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札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 新冠町の閉校②

2025-08-13 20:06:35 | 木造校舎・廃校

新冠町の閉校 ※赤字は今回レポート

「小学校」

  • 新冠町立大狩部小学校(2008年新冠町立新冠小学校へ統合)
  • 新冠町立節婦小学校(同上)
  • 新冠町立明和小学校(2008年朝日小へ統合)
  • 新冠町立若園小学校(同上)
  • 新冠町立美宇小学校(同上)
  • 新冠町立東川小学校(同上)
  • 新冠町立太陽小学校(同上)
  • 新冠町立朝日小学校(2024年新冠小へ統合)

 

 

 

 

「新冠町立美宇小学校」

開校:明治44(1911)年
閉校:平成20(2008)年
校舎:平成2(1990)年竣工

新冠町美宇329-1

ナビ「MEBIGview」 ※2025年8月3日撮影

 

旧美宇小学校は閉校校舎が現存していることは衛星写真などで判明している

校舎は少し小高い場所にあるので体育館の一部しか敷地外撮影は出来ない。

学校への入口は左右の端にあり、右側には他でも見られた巨岩タイプの校門
左側にも門柱を確認した。

せっかく来たのだから現在の利用者である「MEBIGview」に許可を取ろうと行ってみた。

果たして玄関は施錠しており、見学と撮影をしながら誰かが来てくれるのを待った。

 

校舎自体はまだまだ再活用できるように見える
普通の校舎だなと思ったら裏側にアーチを描いた箇所があった。

校庭はきちんと雑草が刈られ管理されている状態だ

体育館にはステンドグラスはめ込みの連窓で、これは中から見たかった

結局どなたも来られず、長居は出来ぬと早々に引き上げた

ここでは記念碑などは見受けられなかったが無いのだろうか?

 

遠方から

 

 

 

このステンドグラスがいい感じだ

 

バックネットもあり

学校前には畑が広がる

 

 

 

「新冠町立東川小学校」

開校:明治43(1910)年
閉校:平成20(2008)年
校舎:平成6(1994)年竣工

新冠町共栄319-4

ナビ「共栄生活館」 ※2025年8月3日撮影

 

現在は社会福祉法人が再活用されているが、それにしても新冠町の小学校はお洒落な校舎が多かった。

旧東川小学校も最後の校舎はご覧の通りお洒落である

1階の両サイドに半円を配置し玄関は右側に
やはり両サイドに塔屋を設けドーマ窓を取り付けている。

ここも元学校というよりは社会福祉法人が建てた建物に思えても不思議はない。


さてこの場所は「共栄生活館」で道路を挟んで広大な馬牧場が広がっていた。
その生活館の敷地の一番奥に記念碑がある
3つの校舎が描かれており、明治期から閉校の平成20年までを3つの校舎が建てられた。

 

またその先に何やら見えたので良く見るとなんと二宮像であった。

 

校庭は旧校舎の前と、この生活館の敷地などが校庭であった
校門は旧校舎と校庭を挟んだ対面側であった
すっかり校門の所在を確認するのを忘れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上で新冠町を終わります
尚、この次は新ひだか町の「建築探訪」と「閉校巡り」がありますが
goo ブログ閉鎖に伴う引っ越しの作業を先に明日から進めます。

ただこちらにもアップするかも知れませんが、よろしくお願いいたします

 


木造校舎・廃校 新冠町の閉校①

2025-08-11 20:37:51 | 木造校舎・廃校

新冠町の閉校 ※赤字は今回レポート

「小学校」

  • 新冠町立大狩部小学校(2008年新冠町立新冠小学校へ統合)
  • 新冠町立節婦小学校(同上)
  • 新冠町立明和小学校(2008年朝日小へ統合)
  • 新冠町立若園小学校(同上)
  • 新冠町立美宇小学校(同上)
  • 新冠町立東川小学校(同上)
  • 新冠町立太陽小学校(同上)
  • 新冠町立朝日小学校(2024年新冠小へ統合)

 

前回の旧門別町に続き、再び日高地方へ
新冠町の小学校閉校はルート上にあるものが多く
また民間へ売却などで再活用も多い
めずらしく1日ですべての小学校閉校を廻ることができた。

 

 

「新冠町立大狩部小学校」

開校:昭和22(1947)年
閉校:平成20(2008)年
校舎:昭和29(1954)年竣工

新冠町大狩部28-1

ナビ「ケイセイマサキ建設」 ※2025年8月3日撮影

 

