札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

札幌の古民家(蔵・倉庫)飲食店の建築探訪②

2021-06-30 23:07:07 | 古民家飲食店

ここでは、いわゆる古民家カフェとか食堂、レストランなど飲食店や食品を扱う店舗を載せていきます。

ほとんどの店舗には入ったことが無いので外観が中心となり、正確な情報がないお店もあります
私が見て気になったりレトロだなぁと思うお店、たまたま通りかかったら古いけど面白い建物であったお店など

そういうことでお店自体の情報や内容は各HPなどでどうぞ(笑)

(これまでの建築探訪で紹介した建物はダブるので載せません)

 

 

「森彦」

住所:中央区南2条西26丁目2-18


2021年6月撮影


円山の住宅街の路地裏、車1台が通るのがやっとの場所に森彦がある
札幌の古民家カフェでは最も有名な1店かと思う

夏はご覧の通りツタが多いので建物全景を見るなら晩秋から冬が一番
築70年を超えるといわれる建物の外観は素朴な木造住宅である。

2階の窓側席が人気であり、どちらかというと一人で来て時間と空間を味わって帰るようなイメージだ。

 

 

 

「かしわ亭」

住所:中央区南20条西8丁目2-21


2021年2月撮影

 

かしわ亭は昭和25(1950)年建築の石蔵を再利用している食堂である
旧名称は旧中川宅リンゴ倉庫で上部に〇に中が見える。

リンゴ倉庫は生産地であった豊平区から南区に多く存在し
中央区のこの場所にあるのは不自然なので移築したものかも知れないし
レンガ造りが多いので南区の石山あたりにあった札幌軟石の蔵かも知れない。

中は入ったことがないのでわからずだが通常だとランチタイムの営業があるので
気軽に入れそうだ。

 

 

 

「Lakura」

住所:中央区南4条西9丁目1009-3


2021年1月撮影

南4西9というほぼ中心部に近い場所に、このような路地と建物が残っているのは驚いた
住宅と蔵からなっているのは、元質屋さん(浦質店)だったからでその竣工は大正8(1919)年と言われる。

100年を超える建物は質屋さんの後に飲食店で再利用され、現在はラクラ(服と食と音楽と♪ ビーフシチュー)が
2010年から使用している。

古民家の活用に言えることは、やはりこの建物が好きじゃないと続かないだろうなと思う
外観は古さと現在のオーナーのセンスが感じられるようだ。

 

 

 

「旧茶蔵」

住所:中央区南9条西4丁目6-1


2020年8月撮影


南9条通りで隣に中島公園と川が隣接している絶好のロケーションでしょう
この建物は昭和39(1964)年ごろの建築のようで当初は倉庫と宿舎に利用されたようだ。

店舗への改造は1階の正面を9条通りから見えるように、ガラス戸などにリノベーションしたように見える
現在の利用は個人宅?と思えるので敷地内への立ち入りは禁止です。


旧茶蔵はカフェとして2007年10月までここで営業し移転後に閉店している。

 

 

 

「旧大場豆腐店」

住所:中央区南1条西9丁目1-6


2020年9月撮影

 

大場豆腐店に関しては古民家の再利用ではなく、大正11(1922)年から続く創業98年を超えるお店であった。
こじんまりとしたお店なので交通量がある東屯田通りを通っても最初は気が付かなかった。

建物は平屋でレンガ造りの煙突が古さを感じさせて目立つ
お店が開いているのは見たことが無かった。

大場豆腐店は残念ながら建物の老朽化とコロナ過により2020年3月31日で長い歴史にピリオドを打った。

 

 

 

「北カフェ」

住所:中央区南8条西14丁目2-2


2020年3月撮影

昭和2(1927)年建築の古民家を再利用したお店
重厚な門構えから玄関の上部はモザイクのステンドガラス
庭が広く見える大きな窓に土壁、雪見障子などがそのまま残っている

昭和2年といえば、あの旧小熊邸と同年の建築
2店の共通点や違うところを探すのも楽しいかも。

北カフェは2013年オープンのスープカレーとスィーツがメインのお店です。

 

 

 

「座忘庵」

住所:中央区南2条西24丁目1-8


2019年1月撮影


昭和50年代の中頃、裏参道は確実に一時代を築いていた
当時の若い人で都会のビルを嫌い、狭い道に古びた小さな家が連なる
裏参道が気に入った人たちが集まってきて、古い家をカフェやギャラリー、アトリエなどに改装した

座忘庵のオープンは平成6(1994)年なので、ほとんど残っていない当時の店から見ると古くからある店になる
黒く塗装された木造家屋で個性がある
店舗は奥に別棟のように伸びて造作が違う うまくリノベーションしたと思う
営業は、うどんと中華という珍しい組合わせが面白い

店舗隣の駐車場は昔はお寺があった(ここも敷地の一部かも) 
すぐの表通りの南一条通りにはトマトムーンがあった
そして半ば廃屋のようにシュネムがまだ残っていたから今のうちに写真を撮りに行こう。

