札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

小樽市の建築探訪⑤

2024-08-17 22:10:09 | 小樽市

今回は1年ぶりに小樽市を軽く廻って来ました

中心部よりは少し外れた場所にある建物を中心に。

 

まず「住ノ江町」
札幌から来ると国道5号線に近く札幌寄りで、かつレトロな建物が多いのでよく寄ってしまう

今回は明確な目的の2軒があったため 他に一緒に見た建物を。

 

まずは閉鎖になった教会

「カトリック住之江教会 旧佐々木静二氏邸」

 

明治30年建築の個人住宅であったが、カトリック教会で利用されていた

が、
残念ながら人口減少による信者の減少で、こちらは閉鎖し「富岡教会」に集約した形になった。

 

外側はきれいで中も一度入らせていただいた
広い駐車場もあるし今後の活用が楽しみでもある。

 

2024年8月13日撮影

 

 

「旧佐藤銀平氏邸」


大正初期の建築である

こちらはしばらく空き家の状態が続いていたが、この8月に店舗として再活用オープンしたとの情報を得た。


残念ながら定休日だった

 

空き家の状態が長かったので補修が大変だったのは容易に推測できる
前回の訪問時では草ぼうぼうだった裏手(山側)は駐車場として綺麗になっていた。

 

※2023年8月撮影

 

これが現在

 

また割れていたガラスなどもきちんと修復されている
この裏手から入店できるようにきれいなアプローチが出来たのも驚いた

正面玄関からは本日定休日のためひっそりとしていたが
花や陶器の複合店のようで喫茶も始めるようだ?



近日中に入店してみたい

2024年8月13日撮影

 

 

 

「解体された古い洋館跡地」

 

前回の訪問ではすっかり解体された後を見たが、高台にあるため全貌は見えなかった

跡地だけだが、今度は山側の道路に行って見ると跡地がちゃんと見えた。

ぽっかり空いたスペースを見ても結構な敷地だったのだなと思った
しかし建物があった頃も同じ場所に来ているが建物に気づかなかった?
木々が多くて見えなかったかも知れない。

残念ながら建物の再活用はかなわなかった

 

※2022年2月撮影

 

これが現在の跡地 草の短い部分に2つの住宅があった

2024年8月13日撮影

 

 

「佐野邸蔵」

 

後年に母屋が別所に移ってしまった
明治44年の建築である。

今も昔も住ノ江町は高台で海を遠くに望める
2代目の施主がニシン漁場の親方だった
やはり親方ともなれば海を望む高台に住むのだろうか

施主が変わった時には蔵にはまだ漁網などが入っていたとのこと。

 

2024年8月13日撮影

 

 

「丸ヨ石橋家別邸洋館」

 

おなじみの建物で大正期に建てられたものだ
一緒にあった本邸はすでに解体されており別邸が残った

 

奥行きのない建物とファサードから、新しい住宅が増えているこの地区で一際異彩を放っている。

再活用は難しそうなので情報に注視したい

2024年8月13日撮影

 

 

「小樽住ノ江火の見櫓」

 

新聞などにも掲載され有名になった火の見櫓は
昭和2年の建造物で、その後昭和61年に現在の場所に移築された。

令和4年に「小樽住ノ江火の見櫓をまもる会」が結成され
管理・保存・活用の取り組みを進めている。


火の見櫓自体を見ることがほとんどなくなったので
とても貴重な建造物だ

屋根部分の作りがモダン

 

2024年8月13日撮影

 

 

「住吉神社社務所」


住吉神社はもう何回も訪れている
いつも社務所~赤鳥居~花手水~拝殿のルート

お盆でもあり参拝者が多く感じた
花手水は今回は住吉神社にしては簡素なものだった。

大鳥居越しに見る小樽港がやはり趣きがある
私的には小樽の神社といえば「住吉さん」だ

 

2024年8月13日撮影

 

 

「古民家2軒」


住ノ江町は高台にあり海や街を見下ろす地形にある
ゆえにお屋敷があったり、蔵持ちの家があったりで昔の高級住宅地を思わせる。

その中で、歴史を感じるが建物がしっかりした造りをしているので大事に長く使用している住宅もある

今回は2軒を撮影したが、まだ他にもあるのでとても興味深い町だ。

 

