札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・閉校 砂川市の閉校

2022-09-30 09:43:46 | 木造校舎・廃校

砂川市は国道12号線を中心部とする町で、空知に多い産炭地ではなく
歌志内や上砂川から石炭を運び出す町として発展した。
町の東側は石狩川が境界で肥沃な平地があり、逆に西側が山だ
どちらにも学校はあり、工業も盛んであったので近くに学校もできた。

現在は道央道にある「ハイウェイオアシス」や12号線沿いのスィーツロードなど
三次産業も盛んである。

 

小学校の閉校 赤字が今回訪問

中学校の閉校

  • 砂川市立北光中学校(1970年空知太中と統合し砂川市立石山中学校へ)
  • 砂川市立空知太中学校(1970年北光中と統合し石山中へ)
  • 砂川市立砂川中学校〈旧〉(1995年豊沼中と統合し砂川市立砂川中学校〈新〉へ)
  • 砂川市立豊沼中学校(1995年砂川中〈旧〉と統合し砂川中〈新〉へ)

※wikipediaより

 

「旧砂川市江陽小学校」

開校:昭和23(1948)年
閉校:平成元(1989)年
校舎:昭和23(1948)年竣工

砂川市豊沼町


かつてこの地には三井東圧(現三井化学)の大きな工場があり
旧江陽小学校と国道12号線の間は工業団地になっている。

以前は東圧の社宅がずらりと並び、産炭地域のような賑わいを見せていたようだ

学校の校舎はとうに解体されて現在は化学製品の工場を建設中である
その横に大きく目立つ校章のある碑と、裏に沿革のある碑と二つが建っている。

しかも校名プレートこそ無いがレンガの校門が現存していた
ただ新工場が出来てしまうと、校門は撤去されるような気がする。

 

 

 

 

 

 

 


2022年8月撮影

 


※砂川市史より

 

 

 

「旧砂川市豊沼中学校」

開校:昭和34(1959)年
閉校:平成7(1996)年
校舎:昭和34(1959)年竣工

砂川市東5条南16丁目

 

先の江陽小学校とは国道12号線とJR函館本線を挟んだ対角の位置にある
江陽小学校の現住所は豊沼町で豊沼中学校は東5条である
おそらくこの近辺一帯が以前は豊沼町であったと推測する。

旧中学校は今も現役の豊沼小学校を道路1本隔てた場所にあった
現在は広い草原になっておりかつての独特な校舎は残念ながら解体された
一応、ストリートビューにはまだ校舎が映っていたので転載する。

旧校舎が現存しているころからあった閉校の碑は
敷地の一番奥にあり注意して見ないとわからない
夏は草が生い茂り、そこへ行くのも草を踏み分けながら到達した。

碑は一段高いところから今日も旧校舎跡と小学校を見守っているようだ。

 

 

 

 


2022年8月撮影

 


※2019年ストリートビューより

 


滝川市の建築探訪

2022-09-28 23:48:59 | 滝川市
   
参考には「旭川と道北の建築探訪」2000年11月発行、
「ふらの歴史的建物」2014年12月発行、
「北海道建築大図鑑」2020年11月発行を参考にしています。
 
滝川市は「旭川と道北の建築探訪」には7件の記載があり

 

「中川かなもの店」 旧今井呉服滝川支店 旭川・道北の建築探訪NO87

 

所在地 滝川市本町1
建築年 明治23(1890)年
指定等 なし
開館時 なし
 
 
2022年解体

※2019年ストリートビューより
 
 
 
 

「北洋銀行滝川中央支店」   旭川・道北の建築探訪NO88

所在地 滝川市大町1
建築年 昭和8(1933)年
指定等 なし
開館時 なし
 
 
旧拓銀滝川支店はコンクリートブロックで造られたもの
ひときわ印象的な太いジャイアントオーダーが重厚さを醸し出す。
また上部の装飾も見事だ。
 
ここは滝川市の中心部で銀行は十字街の角地にある
2階建ての建物ではあるが、市を代表するような大きさに
この建物は見える。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2022年8月撮影
 
 
 
 
 

「陸上自衛隊滝川駐屯地1号隊舎」 旧北海道人造石油㈱滝川第一工場研究棟 旭川・道北の建築探訪NO89

 

所在地 滝川市泉町236
建築年 昭和14(1939)年
指定等 なし
開館時 なし
 
 
未訪問
 
 
 
 