 

 

「旧こう」

住所:中央区北1条西28丁目2-16


2017年5月
2021年3月撮影

神宮前茶寮こう は北1条通りに面しているとはいえ、細い路地の先に入口があるので
分かりづらい場所だが、このアプローチが良い
駐車場も裏にたくさんあるのでよいところ

この建物は円山公園のすぐ下にあるのでお店が変わってもすぐ他のお店が営業をする
こう は2020年1月に閉店したがとても感じの良いお店の記憶がある
平屋の建物で内部より駐車場側の外観を見ると古民家らしい

現在は韓国料理と焼肉の銀座園が営業をしている。

 

 

③へ続く

 

 


札幌の古民家(蔵・倉庫)飲食店の建築探訪①

2021-06-29 00:00:59 | 古民家飲食店

ここでは、いわゆる古民家カフェとか食堂、レストランなど飲食店や食品を扱う店舗を載せていきます。

ほとんどの店舗には入ったことが無いので外観が中心となり、正確な情報がないお店もあります
私が見て気になったりレトロだなぁと思うお店、たまたま通りかかったら古いけど面白い建物であったお店など

そういうことでお店自体の情報や内容は各HPなどでどうぞ(笑)

(これまでの建築探訪で紹介した建物はダブるので載せません)

 

 

「レストラン のや」

住所:中央区北2条東11丁目23-14
閉店:2021年6月20日

 


2020年12月撮影

 

「のや」は残念ながら地域の再開発のために立ち退き閉店しました。

建物はもとは質屋さんが店舗兼住宅として使っていた。
印象的な札幌軟石を使った蔵は質屋さんで納得です
住宅部分はオープン時にリノベーションしたのかも
池も作り廻りの木々に伴って、もったいない立ち退きになったのかな。

オーナーさんは東区で「プー横丁」を営業している方で、店舗の同じ方向性にこれまた納得!
「のや」は移転オープンの予定です。

 

 

「カフェモンキーバー」

住所:中央区北1条東11丁目21




2020年12月撮影

 

カフェモンキーバーは古民家カフェでありカレーが有名なお店のようですね。

この建物は築80年と言われ、向かって右端が「カフェモンキーバー」
左端が「アンティーク Kクラシック」 真ん中の店舗は未確認です。

こうしてみると左側2店舗分があり右側を増築したような造りですね
この近辺は木造住宅がいくつかあり、貴重なレトロ地域に感じます。

 

 

「インソムニア」

住所:中央区北10条西16-1


2020年8月撮影

インソムニアはカフェ&ダイニングバーで桑園地区にある
この地区はその昔、北大教授の自宅が多くて博士町と呼ばれてコミュニティを持っていた。
この建物も田所哲太郎教授の仕事場であった。

レンガ造りの住宅はこの周辺ではほとんど見ることがなく貴重です
他の現存している博士宅は木造下見張りが多いと思う。

インソムニアは2005年にオープンし現在に至る
他の店も同様だが、利用し内部を見ることによってさらに店舗と建物の価値が高まりそうだ。

 

 

「かるいち」

住所:中央区北2条西17丁目1-20


2020年9月撮影

軍鶏鍋と焼き鳥、手打ち蕎麦のお店です
知事公館と近代美術館がすぐそばにあるので緑の環境に恵まれている場所にある

古民家(一軒家)を活用しているが
テーブルが7つとカウンターがあり中は広いようだ。

 

 

「さくら庭」

住所:中央区南15条西10丁目1-15


2020年9月撮影


築55年以上の和風古民家を活用(昭和30(1955)年建築)
洋風の小物を使ってモダンさを出している

庭には店名由来の桜の木があり、季節にはそれを目当てに客が集まるという
昔からよく或るタイプの住宅だが、その分気さくで親戚の家にご飯を食べに来た気持ちになれるとのこと。

使ってみて良さがわかるお店のようだ。

 

 

「KAKUイマジネーション」

住所:中央区南3条西7丁目


2021年1月撮影

資生館小学校の向かい、西向き一方通行路に建つKAKUイマジネーションはテナントビルで
美容室、ブーランジェリー、カフェなどが入居している

昭和初期くらいの建築だそうだが、以前は「北海道女子栄養学校」の校舎として使われていた時期もあった
一枚目の右端にある軟石の塀は、北に向かって50mも続いておりビル側には何とも狭くて有名なバーがある。

あのオフィスキューの鈴井貴之が2階を劇団の稽古場にしていたそうで、若く夢がある人たちが集まってきた
ビル 

現在は白く塗られ、上げ下げ窓や下見板張りが木造の良さが出していると思う。

 

 

