goo blog サービス終了のお知らせ 

プラネタリズム

ども、遊星です。世の中のもろもろを風景にして書き連ねる

大垣紀行

2007-03-05 20:02:57 | 日記・随想
なぜか大垣城である。
大垣は、言わずと知れた夜行列車ムーンライトながらの終着駅であり、松尾芭蕉のおくの細道のむすびの地でもある。

松尾芭蕉については今さら説明する必要もないが、巷で囁かれている「隠密(忍者)説」が興味深いところである。

新宿御苑にて~その3~

2006-12-21 22:29:47 | 日記・随想
歴史をたどってもわかるように、新宿御苑の前身である内藤新宿試験場・新宿植物園の時代は、我が国の近代農業にとって、重要な役割を果たしました。

現在食用にされているイチゴは、品種的な分類ではオランダイチゴの部類になり、日本への渡来は江戸時代末期、1830年代に、長崎に伝来したものに由来している。

しかし、栽培が定着したのは1900年に近くなってからで、イチゴの栽培の歴史は、たかだか100年余りなのである。

イチゴの品種改良に重要な役割を果たしたのが、明治31年に御苑の責任者となった福羽逸人である。

福羽は明治22年(1889)にフランス・アメリカからイチゴの品種数種を持ち帰り、日本の風土のなかで選抜し、ゼネラルシャンジーという品種を親として、その名も
「福羽」というイチゴを1899年に登場させた。

この福羽イチゴは、昭和40年代まで営利栽培され、現在栽培されているイチゴの品種の源流ともなっているほどで、言わば我が国でのイチゴの育種のパイオニア的存在なのである。

人はなぜ指を組むのか

2006-12-13 22:11:47 | 日記・随想
日本の電車に関して言えば、座席に座った人はだいたい本を読んでいるか、ケータイをいじっているか、眠っていますね。
で、眠っている人のほとんどは、腕を組んでいるか、指を組んでいます。
これはどうしてだろうと、長らく疑問に思っていました。

で、こんな本を図書館で借りて読んだのですが

「ヒトはなぜ指を組むのか」(青木書店)

結局、なぜ人は指を組むのかということについては、疑問は解決しませんでした。

で、最近はこういう考えを持っています。

指を組むことや腕を組むことで、体の表面積を小さくして、余計な体温の低下を防いでいるのだと。

指というのは、基本的に常に空気に触れている(着衣に覆われていない)部位であって、しかも、表面積の比較的大きい部位です。

おそらく、
(1)指を組むことによって、一時的に手の表面積が小さくなり(空気に触れている部分が少なくなり)、体温の発散を防ぐことができるためでは?
ということと、
(2)「睡眠」と「体温の上昇、下降」とは密接な関係がある
ということから、何らかの説明ができそうですが、まだ全体の理論構築までには至っていません。

夢の値段のつづき

2006-12-10 14:33:05 | 日記・随想
さて、宝くじのからくりの話のつづき。

まずは例題。6人がそれぞれくじを引き、ひとつに当たりがあるとします。
くじを引く順番によって、当たりを引く確率はそれぞれどうなるでしょうか。

答えは、どの順番で引いても当たる確率は一緒です。
最初の人が当たりを引く確率は、1/6。
最後の人が当たりを引くのは、1~5人目までがはずれを引く確率と一緒なので、
その確率は、
5/6 × 4/5 × 3/4 × 2/3 × 1/2 = 1/6
で、やはり1/6です。

宝くじを買う時は、何か幸運にあやかりたいものなので、群集の心理として、
過去に当たりが出た売り場から買いたいと思います。

当たりが多く出るという宝くじ売り場に、行列ができるのは次のメカニズムによります。

(1)過去に当たりが出たということで売り場が有名になる
(2)売り場に人が行列をつくる
(3)そこの売り場の売り上げがあがる
(4)宝くじを多く売った分だけ、当たりが多く出る
(5)当たりが多く出たということで、また有名になる
この繰り返しです。

先の例題から考えれば、どの売り場から買っても、宝くじの当たる確率は一緒です。

さて、宝くじは全国の自治体が発売し、その収益は公共事業等に使われる、ということが宝くじにも明記されています。

つまり、我々が「夢の対価」として払ったお金が、公共事業という現実的なものに巧妙に変換されているわけです。

そう考えれば、宝くじ売り場に行列をつくる人々は、公共事業に投資するために行列をつくっている人々、とも見れますね。

夢の値段

2006-12-09 19:49:14 | 日記・随想
さて、言い尽くされて来たと思いますが、宝くじの期待値の話。
あるいは、生活の中に潜む数学。

年末といえば年末ジャンボ宝くじですね。
CMが流されて、人々は「夢を買う」と称して宝くじを買い求めますが、
当然のことながらこれは一種の賭け事であって、儲ける人と、損をする人がいます。
さらに言えば、絶対に損をしない人がいます。
まず、主催者側は損をしない仕組みになっています。
そしてもう一人、宝くじを買わない人。宝くじを買わなければ、得をすることもなければ、損をすることもありません。

