売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

『地球最後の男――永遠の命』 第12回

2015-08-29 12:19:36 | 小説
 台風15号が過ぎ去ってから、天候不順の日が続きます。今月上旬のような酷暑がなくなり、過ごしやすい日が多くなりましたが、ときどき暑い日もあるので、まだ熱中症には気をつけないといけません。
 8月ももう29日、子供たちにとっては夏休みはまもなく終わりです
 『涼宮ハルヒの暴走』では、夏休みを終わらせたくないハルヒが、無意識のうちに時間の流れをリセットし、夏休み(8月17日から31日)を15,498回も繰り返した、という話があります。アニメでは『エンドレスエイト』として同じような話を延々8回も繰り返しました(笑)。
 
 今回は『地球最後の男――永遠の命』第12回目です。




 日が沈み、まもなく花火の打ち上げとなった。娯楽が少ない農村では、近隣の村からも多くの人たちが花火見物に訪れた。そのため、過疎の農村が非常に活気づいた。
田上と紅蘭は、陽明に指定された場所に向かった。そこは村の外れの見晴らしがいい高台で、花火見物の穴場だということだった。村の中心から離れているので、人出もない。ここからなら落ち着いて花火が見物できそうだ。やや遅れて陽明が現れた。田上と紅蘭は陽明に挨拶をした。陽明は軍服ではなく、上等なスーツを身に纏(まと)っていた。
 「こんばんは。わざわざこんな遠いところまでご足労かけました。でも、ここからは花火がよく見えますよ」
陽明は田上を無視しているかのように、紅蘭だけに話しかけた。
まもなく最初の花火が打ち上げられた。そして、次々と多彩な花が夜空に咲き乱れた。
 「きれいですね。少し遠かったですが、この場所に来てよかったですよ」
 「子供のころ見つけた花火見物の秘密の穴場です。知っているのは、俺と当時の仲間たちだけです。仲間たちも皆解放軍に入隊しました。今年の夏はこの時期休暇を取れたのは、俺だけですが」
 相変わらず陽明は紅蘭のみを相手にした。田上はおもしろくなかったが、特に何も言わなかった。
 花火がまもなく終了になるというころ、陽明はとうとう目的を切り出した。
 「実は紅蘭さん、あなたにぜひ俺と一緒に帝京に行ってほしいのです」
 その陽明の言葉に、さすがに田上はかちんときた。
 「ちょっと待ってくれ。紅蘭は俺の妻だ。黙っていれば、勝手に紅蘭に色目を使いやがって。面倒を起こしたくないと思って今まで黙っていたが、夫の目の前で妻を口説くとは、もう我慢がならん」
 「何だ、君は。みすぼらしい農民のくせに。この帝国では、平民が軍人に逆らうことは許されないのだぞ」
陽明はそれまで無視していた田上を、初めて意識したかのようにすごんだ。
 「待ってください、陽明さん。私は花火見物だというので来たのです。そんな話になるようだったら、ここで帰らせていただきます」
 紅蘭が二人を遮った。
 「いや、俺はあなたを手に入れます。欲しいものは腕ずくでも奪う。これが帝国のやり方です」
 「だから帝国は日本も腕ずくで奪ったのですか? あなたは日本侵略で武勲を立てたのでしょう? でも、この村では大震災のとき、日本の方々には非常にお世話になったはずです。私は沿岸部の貧しい半農半漁の村で生まれ育ったため、直接大震災は体験していませんが、話は聞いています。あなたはそんな大恩がある日本の人たちを、率先して虐殺したのですか? そんなあなたについていくつもりはありません。私は雄貴を愛しています」
 「俺だって最初は日本人を殺すのはいやでした。でも、それは帝国の命令です。俺は帝国人民解放軍の軍人である以上、軍の命令には逆らえません。そのおかげで俺は将校に昇進できたのだし」
 「最初はいやだったけど、今は平気なのですか?」
 「俺は帝国軍人です。帝国の命令は絶対です。今は日本人を殲滅せよと命じられれば、躊躇なくやりますよ。それが帝国軍人の魂というものです。それに日本(リーベン)鬼子(グイズ)も、かつての戦争で、俺たちの国を蹂躙しています。俺は帝国でのし上がっていくつもりです。だから紅蘭さんには何不自由ない生活をさせてあげますよ」
 「私はそのような、平気で恩を仇(あだ)で返すような人にはついて行けません。私たちの国は古来、礼節を重んじることを信条としてきたはずです。確かに日本とは不幸な歴史があります。でも、日本はその後、平和国家として世界に貢献してきました。そしてあの震災のとき、両国の未来の友好を誓い合ったはずです」
 長(おさ)はこの青年の心に訴えて、帝国人民解放軍内のシンパにできないかと言っていたが、陽明の心は腐っている、魂を帝国に売り渡してしまったのだと紅蘭は考えた。紅蘭は田上と腕を組んで、陽明を無視して自宅に帰ろうとした。
 「待ってください。紅蘭さんはこんな田舎で腐ってしまってもいいのですか? 帝京で、上流階級の仲間入りをしたいとは思わないのですか? そんなみすぼらしい田舎男より、俺のような帝国軍人こそあなたにふさわしいですよ」
 陽明は追いすがった。それでも紅蘭は田上と一緒にさっさと先に進んだ。
 「ならば腕ずくでその男から奪うのみ」
陽明は田上に殴りかかった。しかし田上は紙一重で陽明のパンチをかわした。その身のこなしを見て、陽明は田上がただ者ではないことを見抜いた。だが、自分は解放軍でもエリート将校であり、格闘術では誰にも負けないと自負している陽明は、田上を見下していた。それで、体勢を立て直し、また田上に襲いかかった。田上はみぞおちに軽くパンチを入れただけだが、陽明の身体は頽(くずお)れた。田上と紅蘭はそのままその場を立ち去るつもりだった。するとそこにレジスタンス組織の仲間が二人現れた。それは田上も紅蘭も予期しないことだった。二人は田上たちに、家に帰っているように指示をした。