「滝川市郷土資料館分館華月館」 旧旅館三浦屋 旭川・道北の建築探訪NO90

所在地 滝川市文京町1-1-19
建築年 大正4(1915)年
指定等 滝川市指定文化財
開館時 5月~9月
    ○開館日  第4日曜日
    ○観覧時間 13時00分~16時00分
    ○入館料  無料
 
 
滝川市を代表する老舗ホテル、三浦華園の前身である。
 
元は山形県出身の三浦氏が旅人宿を開いたのが始まり
建物は明治後期に建てられていたが払い下げを受けた建物だ。
 
その後洋風2階建てを増築し貴賓室とした
時期によって内部見学も出来、多くの著名人の書が飾られている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2022年8月撮影
 
 
 
 
 
 

「S氏住宅」 旧幌倉郵便局 旭川・道北の建築探訪NO91

 

所在地 滝川市東滝川町
建築年 昭和11(1936)年
指定等 なし
開館時 なし
 
 
未訪問
 
 
 
 

「北海道立滝川畜産試験場畜産資料室」 旧北海道立滝川畜産試験場場長公宅 旭川・道北の建築探訪NO92

 

所在地 滝川市東滝川町735
建築年 昭和11(1936)年
指定等 なし
開館時 なし
 
 
未訪問
 
 
 
 

「滝川市郷土館分館屯田兵屋」 旭川・道北の建築探訪NO93

所在地 滝川市江部乙東11-13
建築年 明治27(1894)年
指定等 滝川市指定文化財
開館時 ○開館期間 5月~10月
    ○休館日  日曜日
    ○観覧時間 9時00分~16時30分
    ○入館料  無料
 
 
江部乙にある滝川市の道の駅 その裏手にある建物の横に旧北辰小学校の閉校記念碑がある。
さらに裏手に回ると、この屯田兵屋があった。
 
明治27年の古い兵屋だが、北海道最初の屯田兵屋である札幌市琴似の兵屋は
明治7年なので、比べるとこちらが大きくがっしりした造りに見える。
 
 
 
 

2022年5月撮影
 
 
 
 
 
 

「フタバ補聴器」 

所在地 滝川市大町1丁目11
建築年 ()年
指定等 なし
開館時 なし
 
 
フタバ補聴器としたが建物の所有者は未確認
先の旧拓銀滝川支店の並びにある
 
国道12号線沿いに2階に4つの出窓を配し、妻側には2つと出窓が多い
屋根の木材は冬の落雪防止であろう
これは昔はどの家もあったように記憶している。
 
なんとも懐かしいものだ。
 
 
 
 
 
 

2022年8月撮影
 
 
 
 
 

「H氏邸」 

所在地 滝川市本町
建築年 ()年
指定等 なし
開館時 なし
 
 
グーグルのストリートビューで偶然見つけた個人住宅
木造一部2階建てのようで洋風2階建て、和風住宅、蔵と整然と並んでいる。
 
レンガの煙突の細工や洋風棟の屋根持ち送りなど細かいところも素敵だ
かなりの名家であろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2022年8月撮影
 
 
 
 
 

木造校舎・閉校 新十津川町の閉校

2022-09-25 11:45:48 | 木造校舎・廃校

新十津川町の歴史で有名な話は、明治時代に奈良県十津川村で大水害が起こり被災民のうち2489人が離村して
現在の新十津川町に移住し新十津川村と呼んだ。
その後に町となりこの縁で奈良の十津川村を「母村」と呼んで同じ町(村)章を用いるなど交流があり
正式に連携協定を結び、連携協定PR事業も行っている。※wikipediaより

町は月形や浦臼と同様に西側の山岳地区と東側の国道沿いがあり
双方に学校が作られている。

 

小学校の閉校 赤字が今回訪問

  • 新十津川町立士寸小学校(1968年大和小へ統合)
  • 新十津川町立北美沢小学校(上尾白利加小から改称、1968年新十津川小〈初代〉へ統合)
  • 新十津川町立上吉野小学校(1968年留久小から改称、1970年吉野小へ統合)
  • 新十津川町立北幌加小学校(1968年幌加小から改称、1972年幌加小へ統合)
  • 新十津川町立新十津川小学校〈初代〉(1981年統合により新十津川小〈2代目〉へ)
  • 新十津川町立上総進小学校(1968年日進小から改称、1981年統合により新十津川小〈2代目〉へ)
  • 新十津川町立総進小学校(1968年総富地小から改称、1981年統合により新十津川小〈2代目〉へ)
  • 新十津川町立学園小学校(1983年新十津川小〈2代目〉へ統合)
  • 新十津川町立幌加小学校(1983年吉野小へ統合)
  • 新十津川町立美沢小学校(盤之沢小から改称、1973年大和小学校美沢分校となるもそのまま休校、1984年廃校
  • 新十津川町立新十津川小学校〈2代目〉(2009年統合により新十津川町立新十津川小学校〈3代目〉へ)
  • 新十津川町立花月小学校(同上)
  • 新十津川町立大和小学校(同上)
  • 新十津川町立吉野小学校(同上)

