続きです
青字は過去訪問 赤字は今回訪問
データはwikipediaより
<小学校>
- 赤平市立旭丘小学校(1955年百戸小大谷沢分校から改称、1970年閉校)
- 赤平市立住吉小学校(1994年豊里小へ統合)
- 赤平市立幌岡小学校(2002年赤平市立赤間小学校へ統合)
- 赤平市立百戸小学校(2005年茂尻小へ統合)
- 赤平市立赤平小学校〈初代〉(2007年住友赤平小・豊里小・赤間小へ分割統合)
- 赤平市立住友赤平小学校(2014年茂尻小へ統合)
- 赤平市立平岸小学校(同上)
- 赤平市立茂尻小学校(2022年新設の赤平市立赤平小学校〈2代目〉へ統合)
- 赤平市立豊里小学校(同上)
- 赤平市立赤間小学校(同上)
<中学校>
- 赤平市立住吉中学校(1971年)
- 赤平市立双葉中学校(1976年住友赤平中と統合し赤平中央中へ)
- 赤平市立住友赤平中学校(1976年双葉中と統合し赤平中央中へ)
- 赤平市立幌岡中学校(1984年)
- 赤平市立平岸中学校(2007年赤平中央中へ統合)
- 赤平市立茂尻中学校(同上)
- 赤平市立赤平中央中学校(2018年赤平市立赤平中学校へ統合)
<高等学校>
- 北海道赤平東高等学校(1989年赤平高へ統合、1990年閉校)
- 北海道赤平高等学校(2015年)
「旧北海道赤平高等学校」 NEW
開校:昭和24(1949)年
閉校:平成27(2015)年
校舎:(未確認)年
赤平市若木町南1丁目2
ナビは「北海道赤平高等学校跡」
学校の歴史としては昭和40(1965)年に「北海道赤平西高等学校」に改称
平成元年(1989)年に「北海道赤平東高等学校」と統合し「北海道赤平高等学校」になる
旧校門と記念碑がある
両端は東西それぞれの学校の校歌と校歴と校舎写真が刻まれているが
西高の方は完成予想図のようだ?
校舎は西高等学校の敷地に新築したものと石碑の校舎写真から推測する。
平成27(2015)年に閉校した後、翌年平成28(2016)年には校舎を解体した
その跡地に赤平市立赤平中学校が移転・新築している。
「旧赤平市立住友赤平中学校」 NEW
※赤平市史より
開校:昭和25(1950)年
閉校:昭和51(1976)年
校舎:(未確認)年
赤平市赤平
ナビは「旧住友中学校」
空知川が大きく湾曲し、横向きのUの字を描く場所
その最奥にかつては大きな中学校があった。
廻りはたくさんの社宅が並び、まさに「住友炭鉱」の地区であった
しかし今は何もない地域になった。
校名にも名前が入っているので学校設置に住友資金が入っているものと思われる
先人のレポートを見ているので学校を表すものは何一つ無いことは知っていた
現在はパークゴルフ場とサッカー場になっており
パークゴルフを楽しむ1組がいただけで報告通り学校があったとは思えない場所だ
湾曲した川のすぐそばなので洪水にたびたび見舞われ
ついに使用不可能になったため統合することになったようだ。
※昭和50年の大洪水によるもの
帰途に一つのサッカーゴールを見たが錆の具合から古いと思うが
閉校が1976年なのでその後のものだろうか。
「旧北海道赤平東高等学校」
開校:1949(昭和24)年
閉校:1989(平成元)年
校舎:()年
赤平市百戸町西1丁目2
ナビは「光生舎メディック·エル」
閉校巡りの順で行くと次は高等学校になった
この付近は「光生舎」の施設が立ち並び壮観でもある
ナビではメディック・エルでこの素敵な建物が目印になった。
現在駐車場に使われている広大な土地はよく見るとバックネットがあった
ここはグラウンドだったのだろう
やはり高校生が使うので広い
それに高校時代と思われる建物もあり。
グランドと逆側に体育館が現存していた。
現在の用途は判らぬが、その独特の屋根スタイルは「赤平市史」に出ていた写真と一緒だ。
校舎は無くなったが何かしらの建物が現存しているのは
まだ良い方なのだ。
※2024年8月30日撮影
「旧赤平市立百戸小学校」
開校:1899(明治32)年
閉校:2005(平成17)年
校舎:()年
赤平市百戸町東4丁目13
ナビは「光生舎フーレビラ」
次の閉校も閉校後は「光生舎」のグループが再活用している
※HPより
「光生舎フーレビラは、18歳以上の障がいを持つ方が必要に応じた援助を受けながら自立していくことを目的とした施設です。」
