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札幌・北海道のレトロ建物大好きおぢさん日記

札幌(北海道)のレトロでモダンな建物を見たり撮影するのを趣味としています。

木造校舎・廃校 赤平市の閉校② ※2軒を追加しました

2025-06-12 23:37:09 | 木造校舎・廃校

続きです

 

青字は過去訪問 赤字は今回訪問 

データはwikipediaより

<小学校>

  • 赤平市立旭丘小学校(1955年百戸小大谷沢分校から改称、1970年閉校)
  • 赤平市立住吉小学校(1994年豊里小へ統合)
  • 赤平市立幌岡小学校(2002年赤平市立赤間小学校へ統合)
  • 赤平市立百戸小学校(2005年茂尻小へ統合)
  • 赤平市立赤平小学校〈初代〉(2007年住友赤平小・豊里小・赤間小へ分割統合)
  • 赤平市立住友赤平小学校(2014年茂尻小へ統合)
  • 赤平市立平岸小学校(同上)
  • 赤平市立茂尻小学校(2022年新設の赤平市立赤平小学校〈2代目〉へ統合)
  • 赤平市立豊里小学校(同上)
  • 赤平市立赤間小学校(同上)

<中学校>

  • 赤平市立住吉中学校(1971年
  • 赤平市立双葉中学校(1976年住友赤平中と統合し赤平中央中へ)
  • 赤平市立住友赤平中学校(1976年双葉中と統合し赤平中央中へ)
  • 赤平市立幌岡中学校(1984年)
  • 赤平市立平岸中学校(2007年赤平中央中へ統合)
  • 赤平市立茂尻中学校(同上)
  • 赤平市立赤平中央中学校(2018年赤平市立赤平中学校へ統合)


<高等学校>

 

 

「旧北海道赤平高等学校」 NEW

 

開校:昭和24(1949)年
閉校:平成27(2015)年
校舎:(未確認)年

赤平市若木町南1丁目2

ナビは「北海道赤平高等学校跡」


学校の歴史としては昭和40(1965)年に「北海道赤平西高等学校」に改称
平成元年(1989)年に「北海道赤平東高等学校」と統合し「北海道赤平高等学校」になる

旧校門と記念碑がある
両端は東西それぞれの学校の校歌と校歴と校舎写真が刻まれているが
西高の方は完成予想図のようだ?

校舎は西高等学校の敷地に新築したものと石碑の校舎写真から推測する。

 

 

平成27(2015)年に閉校した後、翌年平成28(2016)年には校舎を解体した

その跡地に赤平市立赤平中学校が移転・新築している。

 

 

 

 

「旧赤平市立住友赤平中学校」 NEW

※赤平市史より

開校:昭和25(1950)年
閉校:昭和51(1976)年
校舎:(未確認)年

赤平市赤平

ナビは「旧住友中学校」

 

空知川が大きく湾曲し、横向きのUの字を描く場所
その最奥にかつては大きな中学校があった。

廻りはたくさんの社宅が並び、まさに「住友炭鉱」の地区であった
しかし今は何もない地域になった。

校名にも名前が入っているので学校設置に住友資金が入っているものと思われる
先人のレポートを見ているので学校を表すものは何一つ無いことは知っていた

現在はパークゴルフ場とサッカー場になっており
パークゴルフを楽しむ1組がいただけで報告通り学校があったとは思えない場所だ

湾曲した川のすぐそばなので洪水にたびたび見舞われ
ついに使用不可能になったため統合することになったようだ。

※昭和50年の大洪水によるもの


帰途に一つのサッカーゴールを見たが錆の具合から古いと思うが
閉校が1976年なのでその後のものだろうか。

 

 

 

 

「旧北海道赤平東高等学校

 

開校:1949(昭和24)年
閉校:1989(平成元)年
校舎:()年

赤平市百戸町西1丁目2

ナビは「光生舎メディック·エル」

 

閉校巡りの順で行くと次は高等学校になった

この付近は「光生舎」の施設が立ち並び壮観でもある
ナビではメディック・エルでこの素敵な建物が目印になった。

 

