910)年

王子製紙(株)第一発電所は北海道新聞社発行の「道央の建築探訪」に記載されています。

支笏湖から千歳市内まで千歳川沿いに道々16号線が走っている
その支笏湖側から王子製紙の発電所が5つ設置されており
第一発電所が最大で電力の供給量も多い。

 

16号線から「水明郷」の表示に従い大きな駐車場に停めて徒歩で歩いていく
春には桜が咲き見物客が多いそうだ

 





発電所は高所から見下ろすように千歳川の谷にある
明治時代に建てられた施設はレンガ造りで強固であろう
わずかに入口の庇に改装の跡が残る


 

 




上部の水を一気に谷に落としそれで発電している
5つある発電所で実際にこうやって見ることが出来るのはここだけで
他は関係者以外立ち入り禁止。

 

 


このように下へ行く道は立ち入り禁止

 


水明郷は元は王子軽便鉄道(山線)の水溜駅、王子尋常小学校(戦後は水明小学校)が建っていた場所で 16号線に並んで走るサイクリングロードは鉄道の跡です


そう言われてみると付近の建物が駅舎や旧体育館や教員宿舎を改装したものに見えてきた。
これからの季節は紅葉が見事だそうです。

 

 

 

 

 

2021年4月撮影

 

 

 

 

「山三ふじや」 ((株)山三ふじや本店)

 

所在地:千歳市本町3丁目
建設年:昭和初期

「山三ふじや」は千歳を代表する老舗企業で、元は新潟からの移住者である渡部氏が一代で大きく隆盛させた
千歳で最古の酒店である。

現在は空港内のお土産屋や自衛隊基地内の売店、ゴルフ場やタクシー会社、書店ほか様々な業態を経営している。

本店は隣にある渡部氏の住宅とともに大正14(1925)年に木造で建てられ、現在の店舗は2代目のデザインである
印象的なファサードで中央3階のデザイン、2連の上げ下げ窓が目立つ



隣の住宅とともに補修はされているようだ
裏手には酒店らしい石の蔵がある。


*本店~住宅があり現在は駐車場になっている角地には「旧南長沼土功組合事務所」が山三ふじやの敷地内にあった
木造平屋で赤い屋根に上げ下げ窓の大正11(1922)年建築だが2016、17年ころに解体された。

 

2021年3月撮影

 


旧穂別町の建築探訪

2024-05-06 20:39:19 | 旧穂別町、占冠村、日高町

 

旧穂別町には「道東の建築探訪」(2007年発行、北海道新聞社)において
2軒の掲載があります

 

撮影日は2024年4月

 

「中村記念館」 道東の建築探訪 NO124

 

所在地:むかわ町穂別
建設年:大正13(1924)年 
指定等:登録有形文化財

 

旧中村平八郎住宅
2代目が昭和48年まで居住していた。

その後、平成16年に現地に移築したものである
隣に「博物館」、はす向かいに「地球体験館(解体済)」があり穂別町観光の中心地だ

建物は大正後期ではあるが、北海道らしい下見板張洋館住宅になっており
縦長の上げ下げ窓が並ぶ姿がとてもよい。

4月第3土曜日から8月31日まで内部が無料で見学することが出来る