 気を失った陽明は、レジスタンス組織のアジトに連れていかれた。そこには村長(むらおさ)がいた。村長を合わせた三人で、陽明の説得を試みた。帝国政権は、村に対し、非常に冷たく、大地震の救援さえおろそかにしたこと、そしてそのとき大いに世話になり、村人が感謝の念を抱いている日本に対し、恩を仇で返すかのように侵略し、多くの人の命を奪ったことを訴えた。その侵略には、陽明も解放軍として参加している。
 「陽明よ、おまえはそんな帝国をどう思うかね」
村長は問い質した。
 「どう思うもこう思うもない。俺は帝国の軍人だ。帝国に忠義を尽くすだけだ」
陽明は頑なに答えた。
 「本当にそう考えているのか? 帝国の間違いを正そうとは思わんかね?」
 「くどい。さてはおまえたち、帝国に楯突く反政府組織の手先だな? 軍に戻ったら、さっそく人民警察におまえたちの仲間を逮捕させてやるぞ。ただ、俺をこのまま帰せば、郷里の仲間としてのよしみで、今回だけは見逃してやらんでもないが」
 逆に陽明は三人を恫喝した。陽明はなかなか頑固なので、村長はこれまで隠していたことを陽明に告げた。
 「実はおまえの祖父(そふ)、光安(こうあん)(グァンアン)は地震のとき死んだのではなく、帝国人民警察に殺されたのじゃ。光安はわしと同じく、以前の共和国の運動員だった。それで反帝国と見なされ、人民警察に捕まり、拷問の末に殺された」
 「嘘だ。祖父(じい)さんが共和国のイヌ、国賊だと? いい加減なことを言うな」
 「嘘ではない。わしも光安も新しい国を作るために働いた同志じゃった。だが、軍部によるクーデターが起こり、独裁軍事政権が発足したので、一緒に反帝国として戦ったのじゃ。おまえは祖父を殺した帝国が憎くはないか?」
 「それが本当だとしたら、祖父さんは帝国に逆らった逆賊だから、殺されて当然だ。俺は誇り高き帝国軍人だ。帝国でどんどんのし上がっていくのだ。それより、あんたは祖父さんの同志だったというが、祖父さんが殺されたというのに、のうのうと生きていたのか?」
 「わしはこの国に新しい平和な政権を築くまでは死ぬわけにはいかん。だからおまえの祖父が捕まったが、あえて見て見ぬ振りをした。逆の立場で、わしが捕まっても、見殺しにする光安のことは決して口外しなかっただろう。生き残った者が新しい政権を作るために奔走する。これが同志たちの暗黙の了解事項なのじゃ。陽明よ、おまえも考え直して、祖父の遺志を継ぐ気はないか?」
 村長はさらに説得を試みた。
 「ふん、くだらん。きさまら反乱分子が、帝国を覆すだと? ばかも休み休み言え。叩きつぶされるだけだ。もう一度言う、今度だけは俺も目をつぶる。俺をここから帰せ」
 三人は陽明の説得は不可能と結論した。そうである以上、気の毒だが、陽明を生かして帰すわけにはいかない。目をつぶるといっても、信用できなかった。陽明を帰せば、おそらく武装した人民警察が村に乗り込んでくるだろう。
 祖父のこと、大地震のときの帝国の仕打ちなどを陽明に話し、何とか村人たちとの絆を紡ぎ出して、解放軍の中にシンパを作りたかったのだが、これほどまでに石頭で、頑固一徹とは。もはややむを得ない……。
 「陽明は予定を切り上げて軍に戻った」
 村長は田上たちにこう伝えておいた。田上と紅蘭は、うすうす事情を察していたが、あえて何も訊かなかった。


『地球最後の男――永遠の命』 第11回

2015-08-22 23:13:18 | 小説
 盆休みも終わり、8月ももう下旬になってしまいました。
 最近は『幻影3』や短編などを執筆しています。『幻影3』は原稿用紙に換算し、50枚近く書きました。この先どう展開させるか、楽しみながら書いています。

 さて、今回は『地球最後の男――永遠の命』11回目です。


 田上は紅蘭と形の上で結婚した。敵の目を欺くためにも、幸せそうな夫婦を装う必要があった。
 紅蘭との夫婦生活は、短いながらも、田上にとっては幸福に満ちた年月だった。二人は内陸の田園地帯に居を構えた。ささやかな住居ではあったが、二人には十分な愛の巣だった。自分たちがレジスタンスの戦士だということを隠し、のどかな農村で平和な暮らしを楽しんだ。村人たちは、新参の田上と紅蘭の夫婦を温かく迎えてくれた。田上は大陸風に、”〝田雄貴(でんゆうき)(ティエン・シォングェイ)〟と名前を変えていた。
 人々は帝国に搾取され、貧しかった。一五年前、大陸の内陸部は大地震に襲われ、耕地や道路、発電所などの生活基盤が壊滅的な被害を受けた。帝国政府もこのような僻地にはあまり救援の手をさしのべず、ようやく復旧の途についたものの、まだ十分な生産性を取り戻すには至らなかった。被災地の支援に最も力を入れたのは、まだ侵略される前の、日本から来た救援隊だった。そんなこともあり、村の人々は生きていくのがやっとという生活だった。凶作の年には、食うや食わずで、多くの餓死者が出るという。
 若い男性は貧しい村を離れ、帝国人民解放軍兵士に志願した。農村部の若者たちにとって、解放軍の兵士以外に、高収入を得られる仕事はなかった。経済活動が活発な都市部への移住は、解放軍に入隊する以外は著しく制限されていた。帝国のGDPはいまや二位のアメリカを大きく引き離し、世界一の経済大国になっていた。しかし帝国の富は、ほんの一握りの特権階級や富裕層に独占されていた。農村部や山岳地帯に住む人々は、搾取されるばかりの貧しい生活を強いられていた。
 兵士の収入は農業の一〇倍以上あり、兵士たちはその給料の一部を両親の元に仕送りした。若い男性の働き手が解放軍に取られ、農業の担い手の多くが老人と女性になった。若い女性の中にも、貧しい農村で農業に携わるのがいやで、解放軍の女性兵士として志願する者がいた。志願者が多いため、帝国では徴兵制を採用する必要がなかった。
 そんな状況の中、逞しい田上が村の農業に従事してくれることは、村民たちにとってありがたかった。機械化が遅れ、人の手が頼りの貧しい農村では、田上の働きは目を見張るものだった。田上一人で、何人分もの仕事をこなした。紅蘭もきびきびした働きぶりだった。紅蘭の出身の村は、半農半漁で、紅蘭はずっと農業に従事していた。将来の革命軍を率いる必要上、村人たちは兵士としての訓練とともに、農業、漁業の生産性向上にも取り組んでいたため、紅蘭の知識や技術は、この村でおおいに役立った。二人の活躍で、村の農業生産は 大幅にアップした。まさに村の救世主といえるものだった。
貧しい村だが、田上と紅蘭は、帝国と対決する日まで、束の間の安息の日々を過ごした。田上は子供を作ることができないが、紅蘭は「レジスタンスの組織員、革命軍の兵士はいつ死ぬかわからないので、子供を不幸にしたくない。だから子供はいらない」と主張していた。その分、村の子供たちを相手に、遊んでやった。
 貧しい農村部では、搾取するだけで、農村のことを全く考えてくれない帝国政府に対して、ときには抗議をしたり、叛旗を翻そうと声をあげる農民もいた。しかし村の長(おさ)は、そんな過激な発言をする人たちをやんわりと押さえていた。
 「政府に楯突いたところで、どうなるものでもない。力ずくで鎮圧され、首謀者は処刑されるのが落ちだ。それに村の若い者たちの多くは解放軍兵士に志願し、その給料の仕送りでわしらは何とか生活できている。もし反乱を起こせば、自分たちの息子がいる解放軍と戦うことになるかもしれない。ここは今しばらくおとなしくしているほうがいい」
 村の長は村人たちに言い聞かせた。
 村の長は、実はレジスタンスの組織員だった。紅蘭たちの隠れ蓑としているこの平和な村が、帝国政府に目をつけられるのはまずいので、今は村人たちを押さえる必要がある。革命軍蜂起までのしばしの間、雌伏しなければならない。しかし秋(とき)が来たれば、全国の革命軍が一斉に立ち上がるのだ。その雄飛のときまで、今しばらく圧政に耐え忍ばなければならない。今は着々とレジスタンス組織は力を蓄え、そして田上を中心とした、皇帝暗殺の策を練っていた。

