札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 洞爺湖町の閉校 ※1校を追加しました

2024-08-09 10:41:08 | 木造校舎・廃校

赤字は今回訪問 青字は過去訪問済

 

データはwikipediaより

  • 洞爺湖町立花和小学校(2007年洞爺湖町立洞爺湖温泉小学校へ統合
  • 洞爺村立富丘小学校(1973年)
  • 洞爺村立洞爺小学校(2006年統合により洞爺湖町立とうや小学校〈当時:洞爺村立〉へ)
  • 洞爺村立成香小学校(同上)
  • 洞爺村立大原小学校(同上)
  • 洞爺村立香川小学校(同上)

 

 

「旧洞爺湖町立花和小学校」

 

開校:1903(明治36)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:1988(昭和63)年

洞爺湖町花和

ナビは「ヤンマーアグリジャパン洞爺湖支店」

 

今回のニセコから長万部~豊浦と廻ってきた閉校巡りも最後の学校となった

道道285号線(豊浦洞爺線)沿いに学校がある
目印は前面にあるヤンマーさんの施設だが、よく見ると入り口に学校名が書いた木製の標識があった。(校門は見当たらず)

 

 

その奥へ進むと鉄筋コンクリート2階建ての校舎が現存している
何と言ってもトンガリ屋根の鐘塔が印象的だ

 

体育館の三角部分にはステンドグラスが嵌められ
裏側面の模様が見えたが児童が書いた絵が使われていた

 

建物の現在は地区の集会場に使われているようだが
正面玄関に廻ると校名のプレートがあり

 

裏も見てみたがそこは原野で旧校庭は現在のヤンマーがある敷地だったのだろう
そうすると過去の校門はそこの道道沿いにあったと思われる

石碑が3つほどあり一つは100周年記念碑だった
他は学校に関係するものと思われる。

 

 

洞爺湖町は湖近辺が観光でクローズアップされるが、山中で農業も営まれ
その中で集落が出来、学校も出来た

そして人口減少により閉校も増えている

 

2024年7月26日撮影

 

 

 

ここから過去記事

 

6月の函館旅行では高速道路を使わず下道を走った。

途中のルートにはいくつかの町があるのだが、函館入りを最優先にしたので
閉校の見学は、そのルート上にあるものに限定して撮影をしました。

洞爺湖町までの町はほとんど撮影は終了したし、ルートから外れた閉校はスルーしました。

 

 

「旧洞爺村立大原小学校」

開校:1908(明治41)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

洞爺湖町大原103-3


国道230号沿いにあり、立派な校舎が健在である
少し走ると「道の駅とうや」がある。

廻りは農地が多く、開拓した農家の子弟が通った学校と思われる。

札幌から行くと一番初めに出会う閉校だが、行きはスルーして帰札日に撮影をした。

校門は新旧2種現存しており、新しいほうは閉校記念碑も兼ねている
とにかくきれいな校舎なので再活用は当然のことであろう。

現在は「大原ふるさと会館」「社会福祉法人 大原の杜」になっている。

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

「旧洞爺村立香川小学校」

開校:1900(明治33)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

洞爺湖町香川100-11


国道230号線を左に分けて道道285号線に入る。
やがて右側に「香川コミュニティセンター」が現れる
これが旧香川小学校だ。

こちらも2006年閉校で新しい校舎に見えた
体育館の正面がお洒落でいい 子供たちも胸を張って登校しただろうなぁ

校章に虫があるのは先の「大原小学校」もそうらしい 珍しいものだ。
やはり農地にある学校は平地があり広い敷地とグランドを持つ
敷地内には碑が2つ、グランドには用具室らしい絵が描かれた小屋、風見鶏など

それと道道側に旧校門の門柱があった
以前の正面はこちらだったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「旧洞爺村立成香小学校」

開校:1900(明治33)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

洞爺湖町成香285

 