高速の日高道を現在の最終地点である「厚賀IC」で下りると、すぐ先が新冠町だ

最初に出会う閉校が「旧大狩部小学校」
ここは貴重な木造校舎が現存している。

下の駐車スペースが旧校庭で一部は太陽光パネルが並んでいた

そこから階段を上がっても良いが、正規の登校ルートである右側から行ってみる
旧校門と記念オブジェ、二宮像が整理されて置いてある
ここからは実に絵になる校舎風景だ。


体育館こそ新しいが紛れもない木造板張りの校舎
それは現在の主である建設会社さんのおかげでこんなに綺麗な状態を保っている
校舎は昭和29年の竣工から増改築の繰り返しであった。

その校舎の前には古い二宮像もあった。

今回は日曜日の訪問であり会社の方に挨拶が出来なかった
次回訪問することがあればきちんと挨拶をしたい。

 

 

 

 

 

「新冠町立節婦小学校」

開校:大正15(1926)年
閉校:平成20(2008)年
校舎:昭和54(1979)年竣工

新冠町節婦町107-1

ナビ「旧新冠町立節婦小学校閉校記念碑」 ※2025年8月3日撮影

 

旧節婦小学校は道道から少し登ったところにあり、かつてはその坂道に記念碑があったが
今回の訪問では見当たらなかった。

特異なデザインの校門があり、そこにはコーンがあった
ただ校庭に繋がる校門の右側は空いており車の通っている様子が伺えた。

校庭にはプレハブがあり、また校舎の前にコンクリートの破片などがある
産廃関係の置き場所に使用しているのだろうか?

 

左手の少し高くなった道路沿いにプールもある
スペース的にやむを得なかったのか一度学校敷地を出てプールへ行ったのだろう。

 

校舎は白地の長方形で右端に新しく見える体育館がある
体育館は現在も活用しているように見えた

果たして記念碑はどこへ行ったのだろう?
校舎へは雑草のため近寄らなかったが校舎のすぐ前に移動したのだろうか

 

 

ここがプール

 

 

新冠町といえばこれ

 

 

「新冠町立朝日小学校」

開校:大正5(1916)年
閉校:令和6(2024)年
校舎:昭和56(1981)年竣工

新冠町朝日295-4

ナビ「新冠町立朝日小学校」 ※2025年8月3日撮影

 

旧朝日小学校もほぼ完全な形で校舎を保っていた。

校門から入るとすぐ目につく壁画は体育館のもの
校舎は右手にグラウンドが左手で、
木々が手前側に配置され涼しそうだ
その間に簡易池の跡もある。


面白いの2か所ある玄関庇の裏側のデザイン
特に右手の玄関庇の裏は勾配をつけて斜めに持たせている

広いグラウンドには各種の遊具やバックネットも健在だ
やはり昨年閉校したばかりの学校である。

 

昭和46年と読める

 

ひまわりが伸びてきたね

2階の部屋にはトロフィーが窓側にあった 運動会のものだろう

この庇裏側のデザインは面白い

 

水が出たらいいなと思ったが・・・出るはずがないか

池だった?

 

 

「新冠町立明和小学校」

開校:昭和25(1950)年
閉校:平成20(2008)年
校舎:昭和63(1988)年竣工

新冠町明和154-12

ナビ「明和生活センター」 ※2025年8月3日撮影

 

馬産地である新冠町らしい閉校の活用である
新冠町の閉校はその後に民間活用が多い
最も校舎も大狩部小学校以外はそんなに竣工から古くないからだろうが

旧明和小学校の現在はビッグレッドファーム明和として綺麗さを保っている。


現在、旧校門と記念碑はファーム手前の明和生活センターの敷地内にある
特に巨岩を使用した校門は別の位置にあったものを
ここに移設したものだろう。

さて記念碑から旧小学校校舎が木々越しに見えるが
日高らしい素敵な風景だ
馬にかかわる牧場の事務所や厩舎は綺麗でデザイン性のある建物が多い
なので知識無しで旧校舎を見ると学校ではなく最初から牧場のためのデザインと思うのでは?