 

2024年8月13日撮影

 

 

「旧青木乙松氏宅はなれ」

 

住ノ江町に来るとどうしても気になってしまう

この地区は高台にあるので入船町を挟んで遠くに「花園町」が見える
綺麗に塗装されたこの建物が目立つのだ。


この住宅は大正5年ごろの建築で、建築主は現在もはなれのすぐ下に住まれている

はなれは病気療養用に建てられたとのこと
花園町の中でも小樽公園が上部にあり環境の良い場所にある
その後、小樽市に寄贈され活用をNPO法人に任された。

 

数年前の冬に見学会があり申し込んで邸内を見学した
邸内には現オーナーの所有物がそのままあるのでSNS等に掲載しないことが条件となっていた。

ここも再活用が待たれる建物だ

 

2024年8月13日撮影

 

 

「旧小樽無盡(株)本店」


※過去画像


昭和10年建築の旧小樽無盡(株)は金融会社で後の北洋銀行になる

その本店は国道5号線と小樽公園から下る公園線が交わる花園十字街にあり、斜め向かいから見る姿がとても良い

明治、大正期の銀行建築と違い、昭和の建築は見た目の荘厳さより機能重視の時代になってきたように思える


前回同様に昼食で利用した
内部ではそこかしこに当時を思わせる造作がある
小樽での食事はなるべく歴史的建物や古民家を再活用した店舗でいただくようにしている。

 

2024年8月13日撮影

 

 

「旧向井呉服店支店倉庫」

 

向かいにあるオーセントホテル小樽で買い物をしたついでに撮影した
ここも何度も来ている建物で場所は中心部「稲穂町」になる

煉瓦造り4階建てであまり類を見ないような縦長のファサードの建物だ
内部は木造で小樽市の倉庫や蔵は木造が多い

 

2024年8月13日撮影

 

 

 

「旧富士の湯住宅」

 

ここで一気に小樽市の西側「錦町」

 

富士の湯温泉は大正時代の創業
住宅部は昭和初期に建てられた 写真は無いが表側が銭湯の入口である

一時は20万人が住んでいた小樽市には当時銭湯が数多くあった
富士の湯も銭湯文化に一役買った風呂屋さんだが
持ち風呂が増え、加えて人口減少により70軒はあったと言われる銭湯はもはや5軒になってしまった。

平成の終わりくらいまでは営業をしていたようなので
近隣の利用者には今でも建物が残っているので残念でしょうがないだろうなぁ

 

2024年8月13日撮影

 

 

「旧日本郵船(株)小樽支店」

 

旧日本郵船(株)小樽支店は明治39年に竣工した「国指定重要文化財」である

2020年から大規模修繕の準備に入り、ついに2024年新しい姿を現した。

※2020年10月当時

 

※2021年4月当時 裏手から

 

※2023年5月当時

 

※2024年8月現在

 


おそらく現在は内部の塗装や張替えを行っていると思われ
見学予定は来年2月から ※延期の可能性もあり。


私が小学生のころ、ここは小樽市立博物館だった
亡くなった親父の軽トラでよく連れていってもらったものだ
興味があったのは昆虫の標本だが、確かに古い洋館を思わせる
佇まいが内部にはあったな

ここは必ず内部見学に行く。

 

ここは小樽運河の北の端 ここで運河は終わる

2024年8月13日撮影

 

 

 

「紅葉橋と佐野貸家」

 

こちらは「緑町」で小樽公園内の市民会館、小樽市公会堂からの下り坂にある

川は於古発川(おこばちがわ)で橋の欄干には印象的な柱が立っており円い電球も感じがよい

柱にある竣工のプレートには「昭和拾年」とある

 

その下流にはこれも印象的な三角屋根の住宅が並ぶ

 

以前は同じような家が並んでいたように思える

この川の両側は昔なら子供の近道や遊び場として、人の家の前を普通に通過したのではないか
よく見ると家庭菜園にしたり自然の花も咲いていた。

 
大林宣彦監督の映画「はるか、ノスタルジィ」(1992年制作)でもロケに使われている
持ち主によると基礎がコンクリートなのでここまでもったようだ。

 

