札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 俱知安町の閉校 ①

2023-12-28 23:43:42 | 木造校舎・廃校

俱知安町の閉校(小学校)

  • 倶知安町立大和小学校(1976年)
  • 倶知安町立峠下小学校(1976年)
  • 倶知安町立末広小学校(1980年)
  • 倶知安町立寒別小学校(1984年倶知安町立東小学校開校に伴い廃校、跡地はアトリエ兼住宅に転用)
  • 倶知安町立巽小学校(同上)
  • 倶知安町立富士見小学校(同上)
  • 倶知安町立瑞穂小学校(同上)
  • 倶知安町立八幡小学校(同上)
  • 倶知安町立比羅夫小学校(1987年俱知安町立西小学校開校に伴い廃校)

中学校

  • 倶知安町立瑞穂中学校(1979年統合により東陵中へ)
  • 倶知安町立八幡中学校(同上)
  • 倶知安町立寒別中学校(同上)
  • 倶知安町立樺山中学校(同上)
  • 倶知安町立倶知安中学校〈旧〉(2013年東陵中と統合し倶知安町立倶知安中学校〈新〉へ)
  • 倶知安町立東陵中学校(2013年倶知安中〈旧〉と統合し倶知安中〈新〉へ)



「旧倶知安町立末広小学校」NEW

 

開校:明治40(1907)年
閉校:昭和55(1980)年
校舎:()年竣工

倶知安町末広128-1


※倶知安町史より

 

倶知安町末広は町の最北部にあり、境界は山岳地帯になっている
車の通れる道路のまさに最北部に旧末広小学校があった。

今回も豪雪地帯の12月訪問であり、せっかくの記念碑は見ることが出来なかった。

ただ校舎の一部と思われる木造建築物は健在で
雪原の中にポツンとあるようで、これはこれで冬の訪問で良いのかと思う。

またここから見る羊蹄山~昆布岳~ニセコアンヌプリがことのほか見事だった。

すぐ近くの農家が自ら除雪を行っていた
これからは常に除雪車の出動になるのだろう。

 

 

 

 

 

2023年12月撮影

 

 

「旧倶知安町立瑞穂小中学校」NEW

 

開校:明治31(1898)年
閉校:昭和59(1984)年
校舎:()年竣工

倶知安町瑞穂350-13


※倶知安町史より

 

旧末広小学校へ訪問の後に、まっすぐ道路を南下すると左側にバックネット、何かの碑、二宮像が見えてくる

これが旧瑞穂小学校跡地である
左折してみると校門が現存していたのがうれしい

やはり冬季は積雪のためよく見ること、近づくことが出来ないが
雪の美しさも格別だ

ここからも山がきれいに見える
羊蹄山を囲む町々はこのような環境で子供たちが育っていく
地元の人からすると、おそらく特別な感情はないと思うが
とても羨ましく感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年12月撮影

 

 

 

「旧倶知安町立峠下小学校」NEW

 

開校:明治36(1903)年
閉校:昭和51(1976)年
校舎:昭和26(1951)年竣工

倶知安町峠下113-14


※倶知安町史より

 

今回の紀行は余市~共和町経由で廻ってきた
共和町から倶知安町に入り最初に訪ねたのが旧峠下小学校跡地である。

かつて校舎があった場所には「羊蹄セルプ」が建築されており
向かいの「羊蹄ハイツ」あたりがかつての校庭である。

国道5号線側にレンガ造りの校門が残っていた
すぐ近くにプレハブがあり人がいたので撮影の許可をいただく

プレートには薄い文字があるが判明は出来なかった
校名には間違いないだろう。

この地も建物に「羊蹄」の冠が付くぐらい羊蹄山が綺麗に見えた

 

 

 

 

 


2023年12月撮影

 

 

 

「旧倶知安町立東陵中学校」NEW

 

開校:昭和54(1979)年
閉校:平成25(2013)年
校舎:()年竣工

倶知安町北6条東9丁目2

 

旧東陵中学校は平成後期に閉校となった比較的新しい閉校である

元々は4つの中学校を統合し、新築して開校した学校であった
その後は東陵中学校も俱知安中学校と統合し閉校となった。

校舎はまだまだ使用できそうで玄関前まで綺麗に除雪されていた
敷地内で大きな工事があるようで一部建設機械が入っていた。

校舎の運命はわからぬが何か新しい建築物が出来るのだろう
そうやって町が新しくなるのは良いことだと思うが卒業生の心情はいかがか。


 

