天職のことを calling という。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/eb/6afdc6c52d437c5dd65ce5f81607e1e0.jpg?1585879952)
平原綾香のjupiterは
Everyday I listen to my heart
毎日 わたしのこころの声に耳を澄ます
ことからはじまり
わたしを 呼んだなら どこへでもゆくわ
と歌詞は続く
わたしを呼ぶ calling
わたしを呼ぶ声を聴けたとき
人ははじめてどこにでもゆく自由がえられるのだ。
使徒たちがそうだった。
毎日 毎日 魚を網でとり
そのとれた魚の量で一喜一憂していた
ペテロ ヨハネ アンデレ ヤコブ
わたしについてきなさい。
その一声ですべてのものをあとにして
ついていった。
callingが生じたのだ。
人生とは組織上の上位者の人間に
振り回されて生きてゆくのをやめ
わたしをよぶこえに
耳を澄ますことではないだろうか。
わたしを呼んだならどこへでもゆく わ
という
わ にそのひとの
選択の自由があるのだ。
わたしはいま
どの組織のためにも働いていない。
わたしを呼んだなら どこへでもゆくわ
といえる自由をひとりかみしめながら
生きて
倒れて
それでも明日への希望に満ちている。
もう2020年に生きているどのひとの評価もいらない。
わたしは わたし
その わたしを呼んだなら
わたしはどこへでもゆける
その
わたしを呼ぶ声は何か
それに耳を澄まして
わたしはじっと目をつぶっている。
ある日には
わたしのこころの声もきこえなくなり
わたしを呼ぶ声からも見放されたように感じても
わたしを呼んだなら どこへでもゆくわ
そうした気持ちを大切にして生きていたい。
ながいこと
このわたしのこころの旅を共にしてくれて
本当にありがとうございました。
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bereshitmail@gmail.com
わたしもそのように生きていきたいと思いました。
またいつの日か、心の旅をご一緒させていただけたならと願います。
心からの感謝をお伝えします。
ありがとうございました。
Calling youを想い出しました
I am calling you
can't you hear me
I am calling you
いつか 誰かが もしくは なにかが
あなたを呼ぶ
カラヴァッジオの 聖マタイの召命の絵のように
俯いて 銭勘定に没頭している収税人マタイが
キリストに呼ばれ 眼を上げて次の瞬間
キリストに従ったように
いつか 誰かが あなたを呼ぶ
I am calling you
I know you hear me
I am calling you
ずっと 呼び続けている
その声が あなたに 聴こえたなら
また この場所で
逢えるときが 来るかもしれませんね
では そのときまで
さようなら
どうぞ お元気で
わたしもそのCalling you
思い出していましたよ。
https://www.youtube.com/watch?v=oCLpLWcX2cg
そして
もうひとつ
If I rise という曲
In your life, your mad
In your car, your sad
O' your taller now I've found
Hold your fire course
O' your fallen out
Go and sow your courses
If I rise, they are on my drive
If I believe, it's more than it is
More than it is
If I rise, one more chance
All our dreams, more than this
O' your taller now I've found
Hold your fire course
O' your fallen out
Go and sow your courses
If I rise, they are on my drive
If I believe, it's more than it is
It's more than it is
If I thought I wanted more
Get the life more
Just one more call
Though I've never lost
Believe I don't care
Never again
If I rise, they are on my drive