2024年8月13日撮影

 

 

「龍徳寺」

 

こちらは菩提寺なのでお墓参りになります
龍徳寺は「真栄町」にある

本堂は明治9年の建築で小樽市の歴史的建造物に指定されている
また中には「日本一の大木魚」があり、外には小樽市指定第一号の「保存樹木」である「夫婦銀杏」がそびえている


もう何度も撮影しているお寺だ。

 

2024年8月13日撮影

 



「旧国鉄小樽築港駅危険品庫」

 

大正7年に建築された倉庫で国道5号線沿いにある
小樽市内から小樽築港駅を過ぎてすぐ左の駐車場にポツンと建っている。

当時の小樽築港駅舎と一緒に建てられたものだ。

危険品庫は燃えやすい油脂などが貯蔵された倉庫で爆発物とは違う
同様のものは小樽市の手宮にもあり

手宮のは石造りだがこちらは煉瓦造りで目立ちやすいか

 

2024年8月13日撮影

 


木造校舎・廃校 洞爺湖町の閉校 ※1校を追加しました

2024-08-09 10:41:08 | 木造校舎・廃校

赤字は今回訪問 青字は過去訪問済

 

データはwikipediaより

  • 洞爺湖町立花和小学校(2007年洞爺湖町立洞爺湖温泉小学校へ統合
  • 洞爺村立富丘小学校(1973年)
  • 洞爺村立洞爺小学校(2006年統合により洞爺湖町立とうや小学校〈当時:洞爺村立〉へ)
  • 洞爺村立成香小学校(同上)
  • 洞爺村立大原小学校(同上)
  • 洞爺村立香川小学校(同上)

 

 

「旧洞爺湖町立花和小学校」

 

開校:1903(明治36)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:1988(昭和63)年

洞爺湖町花和

ナビは「ヤンマーアグリジャパン洞爺湖支店」

 

今回のニセコから長万部~豊浦と廻ってきた閉校巡りも最後の学校となった

道道285号線(豊浦洞爺線)沿いに学校がある
目印は前面にあるヤンマーさんの施設だが、よく見ると入り口に学校名が書いた木製の標識があった。(校門は見当たらず)

 

 

その奥へ進むと鉄筋コンクリート2階建ての校舎が現存している
何と言ってもトンガリ屋根の鐘塔が印象的だ

 

体育館の三角部分にはステンドグラスが嵌められ
裏側面の模様が見えたが児童が書いた絵が使われていた

 

建物の現在は地区の集会場に使われているようだが
正面玄関に廻ると校名のプレートがあり

 

裏も見てみたがそこは原野で旧校庭は現在のヤンマーがある敷地だったのだろう
そうすると過去の校門はそこの道道沿いにあったと思われる

石碑が3つほどあり一つは100周年記念碑だった
他は学校に関係するものと思われる。

 

 

洞爺湖町は湖近辺が観光でクローズアップされるが、山中で農業も営まれ
その中で集落が出来、学校も出来た

そして人口減少により閉校も増えている

 

2024年7月26日撮影

 

 

 

ここから過去記事

 

6月の函館旅行では高速道路を使わず下道を走った。

途中のルートにはいくつかの町があるのだが、函館入りを最優先にしたので
閉校の見学は、そのルート上にあるものに限定して撮影をしました。

洞爺湖町までの町はほとんど撮影は終了したし、ルートから外れた閉校はスルーしました。

 

 

「旧洞爺村立大原小学校」

開校:1908(明治41)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

洞爺湖町大原103-3


国道230号沿いにあり、立派な校舎が健在である
少し走ると「道の駅とうや」がある。

廻りは農地が多く、開拓した農家の子弟が通った学校と思われる。

札幌から行くと一番初めに出会う閉校だが、行きはスルーして帰札日に撮影をした。

校門は新旧2種現存しており、新しいほうは閉校記念碑も兼ねている
とにかくきれいな校舎なので再活用は当然のことであろう。

現在は「大原ふるさと会館」「社会福祉法人 大原の杜」になっている。

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

「旧洞爺村立香川小学校」

開校:1900(明治33)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

洞爺湖町香川100-11


国道230号線を左に分けて道道285号線に入る。
やがて右側に「香川コミュニティセンター」が現れる
これが旧香川小学校だ。

こちらも2006年閉校で新しい校舎に見えた
体育館の正面がお洒落でいい 子供たちも胸を張って登校しただろうなぁ

校章に虫があるのは先の「大原小学校」もそうらしい 珍しいものだ。
やはり農地にある学校は平地があり広い敷地とグランドを持つ
敷地内には碑が2つ、グランドには用具室らしい絵が描かれた小屋、風見鶏など