 

 

 

 


2023年12月撮影

 

 

 

「旧倶知安町立大和小学校」

 

開校:1913(大正2)年
閉校:1976(昭和51)年
校舎:()年竣工

倶知安町大和218


※倶知安町史より

 


大和地区は俱知安町の市街地では北部にあたり、赤井川村~小樽への国道393号線沿いにある。

赤井川村の道の駅から峠やトンネルを超えて、民家が見えてくると左へ大きくカーブする突き当りに
旧大和小学校の閉校記念碑が残っていた。

冬であり豪雪地帯である俱知安町なので碑も1/3は雪に埋まっており近寄ることも出来なかった
付近一帯は校舎の解体後は「大和ふるさと公園」になっており遊具的なものも見えた。

赤井川村と倶知安町が国道393号線で開通されたのは2008年である
この立派な道路が出来たおかげで今回は赤井川経由で倶知安町へ行けた
そうしてこの閉校跡にも寄ることが出来たのだ。

 

 

 


2022年12月撮影

 

 

 

 

「旧倶知安町立巽小学校」

 

開校:1900(明治33)年
閉校:1984(昭和59)年
校舎:()年竣工

倶知安町巽104


*倶知安町史より

 

京極町から倶知安町に入り、最初の閉校(跡)。
廻りは畑ばかりでここに学校があったのかと思うと
昔はどれだけの世帯があったのかと考えてしまう。

校舎はとうに無いが校門は残っていた
奥に閉校の碑らしきものがあるが積雪で近づけなかった。

それにしてもさえぎるもの無しのこのロケーションもすごい
まさに羊蹄山のふところにあるような場所だ。

 

 

 

 


2021年11月撮影

 


9月に倶知安町に行ったときに立ち寄りました
やはり雪に埋もれていた時とは違う

ただ閉校の碑には雪ではなく腰までありそうな雑草に阻まれ近くに寄れなかった…

 

 

 


2022年9月撮影

 

 



「旧倶知安町立寒別小学校」

 

開校:1911(明治44)年
閉校:1984(昭和59)年
校舎:()年竣工

倶知安町寒別103

旧寒別小学校は今春に一度、タケノコ狩りの帰りに寄っている
その時は晴天で校舎の後ろに羊蹄山がどーんとそびえていた

残念ながら今回は、ここに来た時が一番天候が悪化した時で
随分と暗く見えるし山も見えなかった。

閉校校舎を再活用している貴重な木造の旧校舎である
敷地内へは断らないと入ってはいけないでしょう。

 

 

 

 

 

 


2021年11月撮影


 

 

「旧倶知安町立八幡小学校」

 

開校:1896(明治29)年
閉校:1984(昭和59)年
校舎:()年竣工

倶知安町八幡480


*俱知安町史より

 

校舎があった場所は広く空き地のままで
他の碑とともに二宮像、校門、通用門が残されていた

そばにある建物は学校に関係あるものかも知れない
門柱のプレートは名前がわからないように壊されていた
緊急避難用地としての看板に旧学校名があった。

雪が融けて各碑が見れるようになると、情報が得られるだろう
この地も羊蹄山をうかがうロケーションであった。

 

 

 

 

 

 

 


2021年11月撮影

 

 

 

「旧倶知安町立富士見小学校」

 

開校:1906(明治39)年
閉校:1984(昭和59)年
校舎:()年竣工

倶知安町富士見無地番地


*俱知安町史より

今回の訪問地で一番難儀したのがこの学校跡地だった
このために特長靴を持ってきたとはいえ新雪の深さは大変だった
(もっとも雪が無ければ立入禁止のロープがあるのかも?)

明確な学校への登りスロープとシンボルツリーらしき木があり一段高い場所が学校跡地だ
残されていた校門は奥へ移動されたように思える
しかも校名がわからないようにプレートを割っている。

奥にある大きな碑は周年の碑と閉校記念碑
歴史がありまさに富士見の位置にある学校舎からは
誰にも邪魔されずに羊蹄山を独り占めできそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 


2021年11月撮影

 

 

 

「旧倶知安町立比羅夫小学校」

 

開校:1900(明治33)年
閉校:1987(昭和62)年
校舎:1936(昭和11)年竣工

俱知安町比羅夫145-2


*俱知安町史より

 