「サッポロ珈琲館 北円山店」

住所:中央区北6条西20丁目1-5


2020年9月撮影


昭和6(1931)年に北大の八鍬教授が建てた私邸をカフェに転用したのは平成7(1995)年。
窓辺や柱、階段等なるべく当時のままにしている。

桑園地区はかつて博士町といわれるくらい北大教授達がこぞって住宅を建てた
北円山店だが私的にはこの辺は桑園地区であり、ちょっとピンと来なかった。

ここは一度利用があり店内撮影はしていないが、オリジナルのケーキが美味しかった覚えがある
近いうちに利用してみたい。

 

 

「auguri」

住所:中央区北1条西24丁目3-10


2021年1月撮影

 

アグーリのある通りは道幅が狭いが交通量が多く、駐車車両がいるとすれ違いが出来ない
また小さな店舗だが個性的で特に飲食店系で面白い店があってよく買い物をする

この店舗は以前はビアバーをやっていたと記憶があるが看板の「小池靴履物店」のタイトルは降ろさない
また電話番号まであるのが往時のままにわざとしているのだろう。

建物自体は木造モルタル2階建てで1948年頃の建築のようだ
これはやはり利用して内部を見るべき店舗ではないか

 

 

②へ続く

 


夕張市の建築探訪①

2021-06-25 19:35:58 | 夕張市

夕張市は全国でも有数の炭鉱町であった。
炭鉱が閉山すると他の産業が無い限り過疎化が始まるのは必然である。

夕張は山間の谷間が多く農地に向く土地が少ないという
なので簡単に農家になるとは言えない時代だったのだろうか 
現在は「夕張メロン」が大きなブランドになっているが。


ヤマから人がいなくなると建物も無くなる
特に炭鉱町は関係施設、町内施設、駅、線路、学校、もしくは集落自体が消滅する
そうして壊れた建物が累々と並ぶ。

そのような廃墟化した建物が多く、見てつらいものがある
レトロ建物と廃墟は紙一重の声もあり、今回はすでに所有者不在のものも載せてみた
夕張や炭鉱町の現実がそこにあるのだから。

 

札幌方面から国道247を進み夕張市に入ると滝の上公園に最初のレトロ建物がある。

 

「旧北炭滝之上水力発電所」 現北海道企業局 滝の上発電所

 

所在地:夕張市滝の上5番地
建設年:大正14(1925)年
指定等:北海道遺産の一部(空知の炭鉱関連施設と生活文化)

当時の北海道炭礦汽船㈱の自家発電設備として建設された
北炭は上流にも清水沢火力発電所を持ち電力需要の増大に備えていた。

やがて北炭の石炭事業撤退後は所有者が変わり、現在は北海道企業局が運営・管理することとなる。
印象的なレンガ造りの建物は実に堂々と鎮座しており北炭の社章である星に円がそのまま残っている。

発電は年の雪解け期間だけ行っている
見学は年に一度、10月中旬の紅葉まつりの際、施設の一般公開が行われるが
通常は敷地外から外観のみ。

 

この近辺は「滝の上自然公園」になっており発電所、千鳥ヶ滝、竜泉峡など見どころが多い
特に秋は紅葉が見事で大勢の見物客が押し寄せ、出店なども出店する
秋だけではなく桜も見事な公園である。


正面に千鳥ヶ滝、左上部に発電所、左ハジは無名滝。

 

 

 

 

 

 

北上し、道の駅を過ぎて国道247号を右にわけて452号線へ(セコマのところを直進)
夕張川を渡り、沼ノ沢へ。

ここと右折すると真谷地方面だが今回は時間が無くパスする
再び夕張川を渡り清水沢へ。

清水沢では清陵地区も興味があったが…通り過ぎてここに来ました。

 

「市営 宮前浴場」

 

所在地:夕張市清水沢宮前町16
建設年:昭和45(1970)年
指定等:

 

北炭が炭鉱住宅を建て住人のために公衆浴場を作った
炭鉱が閉山し住宅も浴場も市の所有となったのが夕張にはいくつかありその一つ。

入口から男女に分かれているのは珍しくないかな?
あまり覚えていないけど実家の近くにあった銭湯は入口を入ってから左右に分かれて入り番台にお金を渡していたなぁ

綺麗に塗装されたのは若い人が中心になってやったんでしょう
すごく可愛い。

女湯のほうが大きいのは炭鉱の地区浴場の特徴だそう。
あまりに大きすぎるため、浴室の一部を塞いで狭くして、脱衣場や靴箱にその面影を見ることができるとのこと。


新しい市営住宅は浴室付きの住宅が増えたが、コミュニティの中心として、昔も今も大切な役割を果たしている
一般も入浴できるので銭湯が好きな人は月・水・金の15:30〜20:00に合わせて入ってみてはどうか

道路を挟んで向かいの地区は古くからの住宅が多いが取り壊していた。

 

 

 

 

一路、清水沢ダムに向けて走り途中で右折するが452線は変わらず。

その途中で気になる建物。

 

 

「旧清水沢カトリック教会」

 

所在地:夕張市清水沢清栄町
建設年:昭和24(1949)年
指定等:

 

