ぶらっとJAPAN

おもに大阪、ときどき京都。
足の向くまま、気の向くまま。プチ放浪の日々。

山が見えない

2016-08-16 23:44:31 | つぶやき

ビルの谷間からわずかに覗く山。

 

東山魁夷が京都を描くきっかけの一つが、川端康成の「京都は今描いといていただかないとなくなります」という言葉であったと、先日このブログに書きました。

これは『京洛四季』の序文の中の言葉なのですが、その後はこんなふうに続いています。

「・・・はじめてそれを言つたころ、私は京の町を歩きながら、山が見えない、山が見えない、とわれにもなくつぶやきつづけてかなしんでゐたものだ。/みにくい安洋館が続々と建ちはじめて町通りから山が見えなくなつたのである」(「都のすがた―とどめおかまし」)

今、京都の町はビルだらけですが、それでも四条あたりに立っていると、ビル街の隙間から覗く山の存在に気圧されることがあります。盆地独特のすり鉢状の底で、山の放つエネルギーにすっぽりと包まれ守られていると感じるのです。神戸の町も同じような山の力を感じますが、京都の強靭さはありません。

わずかな隙間からこぼれ落ちるだけのエネルギーでこうなのですから、そういった障害物がない頃の京都は、どれほどすがすがしく、自然の力に満ちていたのでしょうか。

明治時代に日本を訪れたイギリス人、ジョン・ナサニエル・カーゾンが京都についてこのように書いています。

「この街は豊かな緑に包まれており、その趣のある優雅な姿が山間に浮かんでいます。(中略)町家からは温かい人の声や物音が聞こえてきます。そして、路上を交差する大きな声や笑い声は、上空へ響き渡るのです」

最後の一節で、いかに障害物がなく、町から広い空や山が見えたのかわかりますね。

生きている以上、人も場所も変わっていくものだし、失ったものの代わりに享受しているものもたくさんあります。

わかってはいても、山が見える町の風景に、憧れずにはいられません。

こちらは平安神宮の近く。こちらもなかなかの圧倒スポットです。


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2 コメント

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こんばんは (chika)
2016-08-18 00:46:40
>「京都は今描いといていただかないとなくなります」

東山魁夷と川端康成は親交があったのですか。
このセリフ、インパクトありますね。

京都は盆地ですからどちらを見ても山はあるはずですが、本当今はビルで遮られますね~

寺や町家がズラリと並ぶ古都の背景に山が見える景色・・・タイムスリップして観てみたいです。
少しずつマンション等が増えてますが、京都には粘って欲しいですね
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こんばんは^^ (bratt)
2016-08-18 21:36:13
そもそもは川端康成の小説の挿絵だか表紙だかを描いたのが縁のようですが、どちらも早くに肉親をなくしていて、魂の部分で響き合うものがあったらしく、親交は深かったようです。

川端氏が亡くなった後から、魁夷氏の風景画に白馬が現れるようになった、と言う話を聞いたことがあります。

京都に文化庁が移ることが決まりましたし、アースダイバーブームに乗っかって、古き良き京都の景色を少しでも保存、あわよくば取り戻す動きが活発化するといいですね。

それにしても、私もタイムスリップ希望です!
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