 

旧明和小学校は「小鳥の村」実践校として外観は鳥の巣箱をイメージした鉄筋コンクリート一部木造である

塔屋は野鳥観察のためという特殊な校舎であった。

 

明和生活センターの建物も素敵ではないか

 

美しいね

 

こちら牧場の正門 旧学校の校門もここにあったと推測する

このような体育館は初めて見た 鳥の巣箱がある

 

 

「新冠町立若園小学校」


※新冠町史より

開校:大正8(1919)年
閉校:平成20(2008)年
校舎:昭和50(1975)年竣工

新冠町若園62-1

ナビ「新冠こたにがわ学園」 ※2025年8月3日撮影

 

道道を走っているうちに体育館が見えたのですぐにわかった

ただどなたかの過去のレポートにあるような校舎はすでに解体されていた。


近くに行く前に道道沿いに記念碑などがあるので先に見学する
手前は綺麗に除草されていたが、横から後ろは背丈の長い雑草が生い茂っていた
改めて「閉校見学に夏は向かない」を実感した

本来であれば記念碑の後ろに旧校門と左手に学校のサインがあるはず
ただ近寄れず校門は雑草のためか見えず
サインだけはかろうじて「若」と「園」が目視出来た
本来なら校門から校庭~校舎と見えるはずだったが・・・

 

先に車を走らせ、生活センターに駐車する
ここから学校敷地は目と鼻の先

かたわらに何かの人工物を見たが、卒業生か最後の生徒のオブジェだろう。

そして舗装路の向こうは草が生い茂る校庭と体育館があり
校舎解体後に太陽光パネルが設置されたことだろう。

 

残った体育館は、まだ「学園」の施設なのだろうが人の気配はしなかった。

 

遠方から

 

 

校門があるであろう場所はこんな状態で未確認

 

少し進み「生活館」に車を停め敷地内へ進む

知らなかったらちょっと驚く

 

校舎は体育館の全面から左側にあった?
校舎が解体されたので体育館が全面に出た みたいな

この木の下にはコンクリの基礎がある

ここが校庭だ

生活館の建物と地域の碑が3つ

 

 

「新冠町立太陽小学校」

開校:昭和22(1947)年
閉校:平成20(2008)年
校舎:平成2(1990)年竣工

新冠町太陽204-5

ナビ「ディマシオ美術館」 ※2025年8月3日撮影

 

旧太陽小学校の再活用は美術館であった

こう言ってはなんだがまさか新冠町でも地方にあたるこの地に
美術館が出現して驚いた人も多いだろう。

一つは旧太陽小学校のデザインによるのでは?と考える

デザイン性のある校舎は鉄筋コンクリート造りである
印象的な吹き抜けの多目的ホールを囲むように4教室があった

そこに塗装と廻りの環境整備などで立派な美術館になった。

 

校庭は駐車場に、プール跡は「ガラス館」に変貌した
美術館内にはレストランがあり、美術館には入館せずとも利用が出来る
今回はレストランを利用し、敷地内に入ることが出来た

さすがに有料施設の駐車場に勝手に駐車し、外観などバチバチと写真を撮るのは控えたい。

 

 

以前は学校名のプレートがあった

塔が印象的だね 入口から左側部分がレストラン

アーチ型の吹き抜けも印象に残る

ドーマ窓は後付けだろうか 学校時代からあったならなんと素敵な体育館だろう

プール跡


校舎を後にしたところ、旧プール側の方に校門?らしきものを発見

そして敷地内には30周年記念碑があった
だが・・・ロープ内に入らず、正面からの撮影をしなかった
気が小さいのである

 


木造校舎・廃校 厚真町の閉校 ※2校を追加しました

2025-07-28 18:45:49 | 木造校舎・廃校

小学校の閉校 緑字は前回レポート 赤字は今回レポート

 

厚真町

  • 厚真町立上幌内小学校(1972年閉校)
  • 厚真町立高丘小学校(1972年厚真町立楢山小学校へ統合)
  • 厚真町立浜厚真小学校(1981年厚真町立上厚真小学校へ統合)
  • 厚真町立幌里小学校(1990年厚真町立厚真中央小学校へ統合)[
  • 厚真町立幌内小学校(1991年厚真中央小へ統合)
  • 厚真町立楢山小学校(同上)
  • 厚真町立鹿沼小学校(2004年上厚真小へ統合)
  • 厚真町立富野小学校(2011年厚真中央小へ統合)
  • 厚真町立軽舞小学校(2011年上厚真小へ統合)

 

厚真町は、むかわ町、安平町とともに平成30(2018)年の胆振東部地震で大きな被害を受けた
中には地震の被害で閉校になった学校もある
厚真町ではたくさんの住民が亡くなった

現在も復興へ向けての工事が見受けられる。

 

ここから新規レポート

「旧厚真町立浜厚真小学校」



開校:大正14(1925)年
閉校:昭和56(1981)年
校舎:()年竣工 

厚真町浜厚真132-8 
ナビ:浜厚真生活会館   
2025年7月6日撮影

 