教会があったのですね ネットで見ると保育所も併設していたようですが
現在はありません
上側の高台には旧清水沢小学校がありました。

現在は個人宅なのでこれぐらいで。

 

 

 

少し進むとまたも気になる建物。

 

「夕張市民 健康会館」

 

所在地:夕張市清水沢清栄町115番地
建設年:昭和45(1970)年
指定等:

 

現役の施設だけどガラスが割れていたりする

一目見た時には廃校になった体育館を有効活用したと思ったが違うらしい
炭鉱勤めの近辺住人のために企業が作り市へ譲渡された物件かも知れない。

452線と会館の間に三菱大夕張鉄道が走っていたんですね
駅痕を探るのもちょっと興味ありです。

 

 

 

「清水沢ダム」

 

所在地:夕張市清水沢清湖町1
建設年:昭和13(1938)年
指定等:

 

 

北海道炭礦汽船株式会社によって建造されたダム
発電用、農業用水用であるが、上流にシューパロダムが建造されたことにより発電用に改修中とのこと。

直下にある岩塊は、ダム建設によりできたものではなく、古くから一帯の風致を高めていた奇石で
頂点には石碑も建立されていますが、立ち入りや目視はできない カメラのズームでは捉えれる。

比較的行きやすいダムで天端を車で渡ることが出来る。

 

 

 

「旧北炭清水沢火力発電所」

 

 

所在地:夕張市清水沢清栄町
建設年:大正15(1926)年
指定等:

 

滝の上発電所と同じく北炭の自家発電所として建造 平成4(1992)年に閉鎖された
夕張の炭鉱遺産の一つである。

建物は大きく見えるがすでに3/4が取り壊されている
一部の機械は残っており、現在は民間企業の作業用地として使用されており一部を一般公開している。

内部見学は予約制で行っているようなのでサイトで確認してください
私も、もう少し落ち着いたらぜひ見学がしたい。

建物外部は清水沢ダムから見ることになり双眼鏡やズームの効くカメラがあればいいね。

 

 

 

 

 

ダムから出てさらに奥に進みます
すぐに左手に現れるのが旧北炭の事務所。

 

「旧北炭清水沢紘事務所」

所在地:夕張市清水沢清栄町
建設年:昭和26(1951)年
指定等:

 

北炭清水沢炭鉱は1947年開鉱山、1980年に終掘のため閉山した。

事務所は452線沿いにあり容易に見ることが出来る
シンメトリーが印象的で痛みはあるが見た目のよい建物だ

現在は民間企業が活用しているが見学が可能
清水沢火力発電所と同じく「清水沢プロジェクト」が実施しているので確認を。

 

 

さらに452線を進み、遠幌町、南部地区へ

 

「南部市民体育館」

 

所在地:夕張市南部新光町
建設年:
指定等:

 

元々は旧三菱南大夕張体育館だったが閉山で市に譲渡された
体育館のすぐ横には南大夕張炭鉱の殉職者慰霊碑が建っている
体育館はガラスが割れ文字も抜け落ちているが慰霊碑は綺麗に手入れがさえていた。

体育館は現役ではなさそうだ
両サイドの壁画が今はモダンに感じる
誰がデザインしたのだろう。

 

 

この先はシューパロトンネルを超えて駐車場から夕張岳を眺めてUターンした
さらに進むとシューパロダムの建設で水没した大夕張鹿島地区があるがダムともに次回に譲る。

 

 

清水沢まで戻ると今度は廃校を見に

「旧清水沢小学校」

 

所在地:夕張市清水沢3丁目
建設年:明治35(1902)年  :閉校 昭和64(1989)年
指定等:

 

ネットで解体されたとなっているがグーグルの衛星では確かに木造校舎が映っているので
確認の意味で行って見た。

果たして学校までの路は綺麗に舗装され見上げると新築の建物が見えた
一部でも残っていないかと期待をこめたが校舎の類はすべて解体され新築の素敵な「こども園」があった。

記念碑はこども園と谷側に挟まれた場所にある
また反対方向から橋を渡って来れたので2方向から登下校していたのだろう。

炭鉱の学校は一時はマンモス校になり閉山で一気に減少する
学校も悲哀の現場となるがたくさんいるであろう卒業生には思い出の場所だ。

 

 

 

 

38号線夕張岩見沢線を北上します

栗山町へ左折する分岐点で左側に気になる木造家屋がいくつか見えたがこれも次回に。

 

 

鹿の谷に入って来ました
まずは左側に大きな看板標示があり分かりやすい

「旧北海道炭礦汽船 鹿ノ谷倶楽部」 現夕張鹿鳴館(閉鎖中)

 

所在地:夕張市鹿の谷2
建設年:大正2(1913)年 
指定等:

 

北炭は炭鉱事業を集約するために大正2年、北海道支店を岩見沢から夕張の鹿の谷に移設し
幹部社員の社宅、合宿所、学校、診療所、派出所、テニスコートやゴルフ場などを配した。