比羅夫小学校は閉校後にカフェになったり宿泊施設になったりして
旧木造校舎をなんとか活用して残して行こうの気概がうかがえた。

訪問時に施設の方がいたので撮影の許可を得て外観だけ撮影をした
雪で大変と言っていたがさすがの豪雪地帯でも先日の雪は堪えた。

管理されているだけあり校舎も体育館も木造の古さを保ちながら
木の良さを感じたね

ここからは校舎のバックにニセコアンヌプリ、入口方向に羊蹄山があるはずだが
アンヌプリだけきれいに見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2021年11月撮影

 

 

 

「倶知安町立西小学校樺山分校」

 

開校:1934(昭和9)年

校舎:1934(昭和9)年竣工

俱知安町樺山109


*俱知安町史より

 

今回廻った学校の中で唯一現役の、しかも木造校舎の学校である
とても趣のある素敵な現役学校
分校なので生徒数は少ないが、廻りが観光客によってたくさんの建物、施設が出来た今は
閉校の危機から少し脱したのかも知れない。

校舎を挟んで羊蹄山とニセコアンヌプリが見える最高のロケーションだ。

部外者でもこの校舎を見ると生徒、先生、父兄と近所のコミュニティーが
素晴らしく上手くいっているように思えてならない

どうかこのまま健やかな子供たちを学ばせてあげたいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2021年11月撮影

 

 


解体された建物(札幌市・小樽市以外)※函館市で1件追加しました

2023-12-27 09:22:19 | 解体

2020年の8月くらいからレトロ・モダンな建物を撮影して来ましたが
この数年の間でも解体された建物がいくつかあります。

古い建物を中心に撮ってきたので解体されることが多いのは必然で
仕方がないと思いながらも素敵な建物が無くなるのは残念だなと思う。

このカテゴリーでは札幌市、小樽市以外でこれまでに撮影し、解体された古い建物を順次記録していきます。

 

 

 

NEW「ニチロビルディング」 旧日魯ビル

建設年:昭和9(1934)年
撮影年:令和4(2022)年6月
解体年:令和5(2023)年12月
住 所:函館市大手町5-10


今のマルハニチロになる前、「日魯漁業」の社屋だった建物。

1号館の竣工から94年が経ったそうだ
所有していたマルハニチログループのマルハニチロアセット(東京)が、9月30日付で同ビルを売却し、老朽化により解体が始まった。

かつて中には劇場があり日魯の社員ばかりではなく市民にとっても馴染みのあるビルディングであった。

最近では1階に人気のカフェがあり、客として入店すると
天井が高く照明にはメダリオン、アーチ型の大きな窓など
レトロな世界を味わえた。

また階段も個性があり、トイレを利用がてら撮影をした。

 

函館は至る所に古い建物が多くあり
常に建物の解体はある
遅きに失した訪問ではあったが一瞬でも見学が出来てよかった。


 

 

 

 

 

 


 

 

「新二岐駅舎」

建設年:昭和29(1954)年
撮影年:令和2(2020)年11月
解体年:令和5(2023)年2月
住 所:栗山町日出122


昭和50(1975)年4月1日の鉄道廃止から50年近くずっとこの地に駅舎は残っていた。

再活用も過去にはあったが、訪問時ではすでに廃墟になりつつある建物であった

その個性的な外観は鉄道マニアはもとより一部の建築マニアからも
注目されていたと思う。

鉄道は裏手にあった 
駅舎のわずかなホーム跡だけが鉄道があった証かも知れない。 

その駅舎が解体されたとのこと
老朽化により倒壊の可能性があるなら解体したほうがよいだろうの判断かと思う。

 

長く地域を見守ってきた建物が無くなるのは寂しいが
ここは、今までありがとう ではないか。

 

 

 

 

左端の公衆トイレは健在である。

 

※2023年5月ストリートビューより

 

「旧古平町役場

建設年:昭和2(1927)年
撮影年:令和3(2021)年8月
解体年:令和4(2022)年8月~9月
住 所:古平町浜町40-4


角地に合うように設計され2方向に入口がある
アーチ型の入り口と塔屋部分が印象的なこの役場は
北海道で最初の鉄筋コンクリート造による役場庁舎である。

古くからの漁場の町にこの役場が出現した時の住民の反応は
どうだったろうか

おそらく、おらが町にこんな立派で大きな建物が出来た
と町のシンボルを喜んだのではないか

 

しかし老朽化だろうが役場はきれいに解体された。
今は近代的なデザインの新役場に代わり
旧役場があった場所には「道の駅」を新設し、来春がオープン予定とのこと。

惜しい建物ではあるがこれも時の流れだろう。

 

 

 

 

 

 

 

※2023年ストリートビューより

 

 

「旧山口家記念資料館」

建設年:平成
撮影年:令和3(2021)年4月
解体年:令和3(2021)年5月以降
住 所:石狩市千代志別


ネットで偶然、この建物を見つけてすぐ行ってみた
千代志別の町はトンネルとトンネルの間にわずかだけ海に面しており
千代志別川に沿って集落があり最奥の旧小学校跡地で集落は終わる。

この建物は川の北側にあった唯一の建物で山のすぐ手前だった
なぜこんなところにお屋敷風の建物が?

