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きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

わたしは負けない

2016-01-19 18:19:32 | 日記
目の前になにが起きようと


わたしは負けない。


いままで以上にその強い衝動が


わたしをわたしの内側から


沸騰して湧いてくる


きらきら輝く可能性に震える人生


わたしは倒れても負けない。


そんな確信が取り除いても


取り除いてもわいてくる。


なぜだろう?





毎日は投資

2016-01-19 18:08:47 | 日記
毎日は何気なく生きているのでない。


毎日は投資してるのだ。


その投資がいつ花開くのかはわからない。


少なくとも目の前に関わっている人と


最高な時間をすごしてゆく。


それが投資だ。


それで充分だ。















二度と戻らない時間を投資している。


何年か先にかかわる人の記憶に残ったら


それで意味がある。

世の中 真理でないと生きてゆけないのだろうか

2016-01-17 07:43:25 | 日記
もちろん間違ったものを

何かただしそうなことをしているから


真理になるわけはない。


エホバの証人はよくいう。


真理よ


これは真理よ


真理だから全てを正当化する思考に慣らされて


しまう。


真理と真実は微妙に違っている


それは真理かもしれないが真実ではないかもしれない。


人は真実に基づいてのみ正しい決定ができる


私たちの現実の生活は


完全な真実さからはほど遠いかもしれない。


真実さの離れたなかで


私たちは幸せをみつけられないだろうか?


あの強制収容所でエホバの証人は幸せな微笑みを


絶やさなかった。


銃口を向けられたとき、幸せに輝き


銃口をむけたふしあわせな男たちがあとずさり


したのだ。


ステファノが石打ちにされたとき


神々しいまでに輝いていた様子をおもいだす。



殺害の息を弾ませて石を握りしめた男たちと


両手を広げ天をみていたステファノとあきらかに


視野の広がりが違っていた。





結果にコミットする当時の長老たち

2016-01-16 06:29:32 | 日記
1976年の最後の巡回大会が


わたしがはじめて出席したものだった。


当時はまだ巡回大会に夜の部があった。


夕ご飯を兄弟たちつくって提供していたのだ。


人間 食事を作って食べさせようとするとき


作る人間も食べる人間も愛情が芽生えくる。


被災地の雰囲気にこの一緒に食べることの価値は


大きいようにおもう。


当時の地元の長老たちは夕方を過ぎて


こどもたちが寝てしまうことが気になっていた。


それで大会の長老たちの集まりで


巡回大会のプログラムの一部をこどもがわかるよう


人形劇でしたらどうかという議論が巡回監督に



提出されたのだ。


どうすればプログラムを本気で聴いてもらえるか


結果にコミットする雰囲気があったから


そうした論議が出て行ったのだと思います。


いまはひとが聞くという結果にコミットする話してはほとんどいなくなっただろう。