現在駐車場に使われている広大な土地はよく見るとバックネットがあった
ここはグラウンドだったのだろう

やはり高校生が使うので広い 
それに高校時代と思われる建物もあり。


グランドと逆側に体育館が現存していた。

現在の用途は判らぬが、その独特の屋根スタイルは「赤平市史」に出ていた写真と一緒だ。

校舎は無くなったが何かしらの建物が現存しているのは
まだ良い方なのだ。


※2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧赤平市立百戸小学校」

 

開校:1899(明治32)年
閉校:2005(平成17)年
校舎:()年

赤平市百戸町東4丁目13

ナビは「光生舎フーレビラ」

 

次の閉校も閉校後は「光生舎」のグループが再活用している

※HPより
「光生舎フーレビラは、18歳以上の障がいを持つ方が必要に応じた援助を受けながら自立していくことを目的とした施設です。」

閉校の利用は施設内の廊下などが広く、車いすで余裕をもってすれ違えるとのこと。

なるほど、これは一理ある

 

その理由もあり校舎も体育館も外側は、そんなに改装していないようだ
もちろん校門や校章は外してあるが

玄関屋根と2階の曲線が特徴

 

訪問時は、敷地内の駐車場に停めさせていただき
インターホンで許可を取ろうとしたがちょうど12時をまわっており
昼休みで誰も出なかった。

外に障がいの方もいたので元気に挨拶し、記念碑などを最低限撮影をしてここを離れた。

 

表には開校百周年記念だが、裏には閉校年月日も入っているので
閉校後に建てられたものだろう。

 

こちらは八十周年記念

※2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧赤平市立茂尻小学校」

 

開校:1902(明治35)年
閉校:2022(令和4)年
校舎:()年

赤平市茂尻本町1丁目4

ナビは「茂尻小学校開校八十周年記念碑」

 

天気はすっかり青空となり気温も上昇中に学校に着いた
一目見てハっとした

それだけ見事な青色で閉校校舎が飾られていた
海のない赤平市だけに、やはりここはスカイブルーのイメージだろうか

 

また校舎も体育館も記念碑も二宮像も百葉箱も現存しているのに
校門にある校名プレートだけがツル性の植物に邪魔されて見れない!

しかしここはそのままにしておくのが良いだろうね

 

 

わずか2年前の閉校
すでに雑草が伸びており、校舎のブルーもいつかは色あせるだろう

でもそれはそれで仕方がないことだ。


※2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧赤平市立茂尻中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:()年

赤平市茂尻本町1丁目4

ナビは「赤平市立茂尻中学校」

 

学校の前に着いて、茂尻小学校は鮮やかさに「ハっと」したが
茂尻中学校の前では「うわぁ」だった。

 

何しろ雑草が多い
おそらく立入禁止でチェーンがあったようだが切れていた
それでも進入する気にならなかった。

また木々も多く校舎自体がよく見えない
なんとか遠望で見える箇所をズームで撮影したのみ

なんらかの記念碑や何かがあるのかも知れない
もっと葉の落ちる晩秋が良いだろうし、靴やズボンもそれなりのを用意すべきか。

 

 

ただ小学校では見ることが出来なかった
校門の校名プレートだけはしっかりと見ることができた。


※2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧赤平市立平岸中学校」

 

開校:1947(昭和22)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:()年

赤平市平岸新光町7丁目3番地

ナビは「平岸新光町7丁目3番地」

 

赤平市平岸は市の東端にある町で、すぐ隣は芦別市である
空知川沿いにある集落には茂尻同様に国道38号線が中を貫き
南北に住宅がある

旧平岸中学校は国道と空知川に挟まれた地区にあり国道からも望むことが出来る。(玄関は裏側)

 

正面玄関へ行ってみたが、先の茂尻中学校と同年の閉校で、
やはりというかこちらも雑草がすごい
すぐの転用がないとやむを得ないだろう

 

雑草だらけのグラウンドの反対側に体育館的な建物がある
もしかすると旧校舎の一部と体育館かも知れない?


