札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 江別市の閉校① 

2022-12-20 19:22:13 | 木造校舎・廃校

江別市の閉校(小学校) 赤字は訪問済

  • 江別市立新野幌小学校(1966年江別市立野幌小学校へ統合)
  • 江別市立八幡小学校(1971年9月篠津小へ統合)
  • 江別市立下の月小学校(1980年江別市立江別小学校へ統合)
  • 江別市立篠津小学校(1986年統合により江別市立北光小学校へ)
  • 江別市立美原小学校(同上)
  • 江別市立江北小学校(同上)
  • 江別市立江別小学校(2016年江別第三小と統合し江別市立江別第一小学校へ)
  • 江別市立江別第三小学校(2016年江別小と統合し江別第一小へ)
  • 江別市立角山小学校(2018年江別市立対雁小学校へ統合)


中学校

  • 江別市立篠津中学校(1966年11月統合により江北中へ)
  • 江別市立美原中学校(同上)
  • 江別市立八幡中学校(同上)
  • 江別市立江北中学校(2011年江別市立江別第三中学校へ統合)
  • 江別市立角山中学校(2013年江別市立中央中学校へ統合)

 

 

「旧江別市立八幡小中学校」


※江別市史より

 

開校:昭和8(1933)年
閉校:昭和46(1971)年
校舎:()年竣工

江別市八幡1041-3

 

八幡地区は江別の端ですぐ北は当別町である
平地が多く田園地帯なので訪問時のような雪に風があると吹き曝しになる
車ならホワイトアウトに注意だ。

目印として看板があり、隣は八幡神社なのでわかりやすかった。

小橋を渡るアプローチは学校らしい
校舎はその正面にあったように思えるがどうか
学校を思わせるものは何一つ無い。

規模からして前庭が校庭と推測する
八幡小学校は篠津小学校に統合となり閉校した。

校舎は解体され、跡地には自治会館が設置されている。

 

 


会館の前の看板は八幡地区のマップ

 

 

 


2022年12月撮影

 

 

 

「旧江別市立美原小中学校」






※江別市史より

開校:明治36(1903)年
閉校:昭和61(1986)年
校舎:()年竣工

江別市美原

 

道道139号線江別奈井江線を東に走ると
旧美原小学校跡、美原自治会館、美原神社が連なる形である
学校の建物は旧体育館が現存していた。

この体育館とL字型で校舎があったようだが校舎はすでに解体されている
入り口から校舎までのアプローチは現在グラウンドになっている中を通っていたので
結構な奥にあった。

この地区も田園地区にあり冬季間の通学は大変だったろうと思える
学校は1986年に3校統合で北光小学校となり閉校した。

グラウンドと体育館は現在、札幌リトルシニア球場として練習場として使われている
体育館にストライク、ボール、アウトのボードが取り付けられているのが珍しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「旧江別市立江別小学校」

 


※江別市史より

 

開校:明治19(1886)年
閉校:平成28(2016)年
校舎:昭和28(1953)年竣工

江別市萩ヶ岡19


町の名がついた小学校であった
江別市特産であるレンガを使用した重厚な校舎である。

特に中央にそびえる5階建ての時計塔は学校のシンボルであった
広いグラウンドはイベントにも活用されたようだが
現在はすべて立入禁止で雑草も背が高くなった。

校舎もレンガの体育館も残念ながら閉校の2016年から2017年の間にすべて解体されたが
かつての正面階段が残っている 以前はこの上部中央に校名プレートがあった。

その手前にも別の石段があるが、これは学校があったときに通学用の歩道橋があった場所
閉校すると歩道橋もお役目御免で撤去された。

江別小学校は第三小学校と統合し閉校した 新校舎は第三小学校を新築した江別第一小学校である。

裏側の通りにあるスクールゾーンの標識が、かつてここに学校があったことを物語る
ぜひ閉校の記念碑をレンガで創ってほしい。

 

 

 

 

 


裏通りにある自治会館と門柱が気になった

 


左上が旧江別小学校


2022年12月撮影

 

 

 

「旧江別市立江別第三小学校」



※閉校記念誌より

 

開校:昭和4(1929)年
閉校:平成28(2016)年
校舎:昭和32(1957)年竣工(円形校舎)

江別市緑町西1丁目1-37

 

旧江別第三小学校には全国的にも珍しいレンガの円形校舎があった
旧江別小学校と同様にレンガ造りの校舎は実に美しかったという。

同敷地内に新校舎を建設し旧江別小学校と統合し江別第一小学校となった
閉校せまる平成27年には校舎のお別れ見学会を実施し、のべ1700人が来校した
円形校舎は平成27年5月から解体工事が始まった。