旧浜厚真小学校があったことを表すのは、校門とプレートだが
実際の学校の位置はここではなく、移設したものと思われる。

ナビ先である生活館の前の道路と平行に走る鉄道線路がある
さらにその向こう側は原野化しているが、そこに学校があった。

ここには校門や生活館の他に神社もある
名前の通り浜が近いので、潮風が強かったり海で遊んだりしたのだろうか。

 

プレートの校名は併置された中学校も一緒だ

写真に見える車道の向こうに線路が、さらにその向こうに学校があった

 

 

 

「旧厚真町立富野小学校」



開校:明治33(1900)年
閉校:平成23(2011)年
校舎:()年竣工 

厚真町富野 
ナビ:厚真町立研修農場   
2025年7月6日撮影

 

旧富野小学校の現在は「研修農場」「厚真町農業担い手育成センター」としてしっかりと再活用されていた

だが、閉校が2011年と近いからか学校に関係あるものが随所にあり
撮影に時間がかかる嬉しい悲鳴だ。

校舎正面に農場があり車も停まっていたので、まずはちょうど農場から事務所へ向かう人がいたので撮影の許可をもらう

「どうぞどうぞ」と許可をいただいたので気を遣わずに見学出来た。

校舎は平屋で体育館は改装したのか立派なものだ
その体育館側にも旧校門があった。

 

 

 

何の台座か不明



農場は旧校庭を使用でしょう

さらに記念碑やオブジェなど

裏手の体育館側にも校門があった

窓から覗くと綺麗な廊下であった

 

 

 

ここから過去レポート

「旧厚真町立鹿沼小学校」

 

開校:明治34(1901)年
閉校:平成16(2004)年
校舎:()年竣工 

厚真町鹿沼217-4

 

数年前まで旧鹿沼小学校校舎は再活用されていて
旧校舎ならではの佇まいを見せていたが

厚真町鹿沼は胆振東部地震で最も震度が大きい「7」であった
閉校後に再活用されていた旧校舎も甚大な被害を受けて
解体せざるを得なかったようだ。

 

「鹿沼(しかぬま)収蔵庫(町内の鹿沼地区にある出土遺物の収蔵庫、今回は実見せず) 
・やはり小学校の廃校舎(木造モルタル校舎)を利用した収蔵庫 
・115万点の出土遺物(コンテナ2,000~3,000箱分)を収蔵 
・建物にクラックが入り、天井も落ち気味であり、体育館は床が抜けた 
・内部に入るのも困難な状況 
・建物を解体しながら救い出せる物を出していくしかない、という感じ」

※厚真町軽舞遺跡調査整理事務所の被災状況(速報) より

 

場所の目印は手前に建っている「鹿沼マナビイハウス」

すぐ先に校名プレート付の校門が残っていた
本来ならこの正面に横一列で旧校舎があったのだ

校門を抜けると右側に碑が並んでいた。

 

 

 

 

 

 

 


鉄棒が残っていた


 


学校までの間に沼があったが、沼名があったと思われる鉄枠には
何も嵌ってはいなかった 果たしてこれが鹿沼なのだろうか

※2024年5月31日撮影


※厚真町史より

 

 

「旧厚真町立軽舞小学校」現:厚真町軽舞遺跡調査整理事務所

 

開校:明治34(1901)年
閉校:平成23(2011)年
校舎:()年竣工 

厚真町軽舞205-2

 

厚真町の内陸部を走る道道10号線が、道道924号線に交わる手前に旧軽舞小学校がある

現在は再活用されており「厚真町軽舞遺跡調査整理事務所」

校名プレート付の校門が残っており、そこからなだらかなスロープを上がっていくと校庭と奥に旧校舎、その隣に記念碑がある。

 


碑は5つ並んでいる


こちらは中学校(校舎は小学校と同じ併置校であったようだ)


こちらは周年記念碑

 

小さな球形のモニュメントもあり

 

立派な石碑もあり

 

これが小学校の閉校記念碑

 

少し離れた場所に開校100周年記念碑もある

 

校舎

 

むかわ町で見たようなデザイン性のある校舎
これは素敵だ

 

ここはいわゆる「博物館」や「郷土資料館」で無料で見学が出来る

時間(利用時間)9:00~17:00
料金無料
定休日土曜・日曜・祝日、12月31日~1月5日


中に入ると係の方がいるので、入り口で記帳をし簡単な説明を受ける
案内はすぐ終わるので、あとは自由に見て廻れる
質問があれば事務所に行くこと。


校章入りの演台で記帳する

 

最大の特徴はなんと資料に直に手を触れていいのです!