先のネットでは千代志別出身の旧木の城たいせつの創業者
山口氏が新たに建てたようだと記載されている
なので建築年はおそらく平成 基礎のコンクリートが納得行く。

 

 

 

 


山口氏は自らの出身地に古き時代の記念館を作りそれをどうしようと思ったのか

ご自分が生まれ育った時代を記念館で再現したかったのかも知れない。

会社が倒産し、別の経営陣に代わった今では、ここは負の財産としてどうすることも出来ない
ただただ放置されている状態だった。

余談だが仕事の繋がりで何度か栗山本社や道場に伺ったことがある
山口氏とは奥様が亡くなられたときにお悔やみ申し上げたが
そのころには会社も厳しい状況だったのだろう。

その後、小学校の跡地を撮影に行った折、千代志別に点検に来ていた石狩市の職員さんから

「もう建物は壊して無くなりましたよ」と聞いて愕然とした。

 

 

 

「支笏湖ユースホステル」

建設年:昭和30(1955)年
撮影年:令和3(2021)年4月
解体年:令和3(2021)年10月~1月
住 所:千歳市支笏湖

北海道を代表する建築家、田上義也が設計した日本最古の建築で現存する最古のユースホステルであった。

長い間、支笏湖の歴史を見てきたが老朽化はいかんともしがたく
お疲れさまでしたというところだろう。

跡地には鶴雅グループの企画があるようだ。

 

機会があり閉鎖後、解体直前のホステル内を一人で自由に撮影出来たのは幸運以外何者でもない。

田上ファンの自分としては最も大事に取っておきたい記録だ。


 

 

 

 

 


*北海道新聞11月より

 


木造校舎・廃校 共和町の閉校

2023-12-26 21:07:24 | 木造校舎・廃校

共和町の閉校(小学校) 赤字は今回レポート

  • 共和町立旭小学校(1969年)
  • 共和町立上中ノの川小学校(1973年)
  • 共和町立国富小学校(1982年統合により共和町立東陽小学校へ)
  • 共和町立小沢小学校(同上)
  • 共和町立前田小学校(同上、跡地は町営住宅が整備)
  • 共和町立幌似小学校(同上、跡地は校舎跡を利用して建て増しした後「かかし歴史館」に)
  • 共和町立学田小学校(同上)
  • 共和町立発足第二小学校(同上)
  • 共和町立梨野舞納小学校(1984年統合により共和町立北辰小学校へ)
  • 共和町立発足小学校(同上)
  • 共和町立宮丘小学校(同上)
  • 共和町立老古美小学校(1984年西老古美小と統合し共和町立西陵小学校へ)
  • 共和町立西老古美小学校(1984年老古美小と統合し西陵小へ)

(中学校)

  • 共和町立前田中学校(1975年統合により共和町立共和中学校へ)
  • 共和町立梨野舞納中学校(同上)
  • 共和町立発足中学校(同上)
  • 共和町立発足第二中学校(同上)
  • 共和町立小沢中学校(同上)

 

 

「旧共和町立幌似小学校」

 

開校:明治24(1891)年
校舎:昭和8(1933)年竣工
閉校:昭和57(1982)年

共和町南幌似

 

岩内町へ繋がる国道276号線沿いにある古い木造校舎で
貴重な木造校舎である。

現在は「かかし古里館」として立派な郷土館と旧木造校舎側とそれぞれ展示物がある。

入場料は100円だが、それ以上の値ある展示がされている
学芸員さんも親切なので質問をすると真摯に応えてくれるだろう。


小さめの体育館には農耕機などが展示されているが体育館自体は改築されているようだ。

廊下を見ると懐かしさがこみ上げる
教室には昭和初期の教室の様子を見ることが出来るが
これにピンとくる人は高齢者であろう。

校舎は床上げし、位置を少しずらしており
外壁は数度の塗装をしているそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年4月撮影

