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もりのぼたもち

釣り、健康ランニングとお城巡りを楽しむアラ還おじさんです。
何事にもドンマイ!の気持ちであちこち出かけています。

御朱印巡り 寂光院 ~ 京都市左京区大原

2020年11月16日 | 神社・仏閣

それでは、京都大原の御朱印巡りの最後は、寂光院です。

ここ大原の里は、ホンマに山間の田舎。

三千院からのんびりと「大原女の小径」を歩きます。

この日は、とても暖かくなり、歩きやすかったです。

それでは、受付です。

ここで、拝観料を納めて、御朱印もお願いしました。

参道の石段を登ります。

以前、初夏のころに来ましたが、その時も木々の緑がとてもきれいでした。

好きな場所です。

石段を登りきると、山門です。

趣のある庭園です。

回遊式の四方正面の池と言われてます。

こちらの庭園は、平家物語当時のままとのこと。

建礼門院や後白河法皇も眺められた・・・。

本堂には、六万体地蔵尊が祀られています。

とにかく平成12年に馬鹿なやつが放火し、本堂とともに焼失してしまいました。

実に残念です。

それから、西門から出ますと、建礼門院庵跡があります。

建礼門院が使われていた井戸。

ちなみに建礼門院徳子は、平清盛の娘で、高倉天皇の中宮。

壇ノ浦の戦いで滅亡した平家一門とその戦いで入水し亡くなったわが子の安徳天皇の菩提を弔うため、

終生この大原で過ごされました。

寂光院の近くにある建礼門院大原西陵もお参りしてきました。

寂光院周辺は、とても静かで趣たっぷりの里です。

そして、尼寺・悲劇の建礼門院ゆかりの寺ということもあり、女性が多かったです。

その他は、ご夫婦。

私のようなおじさん一人は、ほとんど見かけませんでした。

まぁ、仕方なしですが。

御朱印です。

 


御朱印巡り 勝林院(問答寺) ~ 京都市左京区大原

2020年11月15日 | 神社・仏閣

今日も、いいお天気となりました。

こんな日は、もちろん早朝RUNです。

しかーーーーし、最近足が痛い。

走ると、右足首に痛みが出てきます。

疲労によるものか?

とにかく、ホンマに傷めるとダメなので、WALKにしておきます。

WALKでも、早歩きのため、早朝で冷え込んでいても、じんわりと汗が出ます。

この時期の朝、空気感がとても気持ちがいい。

冷たい空気の中で穏やかな琵琶湖。

セイタカアワダチソウもいよいよ終わり。

一昨日からずっとおられる感じのこの車。

アウトドアが苦手な私ですが、楽しそうな軽バンです。

ということで、WALKになりましたが、気持ち良しの10.03キロでした。

 

それでは、御朱印巡りの続きです。

一昨日、参拝した三千院の近くにある「勝林院」へ行きました。

途中の道も風情があります。

勝林院。

ここは、大原問答で有名なところです。

この大原問答、ちょっと知っておくと面白いですし、法然上人は偉い人だなぁ、と再認識します。

詳しくは、こちらをポチッ。

     👇

https://true-buddhism.com/history/ohara/

ちなみに我が家は浄土真宗 大谷派。

法然上人のお弟子さんにあたる親鸞聖人が開祖です。

ということで、私も他力本願、南無阿弥陀仏であります。

それでは、勝林院です。

こちらが本堂の阿弥陀堂。

こちらの阿弥陀如来さんは、大原問答の際には、手から光明を放ち、極楽往生の証拠を示されたとのこと。

ありがたや。

そして、お堂の中には、声明(しょうみょう)が流れています。

仏教の儀式音楽ということらしく、お経とはちょっと違います。

お参りをさせていただき、境内を散策。

そんな広くはないので、サラッと回れます。

入口のところに受付があり、入るときに御朱印の方も依頼をしておきました。

そして、戻ってきたところ、まだできておりません。

とにかく次から次へと参拝者が訪れ、拝観料等もここですので、てんやわんや。

受付内には、おじいさんとおばあさん、失礼しました、ご夫婦かな?

とにかく必死で対応されています。

私は、事情を察知し、いやいや、大丈夫ですよー、と声をかけて待っていました。

コロナのこともありますが、ここではすべてその場で手書きです。

頑張ってくださいませ。

近くに後鳥羽天皇の陵がありましたので、お参りしてきました。

この方も、歴史上、何かと興味深い方で、波乱万丈の人生を送られています。

続いては、大原の里をのんびりと歩いて、次の目的地へ。

続く・・・。

 

 

 


御朱印巡り 三千院 ~ 京都市左京区大原

2020年11月13日 | 神社・仏閣

今日は、振休です。

まずは、早朝RUNへ。

まだ日が昇る前の早朝、いいお天気になりそうです。

今日も、走りだすと右足首が痛い。

1キロも走らないうちから、痛みが出だすので、いかんなぁ、と歩きにしました。

琵琶湖です。

とにかく早朝の琵琶湖と澄んだ空気は気持ち良し。

ちょっと足の痛みが気になる10.1キロでした。

さて、こんなにいいお天気なので、今日はちょっと出かけることにしました。

奥さんは仕事ですし、仕方なしの一人です。

どこに行こうかな?