土器も

石器も

持っていいんです
こんなの持つの初めてだから落とさないように慎重にした…

石器の矢じりは見た目よりも重く、何より先が鋭いことにも驚く

 

教室も再活用

 

メインの展示は体育館

 

レコードもかけていいのです

 

 

古民家も移築

 

展示物はこんなものじゃなく棚にぎっしりいろんなものがある
触れるものは触っていいのがすごいね

 

ギャラリースペースは卒業記念作品や使用していたものなど



学校関係の資料や、校名プレート
それと同じく収蔵庫として使われていた「旧鹿沼小学校」のものも
こちらに移設されている


閉校を訪ねてより、触れる博物館として非常に楽しい
思わぬ素晴らしい場所に来れて嬉しくなったよ

 

このステンドグラスは誇れるものだね

 


校庭にはバックネット、遊具もたくさん残してある

まだ使えるじゃないか

※2024年5月31日撮影

 

 


木造校舎・廃校 旧鵡川町の閉校 ※3校を追加しました

2025-07-26 21:25:27 | 木造校舎・廃校

小学校  緑字は過去レポート 赤字は今回レポート

鵡川町(2006年・むかわ町を新設)

  • 鵡川町立鵡川小学校(2004年新設の鵡川中央小へ統合)
  • 鵡川町立春日小学校(同上)
  • 鵡川町立田浦小学校(同上)
  • 鵡川町立二宮小学校(同上)
  • 鵡川町立花岡小学校(同上)

むかわ町

 

旧鵡川町は胆振地区にあり平取町の西隣で南北に長い町である
2006年に旧穂別町と合併し「むかわ町」になったので縦長になった。

鵡川は「ししゃも」の産地として有名である

閉校は旧鵡川町時代とむかわ町になってからも閉校になっている
初回の訪問は平取から札幌へ帰るルート沿い、もしくは近くにある閉校だけ訪問したので、再度の訪問が必要だ。


今回は旧門別町をメインに廻りやはり帰途中にむかわ町の3校を訪問した

 

「旧むかわ町立生田小学校」

 

開校:明治29(1896)年
閉校:平成22(2010)年
校舎:()年竣工 

むかわ町生田160

※ナビ:プラドジュール イクタ 2025年7月6日撮影


ナビ先は小高い場所にある学校の真下にあるレストラン。

このレストランさんのブログから令和4年に再活用をされたことを知った。
以前に参考とさせていただいているブログにロープがあり立入禁止だったと記載されていたので再活用はありがたかった。

 

ナビ通りに行けば道道74号線から学校に続く道に入る
目的地の学校は正面の小高い丘の上にあり

突き当りにレストランがあり、プレート付の校門があった。

再活用前ではここでストップであった

情報通り再活用されているようで坂道を車で登り校舎の端に駐車する
校舎は独特の円筒から円錐屋根が印象的だ
横の方に住宅があり犬が吠えてきた

ここから下へ登下校路を見る


まずは玄関前に車が停まっていたので、
許可を取ろうと玄関に入り声をかけたが誰も出ず

見学をしている間に会えればいいしと奥へ行ってみた

何とそこには木造板張りの体育館が現存しているではないか!
デザイン性のある校舎と不似合いの木造体育館

だがこれが残っていたことで、今回の閉校巡りのハイライトとなった。

校舎の前に旧校門も健在

さらに記念碑が二つも

 

山側にグラウンドと遊具があるようだ
今回は木造の体育館を見れたおかげでそこまで気が回らなかった

校舎まで来れなければこれらを見学することは出来なかった
再活用に感謝。

 

 

 

「旧鵡川町立花岡小学校」

 

開校:明治43(1910)年
閉校:平成16(2004)年
校舎:()年竣工 

むかわ町花岡310

※ナビ:たんぽぽ保育園 2025年7月6日撮影

 

旧花岡小学校も校舎の一部が現存していた
校章こそないものの、2004年の閉校から20年以上経っているのに
玄関には学校名、それとガラス戸越しに最後の在校生の似顔絵と手形があった。

ナビ先の保育園は隣に建っている 旧校舎の右側から校庭側に行くことが出来た
そちら側から見ると校舎の一部と保育園は並んで建てられている。

 

 

こうして並ぶところを見ると、体育館を解体し保育所を新築したように思える

旧校舎はいい感じだ 木造モルタルのように見える
屋根の錆具合が閉校から20年経ったことを表している。

 