それと道道側に旧校門の門柱があった
以前の正面はこちらだったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「旧洞爺村立成香小学校」

開校:1900(明治33)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

洞爺湖町成香285

 

道道285号線をさらに南下する
こんどは少しだけ右折して進むが、すでに道道から見えている。

現在の成香小学校の跡地は近くの工事関係者の施設になり
校庭であったところにプレハブが置かれている
平日でもあり現場の方の姿もあるので敷地内には入らなかった。

すぐかたわらに閉校記念碑がある
正門からは体育館しか満足に見れなかったが広い敷地とグランドは他の2校と同様だ。

道道から広いグランド越しに校舎も見えるが、先を急いで撮影はここまでとした。

成香小学校と大原小学校、香川小学校は統合のため同時に閉校し「とうや湖小学校」となった。

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 


木造校舎・廃校 豊浦町の閉校 ※3校を追加しました

2024-08-06 21:33:41 | 木造校舎・廃校

wikipediaより

小学校  赤字は今回訪問 青字は過去訪問

  • 豊浦町立桜小学校(1972年)
  • 豊浦町立上泉小学校(1980年休校、2000年廃校)
  • 豊浦町立美和小学校(2005年)
  • 豊浦町立新富小学校(2003年休校、2006年廃校
  • 豊浦町立大岸小学校鉱山分校(1942年3月に大岸国民学校小鉾岸分教場として開校したが、1943年(昭和18年)廃止され、1944年に豊浦青年学校が開校。1947年(昭和22年)に再度廃校となって跡地に大岸中学校として開校した後、1952年に大岸中学校が廃校して移転したことに伴って、再び大岸小学校鉱山分校として改めて開校した。2007年に3度目の廃校となり、大岸小学校へ統合。)
  • 豊浦町立山梨小学校(2007年豊浦町立豊浦小学校へ統合
  • 豊浦町立新山梨小学校(同上
  • 豊浦町立大和小学校(2012年豊浦小へ統合)

中学校

  • 豊浦町立新山梨中学校(1972年豊浦町立豊浦中学校へ統合)
  • 豊浦町立新富中学校(1972年)
  • 豊浦町立美和中学校(1972年)
  • 豊浦町立上泉中学校(1980年)
  • 豊浦町立札文華中学校(2005年豊浦中へ統合)
  • 豊浦町立大岸中学校(2006年豊浦中へ統合)

高等学校

  北海道豊浦高等学校(2006年北海道虻田高等学校へ統合)

 

 

「旧豊浦町立礼文華中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2005(平成17)年
校舎:調査中()年

豊浦町礼文華169

ナビは「豊浦町立礼文華小学校」

 

長万部町の静狩から国道37号線で山越えに入る

豊浦町に入り、礼文華の町へ向かい右折して太平洋を目指す
ナビは集落の手前にある「礼文華小学校」
この小学校のとなりに旧礼文華中学校校舎があった。

鉄筋コンクリート2階建てでプレート付校門も健在
玄関前にある松の木だけが和風を感じさせる

 

 

昭和22年の開校当時と思われる門柱も残っていた
以前はここが正面玄関だった証だろう

 

横側にあるガラスを多用した壁が印象的
裏手には雑草だらけのグラウンドがある

 

また表に戻り体育館と用具室に使われたか小さな小屋があり学校の敷地は終わる

 

スィッチバックのようにグラウンド側を進む道路があったが時間がなく止めた。

 

このスタイルの校舎は特徴を見つけるのが中々難しいが
やはり横側にあるガラス壁が一番印象深かった。

 

2024年7月26日撮影

 

 

 

 

「旧豊浦町立大岸中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

豊浦町大岸116

ナビは「旧豊浦町立大岸中学校」

 