閉校の利用は施設内の廊下などが広く、車いすで余裕をもってすれ違えるとのこと。
なるほど、これは一理ある
その理由もあり校舎も体育館も外側は、そんなに改装していないようだ
もちろん校門や校章は外してあるが
玄関屋根と2階の曲線が特徴
訪問時は、敷地内の駐車場に停めさせていただき
インターホンで許可を取ろうとしたがちょうど12時をまわっており
昼休みで誰も出なかった。
外に障がいの方もいたので元気に挨拶し、記念碑などを最低限撮影をしてここを離れた。
表には開校百周年記念だが、裏には閉校年月日も入っているので
閉校後に建てられたものだろう。
こちらは八十周年記念
※2024年8月30日撮影
「旧赤平市立茂尻小学校」
開校:1902(明治35)年
閉校:2022(令和4)年
校舎:()年
赤平市茂尻本町1丁目4
ナビは「茂尻小学校開校八十周年記念碑」
天気はすっかり青空となり気温も上昇中に学校に着いた
一目見てハっとした
それだけ見事な青色で閉校校舎が飾られていた
海のない赤平市だけに、やはりここはスカイブルーのイメージだろうか
また校舎も体育館も記念碑も二宮像も百葉箱も現存しているのに
校門にある校名プレートだけがツル性の植物に邪魔されて見れない!
しかしここはそのままにしておくのが良いだろうね
わずか2年前の閉校
すでに雑草が伸びており、校舎のブルーもいつかは色あせるだろう
でもそれはそれで仕方がないことだ。
※2024年8月30日撮影
「旧赤平市立茂尻中学校」
開校:1947(昭和22)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:()年
赤平市茂尻本町1丁目4
ナビは「赤平市立茂尻中学校」
学校の前に着いて、茂尻小学校は鮮やかさに「ハっと」したが
茂尻中学校の前では「うわぁ」だった。
何しろ雑草が多い
おそらく立入禁止でチェーンがあったようだが切れていた
それでも進入する気にならなかった。
また木々も多く校舎自体がよく見えない
なんとか遠望で見える箇所をズームで撮影したのみ
なんらかの記念碑や何かがあるのかも知れない
もっと葉の落ちる晩秋が良いだろうし、靴やズボンもそれなりのを用意すべきか。
ただ小学校では見ることが出来なかった
校門の校名プレートだけはしっかりと見ることができた。
※2024年8月30日撮影
「旧赤平市立平岸中学校」
開校:1947(昭和22)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:()年
赤平市平岸新光町7丁目3番地
ナビは「平岸新光町7丁目3番地」
赤平市平岸は市の東端にある町で、すぐ隣は芦別市である
空知川沿いにある集落には茂尻同様に国道38号線が中を貫き
南北に住宅がある
旧平岸中学校は国道と空知川に挟まれた地区にあり国道からも望むことが出来る。(玄関は裏側)
正面玄関へ行ってみたが、先の茂尻中学校と同年の閉校で、
やはりというかこちらも雑草がすごい
すぐの転用がないとやむを得ないだろう
雑草だらけのグラウンドの反対側に体育館的な建物がある
もしかすると旧校舎の一部と体育館かも知れない?
ここも敷地外から眺めるだけに終わった
典型的な箱型の校舎と思ったが、2階の角部屋が2面採光で
窓越しに見える空がきれいだった。
※2024年8月30日撮影
「旧赤平市立平岸小学校」
開校:1933(昭和8)年
閉校:2014(平成26)年
校舎:()年
赤平市平岸仲町2丁目3
ナビは「赤平市平岸コミュニティセンター」
先の旧平岸中学校から芦別方面へ移動
国道38号線の左側 少し奥まった場所にある校舎だが、ピンク色の建物ですぐにそれとわかる。
現在は「平岸コミュニティセンター」に転用されており
以前は国道側に校門があって校舎の色は白だった(閉校時)
校舎の前に記念碑もある 中学校はあの雑草の中に記念碑はあるのだろうか
建て替え年が比較的新しく見えるので塗装して再活用したのだろう
小学校時代には隣がグラウンドだったが今は大きな病院に代わった。
雑草だらけの原っぱになるより大きな病院になったほうが住民にはありがたいか。
※2024年8月30日撮影
以上で赤平市の閉校巡りは終了
行き逃した跡地などもあるので、いつかのついでになるだろうが
マークしておこう。