ボンバーのいろいろな日々。

自己満足でしか書いてませんが、お時間がありましたら見てくださいな。

イチローが引退。寂しさもあれば一時代が終わった感もします。

2019-03-22 08:31:38 | さるさる日記
7時半起床。
今日も休みだったらな…ってついそんなことを考えるも、外の景色を見たら多少なりマシな感じがしてる。昨日の20時すぎから霧が発生して時間が経つにつれて霧の濃さは増すばかりで、やや不謹慎なことを書くなら、これで自転車で乗ったらどんな雰囲気に?って考えるもちょっと不気味な気がしてならずも、ここまでの霧も初めてな気がしてならんかった。今日の天気予報を見てると気温が下がる!?みたいなことを言ってるし、まだまだ油断できんってことやん。
イチローの速報を見てから部分的に試合を見てたけど、この日がついに来てしまいましたな…。
<イチロー引退「後悔なんてあろうはずがない」不滅の4367安打/背番「51」現役に別れ>
<マリナーズのイチロー外野手(45)が、アスレチックスとの開幕第2戦終了後に現役引退を発表した。昨年5月にフロント入りした後、今年のキャンプで選手復帰したが、オープン戦から不振が続き、ついに決断。28年間のプロ野球人生最後の試合は4打数無安打だった。日米通算4367安打。日本人野手で初めてメジャーの扉を開き、数々の記録と記憶を残してきた不世出の大選手が、母国・日本でユニホームを脱いだ。/「イチロー」の大合唱が聞こえる。扉の向こうで、ファンが待っている。試合終了から20分後、扉が開いた。イチローが再びファンの前に飛び出した。涙はない。三塁ベンチ前から左翼へ移動し、6分間をかけてグラウンドを一周。最後は帽子をとってファンに感謝の気持ちを伝えた。/試合後の会見でイチローは「日本で9年、アメリカで19年目に突入したところなんですけど、今日限りで現役生活にピリオドを打ち、引退することを決めました」と語った。/オープン戦から不振が続き、24打席連続無安打で開幕に臨んだ。20日の開幕戦でも1打数無安打、この日も4打数無安打だった。春季キャンプの終盤に現役引退を決断した。「元々日本でプレーするところまでが契約上の予定。キャンプ終盤でも結果を残せず、それを覆せなかった」と明かした。「やっぱり一本ヒットを打ちたかった」と言いながらも表情は晴れやかだった。>
去年マリナーズと変な契約(すみません、今だけそう書かせてください)をしてから50歳までそんなことをするんかなって思ったりもしたけど、会見上で<元々日本でプレーするところまでが契約上の予定>の内容で「そうだったんや」と思ったのと、えらい早い時期に日本での開催は決まってたんかな?って考えてみた。イチローが残してくれたことを今さら書くまでもないし、マリナーズを広めたのは誰が何と書いてもイチローだった!と書いていいのかなって思う。
<年齢と闘い続けたイチロー/衰えと「フライボール革命」に逆らえず/「50歳まで現役」幻に>
<イチローは「年齢」という壁に挑み続けてきた。「50歳まで現役」と公言するようになったのは、メジャー2年目を終えた02年ごろだ。当時29歳。イチロー自身、体力的にも技術的にも「50までやれる」という自信があったからだろう。だが、それは「大好きな野球を長く続けたい」といった個人的な目標だけではない。/野球界の常識を覆す。それが使命でもあると感じていた。そのためにトレーニング、食事を含めた普段の生活もストイックに取り組んできた。40代になっても体脂肪率は7%台を維持。メジャーでは15年から現役最年長野手であり続けた。>
今でもストイックな生活をしてても、何の違和感がなかったしさすがやなって思うしかないですよ。50歳まで現役も見たかったけど、そこは何も書きません!
<チームのチャーター機には乗らず、東京ドームでチームメートと別れた。マリナーズは本拠地シアトルでの「引退セレモニー」を計画中。イチローは近日中に「米国の故郷」ともいえるシアトルに渡る。国境を超え、世界中の人々に勇気と感動を与えた濃密な野球人生は28年で幕を閉じた。「時代」を駆け抜けた背番号51は平成の終わりとともに、ユニフォームにも別れを告げた。>
平成が終わると同時に背番号51のユニフォームを脱ぐ。今まで感動をありがとう、そして本当にお疲れさまでした。