さらに旧校庭の一角に校門を移設し、記念碑などと一緒にしている

これらは地面に寝かされている

 

 

ここも隣は神社(花岡神社)だった

 

 

 

「旧鵡川町立春日小学校」

 

開校:()年
閉校:平成16(2004)年
校舎:()年竣工 

むかわ町

※ナビ:春日生活館 2025年7月6日撮影

 

「生活館」も閉校後の再活用に多い
旧春日小学校も生活館として名前は変わったが、校舎は解体され
生活館は新築された。

 

校門は現存している
かつての校舎は校門から入り少しの坂を登ったところにどんと構て建っていた
今は敷地奥に生活館と体育館がある

この体育館は小学校時代のものが残されており、再活用されている
モルタル造りだが木造板張りの部分が表に出ている

これで今回、旧鵡川町の3つの小学校を廻ったが、どこも校舎や体育館などが現存されていた
またあるうちに見に行けて良かったと思う。

 

 

 

校庭にはシンボルツリーを思わせる木や、大きな栗の木などが残っていた

 

 

 

 

ここから過去レポート

 

「旧むかわ町立宮戸小学校」

 

開校:明治40(1907)年
閉校:令和5(2023)年
校舎:昭和63(1988)年竣工 体育館は平成2年竣工

むかわ町宮戸280-2


旧宮戸小学校は宮戸地区の国道225号線と道道74号線に挟まれた場所にあった。

国道側から来ると大きな校名の表示、新一年生の表示があり
校名プレート付の校門がある

そこは立入禁止になっており、現在の未活用が伺える。

 

創立から115年で閉校になったのが令和5年、昨年のことだ
昭和63年に新築された校舎はデザイン性があり、当時の子供たちは喜んだことだろう。


閉校からわずか1年でもグラウンドには雑草が見える
数年後には草ぼうぼうになるのは必然だ。

5月には校内に「サクラソウ」が咲くとのこと
敷地内には入れないが、機会があればぜひ見てみたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

覗くとグラウンドやバックネット、遊具も見えた

 

 


向かいに建っていた 教職員住宅であろうか


裏側には入れた


体育館がまたお洒落だねぇ これは平成2年に竣工


学校の向かいに水田が広がっていた これも宮戸地区の魅力だね

※2024年5月31日撮影

 

 

 

「旧鵡川町立田浦小学校」現:高齢者生活交流センター「ひだまりの里」

 

開校:昭和23(1948)年
閉校:平成16(2004)年
校舎:()年竣工

むかわ町田浦251-6

 

旧田浦小学校の校舎も旧宮戸小学校に負けていない素敵な校舎だった。

鉄筋コンクリート造りの建物に見えるが
木造、一部鉄筋コンクリート造りの平屋である。

 

現在は高齢者生活交流センター「ひだまりの里」として再活用された。

すでに再活用をされているので、現地に着いたら真っ先に事務所に行き撮影許可を貰った。

誰もいない場所で後からクレームされるより、誰かがいてくれたほうがいい
許可が下りなければ遠くから撮影するしかないしね。


それにしても素敵すぎる

 

 


体育館は旧宮戸小学校と窓ガラスのデザインが似ている


門から入るとすぐにある記念碑

 

 

 

 


よく見ると学校だった名残りがあるよ

 

 

門の裏側に落ちていたプレート 旧校門にあったものだろう

※2024年5月31日撮影

 

 

 

「旧鵡川町立二宮小学校」現:生涯学習センター報徳館

 

開校:大正6(1917)年
閉校:平成16(2004)年
校舎:昭和60(1985)年竣工

むかわ町二宮315-2

 

二宮地区は旧鵡川町の北にあり、山を挟み穂別町が北隣にある
旧鵡川町でいえば町の外れにある集落だ。

それにしては閉校は平成16年であり、続いた方ではないか


学校は少し高くなった場所にあるので坂道を登って行く
校門は残念ながら見当たらなかったが、校名のある表示(防火漕?)が残っていた。

 

 


二宮小学校の校舎もデザイン性がある
鉄筋コンクリート2階建て鉄骨造りである

 


この感じ いいですねぇ

 

 


体育館は奥に続く道があるが、熊を気にして行かず

 


このポール土台の向こう側には田浦小学校のように校章があったかも…

以前は教職員住宅?