 内陸性気候の農村の自然は厳しい。夏は暑く、冬はしばらく田上が滞在した、南アルプスの飯場をしのぐ寒さに襲われた。貧しい村では、十分な暖房施設もない。かつての大地震で破壊された発電所など、インフラの復旧が十分ではなかった。寒い冬は、少しでも暖房用の燃料を節約するために、いくつもの家族が一つの家で生活した。プライバシーは保てないが、農村のみんなが一つの家族のように団結した。人々の温かい交流が田上と紅蘭の心を癒やした。日本ではこのような地域の交流は、少なくとも都会では全くなかった。
 そういえば南アルプスの砂防工事の飯場でも、厳しい冬はみんなが集まって、一緒に暖を取っていたな。田上がそのことを懐かしんでいると、紅蘭が「どうしたの?」と尋ねた。田雄貴が日本人であることがばれるといけないので、その場では「ちょっとね」と言葉を濁した。紅蘭も今は話せないことだと気づき、それ以上訊かなかった。あとで二人きりになったとき、紅蘭に日本での思い出話を聞かせた。紅蘭も日本での生活のことを知りたがった。
 いつまでこの幸せが続くのだろうか。こうしている間にも、レジスタンス組織本部の参謀たちは、着々と帝国打倒の準備を進めているはずだ。ときどき村の長から情報をもらうが、田上と紅蘭は、しばらくの間、今の幸せを存分に楽しんでおきなさい、と言われている。

 ある年の夏祭りに、帝国人民解放軍に入隊している、李陽明(りようめい)(リー・ヤンミン)という村の若者が、休暇で帰郷した。
 田上は、正月と祭りのときぐらいしか袖を通さない晴れ着を着た紅蘭と、村の祭りを楽しんでいた。晴れ着といっても、かつて日本の女性たちが着た振り袖に比べれば、ぐっと質素なものだった。大アジア帝国は世界一の超大国になったとはいえ、内陸の農村部の暮らしは貧しかった。
 陽明は田上と歩いている紅蘭を見て、その美しさに釘付けとなった。着ているものはみすぼらしいが、紅蘭の美貌は首都・帝京(ディジン)でさえめったに見られないほどだった。田上と出会ったころの紅蘭は、まだ少女のあどけなさを残していたが、今は成熟した美しさにあふれていた。陽明は紅蘭に一目惚れした。そして紅蘭と歩いている男に嫉妬した。陽明は軍に入隊する以前の村人は全員知っていたが、田上のことは記憶になかった。だからあの美人と一緒にいる男はよそ者だと睨んだ。彼はあの美しい女性を必ずあのよそ者から奪ってやろうと決意した。
 陽明は解放軍でも選りすぐりの精鋭と言われる逸材だった。最初は仕事にありつけず、やむなく解放軍入りした田舎者、と蔑まれていた陽明だが、聡明さと腕っ節の強さで、めきめきと頭角を現した。そして日本解放の戦いで、大きな武勲をあげて軍の上層部に認められ、今では少佐に昇進していた。
 陽明はずかずかと二人の前に歩み寄った。そして一緒にいる田上を無視して紅蘭に話しかけた。
 「こんにちは。俺は解放軍海軍東方師団の李陽明といいます。この村の出身の者ですが、お嬢さんはこの村の方ですか? 俺は一二年前、一七歳のときにこの村を離れて解放軍に入隊したのですが、この村にあなたのような美しい方がいらっしゃったとは、知りませんでした。この村の人は全員知っていたつもりですが」
 田上は無視されたのはおもしろくなかったが、面倒を起こしたくなかったので、あえて黙っていた。相手は立派な軍服を着た、解放軍の軍人だ。肩章を見ると、少佐の階級になっている。
 「私はこの村に来て、まだ三年ほどですので。私は田紅蘭といいます。新参者ですが、この村では皆様から優しくしていただいています」
 帝国では結婚による姓は、夫婦別姓も認められているが、紅蘭は田上の帝国における姓である〝田〟を名乗っていた。
 (そうか、この紅蘭という女もよそ者なのか。しかし紅蘭なら、帝京に連れていっても衆目を集めそうだ。よし、どんな手を使っても、必ず紅蘭を手に入れて、帝京に連れていこう)
 陽明は心の中で呟いた。
 「今夜は祭りの一番の催しである打ち上げ花火があります。年に一度の、この村で最も華麗な行事です。よろしかったら、一緒に見物しませんか? もちろんその人も一緒にどうぞ」
陽明は田上のことを、紅蘭の夫と認識していたが、あえて「ご主人」と言わず、「その人」 と言った。彼は一方的に待ち合わせの時間と場所を指定し、「ぜひ来てくださいね」と紅蘭を誘った。
「何だ、あいつ。初対面でいきなり。図々しいやつだ。それに、解放軍の将校というのも気に入らない」
 陽明と別れてから、田上は怒りを口にした。
 「あら、雄貴は私のことで妬いているのね」
 紅蘭が愉快そうに笑った。完全に夫婦になりきるため、紅蘭は田上のことを雄貴と呼んでいる。
 「当たり前さ。いくら今はかりそめの夫婦であっても、俺は君を心から愛している。もし革命が成功し、平安な世の中になれば、本当の夫婦になりたいと思っている」
 「私もよ。雄一。そのために、絶対革命を成功させ、私たちも生き残らなければならない。あなたは大丈夫だと思うけど、でも私もあなたのために、絶対死ねない」
 今度はいつもの雄貴ではなく、本名で雄一と呼んだ。田上は紅蘭のそのたった一言に、真実の愛を見いだした。