魅力ある旧第三小学校から新しい第一小学校となったが
校門のレンガ造りは第三小学校がそうであったからかも知れない。

グラウンドの端に二宮像があった
これは旧江別小学校と隣接し現存している「火薬庫」の上部にあったもの
両校統合の際に、ここに移築した
像部分は2007年に修復されたもので新しいが台座は建築当時のものだろう。

 

 

 

 


2022年12月撮影

 


閉校記念誌より

 

 

 

 

「旧江別市立江北中学校」



※江北中学校閉校記念誌より

開校:昭和41(1966)年
閉校:平成23(2011)年
校舎:昭和41(1966)年竣工

江別市美原1445

 

江別市の北部で石狩川に囲まれた地区は農業中心の田園地帯となっており
旧江北中学校もその校区であった。

開校には旧美原中、篠津中、八幡中から一斉引っ越しした
各中学は小学校との併設校であった。

平地の農業地帯によくある校庭・グラウンドが広い特色がこの学校にもある
閉校後は校舎のみ解体し、体育館は残した
そこに江別市が「都市と農村の交流センターえみくる」を新設した。

えみくるには会議室、調理室、体育館、野球場が整備され多くの利用があるようだ。

 

 


この場所が旧中学校の正面入り口だろう

 

 

 

2022年12月撮影

 

 



「旧江別市立角山小中学校」

 

開校:1918(大正7)年
閉校:2018(平成30)年
校舎:1981(昭和56)年竣工

江別市角山453

角山小学校は平成30年の閉校なので、まだ間もない学校だ
校舎ほかほぼ完全な姿で残ってはいる
ただ当然ながら立入禁止の表記があり敷地内には入れない。

 

正門の横に次の活用が記されていた

 

まだ使える施設は使うことは大事だ
ちょうど工事関係の業者が来ており中に数台の車と玄関扉が開いていた

門柱はプレートを外されて寂しい もっと早く来ておればだね

 

 

薄いピンクの校舎が綺麗でいいね

 

 

ちょっとだけ遊具も見えた

 

場所は275号線から入ってすぐなので分かり易い

その275号線側からもう一か所、体育館にむけての入口があったがこちらも同様に立入禁止で門柱にはプレートがない

 

 

校舎の西側と南側には自動車販売の会社に囲まれているので会社の人たちからはよく体育館が見えるだろう。

さて門柱の左側にチラっと見えるのは交番なので
ここから入るのは止めましょう。

 

2021年10月撮影

 

 

 

 

「旧江別市立篠津小中学校」

 

開校:1886(明治19)年
閉校:1986(昭和61)年
校舎:19()年竣工

江別市篠津404-2


篠津小学校があった場所は国道275号線沿いで「篠津自治会館」と「石狩地区農業共済組合」に現在はなっている。

 

まずは自治会館側に行って見る
ここにはいくつかの碑があるのでまとめたようだ

 

 

 

 

その中に篠津小学校の閉校の碑があった

 

表・裏・両横面と、その時の在校生だろうか手形があった
こういうのは思い出に残っていいよねぇ とてもいい企画だと思う


「PTA 1986.3.20」の文字が彫られているのでPTAが建てたモニュメントかも知れない

小、中、高とすべて廃校になった私としては羨ましいかぎり
校舎は皆残っているので取り壊したら碑が出来るのかなぁ

 

自治会館の奥は篠津神社

 

左側の農済の事務所があるが奥を廻ってみると

 

これはもしや体育館では
篠津小学校の最後の体育館かも知れない(情報不足で確定できない)

そうだとしたら別の活用が出来ていいことだ。

正面がお洒落だしね

そのままぐるっと廻って見ると旧校舎があったのは自治会館より
こちら側の方かなと思える

真ん中に植え込みがあったりするのは校舎の玄関前とかによくあるよね

 

 

 

*「江別市史」江別市発行より

2021年10月撮影

 

 

 

「旧江別市立野幌中学校 旧校舎」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:1980(昭和55)年
校舎:19()年竣工

江別市西野幌157


昔の野幌中学校は野幌神社の隣にあった
現在、学校は別の場所に移転し旧校舎があった場所には「農村環境改善センター」になっています。

 

事務所の真裏にある木々の中に閉校の碑があります

 

 

 

昭和55年に建立されたものですね
敷地は広く隣の神社とも塀がなく隣接しているのでさらに広く感じる

また、ここにはいくつかの碑があり野幌関係の碑をまとめたようにも思える
閉校碑の裏側にも別の物もある。

 