ここも敷地外から眺めるだけに終わった
典型的な箱型の校舎と思ったが、2階の角部屋が2面採光で
窓越しに見える空がきれいだった。


※2024年8月30日撮影

 

 

 

「旧赤平市立平岸小学校」

 

開校:1933(昭和8)年
閉校:2014(平成26)年
校舎:()年

赤平市平岸仲町2丁目3

ナビは「赤平市平岸コミュニティセンター」

 

先の旧平岸中学校から芦別方面へ移動
国道38号線の左側 少し奥まった場所にある校舎だが、ピンク色の建物ですぐにそれとわかる。

現在は「平岸コミュニティセンター」に転用されており
以前は国道側に校門があって校舎の色は白だった(閉校時)

 

 

校舎の前に記念碑もある 中学校はあの雑草の中に記念碑はあるのだろうか

 

建て替え年が比較的新しく見えるので塗装して再活用したのだろう
小学校時代には隣がグラウンドだったが今は大きな病院に代わった。

雑草だらけの原っぱになるより大きな病院になったほうが住民にはありがたいか。


※2024年8月30日撮影

 

 

以上で赤平市の閉校巡りは終了

行き逃した跡地などもあるので、いつかのついでになるだろうが
マークしておこう。

 


木造校舎・廃校 洞爺湖町の閉校 ※1校を追加しました

2025-06-06 21:49:38 | 木造校舎・廃校

洞爺湖町

赤字は今回訪問 青字は過去訪問済

 

データはwikipediaより

「小学校」

  • 洞爺湖町立花和小学校(2007年洞爺湖町立洞爺湖温泉小学校へ統合
  • 洞爺村立富丘小学校(1973年)
  • 洞爺村立洞爺小学校(2006年統合により洞爺湖町立とうや小学校〈当時:洞爺村立〉へ)
  • 洞爺村立成香小学校(同上)
  • 洞爺村立大原小学校(同上)
  • 洞爺村立香川小学校(同上)

「中学校」

  ・洞爺湖町立洞爺湖温泉中学校(2016年洞爺湖町立虻田中学校へ統合)

「高等学校」

  北海道洞爺高等学校(2016年)

 

 

「旧北海道洞爺高等学校」NEW

 

開校:昭和27(1952)年
閉校:平成28(2016)年
校舎:昭和46(1971)年

洞爺湖町洞爺町58-3

ナビは「洞爺高校メモリアル公園」

 

洞爺高等学校は旧洞爺村にあった公立学校である
2006年に虻田町と合併し洞爺湖町になり2016年に閉校した。

洞爺湖畔から道道66号線を登り国道230号線に出る途中
左側に新しい公園がある

ここが「洞爺高校メモリアル公園」で目新しい遊具がある
これは子供たちに喜ばれるだろう

公園の入り口に校舎の写真と説明書きの標示板がある
土台の木材は旧体育館に使用された梁を使ったとのこと
こういう再利用はいいことだと思う。

すでに校舎は解体されたが広いグラウンドやバックネットがあり
それと多くの生徒が見たであろう桜の木に花が咲いていた。

 

洞爺高等学校があった敷地には新しく保育所を新設
令和元(2019)年、洞爺高校メモリアル公園と洞爺保育所がオープンした

 

 

 

 

 

 

 

2025年5月7日撮影

 

 

 

「旧洞爺湖町立花和小学校」

 

開校:1903(明治36)年
閉校:2007(平成19)年
校舎:1988(昭和63)年

洞爺湖町花和

ナビは「ヤンマーアグリジャパン洞爺湖支店」

 

今回のニセコから長万部~豊浦と廻ってきた閉校巡りも最後の学校となった

道道285号線(豊浦洞爺線)沿いに学校がある
目印は前面にあるヤンマーさんの施設だが、よく見ると入り口に学校名が書いた木製の標識があった。(校門は見当たらず)

 

 

その奥へ進むと鉄筋コンクリート2階建ての校舎が現存している
何と言ってもトンガリ屋根の鐘塔が印象的だ

 

体育館の三角部分にはステンドグラスが嵌められ
裏側面の模様が見えたが児童が書いた絵が使われていた

 

建物の現在は地区の集会場に使われているようだが
正面玄関に廻ると校名のプレートがあり

 

裏も見てみたがそこは原野で旧校庭は現在のヤンマーがある敷地だったのだろう
そうすると過去の校門はそこの道道沿いにあったと思われる

石碑が3つほどあり一つは100周年記念碑だった
他は学校に関係するものと思われる。

 

 

洞爺湖町は湖近辺が観光でクローズアップされるが、山中で農業も営まれ
その中で集落が出来、学校も出来た

そして人口減少により閉校も増えている

 