道道285号線をさらに南下する
こんどは少しだけ右折して進むが、すでに道道から見えている。

現在の成香小学校の跡地は近くの工事関係者の施設になり
校庭であったところにプレハブが置かれている
平日でもあり現場の方の姿もあるので敷地内には入らなかった。

すぐかたわらに閉校記念碑がある
正門からは体育館しか満足に見れなかったが広い敷地とグランドは他の2校と同様だ。

道道から広いグランド越しに校舎も見えるが、先を急いで撮影はここまでとした。

成香小学校と大原小学校、香川小学校は統合のため同時に閉校し「とうや湖小学校」となった。

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 


木造校舎・廃校 豊浦町の閉校 ※3校を追加しました

2024-08-06 21:33:41 | 木造校舎・廃校

wikipediaより

小学校  赤字は今回訪問 青字は過去訪問

  • 豊浦町立桜小学校(1972年)
  • 豊浦町立上泉小学校(1980年休校、2000年廃校)
  • 豊浦町立美和小学校(2005年)
  • 豊浦町立新富小学校(2003年休校、2006年廃校
  • 豊浦町立大岸小学校鉱山分校(1942年3月に大岸国民学校小鉾岸分教場として開校したが、1943年(昭和18年)廃止され、1944年に豊浦青年学校が開校。1947年(昭和22年)に再度廃校となって跡地に大岸中学校として開校した後、1952年に大岸中学校が廃校して移転したことに伴って、再び大岸小学校鉱山分校として改めて開校した。2007年に3度目の廃校となり、大岸小学校へ統合。)
  • 豊浦町立山梨小学校(2007年豊浦町立豊浦小学校へ統合
  • 豊浦町立新山梨小学校(同上
  • 豊浦町立大和小学校(2012年豊浦小へ統合)

中学校

  • 豊浦町立新山梨中学校(1972年豊浦町立豊浦中学校へ統合)
  • 豊浦町立新富中学校(1972年)
  • 豊浦町立美和中学校(1972年)
  • 豊浦町立上泉中学校(1980年)
  • 豊浦町立札文華中学校(2005年豊浦中へ統合)
  • 豊浦町立大岸中学校(2006年豊浦中へ統合)

高等学校

  北海道豊浦高等学校(2006年北海道虻田高等学校へ統合)

 

 

「旧豊浦町立礼文華中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2005(平成17)年
校舎:調査中()年

豊浦町礼文華169

ナビは「豊浦町立礼文華小学校」

 

長万部町の静狩から国道37号線で山越えに入る

豊浦町に入り、礼文華の町へ向かい右折して太平洋を目指す
ナビは集落の手前にある「礼文華小学校」
この小学校のとなりに旧礼文華中学校校舎があった。

鉄筋コンクリート2階建てでプレート付校門も健在
玄関前にある松の木だけが和風を感じさせる

 

 

昭和22年の開校当時と思われる門柱も残っていた
以前はここが正面玄関だった証だろう

 

横側にあるガラスを多用した壁が印象的
裏手には雑草だらけのグラウンドがある

 

また表に戻り体育館と用具室に使われたか小さな小屋があり学校の敷地は終わる

 

スィッチバックのようにグラウンド側を進む道路があったが時間がなく止めた。

 

このスタイルの校舎は特徴を見つけるのが中々難しいが
やはり横側にあるガラス壁が一番印象深かった。

 

2024年7月26日撮影

 

 

 

 

「旧豊浦町立大岸中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

豊浦町大岸116

ナビは「旧豊浦町立大岸中学校」

 

旧礼文華中学校を後にし、次の目的地である大岸の町を目指す
ナビはしっかりと海岸沿いの道を示しており、キャンプ場もある景色のよいところを走るはずだった。

ところが海沿いを走って数分で工事中のため通行止めになっていた
仕方が無くUターンし結局はまた国道37号線に戻った。

 

大岸の町も礼文華の町のように国道から右折し太平洋を目指す
ナビ通りに着いたのは校舎の裏側だった

 

 

すると、先の旧礼文華中学校と同じガラスの壁が現れる
まさか礼文華に戻ってきた?
と錯覚するほど校舎もそっくりだ

 

だがここには記念碑があった
記念碑には最後の在校生の名が彫られていた
うれしいだろうなと思いながらも、その1年前に卒業した子は残念だなとも思う

 


町の造りも中学校の校舎も礼文華と似ているなと思ったら
両校の開校は一緒だ
どちらも旧校舎を解体してコンクリート造りの校舎にしたようだが
それも同時期だったので同じ仕様にしたと考えるのが妥当かな?

