ボンバーのいろいろな日々。

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ホントに番外編!?楠木正成についてお勉強してみた。

2010-08-17 07:47:38 | さるさる日記
6時半起床。
今日から仕事再開。それにしても今週は猛暑日が続くんやと…。
<群馬・館林で38.2℃=各地で猛暑、熱中症に注意>
<日本列島は16日も、勢力の強い太平洋高気圧に覆われ、厳しい暑さになり、群馬県の館林市と伊勢崎市で全国最高の38.2℃となった。最高気温35℃以上の猛暑日となったのは、全国921観測地点中134地点に上り、30℃以上の真夏日も680地点で観測。/17日は曇りや雨の所もある見通しだが、気象庁は水分をこまめに取るなど熱中症対策を呼び掛けている。>
ちなみに、今日の大阪の気温は36…。まだマシとは言うもののホント勘弁してほしいわな(溜息)。さて、今日のお勉強番外編は地名ではなく、昨日の日記で出た楠木正成について書こうと思う。当時の大河ドラマ『太平記』が放送されてた頃は、毎週欠かさず見てた記憶があるし、太平記といえば足利尊氏・後醍醐天皇がいた時代ですよ。楠木正成=湊川のイメージが強いのもまた事実で、詳しく書けばこんな感じである。

<楠木正成は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。鎌倉幕府からは悪党と呼ばれた。建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に活躍。尊氏の反抗後は新政側の軍の一翼を担い、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて自害した。明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、1880年には正一位を追贈された。>
やはり…と書いたら失礼だけど、湊川の戦いを忘れたらアカンね。
<湊川の戦いは、南北朝時代の1336年7月4日((建武3年)5月25日)に、摂津国湊川(現・兵庫県神戸市中央区・兵庫区)で、九州から東上して来た足利尊氏・足利直義兄弟らの軍と、これを迎え撃った後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成の軍との間で行われた合戦。>
この戦いはなんで起こったのか…簡単に背景をまとめてみた。
<足利尊氏は新田義貞・楠木正成・北畠顕家らに敗れて京都を追われ九州へ落ち延びていた。ここで、正成が後醍醐天皇に、状況が宮方に有利な今のうちに足利方と和睦する事を進言するが、後醍醐はこれを退け、義貞を総大将とする尊氏追討の軍を西国へ向けて派遣。なお、正成は和睦を進言した事で朝廷の不信を買い、この追討軍からは外され、国許での謹慎を命じられた。>
楠木正成のお墓は湊川神社で見たことがありますよ。ちなみに、アクセスはJR神戸or高速神戸と三宮からも近いやん。

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