 自宅に戻った後、二人はその出来事を村の長に報告した。
 「李陽明か。確か、解放軍の将校になった男だな。解放軍の男に目をつけられたのはやっかいだ。しかしうまくやれば、陽明を味方につけることができるかもしれん」
 村長(むらおさ)は村人のことはほとんど把握している。
 彼は一五年前に起きた大地震のことを、田上と紅蘭に話した。大陸内陸部を襲った大地震は、この村にも多大な被害をもたらした。
 かつての独裁政権を崩壊させた、帝国の前身だった共和国は、大高祖が率いる軍事クーデターで再び転覆した。そして新たな独裁国家が建国され、まだ混乱が完全に治まっていないころに起こった巨大地震は、反帝国勢力が根強い内陸部に壊滅的な影響を与えた。大きな災害ではあったが、帝国政権にとっては旧共和国派を一掃する、千載一遇の機会でもあった。帝国はその機に乗じ、反対勢力を一気に叩き潰した。
 この村も例外ではなく、反政権側の多くの人たちが拘束され、処刑された。また、政府に従順な人たちも、震災後の復興に対する支援がおろそかにされたため、多かれ少なかれ、政府に対する不満がくすぶっていた。今でも帝国政府に対する抗議行動を取ろうという声も多いが、下手に動けば以前のように叩き潰されるだけなので、時期を待てと村長は村人たちを押さえているのだ。
 陽明も大地震で混迷する故郷ではとても家族を養ってはいけないと、やむなく帝国人民解放軍に志願したが、帝国政府に対してはあまりいい感情を持っていないはずだ。また、村人たちは大震災に見舞われたとき、日本の救援隊に助けられ、日本人には非常に感謝の念を抱いている。それなのに陽明は日本解放という名の侵略戦争の最前線に送られ、日本の人たちを蹂躙しなければならなかったことに対し、帝国には反感を抱いていると思われる。以前、村の出身の解放軍兵士が里帰りしたとき、日本侵略に派兵されたことに、非常に悲しい思いをしたと言っていた。そのへんをうまく突いて、陽明をレジスタンス側に引き入れ、解放軍内にシンパを増やそうと、村長は考えた。


『地球最後の男――永遠の命』 第10回

2015-08-18 10:45:41 | 小説
 盆休みも終わり、酷暑も一服といった感じです
 最近夜も少し涼しくなり、眠れるようになりました
 もうツクツクボウシが鳴き始め、秋の訪れも近いかな、という気がします。
 私個人としては、今年は8月2日に初めてツクツクボウシの鳴き声を聞きました。
 今回は『地球最後の男――永遠の命』第10回です。いよいよこの物語の中核の第3章に突入しました。



       3 革命


 目が覚めたとき、田上はみすぼらしい小屋に寝かされていた。
 「ここはどこだ?」
 気がついた田上は、呟いた。
 「ここは私の家です。あなたは日本の方ですね」
 田上の近くにいた若い女性が、帝国語で話しかけた。
 (しまった)と田上は思った。大アジア帝国領内で、うっかり日本語を使ってしまった。女性は日本語は理解できなくても、話し方、イントネーションの感じで、日本語と判断したようだ。旧日本人が大陸に渡航することは、特別な許可がない限り、厳しく禁じられている。禁を破った者は、無慈悲に処刑された。これはめんどうなことになりそうだ、と田上は懸念した。
 そんな田上の心配を感じ取ったのか、女性は「ご安心ください。私はあなたを人民警察に引き渡すようなことはしませんわ。あなたが私たちの敵ではない限り、危害は加えません」と応えた。女性は張紅蘭(ちょうこうらん)(ヂャン・ホンラン)だと名乗った。
 「敵ではない限り、ということはどういうことですか?」
 田上は帝国語で尋ねた。日本自治区では公用語が帝国語となり、田上も帝国語を学んだので、会話には不自由しない。高齢でなかなか帝国語を習得できなかった薮原に比べ、若いままの容姿を保っている田上は、記憶力なども劣化していなかった。
 「あなた方の国は、私たちの政府に蹂躙され、ひどい目に遭っているのですね? 私は帝国の一国民として、大変申し訳なく思います。でも、そのことを話す前に、まずあなたのことを教えてください。そうでなくては、話せません」
 「あ、これは失礼しました。私は田上雄一と申します。日本ではいくつもの企業を経営していましたが、帝国の人民解放軍により、財産はすべて没収され、日本自治区に強制移住させられました。そこで厳しい弾圧を受け、抵抗した仲間は多くが見せしめに殺されました。私も追い詰められ、死んでもかまわないというつもりで、日本海、いや、今は北シナ海でしたね、海に小舟で逃れたのです。途中、巡視船に見つかりそうになったり、鮫の群れに襲われたりしましたが、命からがら大陸に流れ着いたのです」
 「そうだったのですか。本当に私たちの政府が、辛い思いをさせ、お詫びします」
 「いや、紅蘭さんが謝ることはありませんよ。わるいのは政府権力者のほうだ。日本自治区にいるときに、解放軍の一人から聞きましたが、帝国でもいい生活ができるのは、政府や軍関係、富裕層のほんの一部の人だけで、一般の労働者や農民はひどく搾取され、虐げられているそうですね。その兵士も『俺は正直、こんなひどいことはしたくないんだが、政府に逆らっては生きていけない。わるく思わないでくれ。解放軍の兵士の多くは好きでやっているのではないのだ』と言っていました。失礼なことを言って申し訳ありませんが、この家もかなりみすぼらしいですね。あなたも帝国政府には虐げられているのではありませんか? 人民解放だなんて、とんでもないことですよ」
  田上はこの人たちは、帝国では下層階級で、搾取される側の人々なのかと考えた。日本自治区で虐げられている人々よりは多少ましとはいえ、かなりひどいものだと思った。
 「わかりました。あなたは私たちを人民警察に売るようなスパイではないと思います」
 紅蘭がそう言いかけたところに、何人かの男たちが入ってきた。
 「紅蘭、何をしているんだ。その男は誰だ?」
 「この人は田上雄一さんといって、日本から来た人で、近くの浜辺で倒れていたのです」
 「軽々しく他人を入れるんじゃない。もし帝国の回し者だったらどうするんだ? 日本人だからといって、帝国側の人間じゃないとは言い切れんぞ。牢に引っ立てろ」
 「この人はそんな人ではありません、やめてください、お父さん」
紅蘭は田上をかばったが、家に入ってきた男たちに、田上は牢に閉じ込められた。半壊したコンクリート造りの建物の中に設けられた牢だった。
 しばらくして、紅蘭が牢に水と食べ物を運んでくれた。
 「ごめんなさい。私たち、実は反帝国レジスタンスの一員なの。何度も人民警察のスパイに騙され、多くの地区で仲間が連行されているので、父も過敏になっているんです」
 「わかっていますよ。俺たちも祖国では解放軍に抵抗していましたからね。そのおかげで、多くの人たちが殺されましたよ。やつらは俺たち日本人を人間だとは思っていないんだ。もちろん、さっき言ったように、心の中では泣きながらやっている兵士もいましたけどね」
 「でも、きっとみんなは田上さんのことをわかってくれると思います」
 紅蘭は申し訳なさそうに言った。