 

中学校

  • 新十津川町立北美沢中学校(1969年)
  • 新十津川町立新十津川中学校〈旧〉(1970年統合により新十津川町立新十津川中学校〈新〉へ)
  • 新十津川町立花月中学校(同上)
  • 新十津川町立大和中学校(同上)
  • 新十津川町立吉野中学校(同上)
  • 新十津川町立学園中学校(同上)
  • 新十津川町立幌加中学校(同上)
  • 新十津川町立美沢中学校(同上)
  • 新十津川町立上吉野中学校(同上)

※wikipediaより

 

 

「旧新十津川町立新十津川小学校」  

開校:明治24(1906)年
閉校:昭和56(1981)年
校舎:昭和12(1937)年改築

新十津川町中央1-1

 

国道275号線を北上し浦臼町から新十津川町に入ると長い直線が続く
やがて正面に公園を見て左折するが、その公園がかつて小学校があった現在の中央公園である。

 

公園内には開拓記念館とともに広いグラウンドと向こう側に閉校の碑がある
碑はとても大きくて立派だ
今まで見た中では大きなほうである。

碑にはかつての校舎が映っている
増毛小学校や弁華別小学校を縮小したようなファサードに見えた。

何より驚いたのは体育館が現存しており、木造の素敵な建築物であった。

新十津川小学校は昭和56年に総進、上総進小学校とともに閉校し
その際に解体されたようだ。

そして新たな場所の校舎で新十津川小学校として現在に至る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年8月撮影

 


※新十津川町史より

 

 

 

「旧新十津川町立上総進小学校」 現 上総進福祉会館

開校:明治37(1904)年
閉校:昭和56(1981)年
校舎:昭和29(1954)年竣工

新十津川町総進

 

新十津川町を山側に向かい農業地区の中に学校があった
福祉会館が建っているが、これは旧校舎ではないようだ。

奥に閉校の碑があった
以前は日進小学校という校名である

それ以外に学校があったという証明は得られなかったが
もしかして会館の中には過去の記録があるかも知れない。

この日は、地区の人たちが集まりバーベキューなど楽しんでいたので
会館や前景の写真撮影はしなかった。

 

 

 

 

 


2022年8月撮影

 


※新十津川町史より

 

 

 

「旧新十津川町立総進小学校」 現 新十津川幼稚園 

開校:明治39(1906)年
閉校:昭和56(1981)年
校舎:()年竣工

新十津川町総進

 

新十津川町の総進には町の体育施設として野球場や温水プール、パークゴルフ場やキャンプ場があり
さらに新十津川物語記念館や文化伝習館などもあり一帯はふるさと公園として整備された。

公園から少し北上したところに旧総進小学校があった
閉校記念碑と旧校舎は幼稚園に転用され
二階建ての体育館もある。

新十津川町史では体育館は現在と校舎を挟んで反対の位置にあるので
後から新築したものだろう。

校舎は昭和3年の全面改築以降、改築の記載がない
現在の幼稚園舎は閉校後に改築をしたと推測できる。

 

 

 

 

 

 


2022年8月撮影

 


※新十津川町史より

 

 

 

「旧新十津川町立花月小学校」 現 社会福祉法人明和会 花月サポートセンター  

開校:明治24(1891)年
閉校:平成21(2009)年
校舎:昭和54(1979)年竣工

新十津川町花月2

 

国道275号線沿いに花月農村公園があり、そこから旧小学校へ行ける
校舎の手前にある碑は、追憶樹として古くからここに植えられた老松のことである
これは開校70周年記念として建てられた。

学校校舎、体育館、校門が残っており現在は社会福祉法人が再活用している
閉校は平成だが校舎は昭和54年のものだ

時計のある塔屋のところが特徴的だ
前庭に閉校の碑があり校舎の姿がある 
このタイプの記念碑は、いつまでも校舎の姿を思い起こすことが出来るので良いと思う。

平成21年に4校が統合し3代目の新十津川小学校となった
花月小学校も、その長い歴史にピリオドを打つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年8月撮影

 

 

 

「旧新十津川町立大和小学校」 

開校:明治24(1906)年
閉校:平成21(2009)年
校舎:昭和56(1981)年竣工

新十津川町大和116-1

 