鹿ノ谷倶楽部は来客接待のために建てられたもので
庭園と組み合せた中央の本館、上方の第一別館、下段の第二別館からなり渡り廊下で接続されている
和風建築であるが内部には洋風の調度品などもあり一見の価値がある

閉山後は市の所有となり、宿泊、レストランなどを利用すれば内部の見学が出来た
現在は買収先の中国系企業が閉鎖したままで、古い建物ゆえメンテナンスがされておらず
関係者の心配がつのる。

今回は駐車場から遠望しズーム撮影とした
再開の良いニュースを聞きたいものです。

 

 

 

 

 

鹿の谷をさらに巡ります

 

「旧北炭北海道支店石炭分析所」

 

所在地:夕張市鹿の谷山手町52
建設年:大正8(1919)年 
指定等:

 

石炭を商品化する前の分析や検査、品質管理をする施設であった
周辺には北炭の施設があったとのことだが現在は夕張鹿鳴館くらいしか認められない
ただ、分析所の向かいには空き地があり、ここに関係施設があったように思える。

遺跡的な古いレンガ造りの建物は現在は個人所有となっているので
敷地内には立ち入り禁止である。

 

 

 

分析室の斜め向かいに素敵な教会があります

「夕張伝道所」

 

所在地:夕張市鹿の谷1丁目61
建設年:大正15(1926)年 
指定等:

 

見学にはおそらく夕張鹿鳴館、石炭分析所とセットで見ることになる

現役の教会で外観の塗装がとても綺麗に手入れされている
黒地に白枠、赤い屋根の目立つ建物で
以前は廻りは北炭関係の施設が建っていたと思われる
周辺の景観に合うように小型の教会です。

中には入ることは出来なかったが通常はどうだろう
やはり日曜日に行ってみるのが良いかも知れない。

 

 

教会の向かいにある個人住宅も気になった
意匠が他の住宅とちょっと違う。

 

 

②へ続く

 


札幌のホテル探訪  札幌グランドホテル 札幌パークホテル 旧札幌ロイヤルホテル

2021-06-17 19:53:20 | 札幌市中央区

今回は札幌のホテルについてです。
と言っても歴史のあるホテル、それもシティホテルに絞ります。
私の場合シティホテルとは都市にあり宿泊、宴会場、レストランその他の施設があるホテルです
(ビジネスホテルは宿泊だけに特化、リゾートホテルは観光地にありと勝手に区分けします)

 

 

「札幌グランドホテル」

 

所在地:札幌市中央区北1条西4丁目
建設年:昭和9(1934)年

札幌グランドホテルは北1条西4丁目の一角というまさに札幌のど真ん中にあります。
その歴史はホテルとして札幌市内で最も古く、格式から「北の迎賓館」と呼ばれています
幾多の高名、著名人、国賓クラスが宿泊した実績は今も続いていますね。


札幌グランドホテルは創業当時の建物はすでに無く、現在は大きく分けて3つのブロックに分かれています。
本館は昭和41(1966)年に開業しました。

ホテルの正面玄関として重厚であり車寄せがあり意匠の部分的にレトロさを感じられるのが本館です。


本館のブラウンタイルが重厚さを醸し出します 建物は8階建てです
1階にはロビーラウンジがあります。4階~8階が客室ですね。

 

東館は昭和51(1976)に開業しました
駅前通りに面しているこちらの入口のほうが出入りの人が多そうです。


地上17階あるこちらの建物が今はグランドホテルの顔かな
5階~16階が客室で最上階に宴会場があります。
開業当時は駅前通り側の1階に大きなカフェがあり長い間、札幌の飲食店で集客数が1位と言われていた。

現在はスタバなどテナントやベーカリー、レストランになっています

 

別館は昭和60(1985)年に開業しました 
レストラン、バー、宴会場ありでこの建物1棟でも立派なホテルになります。
客室は7階~10階で、ビルは確かテナントとして借りているかと思う。

別館から本館玄関への連絡通路ですがリニューアルされ古さはまったく感じません。




窓桟のスタイルはレトロか

 

ここは札幌グランドホテルの歴史を展示している「メモリアルライブラリー」

開業当時の建物がわかります

素敵だなぁ

おそらく札幌のホテルでこのような展示が出来るのはグランドホテルだけではないかと思います
これは素晴らしいことですね もっと貴重品を見せて欲しいくらい。



会社としては長く北海道炭鉱汽船がルーツの三井観光開発が所有していたが現在はフジサンケイグループになった
元々が本州資本なので「札幌グランドホテル」の名前さえ変わらなければ一般市民には関係ないこと。

もう5年前くらいだろうか、道内の知人に頼まれホテルを探したが当然一番高いと思っていたグランドホテルが
JRタワーホテルから5千円くらい安くなっていた記憶がある。
インバウンドが来てるころは、まだなんとか良かったが札幌もホテルが増えて500室を超える客室の稼働を上げるには割引しかないか…