2024年7月26日撮影

 

 

 

ここから過去記事

 

6月の函館旅行では高速道路を使わず下道を走った。

途中のルートにはいくつかの町があるのだが、函館入りを最優先にしたので
閉校の見学は、そのルート上にあるものに限定して撮影をしました。

洞爺湖町までの町はほとんど撮影は終了したし、ルートから外れた閉校はスルーしました。

 

 

「旧洞爺村立大原小学校」

開校:1908(明治41)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

洞爺湖町大原103-3


国道230号沿いにあり、立派な校舎が健在である
少し走ると「道の駅とうや」がある。

廻りは農地が多く、開拓した農家の子弟が通った学校と思われる。

札幌から行くと一番初めに出会う閉校だが、行きはスルーして帰札日に撮影をした。

校門は新旧2種現存しており、新しいほうは閉校記念碑も兼ねている
とにかくきれいな校舎なので再活用は当然のことであろう。

現在は「大原ふるさと会館」「社会福祉法人 大原の杜」になっている。

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

「旧洞爺村立香川小学校」

開校:1900(明治33)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

洞爺湖町香川100-11


国道230号線を左に分けて道道285号線に入る。
やがて右側に「香川コミュニティセンター」が現れる
これが旧香川小学校だ。

こちらも2006年閉校で新しい校舎に見えた
体育館の正面がお洒落でいい 子供たちも胸を張って登校しただろうなぁ

校章に虫があるのは先の「大原小学校」もそうらしい 珍しいものだ。
やはり農地にある学校は平地があり広い敷地とグランドを持つ
敷地内には碑が2つ、グランドには用具室らしい絵が描かれた小屋、風見鶏など

それと道道側に旧校門の門柱があった
以前の正面はこちらだったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 

 

「旧洞爺村立成香小学校」

開校:1900(明治33)年
閉校:2006(平成18)年
校舎:調査中()年

洞爺湖町成香285

 

道道285号線をさらに南下する
こんどは少しだけ右折して進むが、すでに道道から見えている。

現在の成香小学校の跡地は近くの工事関係者の施設になり
校庭であったところにプレハブが置かれている
平日でもあり現場の方の姿もあるので敷地内には入らなかった。

すぐかたわらに閉校記念碑がある
正門からは体育館しか満足に見れなかったが広い敷地とグランドは他の2校と同様だ。

道道から広いグランド越しに校舎も見えるが、先を急いで撮影はここまでとした。

成香小学校と大原小学校、香川小学校は統合のため同時に閉校し「とうや湖小学校」となった。

 

 

 

 

 

 

 


2022年6月撮影

 

 


木造校舎・廃校 旧虻田町の閉校

2025-06-05 09:33:30 | 木造校舎・廃校

旧虻田町の閉校  ※赤字は今回レポート

「小学校」

  • 虻田町立みずうみ小学校(1975年洞爺湖温泉小みずうみ分校から独立、1979年閉校
  • 虻田町立月浦小学校(1989年閉校)

「中学校」

  • 虻田町立花和中学校(1983年)
  • 虻田町立月浦中学校(1985年洞爺湖温泉中へ統合)

 

旧虻田町は洞爺湖に面しているが全体の1/4くらいだそうだ
他の洞爺湖の町、壮瞥町や洞爺村のほうが湖に面している

平成18(2006)年、洞爺村と合併し「洞爺湖町」となる。

 

 

「旧虻田町立月浦小中学校」

 

開校:明治31(1898)年
閉校:平成元(1989)年
校舎:(確認中)年竣工

洞爺湖町月浦44

ナビ「洞爺湖温泉小学校 二宮像」 ※2025年5月7日撮影

 

月浦小中学校は旧洞爺湖村と合併する前に閉校になったので
旧虻田町として記載した

旧校舎は道道578号線に面しており、洞爺湖は目の前だ
すでに校舎は解体されて、その上部に「洞爺湖温泉小学校」が新築された。

旧校舎と校庭があった場所は現在はサッカー場になっていた
名残があるとすれば「二宮像」が健在であることだ
これはグーグルマップにも表記されている。

またかつての正門は道道に面して少しスロープになっているところのようだ?
生徒はここから正面に校舎を見て通学していたのだろうか。

 

 

「昭二十七八月吉日」の文字あり

これは??