 

ただ体育館に描かれた絵と、こちらには周りに民家が少ないので
閉校した今は静かすぎて怖いくらいだったのが印象に残る。

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧豊浦町立豊浦高等学校」

 

開校:1950(昭和25)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

豊浦町船見町123-2

ナビは「豊浦町立豊浦中学校」

 

旧豊浦高等学校の校舎は現在「豊浦中学校」が使用している

どちらも町名である「豊浦」が付いた学校なので、場所は豊浦町の中心部になるだろう

今回は夏休みということもあって道路からすぐ入れる駐車場にいれさせてもらった。

建物はやや古さを感じるが、まだまだ使用できるだろう

前の2中学校と比べて活用されている建物はやはり違う
しかも部活があるようで、物音が聞こえるとほっとする

 

現役の中学校の校舎ばかり撮っても仕方がないと思った矢先
一番奥に何かの碑を見た

行って見るとこれはまさしく「旧豊浦高等学校」のものだった

 

そうだよね 

再活用はうれしいが卒業生にしてみれば何か残してほしいものだろうね

 

2024年7月26日撮影

 

 

ここから過去訪問

 

 

「旧豊浦町立桜小学校」

開校:1896(明治29)年
閉校:1972(昭和47)年
校舎:調査中()年

豊浦町桜


国道285号線が97号線と交わる場所に小学校があった。

桜小学校は豊浦町で一番最初に閉校になった学校
明治29年の開校当時はこの辺も、住んでいる人が多かったのだろう。

学校は体育館が現存しており、連続する棟は旧校舎なのか増築なのかは不明だ
校舎だとしたらとても小さな学校になる。

1段高くなった場所に碑が3つ 一つが閉校の碑だが、裏面が見ずらい。

すぐ横の森が迫ってくるようだが大木があった
シンボルツリーなら旧体育館の前のがそうであろう。

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 


木造校舎・廃校 長万部町の閉校 ※4校を追加しました

2024-08-05 09:48:30 | 木造校舎・廃校

小学校 赤字は今回訪問 青字は訪問済み

 

wikipediaより

  • 長万部町立上の沢小学校(年代不明)
  • 長万部町立豊津小学校(1971年国縫小へ統合)
  • 長万部町立茶屋川小学校(1985年国縫小へ統合)
  • 長万部町立蕨岱小学校(2001年
  • 長万部町立双葉小学校(2005年、跡地は地元の企業の事務所に転用)
  • 長万部町立共立小学校(2009年、跡地は地元水産会社の工場に転用)
  • 長万部町立中の沢小学校(2010年、跡地は地元の製菓会社の工場兼直売所に転用)
  • 長万部町立国縫小学校(2014年
  • 長万部町立静狩小学校(2022年

 

 

「旧長万部町立蕨岱小学校」

 

開校:明治37(1904)年
閉校:平成13(2001)年
校舎:()年

長万部町蕨岱139

ナビ「長万部町蕨岱139」

 

蕨岱小学校は木造校舎が現存しており今回の閉校巡りのメインである

同じ木造でもモルタルより板張りの方が断然素敵だ。


黒松内町から国道5号線を南下し長万部町に入る
少し進むと左側に学校への案内標識があるので左折する
後は真っすぐ行くと左側にぽっかりと木造校舎が見えた。

 

道路の反対側はトウモロコシ畑
他に建物は教員住宅?の建物が学校の隣にあり、住民がいるようだ。

 