ついでと言っては失礼だが神社の敷地にも興味深い建物がある
拝殿や社務所、それに昔の泰安殿であろう建物

 

 

 

 

これは泰安殿だと思う


 

*「江別市史」江別市発行より

2021年10月撮影

 

 

 

 

「旧江別市下の月小学校」





※下の月小学校閉校記念誌より


開校:1949(昭和24)年
閉校:1980(昭和55)年
校舎:19()年竣工

江別市東野幌742-4


学校があったのは旧夕張鉄道の下の月駅跡のすぐ近くで、畑越しの向かいにあたる
マップでは早苗別通りという道路沿いで、この標識が目印


「旧下の月小学校グラウンド」になっているので間違いない


中に進むと建物が一つ
普段は無人のようで地域の人が使うのかと思いながら
以前は教員住宅だったのかも

 

奥は段差がある広場で面積からグラウンドは高い方にあったのだろう
低い方に一文字に校舎があったような…

 

さて車の轍がある低いところを奥に進むとまず鉄棒が朽ちたようなもの

 

さらに奥まで行くと木々に埋もれた校門があった

 

最も木々が覆いかぶさっている方を傘で払うとあったあった!

「江別市立下野月小学校」とある
「下の月」じゃあなくて門柱には「下野月」だ。

 

さらにもう一つ残されていたのがこのオブジェ
これは生徒たちの作品であろうか

 

現在では廻りには農家が点在しているだけで
鉄道の駅舎があったころは住宅があったと思われる

校舎の写真があるが大きくはなかったようだ
門柱は一つだけだったので当初からここにあったのかは不明

だが下の写真がグラウンド側から撮ったものなら右端に校門やオブジェがあってもおかしくはないが。


閉校記念誌より

*「江別市史」江別市発行より

2021年10月撮影

 



 

「旧江別市立江北小学校」 

 

開校:1898(明治31)年
閉校:1986(昭和61)年
校舎:1968(昭和43)年竣工

江別市美原1103-1

 

明治時代に開設された当初の旧江北小学校のあった場所は大森林地帯であった
開墾され人が増え学校が出来た
終戦後には海外からの引揚者が多く入植しさらに児童数も増加した。

その後、昭和37年に火力発電所の一部完成のため校区内にあった社宅全戸が
引っ越し児童の減少になった
また昭和43年に石狩川堤防の築堤工事のため現在地に移転したようだ。


江北小学校の跡地に行ってみたが、現在では考えられない?かのような畑しかない場所
わずかな農家が点在する場所であった。

美原大橋を南から入り川を超えて、最初の降り口から降りて美原高架道をくぐる感じで右折すると
足場の組まれている大きな倉庫があった。

 

来た道を振り返るとこんな感じだ

 

校舎はとうになく、この旧体育館だけがポツンと立っている
廻りには柵があり近くに寄れるのは金網越し



カマボコ型の体育館が多い中で個性的でカッコイイではないか

よく見ると損傷があり、厳しい状態に見えた
閉校の碑なども見えず。

近くで道路の舗装工事をしており、その関係の機材などがありそう
とにかくこの状態でも今日、見れて良かったのかも知れないな。

 

*「江別市史」江別市発行より

2021年10月撮影

 

 

 


木造校舎・廃校 旧追分町の閉校

2022-12-16 19:15:06 | 木造校舎・廃校

小学校の閉校 赤字は訪問済

安平町

追分町(2006年・安平町を新設)

早来町(2006年・安平町を新設)

  • 早来町立守田小学校(1980年早来小へ統合)
  • 早来町立瑞穂小学校(1990年安平町立安平小学校〈当時:早来町立〉へ統合)

 

 

「旧追分町立本安平小学校」

開校:明治37(1904)年
閉校:平成4(1992)年
校舎:昭和28(1953)年竣工

安平町追分向陽865


安平町は追分町と早来町が合併して出来た町。
この学校の閉校は平成4年だが立派な閉校記念碑があり校舎が現存していた。

周りに住宅は少なく農地の中にあった。

敷地内には「おいわけ 旭陽会館」が建っており比較的新しい建物のようだ
手前に記念碑がある。

閉校の経緯がしっかりと記されており、ダムの築造により校区の一部が水没するため
移転に伴う生徒数減少 とある。

校舎と体育館は一部の破損や補修跡がある
外壁は一度全補修したものだろう
玄関柱の造作がいい感じだ。

こじんまりとした校舎と機関車の動輪が置かれているのが特徴的だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年7月撮影

 

 