 

「虻田町立月浦小中学校」のプレートがあった!

新しい学校校舎

ネット奥が旧学校敷地

 

ここが正門と通学路だったのだろうか

 

 


木造校舎・廃校 伊達市の閉校

2025-06-04 13:51:28 | 木造校舎・廃校

伊達市の閉校  ※赤字は今回レポート

「小学校」

「中学校」

  • 伊達市立関内中学校(2004年伊達市立光陵中学校へ統合)
  • 伊達市立有珠中学校優健分校(2006年)
  • 伊達市立有珠中学校(1948年伊達第一中学校有珠分校から独立、2010年光陵中へ統合
  • 伊達市立長和中学校(2010年光陵中へ統合)
  • 伊達市立達南中学校(2017年伊達市立伊達中学校へ統合)
  • 伊達市立大滝中学校(2019年大滝小と統合し伊達市立大滝徳舜瞥学校へ)

「高等学校」

※統合した旧大滝村の学校は旧大滝村でレポートします

 

小学校、中学校の併置校が多いと勘違いして中学校はノーマークだった
立派な校舎を持った閉校中学校をノーマークだったのは痛いミスであった。

 

 

 

「旧伊達市立稀府小学校」

 

開校:明治14(1881)年
閉校:令和4(2022)年
校舎:(確認中)年竣工

伊達市中稀府町85

ナビ「伊達市立稀府小学校」 ※2025年5月7日撮影

 

稀府(まれっぷ)の街は室蘭市と伊達市中心部の中間あたり
噴火湾に面して山まで伸びる街

令和4年に閉校になった稀府小学校は用途は変われど
ほぼ現役校の体を成していた。

校舎は街の地形を表すかのように海側から山側へ縦に伸びる
現在は「稀府農業研修センター」として体育館や校庭を使用しているようだが時間がなく確認していない。

石碑が一つあるがこれは創立百周年のもので閉校記念碑ではなかった。

この場所から山を見れば左右に過去に登った「室蘭岳」「稀府岳」「伊達紋別岳」がよく見えてこれはこれで懐かしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「旧伊達市立関内小学校」

 

開校:明治14(1881)年
閉校:移転 現役校
校舎:(確認中)年竣工

伊達市東関内町63番2

ナビ「伊達市関内農業研修センター」 ※2025年5月7日撮影

 

正式には「旧校舎」。 旧関内中学校の校舎を使用して
「関内小学校」は移転し現存している。

関内の街は山の裾野のような場所で農業が盛んだ。

旧校舎は平屋で体育館を含めL字型
木造モルタルかRCかは未確認。

現在は「伊達市関内農業研修センター」として活用され
その入り口は農地側からなので行かず。

上記写真の正門側と通用門側と2か所から入り見学した。

正門側は玄関と体育館が連なり、入り口横に石碑あり

 

通用門側は校庭に出る
雑草がひどく資材置き場ですでに校庭ではなくなっていた。

 

さて「旧関内中学校」の方だが、場所柄てっきり小学校と併置校だと思っていた
改めて確認すると、わずかな距離に新しい「関内小学校」校舎があり
その校舎がかつての中学校だったのだ
記念碑も、校名プレートも現存しており、行けば良かった!
なんと勿体ないことを・・・・平成16(2004)年閉校

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

びっくりした!

石碑は百年記念

 

 

 

 

 

よく見るとバックネットや鉄棒あり

 

ポールも

 

 

「旧伊達市立長和小学校」

 

開校:明治14(1881)年
閉校:令和6(2024)年
校舎:(確認中)年竣工

伊達市長和町462-1

ナビ「伊達市立長和小学校」 ※2025年5月7日撮影

 

長和の街は伊達市街地を一旦抜けて、有珠方向へすぐにある街だ

長和小学校の閉校は令和6年なのでやっと1年が経過した
その校舎はお洒落で綺麗だし、なにより体育館のデザインが人目を惹く。

アーチを描く柔らかな正面玄関と体育館の対比が面白い
校内にはステンドグラスも見えた。

また玄関前にある石碑は開校30周年記念で伊達市の小学校は
周年記念に大きな石碑を作ることになっているのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「旧伊達市立有珠小学校」