大和小学校は国道275号線沿いの角地にあり、当初は国道側に校門があった
(閉校時は北側道路に変わった)

訪問時はそれこそ何にもない原っぱに記念碑だけがあり面を食らった
というのも平地で国道沿いの角地ならば何らかの建築物があってもおかしくないと思った。

だが家に帰りよく確認すると、つい最近まで校舎があったのだ
少なくとも2019年のストリートビューで校舎は確認できた
花月小学校と同様に校舎と体育館のつなぎにあるレンガ色の塔屋があった。

また旧校門はかなり傷んでいた
校庭やグラウンドも含めて広大な原野に戻りつつある
これから何か新しい建物が建つかも知れぬが。

 

 

 

 


2022年8月撮影

 


※グーグルストリートビュー2012より 国道275号線より 左手に旧校門、中心部に閉校の碑と校舎が見える


 


木造校舎・閉校 浦臼町の閉校

2022-09-23 20:58:19 | 木造校舎・廃校

浦臼町は空知地区で石狩川の西側にあり国道275号線が中央を貫いている
並行して走るように札沼線が通っていた 国道275号線沿いでは最も古い建物が現存している。
道路と線路を中心に町があり学校もあった。

 

小学校の閉校  赤字が今回訪問

  • 浦臼町立鶴沼小学校於札内分教場(1964年)
  • 浦臼町立鶴沼小学校(1995年)
  • 浦臼町立晩生内小学校(1995年)

高校の閉校

  • 北海道浦臼高等学校(1976年)

※wikipediaより

 

 

旧浦臼町立鶴沼小学校於札内分教場」 現 鶴沼第一会館

開校:明治42(1910)年
閉校:昭和39(1964)年
校舎:()年竣工

浦臼町於札内48-6

 

浦臼町は元々、学校が少ないのか閉校は他の町に比べて少ない
その中でも於札内分教場は国道275号線から外れており
樺戸山地へ向けて進む。

目印は「鶴沼第一会館」
ここに分教場があった。

現在の会館は、後から建てられたもののようで校舎とは違うようだ
ただ銀色の門はどうだろうか あそこに校名があってもおかしくは無い。

石碑が一つ
これがここに学校があったことを証明する唯一のもの
碑の大きさの問題か開設と廃止の簡単な沿革が彫られてあった。

畑が多い場所で敷地内には花が植えられて綺麗だ。
半鐘があるのは地区に火事や災害を知らせるために使ったことだろう。

 

 

 

 

 

 

 


2022年8月撮影

 

 

 

「旧浦臼町立鶴沼小学校」 現 田園空間博物館

開校:明治28(1895)年
閉校:平成7(1995)年
校舎:()年竣工

浦臼町キナウスナイ186-96

 

鶴沼小学校は国道275号線沿いにあり、校舎をほぼ現存している

現在は「田園空間博物館」として展示物があるようだ。

国道に面して校門とプレートが残っていた
前庭は雑草というよりふかふかの芝生にも見える。

校舎は長方形の箱形で面白みに欠けると思ったら
よく見るとレンガ壁にブロックガラスがはめ込まれている
残念ながら割れているものもあるがモダンではないか?

体育館は裏側に現存している
屋根の庇に持ち送りが整然と並んでいたのがとても印象的であった。

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年8月撮影

 

 

 

「旧浦臼町立晩生内小学校」 現 晩生内ワークセンター

開校:明治33(1910)年
閉校:平成7(1995)年
校舎:昭和57(1982)年竣工

浦臼町晩生内228-158

 

鶴沼小学校同様に国道沿いにあり古い校門とプレートが現存していた
それにしても校庭が広い! 一部はパークゴルフに使用されている
農村部の学校は本当に校庭が広いね。

旧校舎はワークセンターに転用されて車の出入りがある
人の出入りを見ると転用が活きているように見えてこちらまで嬉しくなる。

体育館がまた大きくて立派だ
この地区は晩生内「おそきない」と言うが町に学校がいかに重要かわかる
おそらく町民がいろいろと使用しているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年8月撮影

 

 

 

「旧北海道立浦臼高等学校」 現 浦臼町運動公園

開校:昭和25(1950)年
閉校:昭和51(1976)年
校舎:昭和39(1964)年竣工

浦臼町ウラウシナイ183-270

 

閉校巡りでは珍しい高校の閉校で
しかもすでに校舎も無い

現在は浦臼運動公園内に校門とプレート、それに閉校記念碑がある
昭和51年の閉校は早いほうかと思う
校舎があったと思われる場所には農業センターがすでに新築された

野球場やプールなどの大型施設があるのは運動公園らしいが
閉校前からあったと思われる校門そばの木々が校門に合っているなぁ。

 

 

 

 

 

 

 


2022年8月撮影

 

 


木造校舎・閉校 月形町の閉校

2022-09-18 14:14:37 | 木造校舎・廃校

月形町は西側が当別町と併せて「道民の森」があり山岳地帯であり、東側は国道275号線沿いに
平地があり町が出来、学校も出来た
面積の割りに学校が少ないのは当別町のように山岳地区に学校を作らなかったからか?

