ヘンシェル兄弟を握手をかわし、当時 勘当されて疎遠になっていた姉を訪ね、
そのあとに沼津ベテルに行ってみたいと思いました。
そこに、新世界訳を翻訳している兄弟がいると聞いたからです。
一通り案内してもらった兄弟は、神を求めている人でした。
その兄弟はトイレの掃除をするとき、そこに神が見ているように感じ取りながら
人に見られてないtころをきちんとしようと努力している人でした。
見学をおわった時、新世界訳の日本語訳をしている人に合わせてほしいと頼みま
した。
すると、織田信次兄弟に会いました。
織田正太郎兄弟の弟です。
独特のきりっとした目つきで前向きなことをバンバン言うのが印象的でした。
そして、三浦勉兄弟に会いました。
現代の新世界訳のトランスレーションサービスは英語の特定の表現から
早く訳せるような重訳めいたところがあります。
翌日本語の新世界訳は、重訳という批判があります。
しかし、その当時の三浦 勉兄弟はヘブライ語から日本語に沿う意味合いを伝
得るか悩んでなかなかすすめられないといっていました。
たとえば、ノアが酒に酔うという表現をあげ、ヘブライ語ではノアがワインに
酔うという表現だそうです。日本語にワインに酔うという直截の言葉がないた
めどうしたらいいか悩んでいました。
そのような会話ができたことに神に感謝し、三浦勉兄弟とわかれて
沼津ベテルを出ようとした時、後ろから声がします。
上を見上げると、三浦 勉兄弟が 3階から
(何か たべるものが ありますか~~?)
という声がするではありませんか。
5合の5個のおにぎりを食べつくし、空腹を味わっていた私は
上を見上げ
(ありませ~~ん!!)
と答えました。
すると驚いたことに一食分だと言って
三浦勉兄弟が ベテルのサンドイッチを手渡してくれました。
よっぽどみすぼらしかったのだと思います。
そのサンドイッチの暖かさがいまだの覚えています。
熱海駅で降りて泣きながら食べました。
そのあとに沼津ベテルに行ってみたいと思いました。
そこに、新世界訳を翻訳している兄弟がいると聞いたからです。
一通り案内してもらった兄弟は、神を求めている人でした。
その兄弟はトイレの掃除をするとき、そこに神が見ているように感じ取りながら
人に見られてないtころをきちんとしようと努力している人でした。
見学をおわった時、新世界訳の日本語訳をしている人に合わせてほしいと頼みま
した。
すると、織田信次兄弟に会いました。
織田正太郎兄弟の弟です。
独特のきりっとした目つきで前向きなことをバンバン言うのが印象的でした。
そして、三浦勉兄弟に会いました。
現代の新世界訳のトランスレーションサービスは英語の特定の表現から
早く訳せるような重訳めいたところがあります。
翌日本語の新世界訳は、重訳という批判があります。
しかし、その当時の三浦 勉兄弟はヘブライ語から日本語に沿う意味合いを伝
得るか悩んでなかなかすすめられないといっていました。
たとえば、ノアが酒に酔うという表現をあげ、ヘブライ語ではノアがワインに
酔うという表現だそうです。日本語にワインに酔うという直截の言葉がないた
めどうしたらいいか悩んでいました。
そのような会話ができたことに神に感謝し、三浦勉兄弟とわかれて
沼津ベテルを出ようとした時、後ろから声がします。
上を見上げると、三浦 勉兄弟が 3階から
(何か たべるものが ありますか~~?)
という声がするではありませんか。
5合の5個のおにぎりを食べつくし、空腹を味わっていた私は
上を見上げ
(ありませ~~ん!!)
と答えました。
すると驚いたことに一食分だと言って
三浦勉兄弟が ベテルのサンドイッチを手渡してくれました。
よっぽどみすぼらしかったのだと思います。
そのサンドイッチの暖かさがいまだの覚えています。
熱海駅で降りて泣きながら食べました。
が、、、ちゃんと耳をそばだてて話を聞いているときちんと筋の通る話をしていてわたし的にはものすごくおもしろかったことを覚えています。
巡回監督の前を素通りして兄弟にだけお礼を言って帰ったのを覚えています 笑
三浦兄弟は今残念な扱いを受けていますが、私もいつかコンタクトをとっていろいろ質問してみたい人です。灯台社時代の話をいろいろききたいですね。
そういえば、NWTの翻訳には羊を食えで有名なイズラブ兄弟もかかわっていたとどこかで聞いたのですが、どうしてもそれをメモしたノートが出てこないのです。
名前は出しませんが、支部委員の中には信仰ではなくビジネスとしてjwをやっていると感じさせる人もいます。
もちろんそう感じさせるだけで、恐らく実際には信仰もあるのでしょうが。
新世界訳の日本語訳に携わったこのお二人はどうだったのでしょうか?
個人的な面識はありませんが、ダンラップ兄弟と重なってしまいます。
最近は使われなくなっている感がありますが 一時 JWが伝道で使用していた「ボランティア活動をしていまーす」というのを見るたびに 本来のボランティアと違うと思うんだけどな・・・と思ったりして・・
神様は私たちのことを見ててくれているのでしょうか、こんなに皆が神を求めて歩いてきたのに。
彼の去り際は本当に男のロマンを感じます。
おっしゃることに全く同感です。
最近はJW.ORGで聖書レッスンという新たな
言葉を使っていますが。。。。
いずれもいい感じがしないですね。
実態を隠しているような欺きさへ感じます。
私もよく泣いてしまいます。
そして、なけたあと幸せを少し感じます。