今の時期は、やはり紅葉。

ということで、近くにしておこうと、京都の三千院へ行きました。

家から車で1時間ほどです。

いくらコロナの影響があっても、秋の京都はたくさんの人が訪れます。

そこで、早く行って、人が少ないうちに参拝しよう。

京都 大原 三千院。

きょ~と~、おお~はら、さんぜんいん。

こいに つかれた おんなが ひとり~。

で有名な「女ひとり」の一番に登場します。

駐車場に車を停めて、てくてくと歩きだしました。

実は、なんども何度もこの辺りは京都へ行くときに通っていますが、三千院を参拝するのは初めて。

楽しみです。

コスモス畑がありました。

ちょっと遅めです。

お土産物屋さんが軒を連ねる道を進みます。

まだ、人は少なくて楽ちん。

それと、この川沿いでは、紅葉は、まだ少し早いです。

三千院。

それでは、入ります。

もちろんコロナ対策。

受付で拝観料を支払い中へ。

客殿内などは撮影禁止。

ただ、縁側から庭園はOK。

HPから。

聚碧園(しゅうへきえん)

客殿の庭園、聚碧園は池泉観賞式庭園で、東部は山畔を利用した上下二段式とし、

南部は円形とひょうたん形の池泉をむすんだ池庭を形成しています。

江戸時代の茶人・金森宗和(かなもりそうわ・1584-1656)による修築と伝えられています。

宸殿

宸殿は三千院の最も重要な法要である御懴法講(おせんぼうこう)を執り行うため、

御所の紫宸殿を模して、大正15年に建てられました。 

本尊は伝教大師作と伝わる薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)で、秘仏となっております。

その前の庭から、往生極楽院方向。

パンフの写真のようには行きません。

順路に従い進んで、ここから外へ。

往生極楽院

三千院の歴史の源とも言える簡素な御堂です。

平安時代に『往生要集』の著者で天台浄土教の大成者である恵心僧都源信が父母の菩提のため、

姉の安養尼とともに建立したと伝えられます。

往生極楽院に祀られている阿弥陀三尊像はお堂に比べて大きく、堂内に納める工夫として、

天井を舟底型に折り上げていることが特徴です。

その天井には現在は肉眼ではわかり難いものの、

極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が極彩色で描かれており、

あたかも極楽浄土そのままを表しています。

堂内中心に鎮座する阿弥陀如来は来迎印を結び、

向かって右側の観世音菩薩は往生者を蓮台に乗せる姿で、

左側の勢至菩薩は合掌し、両菩薩共に少し前かがみに跪く「大和坐り」で、

慈悲に満ちたお姿です。

なお、建物は重要文化財、阿弥陀三尊像は国宝に指定されています。

この後、金色不動堂へお参り、一つ目の御朱印を頂戴しました。

朱雀門

往生極楽院の南側にある朱塗りの小さな門で、

その昔、極楽院を本堂としていた頃の正門にあたります。

その様式は藤原期の様式とも言われていますが、江戸時代に再建されたものになります。

なお、現在開扉は行われておりません。

三千院では、二つの御朱印を頂戴しました。

右が、11月中、ご開帳の秘仏金色不動明王さん。

左が、秘仏薬師如来さん。

ということで、三千院を参拝しましたが、出てから気づいたことがありました。

わらべ地蔵さんを忘れてました。

途中まで、思っていたのに・・・。

がっくり・・・。

これが見たかった・・・。

続く・・・。


病気平癒祈願 ~ 白鬚神社 滋賀県高島市

2020年10月16日 | 神社・仏閣

さて、私の知人の方についてです。

その方は、隣県在住の女性でもちろん怪しい関係なんてあるわけがなく、

ご主人とも交遊があります。

きっかけは、「もりのぼたもち」をご覧になっていて、

不思議なご縁と言いますか、その他の不思議なご縁も重なり、

また、共通の話題からも交流が広がりまして、何度かお会いをしたりしました。

ご主人の方とは、現在もちょくちょく交遊する機会があり、

親しくさせていただいています。

実は、その奥さんである女性が病気になられました。

詳しくはお聞きしていませんが、以前からの持病が悪くなり、

入院をされました。

病名は、初めて聞く病気で、ネットで調べたところでも、

なかなか大変なようです。

しかし、根っから明るくて気さくで、とても味わいのあるキャラクター。

私としては、話し方がとってもいい感じで気に入ってます。

ご主人とは家庭内の力関係含め良好で、もちろん夫婦仲が良く、

お互いになくてはならない存在だと思います。

あくまでも、これは私の個人的な想像上の意見ですが・・・。

年齢的には私よりも若く、お仕事も頑張っておられて、

絶対に早く元気になってもらわなければなりません。

ただ、今のご時世、直接お見舞いに行くこともままならず、

ご主人でさえ、面会は困難な状況。

そうなると、少しでも何かできることは?