木造校舎・閉校 千歳市の閉校

2022-12-12 20:47:27 | 木造校舎・廃校

千歳市の閉校(小学校) ※赤字はレポート済

中学校

  • 千歳市立水明中学校藤の沢分校(1964年)
  • 千歳市立水明中学校(1966年千歳市立千歳中学校へ統合)
  • 千歳市立泉郷中学校(1968年千歳中へ統合)
  • 千歳市立中央中学校(1972年真町中へ統合)
  • 千歳市立長都中学校(2005年)
  • 千歳市立真町中学校(2012年千歳中へ統合)

 

 

「旧千歳市立水明小中学校」

 


※千歳市史より

 

開校:大正6(1917)年
閉校:昭和39(1964)年
校舎:昭和29(1954)年竣工

千歳市水明郷

 

ここは現在、王子製紙の千歳第一発電所がある場所である。
発電所は明治末期の竣工であり歴史と、その高低差から知る人ぞ知る
産業遺産であり観光地でもある。

中へは門の前に駐車場があり車を停めて散策気分で歩く
左手には千歳川神社の鳥居があるので、これもかつては住民がいた名残りかも知れない。

いずれにしろ学校があったくらいなので、この周りにも住宅があった
春に綺麗な桜の並木道の右隣りあたりが宅地のように思えた。

また周りにいくつかの住宅や施設があり、教員住宅だったものを
王子製紙が使用しているのかは不明だ。

 

体育館は昭和37(1962)年に改築されたものだが、それが現存していた。
多少の補修はあるはずだが、上記の古い写真では教室と体育館が1直線になっており
延長上に教室があったようだ。

学校は児童数の減少が続いたため昭和39年、支笏湖小学校に統合され閉校した。

 

 

 

 

 

 


2021年4月撮影

 

 

 

「旧千歳市立泉郷小学校」




※千歳市史より

 

開校:明治33(1900)年
閉校:昭和43(1968)年
校舎:昭和27(1952)年竣工

千歳市泉郷289-17

 

泉郷小学校があった場所の現在は「泉郷多目的広場」として活用されている
校庭の場所はパークゴルフ場になっていた。

現在ある建物と解体された旧校舎とは同じ位置にあり
体育館は当時のもののように見える
旧校舎は昭和27年の竣工だが体育館は後で改築したのかも知れない。

パークゴルフ場の向こう側、車道側に当時の校門が残っていた
プレートはなく今にも倒れそうだが、校舎を正面に見るここに
かつての入り口があったのだと思う。

泉郷小学校は市の発展に伴う学校規模の適正化により千歳第二小学校に統合された。

 

 

 

 

 

 

 


2022年11月撮影

 

 

 

 

「旧千歳市立幌加小中学校」




※千歳市史より

 

開校:明治33(1900)年
閉校:昭和46(1971)年
校舎:昭和34(1959)年竣工

千歳市新川

 

旧幌加小学校は、昔の航空写真には当時の位置、校舎が写っている
小学校は旧軍馬鍛錬所跡地に新校舎を竣工した。

現在は近くに神社だけがある原野と畑ばかりだった
T字サインの所に少しだけスペースがあり、そこから覗くと校門が残っていた
よく見ると離れているが1対になっていたので間違いないだろう。

近寄ることは出来なかったが校名プレートは無かったように見える
その後ろ側の空き地が校庭、そして校舎があった。

やがてこの地区は農業経営方針による離農、砂利採取、ゴルフ場への転用、企業としての大農家の進出などで
生徒の減少が著しく幌加小学校、協和小学校、東丘小学校を統合し東小学校を新築して閉校、解体された。

 

 

 

 

 


2022年11月撮影

 

 

 

 

「旧千歳市立東丘小学校」




※千歳市史より

 

開校:大正7(1918)年
閉校:昭和46(1971)年
校舎:昭和33(1958)年竣工

千歳市東丘1363-2

 

目印に地域の会館が建っている
てっきりここが校舎のあった場所かと思ったら、古い航空写真で確認をすると
学校は、その右となりにあった。

下部写真の茶色の畑の部分と思われる
校舎は奥の木々がある手前くらいにあったが解体されている。

なので今回はあまり関係のない場所をそれと思い込んで写したものばかりになった。

この地区も現在は住民が少なく広い牧草地が広がっていた
牧草ロールが当たり前のように並ぶここは丘もあり景色がいい。

昭和46年、協和、幌加、東丘の3校を統合し新たに東小学校とした
これにより閉校した。

 

 

 

 

 


2022年7月撮影

 

 

 

 

「旧千歳市立協和小学校」

 