 

 

 

「旧共和町立国富小学校」

 

開校:明治36(1903)年
校舎:()年竣工
閉校:昭和57(1982)年

共和町国富501-1


共和町は岩内町に近づくにつれ平地が多くなるが、
今回はルート上、山間の集落にある学校を訪ねた。

国富の町もそんな山間の集落である
ここにはかつて住友の国富鉱山があり現在は鉱山は閉山し
住友の電子部品の製造工場がある。

開校当初は鉱山従事者の子供のために出来た学校ではと推測する。

現地には共和町共通の記念碑と煉瓦造りの門柱が一つ
校名プレートは無い。

記念碑には積雪のため近づけず、表記などは分からず
いつか機会があればまた廻ってみたい。

校舎は記念碑のある場所から奥へL字型にあった
町営住宅らしき建物が並ぶ場所である。

その左側で正面を向いた建物がある場所が校庭であった。

 

 

 


2023年12月撮影

 


※共和町史より

 

 

 

「旧共和町立小沢小学校」

 

開校:明治36(1903)年
校舎:()年竣工
閉校:昭和57(1982)年

共和町小沢95-30


かつて小沢の集落の東端に小沢小学校があった
山間にある小さな土地で畑もそう広くはない。


学校があった場所は現在「共和町ふれあいセンター」として
すでに立派な建物が建っていた。

共和町の閉校に使われているデザインの記念碑は奥にあった
他には学校を示すものは見あたらなったが雪が溶けたら何かあるかも。


明治36年開校の歴史のある小学校である

昭和に「小沢第二小学校」となり
その後「小沢小学校」に改名された。

古い航空写真では現在のセンターの建物が校舎で
記念碑がある場所は校庭であった。

 

 

 

 


2023年12月撮影

 


※共和町史より

 

 

 

「旧共和町立小沢中学校」


※共和町史より

 

開校:昭和22(1947)年
校舎:()年竣工
閉校:昭和50(1975)年

共和町


今回は積雪のため進入出来ず不明

記念碑があるとのことなので雪が溶けてから
機会を見つけて再度訪ねたい。



2023年12月撮影

 


木造校舎・廃校 小樽市の閉校④

2023-12-18 23:47:29 | 木造校舎・廃校

小樽市の閉校(小学校) 赤字はレポート済 青字は今回レポート

  • 小樽市立富岡小学校(1969年小樽市立稲穂小学校と緑小へ分割統合)
  • 小樽市立桃内小学校(1990年小樽市立忍路中央小学校へ統合)
  • 小樽市立堺小学校(2006年稲穂小と小樽市立花園小学校へ分割統合)
  • 小樽市立量徳小学校(2012年花園小と小樽市立潮見台小学校へ分割統合)
  • 小樽市立祝津小学校(2013年小樽市立高島小学校へ統合)
  • 小樽市立若竹小学校(2013年潮見台小と小樽市立桜小学校へ分割統合)
  • 小樽市立色内小学校(2016年北手宮小、手宮西小、手宮小と統合し小樽市立手宮中央小学校、小樽市立長橋小学校、稲穂小へ分割統合)
  • 小樽市立北手宮小学校(2016年色内小の一部、手宮西小、手宮小と統合し手宮中央小へ)
  • 小樽市立手宮西小学校(2016年色内小の一部、北手宮小、手宮小と統合し手宮中央小へ)
  • 小樽市立手宮小学校(2016年色内小の一部、北手宮小、手宮西小と統合し手宮中央小へ)
  • 小樽市立天神小学校(2018年小樽市立奥沢小学校へ統合)
  • 小樽市立最上小学校(2018年)
  • 小樽市立緑小学校(2018年入船小の一部、最上小と統合し山の手小へ)
  • 小樽市立入船小学校(2018年奥沢小、花園小、山の手小へ分割統合)
  • 小樽市立豊倉小学校(2020年小樽市立朝里小学校へ統合)


(中学校)

  • 小樽市立富岡中学校(1957年旭ヶ丘中と統合し小樽市立西陵中学校へ)
  • 小樽市立旭ヶ丘中学校(1957年富岡中と統合し西陵中へ)
  • 小樽市立石山中学校(2002年
  • 小樽市立東山中学校(2002年小樽市立菁園中学校へ統合)
  • 小樽市立住吉中学校(同上)
  • 小樽市立塩谷中学校(2016年小樽市立長橋中学校へ統合)
  • 小樽市立末広中学校(2017年北山中と統合し小樽市立北陵中学校へ)
  • 小樽市立北山中学校(2017年末広中と統合し北陵中へ)