 

開校:明治17(1884)年
閉校:令和5(2023)年
校舎:(確認中)年竣工

伊達市向有珠町195-2

ナビ「伊達市立有珠小学校」 ※2025年5月7日撮影

 

有珠の街は伊達市の西端にあたり隣は洞爺湖町だ
有珠小学校も閉校してからまだ2年 学校施設に大きな変化は無いように見える。

旧型の校門と校名プレートには歴史を感じる
校舎はRC造りでそのグレーの色から学校らしくない?印象をうける

体育館もよくあるカマボコ型で裏側がグラウンドになる
時間が足りず裏側まで廻らなかったが、そちらから見る校舎はどうなのだろうか。

前庭にはここも大きな百周年記念の石碑があり、トーテムポールや二宮像も歴史を感じた。

 

学校を後にし、次の目的地に向かう途中で複数の石碑を見た
「伊達市有珠地区コミュニティセンター 白鳥館」の前に3つ
有珠小学校に関する石碑もある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「伊達市有珠地区コミュニティセンター 白鳥館」前

これは閉校時の校門か?

こちらはバチラー八重子さんの歌碑

これは開校百周年記念 学校にも百年の石碑があったが?

 

 

 

「旧伊達市立達南中学校」

 

開校:昭和22(1947)年
閉校:平成29(2017)年
校舎:(確認中)年竣工

伊達市北黄金町49-135

ナビ「伊達市立達南中学校」 ※2025年5月7日撮影

 

達南中学校があった北黄金町は室蘭市と稀府町の間にある町で
学校は海から離れ山側の一帯がやや小高い場所にあった。

遠くから見ると建物も学校しかなく、あそこまで毎日通っていたんだなと思ってしまう現在の近辺だ。

学校は連続アーチのおしゃれな1階と一部2階建て
それと体育館が現存している。

体育館の端に何か見えるので行って見たら旧校門であった
しっかりと校名プレートも付いており、現在の校舎が新築される前は
こちら側に玄関があったのだろうか

それにしてものどかな場所である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「旧北海道伊達緑丘高等学校」

 

開校:昭和58(1983)年
閉校:令和5(2023)年
校舎:(確認中)年竣工

伊達市南稀府町180-4

ナビ「北海道伊達緑丘高等学校」 ※2025年5月7日撮影

 

緑丘高等学校は開校が比較的新しく名前のイメージが良い
開校時には話題になり近辺の中学生から人気があったと伺われる。

現在の学校の廻りは畑が広がっていた。

校舎はRC造りの2階建てで、2階の左右コーナーが窓になっている
やはり1階に打ち付けられたベニヤ板がもの哀しい

開校から40年で閉校した
閉校にはいろんな影響が近隣にはあったことだろうが
一番はさびしくなったことかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


木造校舎・廃校 室蘭市の閉校

2025-05-31 22:03:01 | 木造校舎・廃校

室蘭市の閉校  ※赤字は今回レポート

「小学校」

「中学校」

  • 室蘭市立成徳中学校(2006年御前水中と統合して室蘭市立星蘭中学校を開校
  • 室蘭市立御前水中学校(2006年成徳中と統合して星蘭中学校を開校
  • 室蘭市立鶴ヶ崎中学校(1947年に開校。 2011年東中と統合し室蘭市立翔陽中学校を開校
    • ジャズバンド部は特色ある部活動として知られ、2004年からプロに交じって室蘭ジャズクルーズに出演し、テネシー州ノックスビル市など国外でも活躍した
  • 室蘭市市立東中学校(1961年に鶴ヶ崎中学校から分離して開校。2011年(平成23年)鶴ヶ崎中と統合し翔陽中学校を開校
  • 室蘭市立蘭東中学校(2012年向陽中学校と統合し室蘭市立桜蘭中学校を開校
  • 室蘭市立向陽中学校(1960年11月1日に蘭東中学校から分離して開校[。2013年蘭東中と統合し桜蘭中学校を開校
  • 室蘭市立北辰中学校(1947年5月1日に開校。2013年港南中学校と統合し室蘭市立室蘭西中学校を開校
  • 室蘭市立港南中学校(1951年8月に北辰中学校から分離して開校。2013年(北辰中学校と統合し室蘭西中学校を開校