If I believe, it's more than it is
It's more than it is
If I thought I wanted more
Get the life more
Just one more call
If I believe, there's more than this
Anymore than this
あなたは 地の底に沈み
狂い続けた
来る日も来る日も
虚しくもがく手
かつて持っていた燃えるような光の賜物も去って
すべてを無くし
落ち続けた
だけど そこを抜け出し
再び 神の道筋を見出すのだ
もし 這い上がれたら
もう一度チャンスは訪れるはず
もし 這い上がれたら
もう一度やり直そう
導きはある
これまで以上に
そして 人生を掴み取り
召しの声を再び聴くのだ
もう それを決して見失わない
信じて
決してあきらめないで
もし 這い上がれたら
この手で掴むんだ
人生を 命を
この 素晴らしき人生を
https://www.youtube.com/watch?time_continue=279&v=g-men_-ojyA&feature=emb_logo
それから
先日、キングクリムゾンのドラマー
ビル・リーフリンが59歳の若さで
亡くなってしまって
そこに寄せられていた
コメントに痛く共感しました
「あなた(たち)が永遠にいると、どうして信じられていたのだろう。たといそれが半永久でない覚悟はうっすらあったとしても、順番と理解してるつもりでも、ほどよく悲しまないお別れなどあるわけないのにねぇ。好きなひとの数だけこんな思いをこれからたくさんするのかと思うと、ちょっと気がふれそう。」
「旅立ってからあなたが好きだったこの曲も好きだったあれもこれも美しかったと云うの、どうしようもなく自分は迂闊な莫迦野郎で、自分の奥の中のなにかが猛烈に傷むな。
命が世界にパスされて二度目の生を生き始めると云えるのかもしれないけれど、やっぱりそのひとが在るうちに受発信するのがいいよ。」
べレさんの発信してくださる
数々の言葉や写真という作品を
「いつもある」もの
としていられた日常は
とても贅沢なものだったのだなぁ
いつかすべてのものに
「お別れ」がくる
もう
わたしの周りでは
「お別れ」の時が
色濃く取り巻いています
あれもこれも
10年前とは明らかに違う
思えば
こちらのブログにお邪魔させてもらって
たぶん、7年くらい経ちますね。
7年といえば
産まれた子が小学生になる年月ですよ
すごいですね~
まさかこんなことになるとは、、、笑
わたくしbluemoonは
この洞窟ブログで
生かさせて頂いてたようなもんです
ほとんどここだけで生息していました。
ここに居るあいだ、
bluemoonとして
生きました。
ほんとにいろいろ想い出あります
ほんとに楽しかった
皆さんとも知り合えて
一生懸命考えて
一生懸命語って
たくさんの
たくさんの
ありがとう
を伝えたい
べレさん、ありがとうございました。
皆様、ありがとうございました。
どうかどうか
お元気でね。
Chao
bluemoon
エホバを知らない世の人達も、理解と共感出来る話題がたくさんのアドラムの洞窟様のブログですので、ご再開心より切望しています。
私も結局ここまでついてきてしまいました〜(*´-`)ゞ
コメントは考えあぐねて、ずいぶん時間かかってしまったー(*´Д`*)
私はね、ベレ兄さんの聖書の話がやっぱり好きだったから、
時々組織に対する観察や
聖書に触れた記事、伝道のヒントなど読むたびに
ベレ兄さんの中にまだ残る
置いてきたものに対する愛情を感じていました
私は洞窟デビューが遅かったので
ベレ兄さんや皆さんと
ワイワイ話し合えた経験はありませんが、
ここで、本当に多くの事を学ばせていただきました
特にイエスに対する洞察が大好きでしたし、
また16.9.8の「本当の自分の感情に気づいてあげる」のような記事で内面を深く見つめるようなものが好きでした。
そしてそれに対するbluemoon姉さんのコメントも素晴らしかった(子を奪われた母猿の話です)
イエスの人々に対する哀れみの深さを知りました
好きな記事は数えきれないくらいあります
それは私のノートにとってあります
本当に私の人生を豊かにしてくれました
だから、苦しんでる時は
何とか 何とか したいと 思った
ベレ兄さんはこれからもたくましく、しなやかに
生きていこうとされているのですね
自分に呼びかける声に耳をすませ
海を渡っていく自由人のようです
私は相も変わらず
海辺の砂浜でキレイな貝殻を見つけては
喜んでいる子どものようです←いや、おばちゃんです
ベレ兄さんのこれからを応援していますよ