 

(高校・専門学校・短大)

  北海道小樽商業高等学校(2020年小樽工業高校と統合し北海道小樽未来創造高等学校へ)
  北海道小樽工業高等学校(2020年小樽商業高校と統合し北海道小樽未来創造高等学校へ)
  国立小樽海上技術学校(2022年国立小樽海上技術短期大学校に転換し閉校)
  小樽短期大学(2008年)
  北海道小樽聾学校(2014年) 

※wikipediaより

 

 

「小樽市立忍路中学校旧校舎」

 

開校:昭和22(1947)年
校舎:()年竣工
移転:令和4(2022)年

小樽市蘭島1丁目28-1

 

忍路中学校は元々は忍路小学校に併置して開校した中学校である。

小樽市中心部から余市町方面へ国道5号線を車で走ると
忍路を超えて蘭島の海水浴場へ出る手前くらいに旧忍路中学校がある。

門にロープなどは無いので敷地内に入るとグラウンドと一段高く校舎があった。
校舎は鉄筋コンクリート造りのようだが痛みも見られる
グラウンドにはバックネットもそのままだった。

校舎の裏手にも別の建物(さらに古い校舎?)があるようだが
そこまでは行かなかった。

 

現在の忍路中学校は数十メートルを小樽側に戻った場所にある。

令和4年に「忍路中央小学校」と一緒になり後志地区唯一の
小中併置校となった。

中学校の現在の生徒は12人である

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年12月撮影

 

 

 

 

「旧北海道小樽聾学校」

 

開校:明治39(1906)年
校舎:()年竣工
閉校:平成26(2014)年

小樽市入船4丁目28-38

 

学校の前身は一教師の私学設立から始まる

昭和23年、道立に移管される
平成26年、札幌聾学校に統合されて閉校となる。

 

学校のある場所は、入船公園の向かいにあり少し高くなった場所に
現在も校舎は現存している。

ちなみにさらに一番高い場所には旧小樽女子短大があった
そこへ行く途中に「閉校記念碑」がある。

学校の敷地内ではなく校舎を見下ろす高台に建てられたのはなぜか?

考えられる理由として、市がこの校舎と土地を売りに出したため
記念碑を敷地内に建てることを避けたということではないかと思う。

校門は標識も残っており今でもすぐに再開できるように見える
入口にはロープが張られ敷地内には入れない
外から見える校舎は写真が限度だ。

 

小樽市は北海道でも早くから栄えた町なので、普通の小中学校だけではなく
各種専門学校も含めいくつもの学校があった町だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2023年8月、12月撮影

 

 


解体された建物 小樽市

2023-12-09 23:22:52 | 解体

2020年の8月くらいからレトロ・モダンな建物を撮影して来ましたが
この数年の間でも解体された建物がいくつかあります。

古い建物を中心に撮ってきたので解体されることが多いのは必然で
仕方がないと思いながらも素敵な建物が無くなるのは残念だなと思う。

このカテゴリーでは小樽市でこれまでに撮影したが、解体された古い建物を記録していきます。

 

 

「旧勢月菓子舗・いせや」

建設年:昭和3~4(1928~1929)年
撮影年:令和2(2020)年10月
解体年:令和5(2023)年11月~
住 所:小樽市錦町15

 

JR小樽駅前から小樽水族館へ行く道に個性的な建物があった。

旧勢月菓子補舗からいせやになったまでは確認できたが
店舗としてはかなり前から営業はしていなかったようだ。

残念ながら解体されたと小樽通のブログに載っていたので
忍路への帰途に寄ってみた。

建物はすでになく整地の段階であった
何らかの指定を受けていない建物は段々と減る一方だろう。

小樽の古い建物は運河近辺に集中しているが
旧手宮線を散策すると、小粒だが結構な古い建物がある。


 

 


2023年12月撮影

 

 

「三箇株式会社」

建設年:大正7(1918)年
撮影年:令和2(2020)年10月
解体年:令和5(2023)年9月~11月
住 所:小樽市色内1丁目8-22

 

旧越中屋ホテル(現UNWIND HOTEL&BAR小樽)とコインパーキングを挟んで並んで建っていた。

印象的なファサードとは別に横側にも特徴があった。

元々は「旧函館製網船具」として大正時代に建てられ、いくつかの補修、改修を経ている。

廻りには小樽を代表する大型建築物が多いので一役買っていたが
今年解体された。


 