旧礼文華中学校を後にし、次の目的地である大岸の町を目指す
ナビはしっかりと海岸沿いの道を示しており、キャンプ場もある景色のよいところを走るはずだった。

ところが海沿いを走って数分で工事中のため通行止めになっていた
仕方が無くUターンし結局はまた国道37号線に戻った。

 

大岸の町も礼文華の町のように国道から右折し太平洋を目指す
ナビ通りに着いたのは校舎の裏側だった

 

 

すると、先の旧礼文華中学校と同じガラスの壁が現れる
まさか礼文華に戻ってきた?
と錯覚するほど校舎もそっくりだ

 

だがここには記念碑があった
記念碑には最後の在校生の名が彫られていた
うれしいだろうなと思いながらも、その1年前に卒業した子は残念だなとも思う

 


町の造りも中学校の校舎も礼文華と似ているなと思ったら
両校の開校は一緒だ
どちらも旧校舎を解体してコンクリート造りの校舎にしたようだが
それも同時期だったので同じ仕様にしたと考えるのが妥当かな?

 

ただ体育館に描かれた絵と、こちらには周りに民家が少ないので
閉校した今は静かすぎて怖いくらいだったのが印象に残る。

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧豊浦町立豊浦高等学校」

 

開校:1950(昭和25)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

豊浦町船見町123-2

ナビは「豊浦町立豊浦中学校」

 

旧豊浦高等学校の校舎は現在「豊浦中学校」が使用している

どちらも町名である「豊浦」が付いた学校なので、場所は豊浦町の中心部になるだろう

今回は夏休みということもあって道路からすぐ入れる駐車場にいれさせてもらった。

建物はやや古さを感じるが、まだまだ使用できるだろう

前の2中学校と比べて活用されている建物はやはり違う
しかも部活があるようで、物音が聞こえるとほっとする

 

現役の中学校の校舎ばかり撮っても仕方がないと思った矢先
一番奥に何かの碑を見た

行って見るとこれはまさしく「旧豊浦高等学校」のものだった

 

そうだよね 

再活用はうれしいが卒業生にしてみれば何か残してほしいものだろうね

 

2024年7月26日撮影

 

 

ここから過去訪問

 

 

「旧豊浦町立桜小学校」

開校:1896(明治29)年
閉校:1972(昭和47)年
校舎:調査中()年

豊浦町桜


国道285号線が97号線と交わる場所に小学校があった。

桜小学校は豊浦町で一番最初に閉校になった学校
明治29年の開校当時はこの辺も、住んでいる人が多かったのだろう。

学校は体育館が現存しており、連続する棟は旧校舎なのか増築なのかは不明だ
校舎だとしたらとても小さな学校になる。

1段高くなった場所に碑が3つ 一つが閉校の碑だが、裏面が見ずらい。

すぐ横の森が迫ってくるようだが大木があった
シンボルツリーなら旧体育館の前のがそうであろう。

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 


木造校舎・廃校 長万部町の閉校 ※4校を追加しました

2024-08-05 09:48:30 | 木造校舎・廃校

小学校 赤字は今回訪問 青字は訪問済み

 

wikipediaより

  • 長万部町立上の沢小学校(年代不明)
  • 長万部町立豊津小学校(1971年国縫小へ統合)
  • 長万部町立茶屋川小学校(1985年国縫小へ統合)
  • 長万部町立蕨岱小学校(2001年
  • 長万部町立双葉小学校(2005年、跡地は地元の企業の事務所に転用)
  • 長万部町立共立小学校(2009年、跡地は地元水産会社の工場に転用)
  • 長万部町立中の沢小学校(2010年、跡地は地元の製菓会社の工場兼直売所に転用)
  • 長万部町立国縫小学校(2014年
  • 長万部町立静狩小学校(2022年

 

 

「旧長万部町立蕨岱小学校」

 

開校:明治37(1904)年
閉校:平成13(2001)年
校舎:()年

長万部町蕨岱139

ナビ「長万部町蕨岱139」

 