 それから何日田上は閉じ込められていただろうか。ある日、外が騒がしくなった。紅蘭が牢を解錠してくれ、「田上さん、逃げて。ここにいては殺されます」と叫んだ。
 「何があったんですか?」
 「人民警察がやってきて、村人たちが連行されているんです。警察といっても、軍隊みたいなもので、いろいろな武器を持っていて、レジスタンス組織の者には、女子供でも容赦なく襲いかかります。父は田上さんがスパイで、私たちのことを通報したんだと思って、あなたを殺そうとしています。でも、田上さんはずっとこの牢に閉じ込められ、外部と連絡のしようなどないのに。それより早く逃げて!!」
 田上は紅蘭に導かれ、建物の裏口から脱出した。しかし、途中で人民警察に見つかってしまった。何人もの人民警察官が二人に襲いかかった。田上は紅蘭をかばい、警察官に戦いを挑んだ。実戦に備え、体術の訓練を受けている警察官も、やくざ相手に獅子奮迅の活躍をした田上の敵ではなかった。田上は三人の警察官を叩きのめした。四人目が銃を抜こうとしたが、素早くその手をつかみ、投げ飛ばした。銃を抜こうとした警察官は気絶した。
 「紅蘭さん、安全なところで隠れていてください」
 田上は紅蘭にそう言い残して、騒ぎがある方角に駆けていった。
 村の中心部では、人民警察と村人との銃撃戦が行われていたが、人数や技量に勝る人民警察側が押していた。村民は何人もが銃弾に倒れ、戦意を喪失した。そんな折、人民警察が村民たちの間になだれ込んできた。格闘になれば、体術に優れる人民警察がはるかに有利だった。多くの村民が打ちのめされ、逮捕された。村民たちはちりぢりに逃げ惑った。
 そこへ田上が飛び込んだ。田上は一瞬にして何人もの警察官を倒した。十数年にわたり、柔道、空手、合気道、レスリングなどの鍛練を積んできた田上にとって、訓練された警察官といえども敵ではなかった。田上は絶対に死なないと確信していたので、文字通り死にものぐるいの鍛練、稽古を続けてきたのだ。いまや人間の限界を超えた、超人的な強さを誇っている。
 警察官たちは素手ではかなわぬと、田上に対し、一斉に発砲した。田上は倒れた。しかしすぐに立ち上がり、警察官たちに襲いかかった。また一斉射撃する。倒れても田上は立ち上がる。人民警察官たちは、そんな田上に恐れをなして、逮捕した村人たちを残したまま、全員が退却した。

 村人たちは驚嘆の目で田上を見つめた。
 「大丈夫か? わしはあんたを誤解していたようだ。確かに紅蘭が言うように、あんたをすぐに牢にぶち込み、厳重に監視をしていたので、人民警察どもに通報することはできなかったはずだ。帝国のイヌだと疑って、すまなかった」
紅蘭の父、張秀英(ちょうしゅうえい)(ヂャン・シュウイン)が、田上に不明を詫びた。
 「ところであんた、あれだけ弾(たま)を浴びたのに、大丈夫なのか? 防弾チョッキなども着ていないのに」
 村人の一人が尋ねた。
 「ええ、大丈夫です。俺は神より、不思議な力を授かりましたから。その力で、帝国の大高祖を倒すために大陸に渡ってきたのです」
 村人たちは田上の言葉にあ然とした。そして誰もがバカバカしいと笑った。たった一人の力で、そんなことができるわけがない。まさに巨大な恐竜に対し、蟻が一匹で挑むようなものだ。踏みつぶされて、それで終わりだ。
 「いや、巨大な恐竜にとって、小さな蟻は目に入ることもなく、かえって盲点になるかもしれん。じっくり計画を練れば、案外うまくいくかもしれないぞ。他の仲間たちとも相談してみよう」
 秀英が提案した。
 「それよりここも見つかってしまった。いつまた人民警察、いや、今度は解放軍が襲ってこないとも限らない。全員、速やかにこの村から脱出しなければ」
 村民は一〇人以上の犠牲者を出した。犠牲者を埋葬した後、残った村民は、女性や子供、負傷者も含め、三艘の漁船を使い、村をあとにした。

 田上たちはレジスタンス組織の本部に合流した。田上の活躍はすでに報告され、幹部たちに歓迎されたが、中にはまだ田上に疑いを抱いている者もいた。しかし他に帝国側の諜報者がいることが判明し、その諜報者は処刑された。田上は青天白日の身となった。
 何ヶ月、何年も行動を共にし、田上はレジスタンス組織の者たちの信頼を勝ち得た。田上は日本自治区より、旧日本の人たちを帝国の支配から救済するために大陸にやってきた、という目的は、大陸で抑圧されている多くの民族を解放するというレジスタンス組織の目的と合致した。それで、田上の不死の身体を使っての帝国打倒の計画が何年にもわたって練られ、実行するチャンスを窺っていた。


