1/8 六道珍皇寺を後にし、ぼちぼち帰り道。
駐車場方面へと進む途中にある「安井金比羅宮」にお詣りしました。
ここは、この辺りに来た時には、必ずお詣りをしています。
ここのいわれは・・・。
第38代天智天皇(てんちてんのう)の御代(668~671年)に藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が一堂を創建し、
紫色の藤を植え藤寺と号して、家門の隆昌と子孫の長久を祈ったことに始まります。
第75代崇徳天皇(すとくてんのう) (在位1123~1141年)は特にこの藤を好まれ、
久安2年(1146年)に堂塔を修造して、寵妃である阿波内侍(あわのないし)を住まわされました。
崇徳上皇が保元の乱(1156年)に敗れて讃岐(現、香川県)で崩御された時に、
阿波内侍は上皇より賜った自筆の御尊影を寺中の観音堂にお祀りされました。
治承元年(1177年)、大円法師(だいえんほうし)が御堂にお籠りされた時に、
崇徳上皇がお姿を現わされ往時の盛況をお示しになられました。
このことは直ちに後白河法皇(ごしらかわほうおう)に奏上され、法皇のご命令により建立された光明院観勝寺が
当宮の起こりといわれています。
光明院観勝寺は応仁の乱(1467~1477年)の兵火により荒廃しましたが、
元禄8年(1695年)に太秦安井(京都市右京区)にあった蓮華光院が当地に移建され、
その鎮守として崇徳天皇に加えて、讃岐の金刀比羅宮より勧請した大物主神と、
源頼政公を祀ったことから「安井の金比羅さん」の名で知られるようになりました。
明治維新の後、蓮華光院を廃して「安井神社」と改称し、更に「安井金比羅宮」と改め現在に至っています。
あらゆる悪い縁を切り、良縁を結ぶ
主祭神の崇徳天皇は、讃岐の金刀比羅宮で一切の欲を断ち切って参籠(おこもり)されたことから、
当宮は古来より断ち物の祈願所として信仰されてきました。
また、戦によって心ならずも寵妃阿波内侍とお別れにならざるを得なかった崇徳上皇は、
人々が御自身のような悲しい境遇にあわぬよう、幸せな男女のえにしを妨げる全ての悪縁を絶切って下さいます。
男女の縁はもちろん、病気、酒、煙草、賭事など、全ての悪縁を切っていただいて、良縁に結ばれて下さい。
良縁に結ばれたご夫婦やカップルがお参りされても縁が切れることはありません。
更にお二人がより深くより強く結ばれる御利益をいただけますのでご安心を。
というようなことで、ここには、「悪いことと縁を切りたい。」「よいご縁を結びたい。」
そんな願いを持たれた方が多く参拝されています。
ここが、縁を切る、結ぶを祈願するところです。
作法はこちら。(必ず通り抜けなくても、貼っておいてもOK)
高さ1.5メートル、幅3メートルの絵馬の形をした巨石で、
中央の亀裂を通して神様のお力が円形の穴に注がれています。
「○○君と幸せに結婚できますように」という可愛いらしいお願い事から、
「夫と浮気相手との縁を切って下さい」といった事まで、
皆様の様々な願いが書かれた「形代(かたしろ)」(身代わりのおふだ)が貼られ、
碑が見えないほどになっています。
御祈願の方法は、まずご本殿にご参拝下さい。
次に「形代」に切りたい縁・結びたい縁などの願い事を書き、
「形代」を持って願い事を念じながら碑の表から裏へ穴をくぐります。
これでまず悪縁を切り、次に裏から表へくぐって良縁を結びます。
そして最後に「形代」を碑に貼って下さい。
なお御本殿への御参拝、「縁切り縁結び碑」での御祈願は終日可能です。
1.まず御本殿に御参拝下さい。
2.次に「形代」(身代わりのおふだ)に願い事を書きます
形代は碑の左側の台にご用意してあります。
100円以上のお志を賽銭箱にお納めの上お取りください。
3.形代を持って、願い事を念じながら碑の表から裏へくぐる
4.同じく形代を持って願い事を念じながら碑の裏から表へくぐる
5.最後に形代を碑に貼ります
ということですので、まずは本殿へ。
それから、身代わりおふだを記入。
「病気と縁を切ります。」と・・・。
これは、神頼みと言うよりも、自身の生活改善が一番なんですが・・・。
と、毎回同じことを書いてます・・・。
それにしても、大勢の方が、特に女性が必死に祈願されていました。
それでは、御朱印を頂戴します。
続いては、最後の祇園さんへ。
続く・・・。