蕨岱小学校は木造校舎が現存しており今回の閉校巡りのメインである

同じ木造でもモルタルより板張りの方が断然素敵だ。


黒松内町から国道5号線を南下し長万部町に入る
少し進むと左側に学校への案内標識があるので左折する
後は真っすぐ行くと左側にぽっかりと木造校舎が見えた。

 

道路の反対側はトウモロコシ畑
他に建物は教員住宅?の建物が学校の隣にあり、住民がいるようだ。

 

邪魔にならないように撮影をする
横に一直線の校舎は向かって右端に体育館があり終わっていた

閉校年は平成13年で特別古くは無い
竣工年が確認中だが、まずまずの状態で現存しているのが嬉しい

 

 

前庭は雑草が伸び放題で踏み入るのも躊躇する
見える位置からのズームで充分だ。


さらに先に進んでも農地と原野で行き止まりだ
Uターンして戻るには後ろ髪を引かれる思いである

それだけ貴重な校舎であった。

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧長万部町立双葉小学校」

 

開校:明治33(1900)年
閉校:平成17(2005)年
校舎:()年

長万部町双葉86

ナビは「JR二股駅」

 

JR北海道 函館本線の「二股駅」はコンテナで出来ており
面白い駅舎だった
鉄道マニアならずとも駅舎に興味が惹かれる

 

さて旧双葉小学校は国道5号線を挟んで「二股駅」の対面にある
付近には他に大きな建物は見られなかったのですぐにそれとわかる
車は駅舎前に停車し徒歩で国道5号線を渡る。

 

 

双葉小学校の現在は民間企業が使用していると思った

ただ現地に着いてみると平日だが人影も車もなく
自由に入れそうだったので校門から玄関前まで行ってみた

 

また左手に記念碑もあったので撮影をし
校舎の横に舗装道路があるので行ってみると校舎の裏側が見れた

奥に草ぼうぼうのグラウンドなどがあり、バックネットや鉄棒、水飲み場、
遠めだが温室?が見て取れた。

 

まだ使用できる鉄筋コンクリート造りの校舎なので
校門に付いていたプレートの会社が再活用していればいいが……

 

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧長万部町立共立小学校」

 

開校:大正3(1914)年
閉校:平成21(2009)年
校舎:()年

長万部町共立471-1

ナビは「共立熊野神社」

 

旧双葉小学校が今回の折り返し地点で、この後は東進して豊浦町方面に向かう
その途中に共立小学校がある

共立熊野神社と道路を挟んで旧共立小学校がある
すぐ近くに高速道路の「静狩PA」がある

 

校舎は双葉小学校と同じく民間企業が活用しており
以前は校門らしき標識に社名がある
リスが可愛い

 

ここは内部に入らないと校舎はほとんど見えないので
カメラ片手に訪ねてみた

が、ここも人はおろか車もない
あるのは鉄筋コンクリートの校舎と整備された敷地だった

誰かが来たら説明しようと思い撮影だけした
体育館が見当たらなかったのは解体されたからだろう
校庭と思われる場所は整地されさらに立入禁止だった。

 

 

ここも結局企業として活用はしているようだが、常に使用しない
倉庫のような用途なのだろうか

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧長万部町立静狩小学校」

 

開校:明治35(1902)年
閉校:令和4(2022)年
校舎:()年

長万部町静狩166

ナビは「長万部町立静狩小学校」

 

長万部町で太平洋を見ながら走る国道37号線は、やがて静狩の町で海沿いを終わり、
山を越える静狩峠を経て豊浦町に入る

どんづまりのような静狩の集落はこれまでの町より住宅などが多い

山側がぽっかりと開けた場所に「JR北海道函館本線 静狩駅」がある
木造板張りの素敵な駅舎だ
中も趣があってよい ホームに出たらまさに特急電車が通過する間際だった
あわてて撮影をしてみた 鉄道マニアの気持ちが少しわかったかも

隣の駅は有名な小幌駅だ


駅舎を離れて先へ進む

町の貫く通りの山側に左折すると静狩小学校があった。

 

 

しかし現在は工事現場の事務所や詰め所になっており
人の出入りも多い
外にある校門の撮影しながらギリギリの角度で校舎を撮ってみる

ズームで見ると正面玄関と思われる上部に校名と、「令和4年3月閉校」とあった


どうやら平屋のようで、奥行きのある学校だ

体育館も遊具も残っており、そこはわずか2年前の閉校だからだろう。



ここは敷地内奥に入らず、これで終了し
いつか機会があればまた寄ってみよう。

 