坂道右手の木々の方に二宮像と石碑が二つあった

 

 

 

 

 

 

 

※2024年5月31日撮影

 

板張りの木造校舎は存在自体が貴重であるが、外観にデザイン性のある現存校舎は少ない

鵡川町の3校はどこも素敵な校舎であった
昭和の後半から平成前半に建てられた校舎は、機能重視の面白みのない学校とは違う

それは自治体に余裕があった時代だからなのかも知れない

 

旧鵡川町は終了です。

 

 


木造校舎・廃校 旧門別町の閉校②

2025-07-22 23:24:01 | 木造校舎・廃校

続きます

旧門別町の閉校 ※赤字は今回レポート

「小学校」

門別町(2006年廃止)

  • 門別町立門別小学校〈旧〉(1975年新設の門別小へ統合)
  • 門別町立幾千世小学校(同上)
  • 門別町立緑ヶ丘小学校(同上)
  • 門別町立広富小学校(1985年休校、1987年閉校
  • 門別町立鳩内小学校(1986年休校、1990年閉校)
  • 門別町立三和小学校(1990年閉校)
  • 門別町立庫富小学校(2003年休校、2004年門別小へ統合)
  • 門別町立正和小学校(2006年閉校)

日高町

  • 日高町立賀張小学校(2009年休校、2010年日高町立厚賀小学校へ統合
  • 日高町立豊郷小学校(2010年日高町立門別小学校へ統合)
  • 日高町立清畠小学校(同上)
  • 日高町立里平小学校(2018年厚賀小へ統合)

「高等学校」

  • 北海道富川高等学校門別分校(1955年)
  • 北海道厚賀高等学校(1977年)

 

 

「旧日高町立賀張小学校」

開校:明治37(1904)年
閉校:平成22(2010)年
校舎:()年竣工

日高町字賀張82-1

ナビ「㈱ワラウカド」 ※2025年7月6日撮影

 

賀張地区は門別本町と厚賀の間にある
厚賀の隣は新冠町なので日高門別の東端に近い。

他の街と同じように山から流れる川沿いに、下流に向けて集落がある
旧賀張小学校は他の地方地区と同じように賀張神社の隣に学校があった。

校舎他、施設は健在だが現在は民間活用なので、玄関へ行き訪ねようとしたが不在のようだ
校章を撮影し、急ぎ敷地を出て再度見学をした。

面白いなと思ったのはグラウンドは道路向かいの一段低い場所にあった
広い平地を確保できなかったのだろう

グラウンドはさすがに雑草だらけだが遊具も残っており、まだ学校の雰囲気を味わえるはずだ。

 

 

学校跡地として「ポール」は重要

 

 

次の閉校地へ行く途中に撮影 ここまでたくさんの牧場と馬を見る。

 

 

 

「旧日高町立厚賀中学校」

開校:昭和43(1968)年
閉校:令和7(2025)年
校舎:昭和46(1971)年竣工

日高町厚賀町216-1

ナビ「日高町立厚賀中学校」 ※2025年7月6日撮影

 

厚賀地区は日高山脈から流れる厚別川沿いに発展した街で、川向うはもう新冠町だ
その厚賀の街の中心地山側に校舎があった。

旧厚賀中学校は今年令和7年に閉校となったばかりの学校である

ゆるやかなアーチを描く校舎はもちろん健在であるが校章は見なかった
これは校章だけ外したということだろうか
それとも私が見落としただけか

アーチの校舎も裏から見れば予想外の凹凸のある裏面だった
広い校舎にバックネットや体育館も健在。
それでも今年に閉校になった証のようなよくある看板のようなお別れや感謝の表示物は無かったのは残念。

最盛期には500名いた生徒も閉校時は30名まで減少していた
閉校もやむなしだろう。

 

 

 

ここも前庭に大きな栗の木があった
閉校の記念碑はこれから作られるのだろうか

 

 

 

「旧日高町立里平小学校」

開校:()年
閉校:平成30(2018)年
校舎:()年竣工

日高町正和308-1

ナビ「里平神社」 ※2025年7月6日撮影

 

今回の行程で最も札幌から遠かったのが里平の集落。
小学校は里平神社の隣にある。

学校へのアプローチは明確で、看板と新旧二つの校門が迎えてくれる。

車で校舎まで行っても誰もいない
他の閉校によくあるロープやチェーンもない
「そういうこと」を心配しなくていい場所だからだろうか

校舎を見て驚いた
ここまでの道中でそんなに民家が多いわけではない
だが目の前にあるのはRC造り2階建ての立派な校舎だ

しかも端の部分に円形の穴がありデザイン性もあった
コンクリート造りの校舎の時代になってから機能性重視になり
ちょっとした遊び心を持つ校舎が少ない時期があったね

 