※千歳市史より

開校:明治34(1901)年
閉校:昭和46(1971)年
校舎:昭和24(1949)年竣工

千歳市


※場所がわからず未訪問

 



 

「旧千歳市立中央小中学校」




※千歳市史より

 

開校:明治35(1902)年
閉校:平成5(1993)年
校舎:昭和37(1962)年竣工

千歳市中央539-3


現在、中央コミュニティセンターになっている場所が
中央小中学校のあった場所だ。

古い写真を見ると右側に校舎、L字に続くように体育館がある
広場は当時の校庭だったのだろう バックネットが残っている。
同じく古い写真で見えるポールが現在もあった。

体育館があった場所の並びに閉校記念碑がある
奥まった場所なのでやや寂しさがあるが、皆で使えるような新しい施設のそばなら良いことだろう。

 

中央小学校は生徒数の減少が続き、平成4年には11人までになっていた
翌平成5年に千歳小学校に統合され閉校し解体された。

中学校は昭和47(1972)年、真町中学校に統合され閉校した。

 

 

 

 

 

 

 


2022年11月撮影

 

 

 

 

「旧千歳市立長都小中学校」

 

開校:明治33(1900)年
閉校:平成17(2005)年
校舎:()年竣工

千歳市長都42-1

 

現在の千歳市埋蔵文化センターが長都小中学校の校舎だった
まだ使える校舎だったのが幸いしてか現存することが出来たようだ。

レンガの校門が歴史を感じさせる
校名プレートもそのままなのがうれしい。

木々の間を抜けて左に校舎、右手に校庭がある
広場の奥には100周年記念植樹の標示もあった。

この校舎は今後も使われていくことだろう
卒業生も一安心といったところ。

長都小中学校も生徒数の減少により平成17年に閉校している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年11月撮影

 

 

 

 

「旧千歳市立千歳第三小学校」




※千歳市史より

 

開校:昭和23(1948)年
閉校:昭和43(1968)年
校舎:昭和23(1948)年竣工

千歳市上長都949-1

 

千歳第三小学校は現在のキリンビール千歳工場の敷地にあった。

KIRINマークの入り口から左手にレストランがある
そこから奥へ進むと公園風になっておりSL蒸気機関車が展示されていた
そのそばにひっそりと閉校記念碑があった。

学校の写真もあった
それによると校舎は現在の工場方面のようで、この辺は広い校庭の一部だったように見えるがどうだろうか。

第三小学校はわずか20年で閉校になった。 
生徒数の減少よりも千歳市が工業地への誘致条例を決めたためとなっている
この地域の現在の土地利用を見れば納得できるだろう。

第三小学校は閉校後に信濃小学校へ統合された

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年12月撮影

 

 

 

 

「旧千歳市立蘭越小学校」




※千歳市史より

 

開校:昭和21(1946)年
閉校:昭和53(1978)年
校舎:昭和35(1960)年竣工

千歳市新星2丁目2-3

 

蘭越小学校の閉校記念碑はたいへん立派で大きくすばらしいものだった。

支笏湖へ向かう国道から右に入ると住宅街の中央に公園がある
そこに記念碑があった。

実際に校舎があった場所は、その奥の木々がある山側に建っていたと思われる
現在は校舎は解体され住宅地として分譲されている
新しい家が多く、ほとんどの住民は蘭越小学校のことを見たことがないかも知れない。

それだけに地域の中心である公園に碑を建てたのは正解ではないか

蘭越小学校は昭和34年にPTAが中心になりニジマスの養殖を始めた
TVや新聞、雑誌に紹介され全国的に有名になったという。

やがて生徒数が減少し閉校年の昭和53年には27人であった。

 

 

 

 

 

 


2022年12月撮影

 

 



 

「旧千歳市立真町中学校」

 

開校:昭和47(1972)年
閉校:平成24(2012)年
校舎:()年竣工

千歳市真々地2丁目3-1

 

青葉中学校の生徒数増加により開校した。
この時期は千歳空港の拡充や、工業団地の整備、航空自衛隊千歳基地の増強により隊員と家族が増えたためだ。


真町とは地域を流れる清流「ママチ川」があるので一帯が真町かと思ったら
住所の漢字は「真々地」だった。

校舎が現存しており現在は「北海道千歳高等支援学校」として活用されている
学校の前は千歳インターチェンジへの通行路となり車の往来が激しい
車道から小さな碑が目に入るが、これが真町中学校の閉校記念碑である。

 

平成24年に少子化の影響で生徒数が減り千歳中学校に統合され閉校した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年12月撮影

 

 

 