コロナ前はロビー中に中国人の団体が溢れている光景を目のあたりにしてしまうともはや時代は変わったと思うしかない
フジサンケイになっても変わらないだろうなぁ。

 

すっかり綺麗になった内部では中々古さを見つけることは出来なかった。
本来は宿泊したり宴会場を利用とかしないと細かな意匠は分からないが
一部にレトロを感じたものを載せてみる(まだあるはず)

 

2021年6月撮影

 

 

 

 

 

「札幌パークホテル」

 

所在地:札幌市中央区南10条西3丁目
建設年:昭和39(1964)年

 

 

札幌パークホテルは昔の大型ホテルスタイルを残した最後のホテルらしいホテルだと思う。
屋上中央に大きな塔屋を設け最上階にスカイレストランを配置する。
客室階があって3階と地下に大ホールを設けている。

場所は中島公園に隣接しており、自社の外庭の感覚だ
またその周りに他の建物が隣接していないので警備のしやすさから皇室や海外VIPなどがよく宿泊している。

正面玄関までの長いアプローチ、広い車寄せ、張り出した大宴会場など
いつもホテルらしいホテルだと思う。


南9条通り側の駐車場には桜が植えており季節になると市民の目を楽しませる。

 

札幌パークホテルは宴会のホテルである
姉妹ホテルのグランドホテルは宿泊、宴会、レストランと比重が均等に近いように思えるが
パークホテルは客室は少なめに、レストランは現在は「なだ万」のテナントを入れたり宴会に特化している。

ちなみに札幌市内のホテルで最も広いホールを調べてみたが、1番はパークホテルの地下で2番目は3階であった。
ロイトンホテルが出来てから地位を譲ったが、公的な大きな会合はパークホテルで行うのが常である。

 

回転ドアは今はもうどこも作らないし、動かしてもいない
安全のためだそうだ。



ここの照明はいいね



エレベーターの壁もいい 天然のイタリア産大理石で開業当時を思わせる。

 

広い宴会場は今の使い道はこれ

 

凄い人だったよ
正面玄関に市のスタッフが付いているがホテルを占領するかのごとくはいかがなものか

 

中島公園から木々の合間に見るパークホテルが好きだ



グランドホテルはブラウンだが
パークと言えばブルータイル これは有田焼の青磁タイルである。

創業は本州の(株)リコーであり当初は「ホテル三愛」という名前だった
開業から2年も経たずにグランドホテルを経営している三井観光開発に譲渡した(有償であったと思われる)

1966年からずっと現在までパークホテルとグランドホテルは姉妹ホテルなのです。
フジサンケイグループはパークホテルを大型コンベンションホテルに改築すべく計画したがコロナ過のため延期中

延期が中止にならなければいいがと思いながらも
このままのホテルでいて欲しいなぁ

 

2021年1月、6月撮影

 

 

 

 

 

「旧札幌ロイヤルホテル」

 

所在地:札幌市中央区南7条東1丁目
建設年:昭和39(1964)年

 



旧札幌ロイヤルホテル(開業時は札幌ローヤルホテル)は、札幌資本として初めて建てられたシティホテル。

現存しているシティホテルは古い順にグランドホテル、パークホテルと続くが
ロイヤルホテルはパークホテル(開業時はホテル三愛)と同年の開業、しかも数か月早いので
本来は札幌で2番目に歴史のあるホテルであった。

場所は南7条東1丁目で創成川通りを南下し南7条橋を渡る手前にあった
現在は企業のリンナイとマンションが建っている。

その外観はパークホテル同様に屋上に大きな塔屋を設け角型の宿泊棟、3階にせり出す大宴会場を持っている
益々パークホテルとそっくりだが当時のホテル建築はこのような型が多いかと推察します。

設計はホテルオークラも設計した柴田陽三でした。

 

これらの写真は2007年8月に経営していた札幌国際観光が民事再生手続きをし、同年11月に恵庭開発が買収したあと
再オープンへ向けてのプレオープンに招待いただいたものだったと思う

 

パークホテル同様に回転ドアはあるが運転はしていない

札幌ではこの3強の時代があったが当時の資料、記録に
グランド、パークとのコンセプトの違いは「長靴でどうぞ」であった。

前2館が格式あるホテルを目指すのとは逆に市民に親しまれるホテルを目指していたのですね

正面玄関から入ったこの広いロビーが好きだった。


2階まで吹き抜けで中央に生花の装飾、大きなシャンデリア、わずかなソファスペース
古き良き時代のホテルらしいホテル。

 

ロビーラウンジは外庭があり明るい この日はフリードリンクだったと思う。

 

地下の和食レストラン ここも昼食をフリーで出してくれたような記憶が…

 

ブライダルには特に力を入れていましたな

 

この2階の中華レストランは何度利用しただろうか

 