『地球最後の男――永遠の命』 第9回

2015-08-07 11:46:07 | 小説
 トイレのタンクが壊れてしまいました。うちのトイレはレバーをひねると、ゴムフロートが排水弁を開けて排水する方式です。
 そのゴムフロートが、30年以上使用しているために劣化したのか、レバーに接続するチェーンとつなぐ部分がちぎれてしまいました
 なんともならないので、タンクのふたを開け、使用後は手でゴムフロートを開閉しています。
 これは明らかに経年による劣化なので、修理は無料でやってもらえるといいですが。

 今回で『地球最後の男――永遠の命』第2章は終わりです。



 中央アジアの一角で勃発した農民、牧畜民、労働者たちの暴動は、民族・宗教対立も巻き込み、大きな勢力となった。その勢力は、貧しい最下層の人たちの共感を得て、ますます大きく膨張していった。欧米の支持を得たその民主的勢力は、やがて一党独裁の政権を倒し、アジアの大部分を席巻した。そしてアジア大陸で大きな民主主義国家を樹立した。
 しかし、軍事クーデターが起こり、独裁政権による大アジア帝国が出現した。「アジアは一つ」をスローガンとして、かつての清朝の最大版図をも上回る広大な領土を収奪した。
圧倒的な軍事力と経済力を保持するその帝国に、欧米諸国はもはや太刀打ちできなかった。その帝国は、やがて日本人民を資本主義権力から解放することをもくろんだ。資本家どもから搾取を受け、苦しんでいる日本人民を救済する、というのが大義名分だ。そして解放した日本の国力を、世界解放のために役立てる。世界平和のための武力行使を、国連は黙認せざるを得なかった。

 大アジア帝国は琉球県を琉球国として独立させた後、自国に琉球省として組み入れていた。米軍基地は琉球県民や左翼勢力、大アジア帝国の工作員などの反対運動により、すでに撤去されていた。米軍基地撤去には大アジア帝国の露骨な圧力もあった。日本政府は強大な大アジア帝国に逆らうすべはなかった。

 大アジア帝国人民解放軍が博多市に上陸し、九州一帯を制圧した。田上はそのことを臨時ニュースを聞く前に、政府関係者から知らされた。帝国側にも多少の犠牲者は出たものの、圧倒的な大アジア帝国の軍事力に刃向かう者はなく、やがて西日本は大アジア帝国の手に落ちた。西日本は大アジア帝国東夷省(とういしょう)となり、省都を大陸に近い、博多市に置いた。
日本国民は、いざとなったら日米安全保障条約に基づき、アメリカが日本と共に戦ってくれると期待していた。だが、米議会は日米安全保障条約第五条「自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」 という規定により、危険を伴う日本での米軍の出動を許可しなかった。つまり「自国の憲法上の規定及び手続に従って」、アメリカ政府は核攻撃の応酬となる危険性がある、大アジア帝国との戦争を避けたのだった。そして日本の国防軍は、強力な大アジア帝国人民解放軍に屈服した。
 日本政府は対応を協議したが、すでに西日本は大アジア帝国人民解放軍の手に落ちており、もはやなすすべがなかった。政府は解放軍の前に全面降伏した。東日本も東北地方以北は日本自治区となり、それ以外が東夷省に組み込まれた。

 「くそっ、政府も降伏か。結局わしらはどうなるんだ?」
 薮原は組事務所で怒声をあげた。
 「解放という大義名分による、侵略をされた東南アジアなどの国を見ていると、結局は大アジア帝国の民族浄化政策で、俺たちは粛正されるのが落ちでしょうね。あらゆる手を使い、日本文化を衰退させ、民族同化を図る。女性は強姦され、帝国民族の子供のみを産ませる。資産などはすべて没収され、公用語は帝国語となる。日本語の使用はいずれ禁止されるでしょうね。やがて日本の地から日本民族は抹殺されるかもしれません。せっかく道心会を全国組織にまで育て上げ、これからというところだったのに」
 田上は答えた。
 「田上さん、あんたは落ち着いているね。まあ、あんたはそう簡単には死なないからいいが。しかし、何とかならんのかね。今はやくざがどうの、組がどうのと言っている場合じゃない。日本の国、日本人が消滅しようというときだからね。わしはろくでもないやくざかもしれんが、国を愛する気持ちだけは持っている。国というより、日本の同胞、美しいこの国土を。国防軍が当てにならんのなら、全国に六〇〇〇人いる俺たちの仲間で、レジスタンスでも組織して、一戦交えてやりたい気持ちだ。どうせやつらに生殺しにされるのなら、かなわぬまでも、一矢報いてやりたいよ」
 「薮原さんの気持ち、よくわかります。しかし相手が解放軍ではしょせんジェット戦闘機に竹槍で挑むようなもんでしょう。俺たちが築き上げた合法部門の資産も、すべて没収されて、もう何の力もありません。組員たちを犬死にさせるだけです。それより俺が本当に不死身なら、チャンスを作って、帝国の皇帝、大高祖(だいこうそ)を暗殺してやりたいと思っています。皇帝を気取りながら世界解放とは、とんだお笑いぐさですよ」
 「田上さん、あんた、それ本気かね」
 「ええ。近いうちに大陸に渡り、何とか大高祖に近づき、この手で暗殺してやりますよ。俺だってこの国をやつらに蹂躙させたくはない。妻を誤って死なせてから、二度と殺人の過ちだけは犯さないようにと心に決めていましたが、大高祖だけは別です。せっかく神から、いや、悪魔かな、不死身の身体を授かったんだから、それぐらいのことはやってやります」
 「できるものなら是非お願いしたいものだ。わしはもう七〇を過ぎた老人なんで、いつ死んでもかまわんが、若い連中が帝国のやつらに踏みにじられるのはたまらんからな。不死身のあんたなら、何とかやってくれるかもしれない。あんたはもともと俺たちのようなやくざではなく、堅気の人間なんだから、ヒーローになる資格がある」
 「いや、俺は人一人を殺している、殺人犯です。いくら裁きを受けたからといっても、その事実は消えやしない。しかし、この国の人々を助けたいという気持ちには偽りはありません」
 田上は祖国を救うことが、亜由美の命を奪った罪への償いになれば、と考えていた。しかしそのためには新たな命を奪わなければならないことになる。いくら祖国を守るためといっても、しょせん戦争は大規模な殺し合いでしかない。