夕張市の建築探訪② ※旧北炭楓抗発電所を追加しました

2022-12-03 10:22:23 | 夕張市

「旧北炭楓抗発電所」 道央の建築探訪 no157

 

 

所在地:夕張市楓33
建設年:大正2(1913)年竣工 
指定等:なし

 

発電所として昭和3(1928)年まで使用し、その後は北炭真谷地炭鉱の
楓抗事務所として使われた。

昭和62(1987)年の閉山から平成6(1994)年まで「石炭ガラス工芸館」として再活用されたがそれも閉館している。

未使用の状態が続き、雪の重みが原因と思われる崩落がかなり進んでいる
このままでは全壊してしまうだろう。

訪問時はまだ何とかレンガの重厚さを保っている箇所もあったが
補修は物理的にも金銭的にも困難と思われる。


国道274号線を夕張市内から穂別方面に向かう
もうすぐ夕張市を超える前に左手に大きな駐車場と観光施設がある
ここは、かつて「メロン熊」で人気があった「北海道物産センター」で残念ながら閉店した。

旧発電所はこの裏手にあり、手前からでも過ぎてからでも車で見に行くことが出来る。


 

 

 

 

 


2022年11月撮影

 

 

 

※ここからは2021年6月の夕張市訪問記になります(①もあり)

 

鹿の谷を出て末広を抜けて北上し、本町に到着した
今回はここが最終地となりました。

夕張市の基幹産業の一つ観光と市役所、警察署などが末広~本町にあります。

「栗山警察署 夕張警察庁舎」

 

所在地:夕張市旭町4
建設年: 
指定等:

 

元は北炭の請願により1890年に設けた派出所が最初
1921年に夕張警察署に昇格
2017年に栗山警察署に統合される

ポンポロカベツ川が滝となり志幌加別川に合流する落ち込みのところにあり
その辺から見える多角型の留置所?が特異。

 

 

右端に多角形の部分が見える警察、その隣が市図書館、中央に滝の落ち込み

*2016年4月撮影

 

 

 

「旧夕張市図書館」

 

所在地:夕張市旭町40
建設年: 
指定等:

 

 

ここは部外者でもショックだった
市の建物が廃墟になって、しかも警察署の目の前だし。

子どもや地域の住民が集まる重要なコミュニティが放置状態は
夕張市の厳しさを一段と知らされた。

*現在は清水沢に移転したようです

 

 

ここからは本町の気になった建物を
ただ使用されている建物は少ない様子

「夕張商工会議所」

 

所在地:夕張市本町4丁目
建設年: 
指定等:

ここは現役の建物 正面ファサードが良き時代に建てられた感がある
ガラスブロックの多用もいい感じです。

商工会議所自体は昭和28(1953)年の創立なのでそれ以降の建物と思う

壁にはもちろん名画の看板あり。

 

 

 

 

「旧北酒販 夕張支店」

 

所在地:夕張市本町4丁目
建設年: 
指定等:

 

商工会議所の向かいにある
四角のがっしりした建物

北海道酒類販売のHPでは事業所に名前がないので閉鎖したと考えられる

 

 

 

「旧簗詰医院」

 

 

所在地:夕張市本町4丁目
建設年: 
指定等:

 

こちらも残念ながら医院兼自宅は閉鎖されている
しかし建物はレトロ感ありの医院で現存している建物を見れただけありがたい。
上げ下げ窓にスクラッチタイル、医院名の字体など開業していたらどれだけ素敵だったか

裏手にも廻れるが敷地内になるので深入りは厳禁だ。

清水沢にも同名の医院があるがこちらは解体されていた
親族の医院だったかも知れない

そうそう札幌にもあるんだよね
珍しい名前だし…

 

 

 

 

「旧桑島整形外科」

廃墟マニアには有名らしいが、それは内部に入るからであって
よくこんな状態とはいえ?他人様の所有物に勝手に入れるものだなぁ
大体、怖いでしょw

医院の隣は院長先生の自宅らしいが、倒壊寸前で中に入るのは危険すぎる
またその奥にも倒壊家屋があった。

逆となりは1階が駐車場になっており外国高級車が埃をかぶっている
これも院長先生の車かも知れない

裏手は葉が生い茂り建物にダメージを与えている
放置されるがままだが、いつ崩れるかわからないので入るのは止めたほうが良い。

尚、さらに1軒隣には木造の感じの良い住宅があったが
廃病院に圧倒され撮影は忘れた。。。

 

ここでタイムアップとなり家路を急いだ
とにかく札幌や近郊ではあまり見れない倒壊建物が多く、撮影する手を止めたことが何度もあった。

 