ではそこで問題です。宝くじを買った場合、どれだけ得(損)をするでしょうか。
答えはすでに出ています。主催者が儲けるのですから、宝くじを購入する側は、買えば買うほど損をする、ということになります。
そこで数学的期待値の登場です。
宝くじのような一種の確率を含んだ「ゲーム」を行うとき、そのゲームに賭ける価値を、単純な計算で「期待値」として求めることができます。

今年の年末ジャンボ宝くじの場合は、当せん金とその本数の関係から、
1等2億円×0.00001% + 前後賞5千万円×0.00002%
+組違い賞10万円×0.00099% + 2等1億円×0.00004%
+3等10万円×0.001% + 4等3千円×1% 
+5等3百円×10% + ラッキー賞1万円×0.1%
=約142円

となります。宝くじは1枚300円するので、142円-300円=-158円となり、宝くじ1枚買うごとに、158円損をするという計算になります。

この158円という金額が、「夢の値段」とも言えます。
ではさようなら。

ジャガビー by Calbee

2006-12-08 22:31:37 | 日記・随想
一部のブログで話題の、ジャガビー

「じゃがいもの味がちゃんとする」というキャッチコピーで、実際に食べたら、まぁその通りでした。

で、驚きなのが容量と価格。同じカルビーの商品、「じゃがりこ」が60gで145円くらいなのに対して、この「ジャガビー」は40gで145円くらいする。

材料を吟味し、特別な製法で作っているのだろうが、これはもう、高級品だな。

地図を眺める~その2~

2006-12-05 20:37:47 | 日記・随想
北海道が広いというのは知っているが、その広さというのは、スケールが大きすぎてあまりピンとこないことが多いんです。

そこでまた白地図の登場です。

北海道をそのままの縮尺で本州にもってくると、関東甲信から中部、そして北陸から近畿の方までもカバーしてしまうことがわかります。

東西の差し渡しは実に450km、南北でもざっと400kmあります。

450kmというのは、だいたい成田~大阪間に匹敵します。

これはけっこう衝撃的ですね。

地図を眺める

2006-12-04 22:08:25 | 日記・随想
今年は色々なところへ行きました。

バイクでも、1日400~500kmくらいの移動は可能とわかりました。

そんなわけで、地図を眺めて、色々とルートを想いめぐらすのもまた、一興です。そうすると、日本列島の奥深さなんかも見えてきます。

関東に住んでいると、北陸地方の位置関係って、よくわかんないんです。
特に、福井と富山と石川の位置関係が。

新潟と福井って、なんか一並びにくくっていましたが、実際は距離が離れてたんですね。

そこで白地図で調べてみた。

直線距離で、
東京→新潟が250kmくらい。
東京→福井が300kmくらい。
福井→新潟が350kmくらい。

そうです。東京―新潟間よりも、福井―東京間よりも、福井―新潟間が一番遠いんですね。
意外だったなー。

渋谷にて~その4~

2006-11-28 21:09:05 | 日記・随想
渋谷のスクランブル交差点は、東京という場のひとつの縮図である。

四方から放射された人というコロイド粒子は、お互いにぶつかることなく、またそれぞれに無関心のまま、それぞれの「反対側」へと邁進してゆく。

それは一見カオス(混沌)のようでもあり、その実、明滅するネオンのように時間に従順であり、秩序立っている。

東京というメガロポリスでは、個性が結集していながら、個々の主張は不思議とかき消されてしまう。
人が溢れているのに、人と人との関係は健気に希薄である。

   *    *    *    *    *

東京は日本国の首都でありながら、実際のところ、無国籍なものの集合体である。

たとえば渋谷。たとえば原宿。たとえば秋葉原。たとえばアメ横。

東京は雑多なものを抱え込み、時には無機質で、時には異国情緒を醸し出す。

東京で路頭に迷ったとして、行き先を示してくれるものは何も無い。

駅にたどり着いたとして、駅で向かった先でまた、同じように路頭に迷う。

寛大で残虐、崇高で不埒、豊潤で不毛。それが東京である。