二つある校門のうち、巨岩を利用した方の裏に「竣工記念 昭和61年」とあったので校舎の竣工は昭和61年だろう

 

それにしても「里平」(リビラ)とはお洒落な地名だと思う。

 

 

 

 

 

20周年記念の製作物だろう

噴水⁉ ペンギンもいた

校庭への降り口

百葉箱があった

 

 

 

「旧門別町立正和小学校」

開校:明治44(1911)年
閉校:平成18(2006)年
校舎:()年竣工

日高町正和

ナビ「日高町正和 天照皇大神碑」 ※2025年7月6日撮影

 

「旧正和小学校」の正門は2か所ある
おそらく旧校舎から新校舎へ立て替えした時に校舎の位置が変わり
玄関近くに正門を新設したためだと思う。

だがどっちかというと「旧正門」の方がいい感じだった。

 

ここからは校舎は遠くに見える
体育館もプールも現存しているのは閉校が平成18年だからだろう。

「新正門」の方は地域交流センターの大きな標示に替わっている

校舎に比べて体育館の方が新しく感じる
また教員住宅らしき建物も健在で、閉校後の撮影どころが多い学校だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「旧門別町立三和小学校」

開校:昭和8(1933)年
閉校:平成18(2006)年
校舎:()年竣工

日高町三和82-173

ナビ「三和生活館」 ※2025年7月6日撮影

 

例にもれず隣に神社がある場所に学校があった
パッと見、生活館と墓地、学校敷地への石段、それと閉校記念碑があった

これで終わりかと思ったら右手の奥に気になる建物が見えている
行って見るとなんと校舎であった

木造モルタル造りのようだが、もはや廃墟に近くカビや一部損壊が見てとれるが崩壊の危険がない程度に現存していた。

諸所にある縦長窓が何とも時代を表し、とても素敵だ
校舎は右側に長く続き、小さな体育館で終わるみたいだが、生い茂る雑草のために途中で断念した。

小さな校舎であったが現存するうちに見れて良かったと思う。

 

右の建物は崩壊寸前だ

右奥に見える建物が校舎であった

 

石段の上下どちらかに校門があったのだろう

 

 

 

 

「旧門別町立鳩内小学校」

開校:昭和22(1947)年
閉校:平成2(1990)年
校舎:()年竣工

日高町広富

ナビ「鳩内八幡神社勧請跡地の碑」 ※2025年7月6日撮影

 

今回の閉校巡りで最も冷や汗が出たのは、この前の「旧三和小学校」を出発し、すぐにスマホが圏外になった。

すっかりナビ頼りの計画を立てていたので次の場所が地図上でどの辺にあるかも確認していない。

まぁ道なりにと思って走り、やっと圏外から脱したら真逆の平取町へ向けて走っていた。

戻りに10分をかけてしまいとんだタイムロスをした。

 

さて「旧鳩内小学校」だが、事前調査で校舎など無く、校門が残っているだけの情報を得る。

その場所に着いたが、あまりの雑草の多さに中まで進む気がしない
かろうじて見つけた校名プレートもない校門を撮影
また反対側にはもう一基あった。

この場所が学校の入口は分った
古い航空写真では旧校舎は向かって右手の奥にあった
そこにシンボルツリーに見えなくもない樹木があったので撮影をする。

また左の方にある建物は学校とは無関係らしい。

 

もう一基の校門へは近寄れず

プレートがあった跡がある

シンボルツリー?

下の写真は無関係の建物らしいが、もっと道路に近い場所にもう一棟あった
古い航空写真ではそこも写っている そっちが旧学校の施設の一部かも知れない
撮影をしなかったのは悔やまれる。

道路の反対側にこんな掲示板?があり

 


※門別町史より

 

 

 

「旧門別町立広富小学校」

開校:大正4(1914)年
閉校:昭和62(1987)年
校舎:()年竣工

日高町広富96-1

ナビ「広富山村研修センター」 ※2025年7月6日撮影

 

旧門別町最後の閉校は「旧広富小学校」

撮影漏れだがここも隣は神社であった


さて学校敷地へは少しばかりの坂を車で登るが、まずそこに記念碑があった
これは他の旧門別町の小学校閉校で観たのと同じものだ。
残念ながら傾斜地にあり、裏側は未確認。

坂を上がると現在は研修センターに使われている旧校舎がある
外壁は綺麗に塗装されていた。

建物の形状から体育館は2階部分であろう

グラウンドにはバックネットが健在なので野球も出来る
奥には神社への入口もあるはずだ。