仕方がない、まずは神頼みか。

この女性は、滋賀県のこと、特に琵琶湖の北湖、いわゆる高島、長浜など

自然豊かな地域がお好きですので、

お参りはわが高島にある「白鬚神社」としました。

白鬚神社は、湖中ある鳥居が有名。

そのため、休日では大混雑、平日でも朝早くから参拝される方がとても多くなりました。

こんな素敵な画像が紹介されると、これは、行ってみたい、と思われる方が多く、

電車でのアクセスが不便なこともあり、車での参拝が多くなり、

前の道路は休日にはすさまじい渋滞です。

さて、まずは、白鬚神社の紹介ですが、

興味深いサイトがありましたので、こちらをどうぞ。

普通の観光的な紹介ではなく、学術的な要素が感じられます。

→  http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_kinki/shi_shirahige/shirahige.htm

それでは、参拝します。

境内案内図です。

 

本殿でのお参りは、手前の拝殿からとなります。

しっかり、病気平癒をお願いしました。

そして、隣の社務所へ行き、お守りと御朱印をいただきました。

これは、ご主人経由でお送りしたいと思います。

それで、私が今まで訪れたことがなかった社に行くことにしました。

先ほど紹介をしたサイトから興味を持った次第です。

まずは、石段を登ります。

登ったところには、内宮・外宮・三社があり、琵琶湖が一望です。

その一段上にも弁財天さんなどがありますが、目的地はまだ上です。

案内図の一番上、岩戸社です。

ここは、山の木々の中にあり、ちょっと空気感が違う感じ。

石室(古墳)の前に社を建て、天の岩戸として奉祀されています。

この中は、古墳の石室が祀られているようです。

隣には、大きな岩があります。

このあたりは山上部まで古墳群があり、この岩も古墳に使われたものだと思われます。

本殿や上の宮とは違い、別世界に感じる雰囲気。

何度も訪れていた白鬚神社でしたが、岩戸社は初めてでした。

今回は、とにかく力・ご加護を授けていただきたいとの思いから、

こちらをお参りしました。

ということで、白鬚神社でした。

〇〇さん、早く元気になってください。

また、大好きな滋賀でお会いできる日を楽しみにしています。


御朱印巡り 天台真盛宗総本山 西教寺 滋賀県

2020年10月08日 | 神社・仏閣

さて、昨日の続きです。

日吉大社を後にして、車で数分のところにあるのが、西教寺。

まぁ、ここ坂本は比叡山延暦寺の門前でもあり、とにかくあっちもこっちもお寺。

お寺巡りの好きな方でしたら、一日中でも回れます。

ただ、一日では無理かも・・・。

そんな坂本で、今は何といっても大河ドラマ「明智光秀」ゆかりのお寺、西教寺に注目です。

それでは、総門です。

光秀の居城、坂本城大手門が移築されたと伝わっています。

門をくぐり、受付で拝観料を払います。

西教寺本堂と光秀大博覧会で1000円です。

しばらく坂を上りますと、勅使門です。

そこを右に進みます。

こんな石像がありました。

なかなかいい味の表情です。

そして、けやき坂の石段を登ります。

昇り詰めると、デーーーンと本堂(重要文化財)。

正面はここから左に回り込んで。

それでは、大本坊から中へ入ります。

入ると光秀さんと奥さんの煕子さんがお出迎え。

ここで、御朱印をお願いしておきます。

そして、本堂へ。

本堂内は、撮影禁止。

ご本尊の阿弥陀如来様を静かに拝します。

こちらは裏手。

立派な庭です。

小堀遠州作とのこと。

そして、客殿(重要文化財)へ。

こちらを一回りして、明智光秀公資料室を見学。

これで、戻りまして、書院で一服。

静かです。

こちらは、書院の裏手の庭。

ということで、本堂をゆったりと拝観しました。

それから、お墓参り。

こちらは、光秀公のお墓。

そして、ひっそりと隅っこには、妻 煕子さんのお墓。

ちなみに妻の煕子さんが先に亡くなられてますが、

当時の風習として夫は葬儀に参列しないことになっていましたが、

愛妻家の光秀公は参列されたとのこと。

それと、ここ西教寺は石垣が素晴らしい。

石垣ファンとしては、惚れ惚れ。

さすがここ坂本は石垣集団「穴太衆」の地元です。

それでは、絶景が眺められる唐門へ。

写真ではわかりにくいですが、門から琵琶湖が一望です。

外から。

それでは、最後に光秀博覧会へ。

長谷川さんかっこいい。

それより、木村さんがかわいいですね。

ということで、ただ今明智光秀公ゆかりの坂本はにぎわっています。

西教寺でした。


御朱印巡り 平安京の表鬼門鎮座 山王総本宮 日吉大社

2020年10月07日 | 神社・仏閣

今日は、宿直明けです。

朝はよく冷え込みました。

13℃です。

まだ、仕事中は半そでを着ていたので、寒いこと。

いよいよ、衣替えです。

仕事を終えて、ちょっと出かけました。

大津市坂本にある「日吉大社」です。

全国にある日吉神社、山王神社の総本宮となります。

ここは、3000本のもみじがあり、来月の紅葉時期には、すごい人になります。

ただ、平日の今日は空いていて、のんびり参拝ができました。

まずは、大宮橋を渡ります。

石橋で、重厚な作りです。

そして、山王鳥居。

ここには、お猿さんがいます。

神猿と書いて「まさる」と読み、「魔が去る、何よりも勝る」として縁起が良いものとされてます。

それでは、西本宮楼門です。

ここの4隅にも木像のお猿さんがいます。

実は、今日参拝を思いついた理由は、まずは宝くじの当選祈願が一つ。

ちょっと邪道な感じですが、私は真剣です。

それと、この時期の手水舎が新聞で紹介されていたからです。

まさに「花手水」できれいです。

それでは、門をくぐります。

こちらは、拝殿。

そして、本宮です。

お参りの証として、御朱印を頂戴しました。

続いて、東本宮を目指しますが、途中に沢山の小宮さんがあります。

こちらは、料理の神様。

こちらは、夫婦円満の神様。

こちらも料理のご利益が。

それでは、東本宮です。

こちらは、家内安全夫婦円満のご利益のため、もちろんしっかりとお参り。

こちらでも、御朱印を頂戴しました。

最後にこちら。

そうです、12月に長男のところに孫が生まれるため、しっかり御祈願。

そして、忘れてはならないのが宝くじ当選祈願。

金のお猿さんです。

門を出て振り返るとお猿さん岩。

ということで、広い境内をたくさん参拝しました。

これで、バッチリ。

日吉大社をお参りして帰る予定でしたが、近くまで来たということで、明智さんゆかりの西教寺へ行きました。

続く・・・。

 

 

 

 


眼御守護 ~ 木之本地蔵尊

2020年08月27日 | 神社・仏閣

今日は、宿直明けです。

朝から、雨が降りそうでしたが、結局はパラパラ程度。

ただ、自宅周辺は一時そこそこ降ったらしいが、水たまりもできてません。

その後は、やはり暑い。

さて、午後からちょっと出かけました。

それは、長浜市木ノ本にある「木之本地蔵尊」。

目の病にご利益があります。

前は、北国(ほっこく)街道が通っています。

ここには、いわゆる掲示板があったところ。

それでは、お地蔵様へ。

ちなみに地蔵盆である23日とその後の24日、25日は、毎年大縁日法要という事で、大変賑わいます。

しかし、今年はコロナで法要のみ。

屋台等はなく、閑散としていたようです。

それでは、参拝の順路を確認。

まずは、手水。

御本堂へ。

ろうそくと線香をあげて、しっかりとお参り。

ちなみに、ここの祈願は、

眼御守護(これが今回の主願)、無病息災(これはすでに持病のある私ので。)、病気平癒(こちらはバッチリ)、安産(これは、大切)、あとは厄除け、交通安全、家内安全、心願成就などがあります。

