BRING UP

①子どもを育てる。養育する。しつける。②問題などを持ち出す。提起する。

清水カップ通信 終章の2

2017年08月18日 | Weblog
心が変われば  態度が変わる
態度が変われば  行動が変わる
行動が変われば  習慣が変わる
習慣が変われば  人格が変わる
人格が変われば  運命が変わる
運命が変われば  人生が変わる


今回の決勝戦に出場した片方のチームは、監督・コーチが怒鳴り続け、指示を出し続けるいつもの姿。もう片方のチームは観戦場所から距離がありすぎ様子がわからなかった。とても興味があったチームなので残念だった。
8試合を勝ち続けること、一度は味わってみたい。


今まで何百人の子どもたちと清水へ行ったのか、何十人の保護者の方々に同行していただいたのか、感謝そして感謝。もっともっと勝たしてあげたかった。
30年、長いようで短いようで、「光陰矢のごとし」か。


過去10件近くの宿にお世話になった。
22チームが集まった大きなホテル。
いのししを飼っていた山奥の宿。ご主人がいい人だった。男のやさしさを教わった。
我々が最後の宿泊で閉館する宿もあった。管理人のご夫婦、おもてなしが感じ入った。
女将がチョゴリを着ていた宿。同宿の2チームが大陸の子どもたちで文化の違いにたまげたこともあった。あの時私は最後の晩まで発熱していた。静岡の最高気温に負けずに上回っていた。
石橋旅館は静岡の我が家、ふるさと。女将は静岡のおふくろ、若女将たちは私の兄弟(妹か?)、そして甥っ子、姪っ子たち。(迷惑だと言われそう)


今まで見てきた他の同宿のチーム、色々あった。

マヨネーズ、ケチャップ、ドレッシングなどなど調味料を要求する子どもたち、マイふりかけ持参のコーチ、スマホを見ながら食べている監督。

指導者、保護者が同宿で夕食時は子どもたちの横で毎夜晩酌が始まるチーム。そこの保護者たちは外からおかずを調達してきていた。

指導者が皆選手の父親のため一切敬語がなく、大人子どもが友達同士のように話していた(よからぬ言葉で言えば タメグチ というもの)。女子チームだった。「女の子は言う事を聞かないので参りますよ」監督がこぼしていた。あることがありその後、そのチームの子どもたちは私のことを「師匠」と呼ぶようになった。

何故か冷たい主人と女将、我々が何かやったのか気をもんでいたら最後の晩二人して謝ってきた。聞くところによると前年のチームが毎晩朝まで指導者と保護者で大宴会をやっていたそう。持ち込み飲料の空き缶、びんの処理にほとほと困ったと言う。「もう宿泊を受けるのはイヤだったのだが組合の付き合いがあるから仕方がなかった。でも来年から又受けるよ。おたくみたいな子どもたちですべてやるチームがあることを知ったから」これを聞いたときは嬉しかった。

うちの子達が洗濯をしているその横で、お母さんたちが洗濯をしているチームもあった。その間選手たちはコーチからマッサージを受けるそう。(悪いが思い切り笑わせてもらった) そして移動時は選手のスパイク、ボール、他の道具すべてを保護者が運び選手は手ぶら。

これらすべてのチームは我々よりも成績がよかった。

試合が終わり石橋旅館に戻った毎夕方、玄関前でスパイクを磨く二人がいた。その後二人はJリーガーになった。それもチームキャプテンとして。そう、あの二人。

我が家の二女は清水遠征中に生まれた。もうすぐ26歳になる。


親父の昔話でした。