SLOW debate 聖書の成立と確立 2013-02-17 22:36:43 | 日記 わかっているようでじつはわからないのが、このテーマです。 まして、日本人でこのことを追求してきた人は、稀有かとおもいます。 まず、milestoneさんに 動機のコメントをお願いします。 « ぶつかりあうことを怖がらないで | トップ | slow debate 救いに関して »
4 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 聖書の成立と確立 (milestone) 2013-02-17 23:34:12 聖書の成立と確立に関しては元JWの方のブログでもあつかわれていますので 希ではないと思います詳しくは書きませんが動機のコメントということでエホバの証人の聖書の成立年代と 一般の聖書学の成立年代には誤差があるということです前にも書きましたが新世界訳の1929pにはマタイ 41頃マルコ 60-65年ルカ 56-58年ヨハネ 98頃とありますが聖書年代学によるとFFブルース 「新約聖書は信頼できるか」によるとマタイ 85~90年マルコ 65年ルカ 80~85年ヨハネ 90~95年だとされていますもし これが本当だとしたらほとんど エルサレムの崩壊以降に書かれたものだということがわかります短絡的に理解しないで欲しいのですがエルサレム崩壊は事後に書かれたので預言とされていたことは後でつじつま合わせに書かれたものだから意味がないのではないかという考えは聖書の価値を貶めているものではないかと思うのですヒストリー (history)物語なのですから そこから得るべきものは大きなものがあります旧約聖書 ヘブライ語聖書の成立に関してもイスラエル人のアイディンティを得るための重要な鍵があると思いますさらに それはイエスの「愛」の考えにも繋がっていると思いますあーあ 言いだしっぺだから やらんといけませんですね 返信する 興味あります (新緑) 2013-02-18 13:21:09 milestoneさんこんにちは。反対者の父が高等批評の本を読んでいまして私が中学生の時 このあたりのこと突っ込まれまして。だから、それ以来とても関心のあるテーマです。楽しみにしてますので あーあとおっしゃらずに。(笑) 返信する Unknown (ぴゅう) 2013-02-20 21:44:59 面白そうなので、僕も、何か情報出します。 ユダの手紙「そうです,アダムから七[代]目の人エノクも彼らについて預言して言いました。」(14節) これはどこだーと思っていたのですが、エノク書からの引用でした。ヘブライ語聖書の、エノク書が、正典と考えらていた時代に、ユダの手紙が書かれて、その後に、エノク書が正典からはずされたという経緯があるようです。 何が正典で何が外典かという選別は、ゆっくりとすすんでいったようですね。 返信する 正典 外典 (新緑) 2013-02-21 00:20:05 ぴゅうさんありがとうございます。自分も ユダ14節は どこだ?と思っていたんです。そうだったんですね。興味あるわりにはきちんと調べていませんでした。なので 受け身ですみません。以前研究していたカトリックの方が使っていらっしゃった聖書には外典が含まれていました。選別の過程も興味深いですね。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
詳しくは書きませんが
動機のコメントということで
エホバの証人の聖書の成立年代と 一般の聖書学の成立年代には誤差があるということです
前にも書きましたが
新世界訳の1929pには
マタイ 41頃
マルコ 60-65年
ルカ 56-58年
ヨハネ 98頃
とありますが
聖書年代学によると
FFブルース 「新約聖書は信頼できるか」によると
マタイ 85~90年
マルコ 65年
ルカ 80~85年
ヨハネ 90~95年だとされています
もし これが本当だとしたら
ほとんど エルサレムの崩壊以降に書かれたものだと
いうことがわかります
短絡的に理解しないで欲しいのですが
エルサレム崩壊は事後に書かれたので預言とされていたことは後でつじつま合わせに書かれたものだから
意味がないのではないかという考えは
聖書の価値を貶めているものではないかと思うのです
ヒストリー (history)物語なのですから そこから
得るべきものは大きなものがあります
旧約聖書 ヘブライ語聖書の成立に関しても
イスラエル人のアイディンティを得るための
重要な鍵があると思います
さらに それはイエスの「愛」の考えにも繋がっていると思います
あーあ 言いだしっぺだから やらんといけませんですね
こんにちは。
反対者の父が高等批評の本を読んでいまして
私が中学生の時 このあたりのこと突っ込まれまして。
だから、それ以来とても関心のあるテーマです。
楽しみにしてますので あーあとおっしゃらずに。(笑)
ユダの手紙「そうです,アダムから七[代]目の人エノクも彼らについて預言して言いました。」(14節)
これはどこだーと思っていたのですが、エノク書からの引用でした。ヘブライ語聖書の、エノク書が、正典と考えらていた時代に、ユダの手紙が書かれて、その後に、エノク書が正典からはずされたという経緯があるようです。
何が正典で何が外典かという選別は、ゆっくりとすすんでいったようですね。
自分も ユダ14節は どこだ?と思っていたんです。
そうだったんですね。
興味あるわりにはきちんと調べていませんでした。
なので 受け身ですみません。
以前研究していたカトリックの方が使っていらっしゃった聖書には外典が含まれていました。
選別の過程も興味深いですね。