私は、白内障の手術を先日したばかりのため、目の健康と、9月と12月の孫の誕生のことをブヅブツと唱えながら、祈願。

ご本尊様の正面からと裏に回って、裏地蔵尊をお参りしました。

そして、こちらへ。

これは、御戒壇巡り。

真っ暗の中進んで、錠前に触れて願い事を念じます。

とにかく真っ暗。

眼を開けていようが、閉じていようが一緒。

右腰付近の壁をつたいながら進むと、錠前がありました。

これがご本尊様とつながっていることで、念を込めてお参り。

この本堂の下です。

それから、こちらには身代わり蛙というのがあります。

この蛙は、片方の目をつむっていて、これは「世の中から眼の病が無くなりますように。」と地蔵様に願をかけている姿ということです。

という事なので、私も願をかけて奉納しました。

像に備えられている蛙がいっぱいあります。

どうか、眼の病が治りますように・・・。

古いメガネを納めるところがあります。

一番奥は阿弥陀堂。

こちらは、明治天皇が来られたところ。

御朱印とお守りです。

それでは、お地蔵さまの斜め前にある「つるやパン」さんに立ち寄り。

ここは、全国区になった「サラダパン」のお店。

久しぶりです。

私が好きなのは、スライスハムが挟まったサンドウィッチ。

ということで、眼御守護の木之本地蔵尊でした。


安産祈願巡り ② 2020.8.24

2020年08月25日 | 神社・仏閣

8月24日、安産祈願巡りの第2です。

建部大社を後にして、向かったのはやはり「近江神宮」は押さえておかねば。

この時期、と言うか夏の終わりの平日、そしてコロナもあり、どこも参拝者は少ないです。

初詣とは違い、しっかりお願いできます。

これでもか、と言う感じで安産を祈願。

御朱印を頂戴。

お守り。

それにしても暑い。

タオル片手に汗びっしょり。

ということで、次へ行く前にお昼ごはん。

雄琴に新しくできた角煮ラーメン匠さん。

このから揚げが、とにかくデカい。

そして、角煮はトロトロ。

麺は細め。

スープは、トロッとした薄めのあんかけ風。

美味しゅうございました。

そして、午後の部です。

琵琶湖大橋を渡って、近江八幡へ。

加茂神社です。

実はここ、初詣に長男と来ました。

その時は、まだ結婚も決まっておらず、早くご縁が結びますようにと祈願。

そして、おみくじを引くと、急ぐべし、とあり、それから長男をせかしました。

その功があり、めでたく入籍。

12月には、息子が生まれる予定となりました。

その報告を兼ねての参拝です。

まだ台風被害の大木が・・・。

おかげさまで、良き縁に恵まれました。

次は、安産の程、よろしくお願いします。

御朱印です。

お札です。

社務所で、宮司さんに長男の話をし、ご加護のお礼を伝えました。

ありがとうございました。

縁結び、子宝、安産祈願にばっちりです。

さて、この後ですが、もう何カ所かと思いましたが、さすがに疲れました。

ということで、今回は、これくらいにして帰ります。

途中、忘れてはならない安産祈願。

我が高島の「白鬚神社」。

地元でもあり、しっかりとお詣り。

御朱印です。

そして、お守り。

ちなみに今回まわった中で、一番参拝者が多かったような感じです。

それでは、御朱印帳、お守り、お札など、送ります。

安産と元気な赤ちゃんをよろしくお願いします。


安産祈願巡り ① 2020.8.24

2020年08月24日 | 神社・仏閣

今日は、振休です。

今朝は、4時15分にトイレへ行き、そのまま起床。

真っ暗です。

そして、5:38 早朝ラン&ウォークに出発。

テクテクと静かな朝の街を進み、琵琶湖岸へ。

するとびわ湖には漁船が11艘。

よく見ると、ちょっとずつ移動してます。

なんの漁をされているのか?