邪魔にならないように撮影をする
横に一直線の校舎は向かって右端に体育館があり終わっていた

閉校年は平成13年で特別古くは無い
竣工年が確認中だが、まずまずの状態で現存しているのが嬉しい

 

 

前庭は雑草が伸び放題で踏み入るのも躊躇する
見える位置からのズームで充分だ。


さらに先に進んでも農地と原野で行き止まりだ
Uターンして戻るには後ろ髪を引かれる思いである

それだけ貴重な校舎であった。

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧長万部町立双葉小学校」

 

開校:明治33(1900)年
閉校:平成17(2005)年
校舎:()年

長万部町双葉86

ナビは「JR二股駅」

 

JR北海道 函館本線の「二股駅」はコンテナで出来ており
面白い駅舎だった
鉄道マニアならずとも駅舎に興味が惹かれる

 

さて旧双葉小学校は国道5号線を挟んで「二股駅」の対面にある
付近には他に大きな建物は見られなかったのですぐにそれとわかる
車は駅舎前に停車し徒歩で国道5号線を渡る。

 

 

双葉小学校の現在は民間企業が使用していると思った

ただ現地に着いてみると平日だが人影も車もなく
自由に入れそうだったので校門から玄関前まで行ってみた

 

また左手に記念碑もあったので撮影をし
校舎の横に舗装道路があるので行ってみると校舎の裏側が見れた

奥に草ぼうぼうのグラウンドなどがあり、バックネットや鉄棒、水飲み場、
遠めだが温室?が見て取れた。

 

まだ使用できる鉄筋コンクリート造りの校舎なので
校門に付いていたプレートの会社が再活用していればいいが……

 

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧長万部町立共立小学校」

 

開校:大正3(1914)年
閉校:平成21(2009)年
校舎:()年

長万部町共立471-1

ナビは「共立熊野神社」

 

旧双葉小学校が今回の折り返し地点で、この後は東進して豊浦町方面に向かう
その途中に共立小学校がある

共立熊野神社と道路を挟んで旧共立小学校がある
すぐ近くに高速道路の「静狩PA」がある

 

校舎は双葉小学校と同じく民間企業が活用しており
以前は校門らしき標識に社名がある
リスが可愛い

 

ここは内部に入らないと校舎はほとんど見えないので
カメラ片手に訪ねてみた

が、ここも人はおろか車もない
あるのは鉄筋コンクリートの校舎と整備された敷地だった

誰かが来たら説明しようと思い撮影だけした
体育館が見当たらなかったのは解体されたからだろう
校庭と思われる場所は整地されさらに立入禁止だった。

 

 

ここも結局企業として活用はしているようだが、常に使用しない
倉庫のような用途なのだろうか

2024年7月26日撮影

 

 

 

「旧長万部町立静狩小学校」

 

開校:明治35(1902)年
閉校:令和4(2022)年
校舎:()年

長万部町静狩166

ナビは「長万部町立静狩小学校」

 

長万部町で太平洋を見ながら走る国道37号線は、やがて静狩の町で海沿いを終わり、
山を越える静狩峠を経て豊浦町に入る

どんづまりのような静狩の集落はこれまでの町より住宅などが多い

山側がぽっかりと開けた場所に「JR北海道函館本線 静狩駅」がある
木造板張りの素敵な駅舎だ
中も趣があってよい ホームに出たらまさに特急電車が通過する間際だった
あわてて撮影をしてみた 鉄道マニアの気持ちが少しわかったかも

隣の駅は有名な小幌駅だ


駅舎を離れて先へ進む

町の貫く通りの山側に左折すると静狩小学校があった。

 

 

しかし現在は工事現場の事務所や詰め所になっており
人の出入りも多い
外にある校門の撮影しながらギリギリの角度で校舎を撮ってみる

ズームで見ると正面玄関と思われる上部に校名と、「令和4年3月閉校」とあった


どうやら平屋のようで、奥行きのある学校だ

体育館も遊具も残っており、そこはわずか2年前の閉校だからだろう。



ここは敷地内奥に入らず、これで終了し
いつか機会があればまた寄ってみよう。

 