本町は中心部でありながらこの状況だった

残念ながら「夕張リゾート」の破産宣告により「ホテルマウントレースイ」「ホテルシューパロ」「合宿の宿ひまわり」「マウントレースイスキーリゾート」がすべて閉館中ととても厳しく寂しい状況になった。

映画祭での名作映画の大看板、石炭の歴史村などもこの近辺地区に集約されているが…

 

今回はやはり時間的に厳しく、訪れていない町もあるので
機会があればまた訪問したい

札幌から行くのでコロナ感染がさらに収まってからとしよう。

 

 


木造校舎・閉校 夕張市の閉校⑤

2022-12-02 17:28:36 | 木造校舎・廃校

夕張市の閉校(小学校) ※赤字はレポート済

  • 夕張市立真谷地小学校(1975年真谷地西小へ統合)
  • 夕張市立夕張第二小学校(1975年統合により旭小へ)
  • 夕張市立丁未小学校(同上)
  • 夕張市立福住小学校(同上)
  • 夕張市立鹿島東小学校(1978年鹿島小へ統合)
  • 夕張市立鹿島小学校奥鹿島分校(1956年桜ヶ岡小から改称、1978年鹿島東小から移管、1980年6月30日鹿島小へ統合)
  • 夕張市立夕張第一小学校(1983年旭小と統合し夕張小へ)
  • 夕張市立旭小学校(1983年夕張第一小と統合し夕張小へ)
  • 夕張市立若菜小学校(1983年若菜東小と統合し若菜中央小へ)
  • 夕張市立若菜東小学校(1983年若菜小と統合し若菜中央小へ)
  • 夕張市立沼ノ沢小学校(1985年真谷地西小と統合し緑小へ)
  • 夕張市立真谷地西小学校(1985年沼ノ沢小と統合し緑小へ)
  • 夕張市立紅葉山小学校(1986年統合によりのぞみ小へ)
  • 夕張市立登川小学校(同上)
  • 夕張市立楓小学校(同上)
  • 夕張市立清水沢小学校〈初代〉(1989年清陵小と統合し清水沢小〈2代目〉へ)
  • 夕張市立清陵小学校(1989年清水沢小〈初代〉と統合し清水沢小〈2代目〉へ)
  • 夕張市立南部小学校(1990年遠幌小と統合し幌南小へ)
  • 夕張市立遠幌小学校(1990年南部小と統合し幌南小へ)
  • 夕張市立鹿の谷小学校(1997年)
  • 夕張市立鹿島小学校(1998年)
  • 夕張市立富野小学校(2001年)
  • 夕張市立幌南小学校(2008年清水沢小へ統合)
  • 夕張市立清水沢小学校〈2代目〉(2011年統合により夕張市立ゆうばり小学校へ)
  • 夕張市立夕張小学校(同上)
  • 夕張市立滝の上小学校(同上)
  • 夕張市立若菜中央小学校(同上)
  • 夕張市立緑小学校(同上)
  • 夕張市立のぞみ小学校(同上)

中学校

  • 夕張市立若菜中学校(1949年11月25日鹿ノ谷中と統合し若鹿中〈1950年千代田中へ改称〉へ)
  • 夕張市立鹿ノ谷中学校(1949年11月25日若菜中と統合し若鹿中へ)
  • 夕張市立真谷地中学校(1952年沼の沢中と統合し向陽中へ)
  • 夕張市立沼の沢中学校(1952年真谷地中と統合し向陽中へ)
  • 夕張市立北陵中学校(1979年東山中へ統合)
  • 夕張市立夕張第一中学校(1983年東山中と統合し夕張中〈初代〉へ)
  • 夕張市立東山中学校(1983年夕張第一中と統合し夕張中〈初代〉へ)
  • 夕張市立登川中学校(1987年向陽中と統合し緑陽中へ)
  • 夕張市立向陽中学校(1987年登川中と統合し緑陽中へ)
  • 夕張市立鹿島中学校(1996年)
  • 夕張市立夕張中学校〈初代〉(2005年
  • 夕張市立幌南中学校(2008年清水沢中へ統合)
  • 夕張市立緑陽中学校(2010年統合により夕張市立夕張中学校〈2代目〉へ)
  • 夕張市立清水沢中学校(同上)
  • 夕張市立千代田中学校(同上)