今日のびわ湖も穏やかです。

オートキャンプ場を見ると、男性一人キャンプ。

アウトドアは苦手ですが、ちょっとイイ感じ。

家に帰ってから、シャワーを浴びて、着替えての8時15分出発。

今度はどこに行くかと言えば、神社仏閣安産祈願です。

9月に次男の二人目(男の子)、12月に長男の一人目(こちらも男の子)の無事の出産祈願。

たまたま千葉在住の長男宅に送るものがあったので、そこにお守りなどを入れようと思った次第。

まずは、大津へ。

次男の住むマンション前を右折。

そして、着いたのが石山寺。

6月にもお参りし、その時は長男のところの妊娠を知らなかったので、次男のところの安産祈願でした。

多宝塔を見上げて本堂へ。

しっかりと無事の出産をお祈りします。

そして、この際だからと御朱印も頂戴し、一緒に送ることに。

長男の奥さん用の御朱印帳として、紫式部です。

それと、安産祈願のお守り。

それでは、紫式部の源氏の間をちょっと拝見し次へ。

続いては、こちらの建物の床下です。

腰かけ石で、座ると安産とのこと。

千葉にいる長男の奥さんに代わり、私が座って願掛け。

これで、間違いなし。

それでは、おおつひかルくんに別れを告げて次へ。

ちょっと瀬田川。

続いては、瀬田川を渡って、近江一之宮「建部大社」へ。

デーンと安産祈願の表示。

それでは、しっかりとお詣り。

こちらにも、おおつひかルくん。

御朱印。

そして、木箱に入ったお守り。

これで、確実安産。

それでは、瀬田の唐橋を渡ります。

安産祈願を調べて、まだまだ行きます。

続く・・・。


御朱印巡り ~ 石山寺 滋賀県大津市

2020年06月11日 | 神社・仏閣

梅雨入りをしました。

ジトーーー、としてスッキリとしませんが、コロナなどの感染症には湿気はイイのかも・・・。

さて、一昨日の話です。

午前中はバタバタと忙しく、それなのに午後からは出かけました。

行った先は、「石山寺」。

紫式部 源氏物語で有名です。

お天気は、非常に暑い日でした。

車から下りると、すぐに汗が出ます。

まずは、駐車場にあった案内図を見ます。

まだ、コロナのこともあり縮小拝観中です。

それでは、東大門へ。

立派な門です。

しばし仁王さんを見上げてます。

一礼して中へ。

コロナのこと、拝観再開がつい先日だったこともあり、参拝者は少な目。

入場券(今回は、ご本尊様をお詣りするのと紫式部展の観覧のセットで1200円)を支払います。

その際に、コロナウイルスに対する祈願のお札を頂戴しました。

石段を登り本堂方面へ。

先行く年配のご夫婦の姿。

奥さんを気遣うご主人の労りの様子が実に微笑ましい。

こんな夫婦を目指さねば・・・。

それでは、いくつかある建物を順に見て行きます。

お堂の中には、毘沙門天様。

続いては、こちら。

この石山寺付近は、岩が多いです。

中には、弘法大師様がおられます。

とにかく重要文化財の建造物が多く、歴史の重み感じます。

ちょっと順番を間違いましたが、先にこちらへ。

象徴的な多宝塔、実に立派です。

紫式部の供養塔と芭蕉の句碑。

その横にあるのが、経蔵。

この経蔵の床下に、腰かけ石があります。

次男の奥さんの安産を祈願し、私が座ってきました。

もちろん男性なので違和感あり。

周囲に誰もいない時を見計らってであります。

さて、順番が逆になりましたが、本堂へ。

本堂の右手にあるのが、源氏の間。

あの有名な源氏物語を紫式部が書かれた部屋です。

それでは本堂へ。

ここで、ご本尊様について。

勅封秘仏 ご本尊 如意輪観世音菩薩様で、本堂内陣の厨子の中に安置されていますが、23年に一度および新天皇即位の翌年にのみ、その扉が開かれる習いとなっています。

ということで、今年は令和2年。

「御即位御吉例御開帳」となり、6月30日までご本尊を間近でお詣りできます。

ちなみに別料金となっております。

ということで、厳かな観世音菩薩様を真正面からお詣りしてきました。

御朱印を頂戴しました。

そして、孫の健やかな成長を願い「こどもお守り」、9月の二人目の孫の誕生の安産祈願お守りをいただきました。

今回の参拝の目的です。

それに、こんな御朱印帳がありました。

紫式部です。

こりゃ、イイ感じ。

当然女性向でしょう。

それから、紫式部展を観覧。

この会場は、無茶苦茶冷房が効いていて、ついつい居心地よく汗が引くのを待つため長居をしてしまいました。

それでは、下山します。

最後に大黒様にお詣りし、金運招福を祈願。

おおつひかる君。

ということで、とにかく大汗をかいた石山寺参拝でした。

それから、帰ってからは朝から洗濯した敷き毛布類を取り込み、眼科へ。

忙しい1日が終わりました。


御朱印巡り ~ 小野神社 滋賀県大津市小野

2020年05月26日 | 神社・仏閣

