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きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

統治体のメンバーとの思い出

2012-01-28 08:40:29 | 日記
エホバの証人と研究してはじめてそうした人たちがいることに気がつきました。
1976年の年鑑でアメリカの歴史を読むにつれアレクサンダー・ヒュー・マックミラン兄弟のウィットにとんだ言葉を読んでそうした兄弟たちの言動が信仰のお手本のように思えてきました。ジョージア州のアトランタ刑務所にラザフォード兄弟たち入所した時、ラザフォードが浮かない顔をしていました。刑務所の留守中に自分の会長職を奪われるのでないか心配していたので。マクミラン兄弟はラザフォードに向って、兄弟そのことより。自分はこのテニスの試合にけりをつけることに関心がありますと言ってラケットを高く上げボールをラザフォードに打ちつけます。この記述を初めて読んだ時に、何かの固定観念が崩れすごく自由な風を感じ取りました。以来統治体の兄弟たちは何か素晴らしい信仰を持っているんじゃないかと考えて全員に会ってみたいという衝動が生まれました。周りの兄弟姉妹は統治体の兄弟に信仰をしているえあけじゃないんだからとなじられたのですが。私はこの信仰を続けた人が言ったどんな人格になるのだろうかということに関心がありました。

以来いろいろな場面で統治体の兄弟と個人的に会い個人的な話し合いをする努力をしてきました。

中央にいなかったし、中央にコネがなかったので本当に大変な努力がいりました。

これまであった統治体や元統治体の成員は以下の兄弟たちです。

ロイド・W・バリー兄弟 2回面会
ダニエル・シドリック 兄弟 2回
レオ・K・グリンリース兄弟
フレデリック・W・フランズ兄弟
ミルトン・G・ヘンシェル兄弟 4回
ジョン・E・バー 兄弟  2回
セオドア・ジャラズ兄弟 1回
アルバート・D・シュローダー兄弟 1回(因みに息子のベン・シュローダー)
ケアリー・W・バーバー兄弟 2回
ゲリト・レッシュ兄弟 3回
カール・F・クライン兄弟 1回
ライマン・A・スウィングル兄弟 2回

の12人の統治兄弟たちに会い。人生の美しい断片の思い出があります。

あと統治体でないですが、ロバート・ウォーレン兄弟
チャールズ・モロハン兄弟(ノア兄弟の秘書だった)
ジェームズ・マンツ兄弟 (現執筆部門 元日本支部委員)

などと個人的な質問を交わした内容がいまでも信仰の支えになっています。

確かにこれらの兄弟たちは一般のエホバの証人と違った大きなものを感じました。

また、一般信者が常套句にしている忠実で思慮深い奴隷 特に統治体の兄弟たちというひとまとめの権力集団という意識をほとんど持ち合わせていない
素晴らしい信仰とユーモアの持ち主でした。

この人たちの事をたくさんみなさんとも分かち合いたいのですが、まだその決心ができません。




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7 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (りんご)
2012-01-28 20:42:36
こんばんは。

統治体の兄弟と会う機会ってあるんですね~。
記事を読んで、びっくりしました。

一般の末端の信者にもそういう機会ってあるのでしょうか。
それとも、bereshit007さんが、特殊な地位にいらっしゃったのでしょうか。。。

紹介してくださった冒頭の逸話には、日本にはない自由な雰囲気を感じますね。
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Unknown (bereshit007)
2012-01-28 20:55:49
りんごさん。こんばんは。

日本にない自由な雰囲気は本当にその通りだと思います。

海老名ベテルの重鎮たちは、なんとか統治体に一般信者に会わせまいと必死のですが、統治体の個人個人は権力主義におかされている人はきわめてまれのように感じます。

日本からみて盲点ですが、統治体の成員は意外に簡単に会えるんですよ。

エホバの証人の世界にいた時、彼らと会って話したひと時が、一番自分を個人として見ていただけたように感じ取れました。

それに日本のつまらない巡回監督や地域監督は上から目線のくだらない兄弟たちが多かったです。

つまらない人間ほど特権意識が強く、かっこつけた発言が多かったです。

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Unknown (りんご)
2012-01-29 04:49:24
bereshit007さん、ありがとうございます。

ベテルの重鎮たちが、統治体メンバーに会わせまいとするのは、どうしてなんでしょうね。

多くの一般信者は、統治体メンバーには「雲の上の人」のようなイメージを抱いていて、会えるとは想像もしていないかも…と、思います。

bereshit007さんが、おっしゃられている
「彼らと会って話したひと時が、一番自分を個人として見ていただけたように感じ取れました。」
という一言が、私が以前から感じていたJWの持つ問題点の1つ、「集団」として生きるうちに、集団に埋没してしまい「個人としての自分」を見失うのではないかという思いに重なる気がして、ひとり勝手に納得してしまいました。

いつか、書ける心境になられたときに、統治体メンバーとのひとときについて、詳しく教えてください。

それから、自分に自信を持てない人間ほど、自分を大きく見せようと「特権」にしがみついて、他人を見下す傾向が強いのは、どこの世界も同じですね。。。
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Unknown (bereshit007)
2012-01-29 18:55:42
りんごさん
感想をありがとうございます。