2階から見下ろすロビー

ホテルの顔と言える「味」が抜群に良かった
グランド、パークが画一的なサービスのイメージがあり
ロイヤルは親しみやすく人に個性があったと思う。

そういえばこの建物は珍しく周囲を車でぐるっと廻れる
花火大会の時はビアガーデンを行っていたのを見た。

札幌資本で44年間も営業したそうだ
グランド、パーク同様に札幌市民にはたくさんの思い出があったホテルであろう。

 

2007年11月に再開し2008年の6月いっぱいで閉鎖になったのでわずか7か月の再オープンだった。

同時に買収された同経営で札幌駅前のセンチュリーロイヤルホテルは営業を続けてその後、釧路の企業に売却されている
そして函館に新ホテルを新築したりと好調である。

札幌ロイヤルホテルは
買収した企業が違っていたら建物もホテルも別の運命があったのかも知れない。


ホテルはその後放置されていたが2011年に解体された。

 

2007年11月撮影

 


札幌景観資産の建築探訪 第4号「旧小熊邸」、第19号「札幌聖ミカエル教会」、第29号「岩佐ビル」、第30号「旧沼田家倉庫」

2021-06-16 17:50:47 | 札幌景観資産・景観重要建造物

札幌景観資産とは

「景観形成上価値があると認められる建築物等、樹木、その他のもので、意匠、様式(樹木にあっては樹容)等が良好な景観を特徴付けているものや、将来のまちづくりに生かされる可能性のあるものなどについては、所有者の同意を得たうえで、「札幌景観資産」として指定し、地域の良好な景観の形成を推進しています。」 札幌市HPより

 

現在は第30号まで指定されていました。

第1号「日本食品製造合資会社旧工場」
第2号「北星学園創立百周年記念館」
(旧北星女学校宣教師館)
第3号「三谷牧場牛舎・サイロ」平成30年解体
第4号「旧小熊邸」
第5号「旧石山郵便局」
第6号「杉野目邸」
第7号「日本基督教団札幌教会礼拝堂」
第8号「八紘学園栗林記念館」
(旧吉田善太郎別邸)
第9号「八紘学園資料館」
(旧吉田牧場畜舎・サイロ)
第10号「旧石切山駅」
第11号「旧中井家リンゴ倉庫」
第13号「めばえ幼稚園」平成21年景観重要建造物への指定変更
第14号「日本福音ルーテル札幌教会」平成21年景観重要建造物への指定変更
第15号「沼田家住宅旧りんご倉庫」平成26年解体
第16号「旧沼田家りんご倉庫」
第17号「札幌市資料館」令和2年重要文化財指定への指定変更
(旧札幌控訴院)
第18号「北海湯」
第19号「札幌聖ミカエル教会」
第20号「エドウィン・ダン記念館」
(旧真駒内種畜場事務所)
第21号「城下医院」
第22号「カトリック北一条教会聖堂」
第23号「カトリック北一条教会司祭館カテドラルホール」
第24号「旧藪商事会社ビル」
第25号「髙城(たかぎ)商店」
第26号「札幌市水道記念館」
(旧藻岩第一浄水場)
第27号「旧市民会館前のハルニレ」
第28号「永井邸」
第29号「岩佐ビル」
第30号「旧沼田家倉庫」

 

このうち「白文字」はすでに紹介しています。

第3号、15号は解体のため指定解除
第13,14,17号は他の指定に登録されたため解除されています

また第12号は個人住宅で指定後に解除を希望されたものと思われます。

 

ご覧の通り札幌市が指定したもので、重要なのは「所有者の同意を得たうえで」ですね
このブログでは北海道新聞社発行の「札幌の建築探訪」より紹介して行きましたが、札幌景観資産に指定されているものが多いです。

ここでは「札幌の建築探訪」には記載されていない「札幌景観資産」を紹介していきます。(第27号は建物ではないため除外します)

 

 

第4号「旧小熊邸」 現ドリーバーデン

所在地:札幌市中央区伏見5丁目3-1
建設年:昭和2(1927)年
指定年月日:平成17(2005)年3月3日






北海道帝国大学(現在の北海道大学)の小熊捍(まもる)教授の自邸として、建築家田上義也の設計により建設されました。

小熊教授は友人の教授が建てたアトリエを気に入り、設計者である田上義也を紹介してもらい自宅の設計を依頼したとのこと
昭和2年といえば田上義也28歳のころです。


当初は南1条西20~21丁目にあったらしく、やがて隣にも田上義也設計の住宅が建設された。

 

東京帝国ホテルの建設で師事したアメリカ人の建築家フランク・ロイド・ライトの影響を受け、大きく張り出した軒、窓の形や水平性を強調したデザインなどにロイドの影響を感じられる。

 

現在はフィッシングショップの「ドリーバーデン」が1階と2階を使用しカフェを営業している。

内部を見るには釣りの商品かカフェを利用することだ。

 

 

正面に飾られているのは小熊教授です。
建築中に教授連を連れて見学に行ったら思ってもいないような作り方をしているので怒り「こんな家に金は払わない」と帰ってしまった。

その後に田上に謝罪し和解をしたエピソードがある
田上義也も若く自信もあり譲らなかったのでしょう。

 

ここは2階で階段の部屋側にまで窓があるのは珍しいのでは?

