きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

統治体のいなかったころ

2016-01-13 10:37:45 | 日記
1960年代までのエホバの証人は

いま頻繁に使用されるある用語を知らなかった。


統治体 だ。


そのことばは1971年になって初めてつかわれはじめた。


それまではペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会の法人団体の会長と理事により決定されていた。

当時会計秘書で理事の一人グラント スーターさへ

ものみの塔を統治している感覚がなかった。


そこに初めて統治体になる可能性が生じた


理事から統治体へ


この考えに普段冷静なグラント スーターですら

耳まで真っ赤に紅潮させたという

我々も統治しようではないか と


ひとが権力に弱さを見せた瞬間だと思う。


それから45年が過ぎ


当時の統治体が死に絶え、だれも当時の教義に


責任を取れなくなった。


そしてブロードキャスティングにみるとおり


エホバの証人イコール統治体宗教に


変容してしまった。


露出度がたかいほど統治しやすくなった構造だ。



聖書時代

王や祭司が腐敗するとかならず神の霊に満たされた


一般のひとが糾弾に立ち上がった。


それが聖書の面白さだった。


権力に媚びない書物


ところがいまのエホバの証人


権力に媚びまくってしまった。