統治体の成員とは、公の場所でなくプライベートの場所のほうが本当の人がらに接しられます。

威張ってるように感じたのは、ロイド バリー兄弟だけでした。

彼は、かなり権力順序を重んじる感じがしました。

いろいろと話したいのですが、自分が誰であるかわかってしますから慎重にしておきます。
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こんばんは (ドロンジョ)
2012-01-30 00:56:42
はじめまして、こんばんは。

元2世です。1997年より自然消滅で、エホバの証人を離れました。

久しぶりにエホバの証人を正面切って各ブログに出会えました。

統治体の兄弟に会うなんて、やっぱりすごいことだと思いました。

わたしは地域大会のときに、特別に訪問した兄弟が支部の兄弟に連れられて会場の聴衆席を見回りに来たとき近くで見たことが一回だけあります。名前まではもう覚えていませんが、たぶん、カール・クラインだったと思います。「意思の伝達」というキーワードで研究記事だか大会の講演の筋書きを書いた人で、顔が小さい逆三角形をしていた人でした。近くで見ると以外に背が高くてびっくりしたことを覚えています。

そうですか、いいひとでしたか。ひとりひとりは普通の人間なのに、どうしてエホバの証人の組織はあんなに閉塞するんでしょうね。

「レッド・オクトーバーを追え」という潜水艦バトルの映画で、こんなセリフがありました。

「悪い宰相と思われる方が、無能な宰相と思われるよりました」。

わたしは、統治体の人間が、自分の権力欲に振り回されている人たちであった方がまだ救いがあるように思えます。人間を入れ替えれば済む話ですからね。

でも、彼らが普通のひとびとであったとしたら、いったいどこに原因があるのでしょう。きっと日本の霞が関のように、責任を問われないような組織の仕組みがあるのではないかと推測していますが、わたしはこっちのほうが怖いです。救いがありませんからね。救いというのは宗教的な意味ではなく、悪い「空気」を改善できる可能性のことを言っています。

「良心の危機」で知った統治体の雰囲気とはずいぶん違うようで、ちょっとオドロキです。

気が向いた時でけっこうですから、このブログ、しばらく続けてもらえたら、こちらとしてはいろいろ考えることができてうれしいです。

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Unknown (bereshit007)
2012-01-30 09:15:31
どろんじょさん。元気の出るコメントありがとう。(ドロンジョってヤッターマンのキャラクターかな?)
1997年だから、もう15年も経つんですね。コメントから離れても自分のいたところを注意深く考察してきたことや逆にそれだけ愛情を持っていることもうかがえます。
カール・F.クラインが来たとなれば大阪ドームでの特別集会にいたのでしょうか。クライン兄弟とも忘れられない思い出があります。

霞が関の体質は、日本の海老名ベテルでしょうね。

ブルックリンは、それぞれが改善の意識を持っているし、今が最善でないという鋭い認識を持っているのに対して、海老名ベテルは、おれたちは最善を知っている新参者がなにをいうかといった態度がベテラン長老に多いためそこら辺は違うかと思います。

また感じた事を書いてください。
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セオドア・ジャラズ (ホチキス)
2012-03-15 00:46:22
初めて見た統治体の人間がジャラズ兄弟でした。(といっても、あと見たことがあるのはレット兄弟だけですが。)

1999年の特別集会の朝、会場を織田兄弟と二人で連れ立って歩いていました。自分はジャラズ兄弟に話しかけてあえてうれしいということと写真を一緒に撮ってくれと頼みました。兄弟は一言も話しませんでしたが、堅く握手してくれました。わたしが英語がろくにしゃべれないということはすぐに分かったと思います。

織田兄弟が「写真に写ってもいいけど、立ち止まれないよ」といいました。(忙しいのは分かってるけど意地が悪いと思いました。)しかし、ジャラズには自分の英語が伝わったらしく、立ち止まって写真に入るのに付き合うしぐさを示しました。

前日あった献堂式のために、この日の横浜には、日本各地から1960年代、50年代というようなふるい兄弟姉妹たちがたくさんきていて、自分はその朝60年代だったかな?からやっているという人のいいおっさん(でも長老だったと思います)とお友達になっていました。

そのおっさん(繰り返しますがたぶん長老 笑)に、この兄弟は統治体だから一緒に写真に入れといったら、『え!? ほんと? ほんとにこの人トーチタイ?』という感じでしたが(前日献堂式で見てるはずやろ)素朴にとてもうれしそうでした。おっさんの写真を撮ってあげて、自分も写真を写してもらいました。

その間結局5分以上その場にいたと思います。織田兄弟も文句も言えず、一緒に写真に納まってくれました。(さっきあんたが言った意地の悪い言葉を英訳して伝えてやりたいよ、と思ったとか思わなかったとか。)

ジャラズ兄弟-率直に言ってものすごく世間では評判が悪いです。ベテルでもどちらかというと嫌われている印象だそうです。ところが、彼はなぜか初めて会ったような一兄弟にはとても真摯な態度で応対するのだ、という評価を後々伝え聞きました。あの人はたぶん、将来会衆で責任を負うことになる男子の成長に強い関心を持っている人だったのだと思います。MTS開設もしかり。ただ、あまりにもぶっきらぼうで、気持ちを表すのがあまりにも下手な人物だったのではないかと思います。

自分が統治体と接した唯一の思い出です
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