 

この建物にはまだエピソードがある
小熊教授が使用した後に、創立したばかりの「北海道銀行」の所有になり
東京から来た初代頭取、島本 融氏が居住し大変に気に入った
設計者である田上義也を呼び歓談したとある。

島本氏はこの家の増築、東京の自宅、それに70を超える北海道銀行の支店や寮、保養所の建築を田上に依頼した。

また小熊教授邸を訪ねた客が住宅を気に入り田上に建築の依頼をした。

田上さんの人生において大きな意味があった建物ではないか

所有者が変わったりしながら、平成に入ると解体を危惧した市民の保存運動が起こり現在の地に平成10(1998)年に再現されました。

当時の建物の建材はほとんど使われていないようなので移築とはいいがたいようですね
ただ建物のモダンさは当然として田上義也にとって意義のある建物と理解され保存しようとした当時の市民関係者に敬服いたします。

 

2020年9月撮影

 

 

 

 

第19号「札幌聖ミカエル教会」

所在地:札幌市東区北19条東3丁目4-5
建設年:昭和35(1960)年
指定年月日:平成19(2007)年12月19日

この独特の外観を持つ教会は東区の住宅街にあります
南向きの一方通行路沿いにあるので、初めてそこを通りかかると必ずや目に留まるでしょう。

設計のアントニン・レーモンドはチェコ出身の建築家で
フランク・ロイド・ライトのもとで学び、帝国ホテル建設の際に来日。
その後日本に留まり、モダニズム建築の作品を多く残し日本人建築家に大きな影響を与えた。

前述の田上義也ともそれが縁で知り合い自宅を訪ねたりと交友もあったようだ。

 


デザイナーとしてアントニン・レーモンドの名前がある
日本では1921年から1973年までいくつもの作品を残しているが北海道で設計したものは
この聖ミカエル教会のみ しかも綺麗に管理され現存しているのが嬉しい。

 

「勾配が途中で変化する大屋根のシルエットや、室内に光を取り込むスリットが入ったれんが側壁の配置、幾何学模様のガラス窓が特徴です。内部ではトドマツの太い丸太組みや、木の素材を活かしたシンプルで控えめなデザインの家具が見られます。ガラス窓からやわらかな光があふれる夜の教会も見どころです。安定感ある優しさがにじみ出す、一目見ると忘れられない景色です。」 札幌市HPより

 

ガラスに貼っているのは和紙で、レーモンド夫人の演出です
夫人は後日、貼り換えが面倒ではないかと悔いている発言があったようだ
だが、そのおかげで柔らかな光と模様の演出がとても素晴らしいと思う。

外観を撮影していた時に、関係者の方がどうぞ中に入って撮ってくださいと言っていただいた。
ただ、許可は必要かと思います。

 

2020年9月撮影

 

 

 

 

第29号「岩佐ビル」

所在地:札幌市中央区北3条東5丁目5
建設年:昭和25(1950)年 西翼増築)昭和37(1962)年
指定年月日:平成22(2010)年3月30日

元々はラムネ工場として建設され、その後にテナントビルになった
「鉄筋コンクリート造の明快なデザインが特徴的です。増築を経て現在は、札幌には珍しい中庭を持つロの字型のビルになりました。廊下などの共用部にはレトロモダンなビルの雰囲気を今も残し、工場として建てられたため天井が高いのも特徴的です」 札幌市HPより



正面から見るとちょっと古めのオフィスビルに見えるが、中央から中に入ると今は珍しい中庭スペースがある
車は壁のない狭い車路を上り下りすることになり慣れてないと怖いかも
今ではもったいない使い方の中庭も工場として建てられたからでしょう。

テナントが口を揃えて称えるのは天井高が4メートルもあること
これも工場としてゆえだが働いている職員にすると開放感があっていいだろうな
道路の向かいは札幌ファクトリーでこの辺が昔は工場地帯だったのが伺える。

見学はテナントビルなので各階へ行くのは関係者以外はNGでしょう。

 

2020年9月撮影

 

 

 

 

第30号「旧沼田家倉庫」

所在地:札幌市東区東苗穂5条2丁目11-18
建設年:昭和37(1962)年
指定年月日:平成22(2010)年7月21日



東区はタマネギの産地であり、この倉庫もタマネギ用の倉庫であった。
特に大きさは近辺で最大であり現在も面している三角点通りではランドマークとなっています。

 

宮田屋は1989年札幌市清田で開業しました
札幌を中心に9店舗営業しているが、この東苗穂店だけではなく他にもレンガ倉庫の店舗もあったり
席間が広く空間スペースの個性を大事にする店舗作りをしています

レトロ建物ファンとしては飲食店での利用はとてもありがたい
このお店はまだ利用したことがないので行ってみたいと思います。

 

2020年9月撮影