  その後、帝国による日本人弾圧は激しさを増した。関東以西の東夷省には、大陸より帝国人民が入植し、日本人は北海道、東北に許された日本自治区に追いやられた。自治区といいながら、日本民族に自治権はなかった。抵抗するものは、見せしめとして容赦なく処刑された。日本民族は家畜以下の扱いだった。やがて田上は日本自治区から姿を消した。

 田上は小舟を使い、最上川の河口近くから日本を発った。大陸に渡るためだ。本来なら、大陸に近い北九州から出発したかったのだが、東夷省となっているところでは、警戒が厳しい。日本海の荒波を横切って行くのはきついが、比較的監視の目が緩い東北から旅立った。薮原だけにはその目的を話し、そっと別れを告げた。薮原は日本人のため、是非とも成功してほしい、と別れ際に二人だけの送別会を開いてくれた。
 航海は辛かった。真夏の太陽は田上を容赦なく焼きつけた。暑くてたまらないときは、海中に潜った。持参した水と食糧は、台風崩れの低気圧に遭遇したとき、波に奪われてしまった。それで魚を獲って飢えと渇きをしのいだ。途中、対馬海峡の辺りで帝国の巡視船に遭遇したので、舟を捨て、海中に潜んだ。それ以降、田上は泳いで大陸まで行くことにした。
太陽や星の位置で、方角の見当をつけた。台風が近づいたときは、生命の危機を感じた。いくら悪魔から不死の身体をもらったとはいえ、大波に呑まれたときは、死の恐怖を味わった。また、鮫の群れに襲われたこともあった。海中で武器も持たずに鮫の群れと戦うことは、銃刀を持った大勢のやくざと戦う以上に大変だった。左脚を大腿部から食いちぎられたが、失った脚はすぐに再生した。鮫の一匹に傷をつけると、出血した鮫を仲間たちが襲った。その隙に、田上は何とか鮫の群れから逃れることができた。それからしばらく、海を漂流していた田上は、やがて気を失った。


『地球最後の男――永遠の命』 第8回

2015-08-03 20:44:44 | 小説
 毎日猛暑が続きます。春日井市と山一つ隔てた隣の多治見市は、3日連続で、日本最高気温だったそうです。高知県四万十市、埼玉県熊谷市と暑さ日本一を争う、多治見市の面目躍如です。あまりありがたくない日本一かもしれませんが。
 今日は夕立があり、昼間熱された屋根が冷やされて、多少は涼しくなるかと期待しています。このところ、連夜の熱帯夜で、エアコンがない私は扇風機を使っていますが、夜は寝苦しく、睡眠不足気味です
 5階建ての団地の最上階なので、屋根が熱されて、一晩中30℃を大きく超える日が続きます。

 今回は『地球最後の男――永遠の命』の8回目です。


 田上は大杉組に三顧の礼で迎えられた。マルミで大きな騒動が起こり、田上はマルミにいられなくなった。そこを、大杉組若頭補佐の薮原が、是非とも大杉組に来てほしいと、手厚く迎え入れたのだった。最初は暴力団に入ることにためらいを見せた田上だが、ある意味チンピラや半グレたちの乱暴を押さえ、街に秩序をもたらすのも、暴力団の大きな役割であり、田上さんには合法部門で手腕を発揮してほしいと説得された。秩序といっても、暴力と恐怖による支配に頼った秩序でしかないのだが。マルミを辞めざるを得なかった田上は、やむなく薮原の口車に乗った。
 不老不死となった身体で、いつかは大きなことを成し遂げてやろうと考えている田上は、裏の世界でどんどんのし上がり、やがては組長として組織を合法的なものに改組し、政治の世界に食い込むのも悪くはないだろうと思った。
暴力団を全廃し、組員の受け皿になる合法的な組織を作り、徐々に更生させていく。どんな方法で組員を更生させるかは、これからじっくり考えていけばいい。俺にはその時間があるのだ。世の中から暴力団をなくせば、世間に貢献できるだろう。いろいろおもしろいことが体験できそうだ。

 薮原を襲ったのは、対立する組織ではなく、薮原の勢力を恐れた、若頭の一味だということが判明した。組長はその若頭を絶縁し、薮原を新たに若頭に抜擢した。薮原と拮抗していた他の若頭補佐も組から脱退し、以前の若頭についた。
「田上さん、せっかく合法部門にと来てもらったのに、やっかいなことになってきた。対立する組織との抗争ならやむを得ないが、つい最近まで身内だった者から命を狙われることになるかもしれん。やつらは田上さんも当然標的にするだろうから」
 今や上下関係なしの兄弟分となった田上に対し、薮原は詫びた。
 「いや、気にしないでくださいよ。こうなったからには、薮原さんも俺も一蓮托生ですよ。それに俺はちょっとやそっとでは死にませんからね」
 「しかしなぜ田上さんは心臓を撃ち抜かれても死ななかったんですか? それが不思議でしかたがない」
 「それは俺にもわかりません。もう三〇年以上前になりますが、バスの事故で一度死にかけたのですが、医者も奇跡だと驚く回復をしました。その事故がきっかけで、そんな力を得たのかもしれません。それ以降、外見上年を取ったようには見えなくなりました。南アルプスで転落したときも、頭が割れたはずなのに、数十分後には回復してしまいました」
 田上は悪魔との契約とは言わず、適当に言葉を濁した。悪魔との契約というのも、単なる夢の中での絵空事なのかもしれない。

 元大杉組若頭安岡義久(やすおかよしひさ)が、時を同じくして大杉組を脱退した、息のかかった組員と共に設立した安岡一家は、道心会と対立する豊国会(ほうこくかい)に接近した。豊国会の会長は、手土産(てみやげ)として薮原もしくは田上の命(タマ)を取ってくるよう要求した。しかし鉄砲玉が薮原の殺害に失敗したことで、警察も暴力団同士の抗争を厳戒している。だから表立って戦争を始めることはできなかった。
 それで安岡はヒットマンを送り込んだ。薮原は警戒が厳重なので、まずは田上が狙われた。田上は組事務所からの帰り、一人で歩いているとき、二人組に襲われた。
 「あんたが田上さんだね。大杉組幹部に用いられたにしては、夜中に一人歩きとは不用心だね」
 一人が田上の後ろに回り込み、田上の退路を断った。
 「おまえたちは安岡一家の者か?」
 「ああ、そうだ。誰に殺されたか知らずに死んじゃあ死にきれないだろうから、教えておいてやる」
 そう言って一人がいきなりナイフを抜き、田上に躍りかかってきた。そして心臓を一突きした。その男は田上の心臓を貫いていることを確認した上で、ナイフを抜き取った。そのとき、血液が傷口から吹き出した。
 「たわいない。これで俺たちも刑務所(べっそう)から出たら、金バッジだぜ」
 二人の男は意気揚々と引き上げていった。