昨日の釣り具屋さんの帰り道に立ち寄りました。

滋賀県大津市に小野と言うところがあります。

湖西道路に道の駅妹子の郷と言うところも近くです。

ここは、歴史でも登場した遣隋使 小野妹子の先祖が祭神です。

ということで、興味津々。

コロナの影響で、まだまだ有名どころの神社仏閣は閉門中と言うことなので、

帰り道にある小野神社となった次第。

平日でもあるのか、だれも参拝者はいません。

小野と言えば、妹子、東風、小町、篁(たかむら)が有名でしょうか。

まずは、美女と有名な小野小町。

歌人です。

こんな方です。

この歌は、私も知ってました。

それでは、小野神社へ参拝しましょう。

厳かな雰囲気です。

ここは、初めて餅つきをしたと伝えられており、お菓子の神様でもあります。

鏡餅があります。

続いて、隣にあるのが小野篁神社

重要文化財の風格漂ってます。

私として、小野篁と言えば、確か京都の六道珍皇寺を訪ねた際にあった地獄に通じる井戸で毎夜行き来していたという伝説。

その篁です。

境内に下りてきます。

こんな珍しい木がありました。

しっかりと抱きかかえています。

我が家は、ずーーーっと夫婦円満ですが・・・。

こちらは、パワーの木。

しっかりとご利益を信じて触ってきました。

最後に社務所に立ち寄り。

無人です。

せっかくですので、御朱印を頂戴しました。(100円也)

滋賀県の小野神社でした。

ちょっと離れますが、小野道風神社と小野妹子神社があります。

 


御朱印巡り ~ 大浦 腹帯観音堂

2020年04月14日 | 神社・仏閣

さて、身内の話です。

かわいい孫は、ただいま2歳半。

よく動き、よくしゃべります。

ただ、人見知りがあり、慣れないとシーーーーン。

それと、おしっこが言えません。

まぁ、そんなことはいずれ克服するでしょう。

孫というのは無条件でかわいい。

じぃじは、なんでも許容しちゃいます。

だから、大人気。

そんな孫がお姉ちゃんになる予定。

まだ半年ほど先ですが・・・。

そこで、コロナのことも気になりますし、安産祈願。

一人目の孫の時もお参りしました。

滋賀県 長浜市西浅井町大浦にあります、「腹帯観音堂」。

由来については、HPからです。

由 来
○十一面腹帯観音菩薩
 平安初期、比叡山延暦寺の開祖として名高い伝教大師最澄が栢(かや)の木を一刀彫にして完成させたと伝わっている。
 高さ約160cm。頭には小さいながらも表情豊かな十一の菩薩面があり立派な頭飾の赤色の玉は日光菩薩、白色の玉は月光菩薩をあらわしている。
 肉付きのいい腰と少しふくらんだお腹が特徴。それらを包み込むように、さらしの腹帯が巻かれている。
 かつてこの観音堂は、現在地からほど近い大浦八幡宮の奥の院・観音寺に安置されていた。しかし元亀元年(1570)姉川合戦時、寺院排除が行われた際、戦火を避けるため境内の蓮池に沈められる。以来八十八年間、当時の大浦八幡宮神職によって掘り出されるまでは池の底、泥の中で眠っていた。 
 その後は大浦八幡宮社内に安置され明治維新の動乱期を機に現在地に移動。裏山が崩れたため昭和6年(1931)に現在のお堂が建立され、今に至る。 
 池から泥まみれで掘り出された際多くのさらしで御体が清められたという。そしてその布は腹帯として妊婦に分けられ皆が五体満足で安産であったという。そのことが現在も続く腹帯頒布のきっかけとなった。
 享保4年(1719)には観音像の木版が完成。お姿が刷られたさらしは写真のように一週間ほど観音堂の腹部に巻かれてご利益をいただき、安産を願う人々に広まった。
 平成15年9月23日、観音像盗難。平成17年4月23日に無事お戻りになったが、その間1年半、お堂に残されていた紅白の腰紐と腹帯に、頒布のための腹帯を抱き合わせて、絶えず安産祈願は行われていた。そんな、腹帯観音の慈悲深さとたくましさに惹かれ、安産はもちろん、子宝を願って全国からお参りが絶えない。
 腰周りが大変がっちりしていて、お腹が少しふくらんでおり観音様のお腹に巻いた帯を頂き、その帯を妊婦に巻くと御体満足に安産が出来るところから全国より腹帯の申し込みがある。

 

ということで、ご利益を授かりますよう、しっかり祈願。

場所は、ちょっと入り口がわかりにくいかもしれませんが、案内板をしっかりと見ておくことが肝要。

参拝者は、だれもいません。

お詣りを済まして、さい銭箱の横のケースを見ると・・・。

御朱印が入っておりまして、代金300円はケース内のビニール袋に入れて賽銭箱へ。

そして、長浜は観音の里としても有名。

そのため、観音様カードがありました。

子宝や安産のご祈祷も事前申し込みでできるとのこと。

また、その際には腹帯も用意可。

私としては、安産お守りを授かりたかったのですが、だれもおられませんし、どうしたものか?