今までに国道沿いくらいしか行ったことはないが、のどかな町である。

 

小学校の閉校 赤字が今回訪問

  • 月形町立紅葉谷小学校(1953年月形小学校紅葉谷分校から独立、1963年廃校)
  • 月形町立雁里小学校(1968年)
  • 月形町立中野小学校(1974年)
  • 月形町立昭栄小学校(1956年月形小学校篠津分校から独立、2004年月形町立月形小学校へ統合)
  • 月形町立知来乙小学校(2006年月形小へ統合)
  • 月形町立中和小学校(同上)
  • 月形町立札比内小学校(2012年月形小へ統合)

中学校の閉校

※wikipediaより

 

 

「旧月形町立昭栄小学校」 現 昭栄の里

開校:昭和26(1951)年
閉校:平成16(2004)年
校舎:昭和40(1965)年増改築

月形町昭栄1714-1

 

今回は国道275号線沿いを中心に月形町から新十津川町まで北上し
石狩川を渡って国道12号線を南下して帰るルートで計画した。

旧昭栄小学校は国道から外れているが、建物が残っているとの情報を得て
行って見た。

残念ながら他の方の過去ブログとは大分趣が変わっていた
まず、校門には校名プレートと旧校舎の姿と沿革を記載されたプレートが付けられていたが
養生シートでがっちりと巻かれていて中が見えない。

また校舎に続き体育館が道路側まで伸びていたが、解体されていた。

平成16年まで使用していた校舎は昭和40年の建築のもの
この部分はきれいに補修されていた。

野の中にポツンとある学校であった。

 

 

 

 

 


2022年8月撮影

 

 

 

「旧月形町立知来乙小学校」 現 ツキガタアートヴィレッジ

開校:明治36(1903)年
閉校:平成18(2006)年
校舎:平成6(1998)年竣工

月形町知来乙22-6

 

知来乙小学校も国道から外れているが校舎が現存している
月形町史では昭和31年に新築後、平成6年に新築したとある。

閉校後、ごく普通の校舎であったが現在使用しているツキガタアートヴィレッジがこのような
外壁塗装にしたのだろうか 自然の多い中で非常に目立つ。

だが校名プレートこそ外されているが沿革を書いたプレートはそのままに残っており
学校の名残りである。

校庭だったと思われる芝生の奥にある遊具は小学校時代のものだろう。

 

 

 

 

 


2022年8月撮影

 

 

 

「旧月形町立中和小学校」 現 就労支援センター オプス

開校:明治35(1902)年
閉校:平成18(2006)年
校舎:平成8(1996)年改築

月形町月ヶ岡370

 

当別町から国道275号線を北上し月形町に入ると一番最初に出会う閉校である
その旧校舎は国道に面しており旧校舎もよく見える。

向かって左側が旧校舎で右側は地区会館が併設されている
ここは後から建てたのかも知れない。

国道から旧校舎までが校庭であろう
タイヤが半分埋め込まれた遊具が残っていた

現在は就労支援センターとして活用されているようだ
何にせよ現存している施設を再活用するのは卒業生にも嬉しいだろう。

 

 

 

 

 

 

 


2022年8月撮影

 

 

 

「旧月形町立札比内小中学校」

開校:大正11(1922)年 中学は昭和22(1947)年
閉校:平成24(2012)年 中学は平成13(2001)年
校舎:平成元(1989)年大規模改修

月形町新富1008-4

 

札比内は月形町の北東地区で、少し進めばすぐ浦臼町に着く場所にある
この学校は入り口が国道275号線に面しており、奥に校舎がある。

中学校も併設されていた学校であり地区の住民には大事な学校だったであろう。

校門にあるプレートには校舎の姿があるが、現在の建物とは違う旧校舎で
平成元年に改築された。

校庭があった場所に自然石が整然と並んでいた
石と木々の真後ろに旧校舎があったように見える。

 

 

 

 

 

 

 


2022年8月撮影