 しかし田上は無事で、傷一つ負っていないという情報を安岡一家が確認した。安岡義久は田上を襲った三下の二人を組事務所に呼び出して、問い詰めた。二人は間違いなく田上の心臓をナイフで一突きにした、絶対人違いじゃないし、刺したあと、心臓を貫いていることを確認した、と弁明した。
 「それじゃあなぜ田上の野郎はぴんぴんしているのだ?」
 「そんなこと言われても、俺たちにはわかりませんが……」
 二人は震えながら言った。そのとき、別の一人が「組長、待ってください。そいつらの言うことは本当かもしれません」 と安岡を遮った。
 「前に薮原を襲撃したとき、薮原をかばって、田上が銃弾を受けたんですが、やつは死にませんでした。薮原は銃弾が逸れたと言っていましたが、間違いなく命中していました。その場にいた者がそう証言しています。以前にもチンピラどもが田上を痛めつけたことがありましたが、やつは全くの無傷でしたぜ。田上には何か秘密があるのでは? それで薮原も田上を兄弟分として用いているのでは?」
 「どういうことだ? 田上は不死身とでもいうのか? ばかなことを」
 安岡は憤った。そのときだった。
 「殴り込みだ!!」
 玄関の方から、そんな叫び声が聞こえてきた。怒声に交じり、銃声が飛び交った。玄関は修羅場と化しているようだった。
 「殴り込みだと? 誰だ、そんなふざけた野郎は? 大杉組のやつらか? 田上を襲ったんで、報復しに来やがったのか」
 安岡は不安げにモニターに目をやった。この事務所はまだ開設して間もなく、抜け道などの備えはなかった。最近は暴対法のせいか、なかなか事務所に適した物件を借りられない。本格的な事務所を構えるまでの一時しのぎに借りた建物なので、いざというときの備えは十分ではなかった。その分、玄関には多くの組員を配して、警戒を厳重にしていた。
 「相手は何人だ?」
 「はい、田上一人です」
 「何だと? 田上一人だと? 雑魚(ざこ)一匹に何手こずっているのだ? 殺してもかまわん。とにかく、大きな騒ぎになる前に、早いとこ叩きつぶせ!!」
しかしたった一人を相手に何人もの屈強な男たちが手こずっている。殴っても刃物で斬りかかっても、拳銃で撃っても田上は立ち上がってくる。そして素手で一人一人を叩きのめしていった。田上はついに組長室に乱入した。
 血だらけになって仁王立ちしている田上を見て、安岡は震撼した。
 「何をしている、早くやつを殺せ!! 仕留めたやつは、幹部に抜擢してやるぞ」
 安岡は怒鳴った。その声に応じ、組員たちが田上に拳銃を発射した。しかし田上は倒れない。安岡一家の組員たちは、そんな田上に恐怖を覚え、何もできずに立ち尽くした。
 「ばかな。拳銃でも倒れないとは。やつはターミネーターか?」
 安岡はまるでアメリカ映画に登場する殺人マシンが目の前に迫っているように怯えた。安岡を守るべき幹部たちも、修羅のごとき形相の田上に、手出しできずにいた。田上は安岡を睨んだ。
 「もう俺たちを狙うな。ご覧のとおり、俺は不死身だ。俺を殺したければ、ミサイルでも持ってきて、粉々にするんだな。もし大杉組に手を出せば、今度はおまえを殺す」
 田上は自分に刺客を差し向けられたことで、抑制が利かなくなっていた。もし悪魔からもらった不死の身体でなければ、自分は二度殺されていたことになる。それで、盟友の薮原にも何も言わず、単独で安岡一家に殴り込みをかけた。怖いとは思わなかった。銃弾を急所に三発受けても、心臓を刃物で貫通されても死ななかったことで、もはや悪魔との契約は現実のものだったと確信を持った。撃たれたり斬られたりすれば激痛はあるが、決して死にはしない。それに、以前に比べ、回復や再生のスピードが格段に速くなっている。
 それでも、安岡一家の組員は殺したり重傷を負わせたりしない程度に痛めつけるという理性は保っていた。不死だという確信があるからこそ、できることだった。田上はたゆまぬ鍛練により、今は超人的な強さを身につけていた。
 安岡の用心棒たちは戦意を失った。安岡も鬼の形相の田上に降参した。
 「わかった。もう決しておまえたちを襲わない。約束する。おまえのような化け物を相手にするのはもうたくさんだ」
 「化け物だと? 相手を見てものを言え。まあ、武士の情けだ。おまえらも、たった一人にこれほどまでにやられたとあっては、やくざとしてのメンツが丸つぶれだろう。俺は今日のことは決して口外しない。おまえたちが約束を守ればな。しかしもしまた俺たちを狙うようなことがあれば、次は容赦しない。俺一人で安岡一家を徹底的にぶっつぶす」
血まみれの衣服を隠すため、用意しておいたコートを羽織って、田上は意気揚々と引き上げた。

安岡はもう田上たちを狙うことをしなかった。近所から、何度も銃声のような音がしたと通報を受け、出動した警察にも、組の内輪でちょっとしたいざこざがあったが、もう解決した、と言い逃れ、事件をもみ消した。

 やがて薮原は全国組織道心会の三代目会長となり、田上は合法部門を一手に任された。娯楽施設、風俗産業から土建、ホテル、飲食業など、道心会が手がけている合法部門は莫大だった。登記上は道心会と切り離してあるので、暴対法の対象となることもなかった。田上の才覚で、合法部門はさらに発展し、大きな収益をもたらした。
  田上は道心会の合法部門を掌握し、その潤沢な資金力を背景に、与党権力に喰らいこんだ。そして政界にも太いパイプを築いていた。不老不死となったからには、大きなことをやってやろうという野望は、早くも結実しつつある。田上は満足だった。自分が不老不死であるのと同様、この栄華も長らく続くと考えていた。しかし、それはある日、もろくも崩れ去った。