ということで、元気な赤ちゃんが生まれてきますように・・・。

観音様、お頼み申し上げます。


御朱印巡り ~ 京都市東山区祇園界隈 その7 八坂神社

2020年01月11日 | 神社・仏閣

1/8 安井金比羅宮を後にして、最後は祇園と言えば八坂神社へ向かいます。

安井金比羅宮の近くにこんなところがあります。

崇徳天皇と言うお方は、よくお名前を聞きます。

先ほどお参りした安井金比羅宮の才神でもあられます。

保元の乱で敗れ、讃岐に流され、怨念から妖怪となり、様々な災いをもたらしたと言われてます。

「崇徳天皇」の画像検索結果

「崇徳天皇」の画像検索結果

人通りの少ないところにあるのでちょっと怖いですが、気を取り直して八坂神社へ。

さすがにたくさんの人がどんどん参拝に来られています。

外国人の方がとても多いです。

それでは、本殿で様々なことを祈願。

ちょっと厚かましい・・・。

さすが、さい銭箱がデカい。

どこからでも入れられます。

お詣りをしてから、御朱印を頂戴しました。

そして、交通安全のお守りです。

それから、本殿の隣にある「美御前社 うつくしごぜんしゃ」へ立ち寄りました。

こちらは、美人・美貌の神様という事で、女性が必死にお詣りされています。

私は、それを見ているだけ・・・。

  

  

そして、この美容水が肝心。

ちょっと肌につけると「身も心も美しく」なるとか・・・。

ということで、あっちこっちまわってきました。

お昼ごはんは、「殿」でラーメン。

この赤さにはいつも驚きますが見た目ほど辛くはありません。

そして、「りらくる」でもみほぐし90分コース。

アァーーーー、極楽極楽。

 

 


御朱印巡り ~ 京都市東山区祇園界隈 その6 安井金比羅宮

2020年01月11日 | 神社・仏閣

1/8 六道珍皇寺を後にし、ぼちぼち帰り道。

駐車場方面へと進む途中にある「安井金比羅宮」にお詣りしました。

ここは、この辺りに来た時には、必ずお詣りをしています。

ここのいわれは・・・。

 

御祭神

源頼政公 みなもとのよりまさ 崇徳天皇 すとくてんのう 大物主神 おおものぬしのかみ
            

御由緒

第38代天智天皇(てんちてんのう)の御代(668~671年)に藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が一堂を創建し、

紫色の藤を植え藤寺と号して、家門の隆昌と子孫の長久を祈ったことに始まります。


第75代崇徳天皇(すとくてんのう) (在位1123~1141年)は特にこの藤を好まれ、

久安2年(1146年)に堂塔を修造して、寵妃である阿波内侍(あわのないし)を住まわされました。

崇徳上皇が保元の乱(1156年)に敗れて讃岐(現、香川県)で崩御された時に、

阿波内侍は上皇より賜った自筆の御尊影を寺中の観音堂にお祀りされました。

治承元年(1177年)、大円法師(だいえんほうし)が御堂にお籠りされた時に、

崇徳上皇がお姿を現わされ往時の盛況をお示しになられました。

このことは直ちに後白河法皇(ごしらかわほうおう)に奏上され、法皇のご命令により建立された光明院観勝寺が

当宮の起こりといわれています。

光明院観勝寺は応仁の乱(1467~1477年)の兵火により荒廃しましたが、

元禄8年(1695年)に太秦安井(京都市右京区)にあった蓮華光院が当地に移建され、

その鎮守として崇徳天皇に加えて、讃岐の金刀比羅宮より勧請した大物主神と、

源頼政公を祀ったことから「安井の金比羅さん」の名で知られるようになりました。


明治維新の後、蓮華光院を廃して「安井神社」と改称し、更に「安井金比羅宮」と改め現在に至っています。    

    
    
    
            

御神徳(御利益)

あらゆる悪い縁を切り、良縁を結ぶ

主祭神の崇徳天皇は、讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断ち切って参籠(おこもり)されたことから、

当宮は古来より断ち物の祈願所として信仰されてきました。

また、戦によって心ならずも寵妃阿波内侍とお別れにならざるを得なかった崇徳上皇は、

人々が御自身のような悲しい境遇にあわぬよう、幸せな男女のえにしを妨げる全ての悪縁を絶切って下さいます。

男女の縁はもちろん、病気、酒、煙草、賭事など、全ての悪縁を切っていただいて、良縁に結ばれて下さい。

良縁に結ばれたご夫婦やカップルがお参りされても縁が切れることはありません。

更にお二人がより深くより強く結ばれる御利益をいただけますのでご安心を。

 