高等学校

  • 北海道夕張真谷地高等学校(1967年)
  • 北海道夕張登川高等学校(1971年)
  • 北海道夕張東高等学校(旧北海道夕張鹿島高等学校、1983年閉校)
  • 北海道夕張南高等学校(1992年北海道夕張高等学校へ統合)
  • 北海道夕張北高等学校(1992年夕張高へ統合、1994年閉校)
  • 北海道夕張緑ヶ丘実業高等学校(旧北海道夕張工業高等学校、2003年閉校)

※wikipediaより

 

 

「旧夕張市立のぞみ小学校」




※夕張市史より

 

 

開校:昭和61(1986)年
閉校:平成23(2011)年
校舎:昭和61(1986)年竣工

夕張市紅葉山178

 

のぞみ小学校は昭和61(1986)年に紅葉山小学校、楓小学校、登川小学校を統合し、校舎を新築した学校で紅葉山小学校の校舎跡地を使用していた。

その後、平成23(2011)年に市内の小学校を「ゆうばり小学校」1校に統合するため閉校となる。

現在は老人ホームとして活用されている。

学校があった場所の近くに現在は「道の駅」と鉄道の駅もあり
夕張市内の中で今は最も賑わいがあるかと思う。

また国道274号線は高速道路が出来るまでは十勝地方へのルートでもあり
高速道路を使用しない私にはお馴染みの道だ。

校舎は閉校後に綺麗に塗装されたようだ
入り口に赤い色が目立つオブジェがあると思ったら、のぞみ小学校のプレートであった。

それを綺麗に塗装し現存させているのは卒業生としてもうれしいことだろう。

旧紅葉山小学校の閉校記念碑が立つ場所は公園のように見えるが
ここが旧校庭だったと思われる。

 

 

 

 


2022年11月撮影

 

 

 

「旧夕張市立紅葉山小学校」




※夕張市史より

 

 

開校:明治35(1902)年
閉校:昭和61(1986)年
校舎:昭和24(1949)年竣工

夕張市紅葉山178

 

国道274号線を穂別方面に向かい、楓、登川地区の閉校跡を見てから
Uターンし紅葉山まで戻って来たら閉校巡りも終盤だ
「Y」の字の縦棒線最下部にあたるのが紅葉山。

紅葉山小学校は明治35年の開校で歴史のある小学校であった

昭和61(1986)年に楓小学校、登川小学校と3校が統合し閉校となる。
紅葉山小学校は解体されその場所に
新たに「のぞみ小学校」が新築、開校された。

紅葉山小学校の名残りは向かいにある公園内に閉校記念碑があった。

またのぞみ小学校として新築された建物の横に古く崩れかけた門柱が
不自然に一基だけ残されていた。

もしかすると紅葉山小学校の校門だったのかも知れない。

 

 

 

 

 


2022年11月撮影

 

 

「旧夕張市立滝の上小学校」



※夕張市史より

 

 

開校:明治35(1902)年
閉校:平成23(2011)年
校舎:平成10(1998)年竣工

夕張市滝ノ上

 

長かった夕張市閉校巡りもラストとなった。

ラストは滝ノ上小学校で、ここは札幌から夕張方向へ行くときに必ず通るルート上であり校舎が現存しているのも知っていた。

校舎は平成10(1998)年に木造校舎から改築されたようで、まだまだ綺麗だ。
国道沿いのネットに閉校時のメッセージが貼られている
もはや薄くなり見えずらいが文字は

「忘れないよ 滝っ子 ありがとう110年」と書いてある

国道から向かって右側(夕張市側)には石段と校門、プレートが現存しており、校庭には遊具も見える
逆側の(由仁町側)には石碑もあった。

また学校の敷地内に赤い郵便ポストを見たのは初めてだった。

平成23年の閉校だからか、およそ当時の姿のままそこに学校がある
いや、現役の学校であると言っても過言ではないだろう。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年11月撮影

 

 

 

 

以上で夕張市の閉校巡りはいったん終了です。

レポート出来なかった学校では(かなり古い学校以外)

①真谷地小学校・・・・・記念碑があるがおそらく行かず
②福住小学校・・・・・・通行禁止と跡地しかないが北稜中と併せて
③遠幌小学校・・・・・・準備不足のため次回に訪問
④清水沢小学校(2代目) 見落としのため次回に訪問
⑤北稜中学校・・・・・・通行禁止地区だが記念碑があるので機会を見て
⑥幌南中学校・・・・・・見落としのため次回に訪問
⑦清水沢中学校・・・・・見落としのため次回に訪問
⑧夕張南高等学校・・・・見落としのため次回に訪問


こうしてみるとまだまだあるね 次回は来年になるが
今回の夕張市訪問は開校から閉校への経緯を考えると
もっとも切ない訪問先であった。