それでも、もし、もし
ふらっと戻ってもいいかなぁと
思う日が来るなら
戻ってきてくださいね
あなたを呼ぶ声のところにね
今年の記念式は 各自が家で行なうようです
こんなこと 初めてですね
みんなで同じ満月を見ながら、それぞれの思いを胸に
お二方の愛に想いをはせる時となりますように
(*´ー`*)
みなさまへ
最後に厚い思いを書いてくださり
ありがたき幸せを感じました。
たったひとり
発信してゆくなかで皆さんひとりひとりの感性に
どう響くかでこのブログが完成してゆくと感じていました。
みなさんの文章からそれがヒシヒシかんじます。
思えばJWのブログで
これほど深い精神的なコメントを寄せてくれたブログはあまりなく
そうした道を開いてくださったみなさんをはじめ
初期の頃からコメントしていただいた
何百人のひとりひとりにも感謝お礼申し上げます。
みなさん一人一人がひとりひとりに起きた化学反応がなければこのブログはなりたちませんでした。
本当の理由は言わなかったが
ヒラになれた
このブログの最後に報告できて良かった
ブログをやめるなら一つ覚えておいて欲しい
写真は撮り続けないと腕が鈍ることを
センスだけではどうにもできない部分があることを
ベレーシートさん、長い間お疲れさまでした。
あの頃はいろいろお世話になりました(笑)
ベレーシートさんも、こちらで関わってくださった皆さまも(ROMの方も含めて)なかなか大変な時期ですが、どうかお元気で。
いつの日か・・お会いできると良いですね(^^)/
私は、私を呼ぶ声は・・聞こえています。
真っ直ぐ1本筋の通った温かい呼びかけです。
でも私はものぐさだから、ときどき呼びかけ直してもらわないといけません(キリっ)
あっちふらふら~こっちふらふら~日常茶飯事です。
それをちょんちょん、と日々楽しく矯正(笑)していただいております。
私が思うに、人間はただ一度のcallingくらいで、それから万事上手く行動できるわけでもなく、右往左往しながら何度もcallingを経験して、ちょっとずつ進んでいく生き物なのかな~と思う次第です。
記事の意図と見当違いかもですが、まぁそう気になさらず(^O^)/
では。
背教ブログに コメントするのは勇気がいりました。笑
この手のブログにコメント入れることはまだハードルが高くて
その時は現役でまだ群れの監督とかやってましたし
辞める決意もまだ決まってなくて
まだ あの宗教を信じたくて
あれって 何年前でしたかねぇ 7-8年前かな。
始めてコメントしたときのことを覚えていますよ。
たしかあのときもベレさんがブログを辞めると言っていて。
辞めないでくださいよ~
とコメントしたのが初だったように思います。
あの後、ここでいろんな人と知り合って
何人かには会うこともでき。
信頼できる友を何人も得ることができました。。
このブログがあって ボクの人生は変わりました。
とっても 感謝しています。 ありがとうございました。
いよいよ、このブログも終わりなんでしょうか。
でも、今はあの頃ほど、熱い人はいないように思います。
時代なのか、それとも隠れているだけなのか。
これからのJWはどうなっていくんでしょうねぇ。
今でもJWやってる人の中ではかつて熱い思いを持っていた人ももちろんいるんだと思うんですが
彼らはどんな心境なんでしょうねぇ。
でも、肩を並べて頑張っていたかつての仲間たちとまた語り合いたい心境もあります。
コロナの影響なんでしょうか。
かつてのパートナーや友達が数人メッセージ送ってきました。
離れた人を呼び戻すキャンペーンがあるらしく、そのためなのか?
そうではないと思いたいですが、、、
まぁ、もちろんもはや戻ることはないわけですが
宗教を超えて人間として リスペクトとお互いをお思いやる心でふれあいたいな、そんな夢をもちながら。
みなさん、コロナ生き残りましょうね!
さよならは言わない!
あれからどれほどの時間が過ぎたのだろうか
すごく苦しい毎日にこの洞窟によく逃げ込みました。
聖書時代から洞窟とか荒野って偏屈とか変わり者とか居場所のない人たちのたまり場で、ここの洞窟も同じで変な人たちが沢山いてそれはそれは賑やかでしたね。そもそも主(あるじ)が一番変わり者でしたからどれほど救われた気持ちになったことか、改めて感謝致します。
あれから私はすっかり偽善者としての役柄が板についてきまして、それでも必死に演じる毎日ですが、なんとか日常の自分の居場所を作り出しています。
近頃この組織もZoomだクレカ寄付だ野外も大会も取りやめだ、JK訪問の食事招待までZoomで遠隔食事招待だと苦笑してしまう状況ですのでベレさんの基調をなす話(笑)が聞きたいです。
また最初から記事とコメントを読み直そうかな?