というようなことで、ここには、「悪いことと縁を切りたい。」「よいご縁を結びたい。」

そんな願いを持たれた方が多く参拝されています。

ここが、縁を切る、結ぶを祈願するところです。

作法はこちら。(必ず通り抜けなくても、貼っておいてもOK)

縁切り縁結び碑(いし)

縁切り縁結び碑(いし) 画像    

    

高さ1.5メートル、幅3メートルの絵馬の形をした巨石で、

中央の亀裂を通して神様のお力が円形の穴に注がれています。

「○○君と幸せに結婚できますように」という可愛いらしいお願い事から、

「夫と浮気相手との縁を切って下さい」といった事まで、

皆様の様々な願いが書かれた「形代(かたしろ)」(身代わりのおふだ)が貼られ、

碑が見えないほどになっています。

御祈願の方法は、まずご本殿にご参拝下さい。

次に「形代」に切りたい縁・結びたい縁などの願い事を書き、

「形代」を持って願い事を念じながら碑の表から裏へ穴をくぐります。

これでまず悪縁を切り、次に裏から表へくぐって良縁を結びます。

そして最後に「形代」を碑に貼って下さい。

なお御本殿への御参拝、「縁切り縁結び碑」での御祈願は終日可能です。    

             

御祈願の作法

1.まず御本殿に御参拝下さい。

2.次に「形代」(身代わりのおふだ)に願い事を書きます

形代は碑の左側の台にご用意してあります。

100円以上のお志を賽銭箱にお納めの上お取りください。

3.形代を持って、願い事を念じながら碑の表から裏へくぐる

説明画像

4.同じく形代を持って願い事を念じながら碑の裏から表へくぐる

説明画像

5.最後に形代を碑に貼ります

ということですので、まずは本殿へ。

 

それから、身代わりおふだを記入。

「病気と縁を切ります。」と・・・。

これは、神頼みと言うよりも、自身の生活改善が一番なんですが・・・。

と、毎回同じことを書いてます・・・。

それにしても、大勢の方が、特に女性が必死に祈願されていました。

それでは、御朱印を頂戴します。

続いては、最後の祇園さんへ。

続く・・・。

 


御朱印巡り ~ 京都市東山区祇園界隈 その5 六道珍皇寺

2020年01月11日 | 神社・仏閣

1/8  六波羅蜜寺を後にして、向かった先は「六道珍皇寺」

ここは、以前から大いに興味がありました。

ここには、不思議な伝説があります。

ホームページからです。

まずは、小野篁(おのの たかむら)という平安時代の役人がいました。

小野篁(802年〜852年)は参議小野岑守の子。

嵯峨天皇につかえた平安初期の官僚で、武芸にも秀で、また学者・詩人・歌人としても知られる。

文章生より東宮学士などを経て閣僚級である参議という高位にまでなった文武両道に優れた人物であったが、

不羈な性格で、「野狂」ともいわれ奇行が多く、遣唐副使にも任じられたが、大使の藤原常嗣と争い、

嵯峨上皇の怒りにふれて隠岐に流罪されたこともある。

さて、この篁が凄いことを・・・。

それが・・・。

閻魔王宮の役人

篁堂に安置する衣冠束帯姿の 小野篁立像(江戸時代)

なぜか閻魔王宮の役人ともいわれ、昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁につとめていたという奇怪な伝説がある。

かかる伝説は、大江匡房の口述を筆録した「江談抄」や「今昔物語」「元亨釈書」等にもみえることより

平安末期頃には篁が、閻魔庁における第二の冥官であったとする伝説がすでに語りつたえられていたことがうかがえる。

こうした篁の冥官説は、室町時代にはほぼ定着した。                        

今なお、本堂背後の庭内には、篁が冥土へ通うのに使ったという井戸があり、

近年旧境内地より冥土から帰るのに使った「黄泉がえりの井戸」が発見された。

そばには篁の念持仏を祀った竹林大明神の小祠がある。

ということで、大変興味深いのであります。

ちなみに1/11からこんなことが開催されています。

興味津々に境内へ。

ここは、参拝は自由です。

こちらの祠。

右側に篁の木造があります。

格子越しにのぞき込みます。

そして、左側には閻魔様がおられます。

閻魔様はともかくとして、一番気になるのがあの世とつながっている井戸。

それは、本堂の右手から、のぞき込めるようになってます。

どれどれ・・・。

庭があります。

その奥です。

これか・・・。

近付いて、中をのぞいてみたいなぁ~。

しかし、行けません。

 

それでは、お詣りを・・・。

本堂は障子が締まっていて、このままお詣りをしました。

すると、たまたまですがご住職さんが出てこられたので、御朱印は?と尋ねました。

どうぞ中へお入りください。

となり、本堂内へ。

そこでは、授与品などもあり、御朱印を頂戴しました。

やはり京都は歴史があります。

そして、不思議なことがあります。

だから興味深い。

本当に小野篁は、冥土と行き来していたのかなぁ。

閻魔さんに仕えていたのかなぁ。

まぁ、1000年以上も前の話だしなぁ。

と、思いながら、次へ・・・。

続く。