「高等学校」

 

 

 

「旧室蘭市立高砂小学校」

 

開校:昭和25(1950)年
閉校:令和2(2020)年
校舎:昭和45(1970)年竣工

室蘭市高砂町1丁目29-1

ナビ「室蘭市立高砂スクール児童館」 ※2025年5月6日撮影

 

高砂小学校は門のある表と裏側からも入れる
実際にはチェーンがあるのでもちろん内部には入らない

長く伸びる2階建て校舎が2棟と体育館の構成である
令和2年の閉校だからか建物自体に変化はないだろう
ただ入り口や窓に打ち付けられたベニヤ板が少し哀しいが

体育館は新しめで、正門の左側の校舎しか良く見えないが規則的に並ぶ高い煙突が印象的だ。

 

※旧室蘭市立絵鞆小学校内にあった写真より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「旧室蘭市立常盤小学校」


※室蘭市史より

 

開校:明治9(1876)年
閉校:平成23(2011)年
校舎:平成3.4(1991.92)年竣工

室蘭市緑町15-16

ナビ「室蘭市立常盤小学校」 ※2025年5月6日撮影

 

常盤小学校へは当初行く予定は無かった
それは校舎が解体されたことを知ったので。

だがルート整理をしていると、ちょうどここを通るルートになったので行って見た。

そこはストリートビューで見た通り、入り口で立入禁止になっており
少し高い場所にあるので覗き見ることも出来ず
もちろん柵を越えてまで見に行かない。

以前の写真では大きく、実に堂々とした学校であった
振り返れば坂の下に海も見える
広大な学校の土地を求めるに室蘭では山の上の方になるのだろう。

 

 

 

 

 



 

 

「旧室蘭市立絵鞆小学校」

 

開校:明治25(1892)年
閉校:平成27(2015)年
校舎:昭和33.35(1958.60)年竣工

室蘭市祝津町2丁目7-30

ナビ「室蘭市立絵鞆小学校」 ※2025年5月6日撮影

 

今回の閉校巡りでメインに考えていた学校で
教室棟の入館が無料で出来、有料で体育館棟も見学が出来る

※ツアーは一人500円でガイド付きです

2025年
開館日 3月〜10月の土日祝日
7月26日〜8月25日の毎日
開館時間 10時〜16時
体育館棟入館は11時と14時のツアーのみ

 

 

【外観】

 

体育館棟は1.2階が特別教室で3階が体育館 だからかコンクリートがごつく感じる

 

教室棟は体育館棟に比べ窓が多いのでより学校らしい感じがする
建物の基礎は外側が浮いているように見え、下からのぞき込むと見える

 

 

遊びのタイヤも埋まっていた

 

 

 

 

 

 

【教室棟】から入館する

 

 

これは必見

見学者用に高砂小学校のスリッパを再活用していた

竣工当時はここが外との境界だった跡

 

 

 

グッズを販売しています

トイレにペチカ 設置後の早いうちに使用休止になったようだ

教室棟の中心にある螺旋階段が素晴らしい

現在は塞がっているが硬質ガラスで自然光が入っていた これは美唄の沼東小学校と同じだ

 

扇形の教室

 

教室の入り口が狭い!

市内の学校の紹介あり 閉校が多いよね

 

昔は3階に体育館棟への連絡通路があり柵もあったようだが今は通行禁止

 

階数を表す数字は塗装ではなく真鍮で出来ている

 

最上部から屋上へ出れる

 

児童たちも白鳥大橋の建築を見守っていただろう

 

 

 

ツアー時間の14時に1階受付へ
他の参加者は小学生くらいの子供を連れた絵鞆小学校OBのご夫妻

1階で色々説明を聞いてから体育館棟へ。

現在1階の連絡通路は通行できず、一度外へ出てから入る

 

【体育館棟】

アート作品を展示中

用務員さんや教員の宿直用の部屋

この跡は、標本の棚が円形でずっとあったそうだ

中にはこういう柱もある

 

 

2階の天井

 

3階が体育館

 

 

 

 

ボールが挟まっていたそうだ

 

 

 

詳しく楽しいツアーガイドだった
教室棟だけでは魅力が伝わらない

時間があればぜひ参加してみては?