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きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

法人団体ものみの塔協会に毒されていなかった地方の会衆

2016-01-15 06:28:19 | 日記
このような記事を書くと


読者のなかのアメブロ会衆の人達は


またbereshitが中途半端な懐古主義で過去を


美化し始めたぞ。


とか思い始めていることだろう。



そうではない。



あの当時の会衆が


助け合いに生き生きしていたこと


それは、統治体や法人団体としての組織の影響を


殆ど受けていなかったから


あの特異な共同体が生まれていたことを


思い出してほしいからだ。



1960年代の会衆など


いまと全く雰囲気が違っていただろうと


想像しています。


昔が完璧に良かったと言っているのでなく


いま明らかに失った何かを昔の会衆が持っていて


その何かは


法人団体としてのものみの塔が幅をきかせなかったからだと思い出したからです。


つまらない器の小さい組織男まぁネズミ男みたいな巡回監督が日本中を組織と自分の権益と食いぶちを守るため日本を回り始めて日本の会衆は毒されていったようにおもいます。



過去を懐かしむ気持ちから書いているのでなく


思い出したこと


そこらへんに線を引いておきたいと感じるので


書いておこうとおもいます。



いまの会衆は例えてみたら


その店しか出せないヴィンテージのステレオで濃厚な重低音を出していた店の主が


ヤマダ電気の法被を着せられて既製品を売らされている感がある。
















わたしが交わったころの会衆の様子

2016-01-14 08:33:40 | 日記
38年前の会衆は

長老も奉仕の僕も含め


組織に殆どのひとが精通していなかった。


統治体という言葉は殆ど会衆に影響を与えなかった。


散髪屋

植木屋

電気店の店長

ごろつきの左官屋

がんこばぁさん

大手鉄鋼会社のエリート社員

画家

そうした社会で全く接点なかったであろう

老若男女が組織のことを全くしらず


それぞれの聖書に基づく信仰で集まりあっていた。


多分そういった

アンチ社会的で暖かい会衆の雰囲気に

惹かれていたのかなぁ~と思います。


いまのように

統治体

組織


寄付


とは縁のない世界だった。


会衆の中に存在していた


素人集団の愛だけが光り


魅力的な集団だった。










統治体のいなかったころ

2016-01-13 10:37:45 | 日記
1960年代までのエホバの証人は

いま頻繁に使用されるある用語を知らなかった。


統治体 だ。


そのことばは1971年になって初めてつかわれはじめた。


それまではペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会の法人団体の会長と理事により決定されていた。

当時会計秘書で理事の一人グラント スーターさへ

ものみの塔を統治している感覚がなかった。


そこに初めて統治体になる可能性が生じた


理事から統治体へ


この考えに普段冷静なグラント スーターですら

耳まで真っ赤に紅潮させたという

我々も統治しようではないか と


ひとが権力に弱さを見せた瞬間だと思う。


それから45年が過ぎ


当時の統治体が死に絶え、だれも当時の教義に


責任を取れなくなった。


そしてブロードキャスティングにみるとおり


エホバの証人イコール統治体宗教に


変容してしまった。


露出度がたかいほど統治しやすくなった構造だ。



聖書時代

王や祭司が腐敗するとかならず神の霊に満たされた


一般のひとが糾弾に立ち上がった。


それが聖書の面白さだった。


権力に媚びない書物


ところがいまのエホバの証人


権力に媚びまくってしまった。