 



2023年12月撮影

 

 

「旧上坂紙店」

建設年:昭和6~7(1931~1932)年
撮影年:令和2(2020)年10月
解体年:令和5(2023)年4月~7月
住 所:小樽市花園3丁目1-1-9

 

花園町は市役所や小樽公園、学校などの行政、教育施設が多いが
歓楽街や商店街も花園町の特色だ。

小さな店舗の集合体が多い中で上坂紙店の建物は異彩を放っていた。
スクラッチタイルが美しい独特のカラーとどっしりした玄関
奥行きは思ったよりあり最奥には三階建ての石蔵まであった。

解体後の訪問では石蔵のみポツンと残されていたが
現在はどうなっているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

2023年8月撮影

 

 

「旧銀の鐘2号館、3号館、4号館」

建設年:()年
撮影年:令和2(2020)年11月
解体年:令和5(2023)年6月~8月
住 所:小樽市相生町6-1

 

銀の鐘1号館は「旧中越銀行小樽支店」として大正時代に造られた
歴史的建造物であるが2号館~4号館は街並みに合わせたように後ほど建てられた。

小樽の観光店舗の一環として「銀の鐘」が増築した結果である
営業の方は結構前に休止していたと思ったが建物は新しく、
いずれ何かに転用されるかなと思っていた。


だが2号館~4号館が今年の夏にかけて解体された。
後から建てられたものだがデザイン性はあったのに
ほとんど撮影しなかったのは失敗であった。

 


左側が4号館~3号館~2号館となり境町通りに出る

 

 

「旧山室商店」

建設年:大正14(1925)年
撮影年:令和2(2020)年10月
解体年:令和5(2023)年3月
住 所:小樽市稲穂3丁目2-11

 

レトロ建物好きには小樽のこの建物は人気があった。

「小樽典礼斎場」の駐車場の間にポツンとたたずむ
とても気になる建物。

木造3階建てで腰折れ屋根と同じく窓型もそうだ
2階正面の壁にはうろこ状の模様になっておりあまり見ることがない
1階正面は商店の玄関と階上への入り口に見える。

側面と裏面は板張りとトタンになっているが、トタンは後貼りかも知れない。

小樽市の古い建築物の資料では「旧山室商店」の名になっていた
撮影時は3階の窓ガラスの割れた箇所から鳩が出入りしていたので
きっと中は惨憺たる状況だったのでは?

奥行きのある建物だったので余計に解体された正面部分が小さく感じた。

 

 

 

 

 

 


2023年12月撮影

 

 

「小町湯」

建設年:明治15(1882)年
撮影年:令和4(2022)年10月
解体年:令和4(2022)年11月~12月
住 所:小樽市信香


よく参考にしている小樽在住の方のブログで解体が判明した
もうすでに更地になっていると思ったが、まだ廃棄物は残っていた。
また奥の3階建て建物も併せて解体されていたので小町湯さんの所有物だったのかも?

それにしても魅力ある古い銭湯が廃業し解体されるのは辛いものがある
小樽には現役銭湯は他に5軒だそうだが、特徴あるレトロ建物ではなさそうだ。

小町湯は2021年10月に閉業していた。



2020年10月撮影



この日は工事は休みだった

2022年12月撮影

 

 

 

 

「旧小樽市立色内小学校」

建設年:昭和63(1988)年
撮影年:令和3(2021)年12月
解体年:令和4(2022)年11月~12月
住 所:小樽市稲穂5丁目17-1


色内小学校は明治34(1901)年に開校した歴史のある小学校
この校舎を解体して道営住宅を建設するのは当初の予定通りであった。

やはり多くの卒業生からすると寂しいことだろう
きつい勾配の坂道途中にあり、小樽駅前からも校舎に描かれた水色の壁画が見えていた。

学校はすでに平成28(2016)年に閉校している
趣きのある校門はどうなっただろうか。

 

 

 


2021年12月撮影

 

2022年12月撮影

 

 

 

 

「中央バス手宮ターミナル」

建設年:昭和40(1965)年
撮影年:令和4(2022)年3月
解体年:令和4(2022)年7月以降
住 所:小樽市手宮2丁目1-1


令和4年の3月いっぱいで廃止、待合室のみ6月まで使用可能であった。

ちょうど所用があったので現役の姿を収めに行くことが出来た。
多くの道路が交わる場所にあったのでターミナルとしての場所としては申し分なかった。

特別な造りの建物ではなかったが、以前からの利用客からすると無いとなにか変
そんな感情があったのではと思った。

 