2024年7月26日撮影

 

 

 

ここから過去記録

 

「旧長万部町立中の沢小学校」

 

開校:昭和23(1948)年
閉校:平成22(2010)年
校舎:調査中()年

長万部町中の沢13-2

 

中の沢小学校は国道5号線沿いにあり、交通量が多い場所にあった。

昭和23年の開校で比較的新しい方になるだろう
校舎も当時のものかと思ったら、店舗として再活用されている内部に
改築完成イメージのイラストがあったので後年に治したようだ。

基本的には旧校舎、旧体育館、旧校庭(バックネットあり)が現存しており
校名のプレートだけは無い。

現在は、お菓子屋さんなのだろうが店内はモノであふれ
ドン・キホーテのミニチュア版を見るようですごく楽しい。

以前に通った時は一体何屋さんなんだろうと思っていたら
まさか閉校の再利用とは思わなかった。

現地製造のお菓子も販売しているのでぜひ立ち寄っていただきたい施設だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 


木造校舎・廃校 黒松内町の閉校

2024-08-02 22:58:05 | 木造校舎・廃校

小学校 赤字は今回レポート

  • 黒松内町立五十嵐小学校(1968年黒松内町立中ノ川小学校へ統合)
  • 黒松内町立東栄小学校(1972年閉校)
  • 黒松内町立上大成小学校(1976年黒松内町立大成小学校へ統合)
  • 黒松内町立豊幌小学校(1998年閉校)
  • 黒松内町立大成小学校(1998年閉校)
  • 黒松内町立熱郛小学校(1998年閉校)
  • 黒松内町立作開小学校(1998年閉校、跡地は体験学習所として転用)
  • 黒松内町立中ノ川小学校(2007年[148]黒松内町立黒松内小学校へ統合)

中学校

  • 黒松内村立黒松内中学校豊幌分校(1949年4月20日)
  • 黒松内村立黒松内中学校大成分校(1949年4月20日)
  • 黒松内村立黒松内中学校東栄分校(1949年4月20日)

 

黒松内町は後志地区の南端にあり、渡島地区と胆振地区に接している
「ブナ」の北限として有名でオートキャンプ場もある
本来なら道南への中継基地として地理的には往来は多い場所になるが
函館へは札幌、千歳からはもっぱら高速道路や洞爺湖~太平洋側を経由していくことが多い。

黒松内岳はブナ林の美しさと滝があるので一度登ったが、とてもいい山だった。

 

 

「旧黒松内町豊幌小学校」

 

開校:明治31(1898)年
閉校:平成10(1998)年
校舎:昭和51(1976)年竣工 鉄筋コンクリート平屋

黒松内町

ナビは「旧豊幌小学校跡」

 

蘭越町を後にして、最終目的地である長万部町の閉校を目指すとルートは黒松内町を通る
かなり久しぶりの「道の駅」で簡単に昼食をとり国道5号線を西進する。

 

やがてナビにある「旧豊幌小学校跡」跡に到着
校門と反対側の道路に空きスペースがあるのでそこに駐車。

 

校名入りプレートの校門が現存しており
正面玄関がすぐそこにある 校門は昭和51年寄贈なので
校舎の新築に合わせて校門も代わったようだ。

手前のスペースは前庭で裏手に校庭があるようだ
前提には遊具も残っておりシンボルツリーらしき樹木も健在

 

校舎は鉄筋コンクリート造りである
さすがに屋根の庇部分に痛みが見えて、このままだと拡大していくだろう。

体育館は校舎に対して立派で竣工年は分からないが校舎とは別かも知れない。

 

前庭の左手に記念碑あり

 

草が煩わしいが裏へ廻るとバックネットがあり
やはり草ぼうぼうでグラウンドの面影はない
用具室らしき古い建物もあった。

 

黒松内町としては1校だけの閉校訪問だったが
いい学校を見させてもらった 
いつかまたこの街を廻ってみたい

この後は国道5号線を進み長万部町に入る。

 