2024年7月26日撮影

 

 

 

ここから過去記録

 

「旧長万部町立中の沢小学校」

 

開校:昭和23(1948)年
閉校:平成22(2010)年
校舎:調査中()年

長万部町中の沢13-2

 

中の沢小学校は国道5号線沿いにあり、交通量が多い場所にあった。

昭和23年の開校で比較的新しい方になるだろう
校舎も当時のものかと思ったら、店舗として再活用されている内部に
改築完成イメージのイラストがあったので後年に治したようだ。

基本的には旧校舎、旧体育館、旧校庭(バックネットあり)が現存しており
校名のプレートだけは無い。

現在は、お菓子屋さんなのだろうが店内はモノであふれ
ドン・キホーテのミニチュア版を見るようですごく楽しい。

以前に通った時は一体何屋さんなんだろうと思っていたら
まさか閉校の再利用とは思わなかった。

現地製造のお菓子も販売しているのでぜひ立ち寄っていただきたい施設だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 


木造校舎・廃校 黒松内町の閉校

2024-08-02 22:58:05 | 木造校舎・廃校

小学校 赤字は今回レポート

  • 黒松内町立五十嵐小学校(1968年黒松内町立中ノ川小学校へ統合)
  • 黒松内町立東栄小学校(1972年閉校)
  • 黒松内町立上大成小学校(1976年黒松内町立大成小学校へ統合)
  • 黒松内町立豊幌小学校(1998年閉校)
  • 黒松内町立大成小学校(1998年閉校)
  • 黒松内町立熱郛小学校(1998年閉校)
  • 黒松内町立作開小学校(1998年閉校、跡地は体験学習所として転用)
  • 黒松内町立中ノ川小学校(2007年[148]黒松内町立黒松内小学校へ統合)

中学校

  • 黒松内村立黒松内中学校豊幌分校(1949年4月20日)
  • 黒松内村立黒松内中学校大成分校(1949年4月20日)
  • 黒松内村立黒松内中学校東栄分校(1949年4月20日)

 

黒松内町は後志地区の南端にあり、渡島地区と胆振地区に接している
「ブナ」の北限として有名でオートキャンプ場もある
本来なら道南への中継基地として地理的には往来は多い場所になるが
函館へは札幌、千歳からはもっぱら高速道路や洞爺湖~太平洋側を経由していくことが多い。

黒松内岳はブナ林の美しさと滝があるので一度登ったが、とてもいい山だった。

 

 

「旧黒松内町豊幌小学校」

 

開校:明治31(1898)年
閉校:平成10(1998)年
校舎:昭和51(1976)年竣工 鉄筋コンクリート平屋

黒松内町

ナビは「旧豊幌小学校跡」

 

蘭越町を後にして、最終目的地である長万部町の閉校を目指すとルートは黒松内町を通る
かなり久しぶりの「道の駅」で簡単に昼食をとり国道5号線を西進する。

 

やがてナビにある「旧豊幌小学校跡」跡に到着
校門と反対側の道路に空きスペースがあるのでそこに駐車。

 

校名入りプレートの校門が現存しており
正面玄関がすぐそこにある 校門は昭和51年寄贈なので
校舎の新築に合わせて校門も代わったようだ。

手前のスペースは前庭で裏手に校庭があるようだ
前提には遊具も残っておりシンボルツリーらしき樹木も健在

 

校舎は鉄筋コンクリート造りである
さすがに屋根の庇部分に痛みが見えて、このままだと拡大していくだろう。

体育館は校舎に対して立派で竣工年は分からないが校舎とは別かも知れない。

 

前庭の左手に記念碑あり

 

草が煩わしいが裏へ廻るとバックネットがあり
やはり草ぼうぼうでグラウンドの面影はない
用具室らしき古い建物もあった。

 

黒松内町としては1校だけの閉校訪問だったが
いい学校を見させてもらった 
いつかまたこの街を廻ってみたい

この後は国道5号線を進み長万部町に入る。

 

2024年7月26日撮影