2022年3月撮影

 

2022年12月撮影

 

 

 

「カトリック富岡教会 司祭館」

建設年:昭和4(1929)年
撮影年:令和2(2020)年10月
解体年:令和4(2022)年夏?
住 所:1丁目21-25

 

FBへの投稿によりわかった
教会自体は再塗装などで綺麗になっているが司祭館のほうは
以前から使用してなかったように見えた。

新築するのか倒壊防止かは不明
教会裏手にひっそりとあった司祭館だったが良さげな建物であっただけに非常に残念だ。

 

 

 

 

2023年8月撮影

 

 

「近藤商店」

建設年:大正初期
撮影年:令和2(2020)年11月
解体年:令和4(2022)年7月
住 所:小樽市稲穂2-13-15


近藤商店は小樽市のいわゆるガラス屋さんの草分けで
主に小売店や工務店にガラスを卸していた。

やがて板ガラスはサッシに変わり割れないものになった
一般のガラス屋さんは商売にならず、またそこに卸していた
問屋さんも苦しくなる。

元はガラス工場だったこの建物も平成3(1991)年にレトロ風建物に
改修されレストラン運営を始めたがここ数年は未使用のまま置かれていた。

現在は更地のようである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隣の和田時計店と2店舗のファサードが変わっている造りだった

 

 

「仲谷工業」

建設年:?
撮影年:令和3(2021)年4月
解体年:令和3(2021)年
住 所:小樽市色内


こちらの情報はFBからの情報。

龍宮神社前の通り、龍宮通りに面している
ここは色内町で小樽市でも古くからの建物が多いところ

仲谷工業の建物は特に歴史的建造物に指定されているわけでもないが
外壁のスクラッチタイル、2階の窓越しに見える手すりの意匠など
個性があると思い撮影していた。

以前は両隣にも建物があったが、この仲谷工業が無くなったので
広く土地が空いた。

さらに心配なのは2軒隣の歴史的建造物、旧戸羽商店の動向である。

 

 

 

 

「旧H氏邸」

建設年:昭和11(1936)年
撮影年:令和2(2020)年11月12月、令和3(2021)年4月
解体年:令和3(2021)年
住 所:小樽市富岡


こちらの住宅の情報もFBによります
確か富岡教会を見に行った時に見えた、高台にあるこちらの住宅が気になった。

「売物」ののぼりがある和洋折衷の造りの家である
また山側には蔵もあり住宅同様に歴史的価値のある家と知った。

それが解体されたという
古い建物ゆえ住宅には価値を認めず土地の有効利用かも知れない
数か月後には結果が出ていることだろう。

 

 

 

2023年8月撮影

 

 

 

「米華堂」

建設年:昭和3(1928)年
撮影年:令和2(2020)年8月
解体年:令和3(2021)年6月~7月
住 所:小樽市花園


小樽の老舗洋菓子店、米華堂が2021年の3月に閉店した
営業している小樽の洋菓子屋で一番古いお店だった
その後数か月での建物解体は予定になっていたのだと思う。

撮影時は営業をしていたが利用をしなかったのが少し悔やまれる
というのも小樽の老舗では「館」や「あまとう」は結構利用しているが
米華堂は一度も利用したことが無かったからだ。

解体には両隣も一緒に取り壊わされた
左の「宮町富高堂」は移転、右隣りの「寿司屋すし勘」のその後は不明だ。

 

 

 

 

「旧小樽市立入船小学校」

建設年:昭和51(1976)年
撮影年:令和元(2019)年5月
解体年:令和3(2021)年10月~12月
住 所:小樽市入船

 

入船小学校は解体された色内小学校より後の昭和5年開校であり
平成18(2030)年に閉校している。

最後の校舎の竣工は昭和51年だが、この一つ前の校舎がデザイン性に富み素敵な校舎であった。

解体の理由は入船小学校のグラウンド上部に「低区配水池」があり
ここが築100年を超えており耐震化を含めた更新が必要であること。

小学校はすぐ近くであり敷地も十分であることから
跡地に「低区配水池」を新設することに決まった。

市民の大事な飲料水でありその役目は大きい
古く活用の目途が立たないのであればこのような用途で
解体するほうが良いのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年12月撮影

 

 

 

先代校舎 昭和40年ころ