2024年7月26日撮影

 

 


木造校舎・廃校 蘭越町の閉校

2024-07-29 11:06:29 | 木造校舎・廃校

小学校 赤字は今回レポート

  • 蘭越町立旭台小学校(1973年閉校)
  • 蘭越町立立川小学校(1980年蘭越町立昆布小学校へ統合)
  • 蘭越町立上里小学校(1983年蘭越町立三和小学校へ統合)
  • 蘭越町立田下小学校(1996年閉校)
  • 蘭越町立名駒小学校(2001年閉校)
  • 蘭越町立湯里小学校(2002年閉校)
  • 蘭越町立港小学校(2008年蘭越町立蘭越小学校へ統合)
  • 蘭越町立目名小学校(2009年蘭越小へ統合)
  • 蘭越町立御成小学校(2013年蘭越小へ統合)
  • 蘭越町立三和小学校(2014年蘭越小へ統合)

中学校 赤字は今回レポート

  • 蘭越町立港中学校(1959年9月1日名駒中御成分校と統合し初田中へ)
  • 蘭越町立名駒中学校御成分校(1959年9月1日港中と統合し初田中へ)
  • 蘭越町立川上中学校(1966年11月15日豊浦町新富中学校へ統合)
  • 蘭越町立蘭越中学校〈旧〉(1976年統合により蘭越町立蘭越中学校〈新〉へ)
  • 蘭越町立名駒中学校(同上)
  • 蘭越町立初田中学校(同上)
  • 蘭越町立三和中学校(同上)
  • 蘭越町立目名中学校(同上)

 

蘭越町は札幌市から行くと、どうしても奥ニセコのイメージがあり
手前で帰途につくことが多い

日本海からニセコまで海もあり山もある町で
平地部での米作の評価が高く名産である

また道の駅が二か所あるのも珍しい
他の後志地区と同様に閉校も多い町だ。

 

今回はニセコ町を超えて蘭越町に入り、黒松内町へ抜けるルートを選択
その道中にあった閉校を廻る。

 

 

「旧蘭越町立湯里小学校」

 

開校:明治40(1907)年
閉校:平成14(2002)年
校舎:昭和32(1957)年竣工 ブロック鉄筋入り(内部木造)
   昭和55(1980)年増築

蘭越町湯里131

ナビは「湯ノ里デスク」

 

旧福井小学校から蘭越町へ入る
この辺は初めて通る道で新鮮なのがいい

道道207号線「昆布停車場~ニセコ線」からナビに従い小路に入ると
校舎が見えてきた。

校門前に駐車し、まずは工房に撮影の許可を貰いに行く
本来は内部も拝見したいが、スケジュール上そんなに時間をかけれず
外観撮影を了承していただいた。

 

湯里小学校の現在は「湯ノ里デスク」が木工工房して再活用しており
古い校舎を管理、使用されているので状態が良い

 

校舎の姿は校門に対し平屋横一列だけかと思いきや
増築と思われる部分が左手にあった。

正面玄関に掲げられた時計か校章はOBの寄贈のようだ。

 

 

左手に記念碑がある
これは立派な記念碑だ

 

右手に校舎と体育館が連なっている
この箇所は工房として使っているようだ

ブロック造りの校舎だった。

 

よく見ると小川が勢いよく流れており
取水パイプもあるので生活水に使っているのだろう

そこをひとまたぎすると林間に遊具がある
棒を外された鉄棒と椅子を外されたブランコ
そのままでは危険なので当然の処置だ またうんていもある。

帰途に振り返るとアジサイと校舎と木々と太陽の陰陽がとても素敵であった。

 

2024年7月26日撮影

 

 

「旧蘭越町立旭台小学校」

 

開校:大正4(1915)年
閉校:昭和48(1973)年
校舎:昭和26(1951)年竣工 木造

蘭越町旭台

ナビは「旭台神社」

 

