メイン会場でないところは、音声だけだったみたいなので
メイン会場でおきた雰囲気を書いてみます。
聴衆が始めて笑ったのが
息子の自慢の金髪のカールが40歳を過ぎてみな毛がなくなってしまった。
このときまで通訳の堅物の通訳が
いちばんいい通訳だった。
通訳者の髪の毛も頭の部分が全て抜け落ちていたがアンソニーは、綺麗な白髪だった。
今回の目玉のマタイ伝を発表したとき
割れるような熱烈な拍手が
ナゴヤドームでおきなかった。
聴衆は、なになのかどんな意味があるかはっきりつかみそこねた雰囲気だった。
池畑兄弟の例の興奮したこと大きな声で純粋に祈ったあと
アンソニーは、驚くことをした。
マタイ伝みんなにもう一回会場のいろんな方向でみせて
会場のあちこちの方向に深々とお辞儀をしたのであった日本風のやり方で。
統治体のこの姿を見て会場の名古屋のエホバの僕の心が一気に解始めたようだ感じがありました。
急に親近感を持ち始めたみたいなのです。
聴衆は急に親近感を感じわれんばかりの拍手をし始めると立ったままアントニーが球場を歩いて横切るまでずっと手を叩いていました。
そして、最後に球場端の入り口に着いたときAnthonyは、くるりと後ろを振り返りそこでまた何度も何度も何度も何度も深くお辞儀をし始めたのです。
もちろんこれを社交辞令のようなジェスチャーのように見える人たちもいるかもしれませんが、意外と統治体の兄弟たちの本心の姿だと感じました。
レッシュ兄弟と話したとき
彼は、何度も忠実で思慮深い奴隷が肩を並べて
大群衆に仕えるという表現を何度もしていました。
話し終えると肩を切ってさっそうと帰ろうとする支部委員たちと鋭い対称をなしています。
ネット上で言われてる権力構造の
上から目線は、この統治体にとっては
無縁のように思います。
彼らは、仕えることに喜びを感じる人だと本当に思います。
ようは、その権力の威をかりて
上から目線で話したがる
地域巡回監督が相当勘違いをしている
ように思います。
もう一回福助の写真をのせときます。


メイン会場でおきた雰囲気を書いてみます。
聴衆が始めて笑ったのが
息子の自慢の金髪のカールが40歳を過ぎてみな毛がなくなってしまった。
このときまで通訳の堅物の通訳が
いちばんいい通訳だった。
通訳者の髪の毛も頭の部分が全て抜け落ちていたがアンソニーは、綺麗な白髪だった。
今回の目玉のマタイ伝を発表したとき
割れるような熱烈な拍手が
ナゴヤドームでおきなかった。
聴衆は、なになのかどんな意味があるかはっきりつかみそこねた雰囲気だった。
池畑兄弟の例の興奮したこと大きな声で純粋に祈ったあと
アンソニーは、驚くことをした。
マタイ伝みんなにもう一回会場のいろんな方向でみせて
会場のあちこちの方向に深々とお辞儀をしたのであった日本風のやり方で。
統治体のこの姿を見て会場の名古屋のエホバの僕の心が一気に解始めたようだ感じがありました。
急に親近感を持ち始めたみたいなのです。
聴衆は急に親近感を感じわれんばかりの拍手をし始めると立ったままアントニーが球場を歩いて横切るまでずっと手を叩いていました。
そして、最後に球場端の入り口に着いたときAnthonyは、くるりと後ろを振り返りそこでまた何度も何度も何度も何度も深くお辞儀をし始めたのです。
もちろんこれを社交辞令のようなジェスチャーのように見える人たちもいるかもしれませんが、意外と統治体の兄弟たちの本心の姿だと感じました。
レッシュ兄弟と話したとき
彼は、何度も忠実で思慮深い奴隷が肩を並べて
大群衆に仕えるという表現を何度もしていました。
話し終えると肩を切ってさっそうと帰ろうとする支部委員たちと鋭い対称をなしています。
ネット上で言われてる権力構造の
上から目線は、この統治体にとっては
無縁のように思います。
彼らは、仕えることに喜びを感じる人だと本当に思います。
ようは、その権力の威をかりて
上から目線で話したがる
地域巡回監督が相当勘違いをしている
ように思います。
もう一回福助の写真をのせときます。



と,思っていましたが,そういうことだったのですね。
コンサートを終えたアーティストも同じようなことをしますが,ファンには気持ちが伝わってきますね。
彼らにとって私たちは仲間の同労者?それとも,自分たちを支えてくれるファン? どっちなんでしょう?
わたしも録音を聞いてましたが,
会場の様子を知って,
希望が持てました。
彼の姿勢は見えてくるとおもいます。
3.4回の社交辞令でなく
多分10数回深いお辞儀をしていました。
ただ、今回は会場が悪かった。
メーバー兄弟が日本語の挨拶で「掴みはO.K.」だとしても
モリス兄弟が何度も心からお辞儀をしてくださっても
野球場とは外国人助っ人がヒーローインタビューで同じことを散々やり尽くした場所だからです。
せっかく彼等が我々を真摯に気遣っていたとしても、パフォーマンスにしか映らない場所であったのは残念でした。
日本人はこれまでの何十年間、球場での外国人パフォーマンスを見すぎてきました。
その下地ゆえドーム出席者に真意が伝わり難かったとしたら惜しいですね。
…と珍説を唱えてみます。
割り当てだけ卒なくこなして
忠実を果たしたと勘違いしている
日本の兄弟たちに比べたら
学べるとこはあるとおもいます。
一度直接会って意見をぶつけてみたら
NETで言われてる人じゃないと
肌で感じるとおもいます。
お辞儀の件ですが,国民性が強く関係しているのではないかと感じました。
以前織田兄弟が地域大会に来てくださった時も
話の後,肩を張ってささっと歩いて去っていく感じでした。
おそらく,もし今回日本の支部の兄弟がお辞儀を何回もしていたら,どうだったでしょうか。
私が感じることとして,あなた個人に注目してるんじゃないからそんなにお辞儀しなくても良いよ
って思うのではないかと感じました。支部の兄弟
=日本人の感覚ですと,栄光は全てエホバに帰さなければならないので,個人が目立ってはいけないという気持ちが強いと思います。国民性ではないでしょうか。 内面は,支部の兄弟たちもすごく優しくて温かい印象があります。
確か90年の地域大会で織田正太郎兄弟が話しに来てくださったのですが,プログラム中,話が終わったときは目立たないようにサッサと歩いて去って行きましたが,プログラム終了後は,満面の笑みで自発奉仕者に頭を下げておられました。あの時は感動しました。
それと91年には長崎兄弟が来てくださったのですが,休憩時間にべテル希望者の集まりがあったのですが,そこでの長崎兄弟の表情・口調・接し方はやはり引き寄せられましたね。イエスみたいでした。 ですから人前では目立つような行動を取ってはいけないという国民性の違いではないかと思います。どうでしょうか?
この記事を見ていて昔の支部の兄弟のお話を思い出し懐かしくなったので,テープを探して90年の地域大会で織田が兄弟話されたあなた方は神を尋ね求めよという話を聞きました。神を探求する人類の歩みという本が出た時です。
久しぶりに鳥肌が立って感動しました。
長々と失礼しました
ムネリンの真似でしょうか?w
名古屋ドームでムネリンパフォーマンスとは
モリスも大概ですね。