道道207号線に戻り北上する
ところどころに建物やカフェがあった
ニセコブームはここまで来たのかと感じる。

途中から「ニセコパノラマライン」が合流し左側にロッジなど増えてくる
「ニセコパノラマライン」と分かれ今度は「岩内洞爺線」を走る。

やがてナビの「旭台神社」に到着する
そこは「岩内洞爺線」は右に直角に曲がるところ
直進はダート道になっていた

まず右に曲がってすぐの左手に標識を見る
それは「旭台小学校跡地」の表記があった


写真の左方向から来た
ライン通りに直角に曲がると右に跡地の看板あり

 

この奥地に校舎があったのだ
右の直角カーブの手前に駐車しダート道に入るとすぐ左に鳥居らしきもの

これが鳥居だとするとこの奥に神社があるというのだろうか
背丈はある笹薮にはもちろん入らない

 

ダート道の入口には看板があったので、少し安心した
10メートルほど歩くと右側にぽっかり草刈りの後がある
右側に古びた校門(門柱・右側のみ)があったので
ここから学校なんだと知る。

少し奥を覗いたがこちらも草ぼうぼうで止めた


それにしてもすごいところに学校があったものだ
閉校からすでに50年以上経過しており、当時の様子はまったく想像だに出来ない状態だった

 


※蘭越町史より

 

2024年7月26日撮影

 

 

「旧蘭越町立目名小学校」

 

開校:明治34(1901)年
閉校:平成21(2009)年
校舎:昭和54(1979)年竣工 鉄筋コンクリート造2階建て

蘭越町目名町221

ナビは「蘭越町目名サッカー場」

 

旭台小学校跡地から先に進み、分岐を右に行けばニセコ連山から岩内町まで降りる「ニセコパノラマライン」に合流する
左に行けば蘭越市内だ

ここは蘭越市内に向けて車を走らす
ここで涼しい高原地帯とはお別れだ

蘭越市内で国道5号線に合流し、先の道の駅で一休み

 

さらにナビに従い右折して目名の町に入る
ここの函館本線「目名駅」はログハウス調で印象的だ


そして小学校に到着する

 

旧旭台小学校が閉校から50年以上経っているのに
旧目名小学校は閉校から15年だ

建物も新しめで2階建てで中々堂々とした校舎だ
横にある体育館が教室の規模に比べて小さく感じるし古い

 

校庭は蘭越町のサッカー場として綺麗に整備されていた

このサッカー場と見比べると、新しめに感じた校舎も
ところどころ疲弊した跡が見られるねぇ

 

2024年7月26日撮影

 

 

「旧蘭越町立田下小学校」

 

開校:明治39(1906)年
閉校:平成8(1996)年
校舎:昭和25(1950)年竣工 木造モルタル

蘭越町田下

ナビは「田下地区集会所」

 

旧目名小学校から西へ進み、再び国道5号線に合流
すぐにナビの「田下地区集会所」に到着する 国道沿いに正面入り口だった。

地方とはいえ国道沿いは大型トラックも走るのでいったん手前を右折し
校舎の裏側へ廻ってみた
校舎も体育館も現存している。

 

体育館は農機具などの倉庫になっており作業中のため素通り
裏側から撮影し、国道に出る手前のスペースに駐車し
正面に廻ってみた。

 

右に地区集会場、正面に体育館、左に校舎の配置だ
現存しているのは小さな可愛らしい校舎で、閉校時のままかは不明。

左右の校門も現存しており校名プレートも健在だ


正面玄関の上に校章が付いていた

また「田」の字も見えるので校名も書いてあったのだろうか

 

おそらく集会場があるところが以前は校庭と思われるが
校舎の裏手も可能性がある
少し覗いた後にギョッとした

二宮像がガラスケースに入って、すぐそこにいたのだ

このケース入りは初めて見た
経緯はわからぬが雨風雪をしのぎ大切に扱っているということだろう。

 

2024年7月26日撮影

 

 

これにて蘭越町は終了
いつか日本海側へ行った時に残りの閉校を廻ってみたい