ものすごく忙しくて 2014-12-23 05:30:58 | 日記 身体の痛みと共に眠り 痛みとともに目覚め めがあいているときは いっぱい笑い このようにして2014年は過ぎ去ろうとしています。 ここに みなさんにとっての 2014年を書いてみてください。 すでにコメントしてるひとや いままで見ていただけの人も なにか書いてみてください。 « 雪がとけたら | トップ | 包む優しさ »
13 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 今年も終わるね (bluemoon) 2014-12-23 20:52:49 身体が痛くて目が覚めるほど懸命に今年も生きてこられたのですねわたしの2014年まあなにかと静かにも激動していましたがここ洞窟にて久しぶりにネット参加したことは大きかったですね。洞窟内もなにかと事件出来事があり考えさせられることが多かったです洞窟に定住の皆様たまに参加された皆様覗いているまだ見ぬ皆様今年一年お世話になりました何より忙しくて身体が常に痛いにもかかわらずこの場所を維持してくださったbereshit007様本当にお疲れさまでしたそしてありがとうございました心から感謝申し上げます 返信する 早いですね (tarutaru) 2014-12-23 21:55:05 もう一年。。姉と連絡取れるようになり、喜ぶべきであるのだけど。この一年で、いろんなことを調べまくってしまい。。連絡を取れるようになっても、嬉しくない日々となりました。でも、悩んでも仕方なく、仕事に精を出し、頑張っている毎日です。皆さんも体には十分気をつけて。昨日、とっても重たい人を抱き上げようとして、腰を痛めてしまいました。とほほ。。。ベレ様も、体に気をつけて。 返信する 一年 (くれよん) 2014-12-25 23:29:43 書き込むべきか否か悩みましたが、せっかく 与えてくださった場所書き込みたいので 書きます。去年のこの時期、何をしていたかと 娘が原因不明の熱をだし医大に通っていたなぁと彼女が熱を出すたび、輸血のことも同時に考えなければなりません。自己免疫が低いので ガンマグロブリンとかアルブミンとか 必要になります。去年わたしも手術して「術後出血したら 死ぬしかありません」って怖かったです。祈っても祈っても、みんなが祈ってくれているとわかっていても怖かった。やっぱり自分の身が一番いとおしい人間って情けないです。再発のリスクを減らす薬で体はぼろぼろになりました。歩けなくて 腹ばいになって 娘の介護をしました。こんな体でどうやってこれから生活するんだろうってそんなに大変なのに集会に行って補助開拓して。それはでも、エホバへの感謝でもありました。純粋に助かった命を感謝できるとしたらそれしか できる方法がありませんでした。だけど、なんというか神に受け入れられているって実感がありませんでした。新しく来た巡回監督は夫婦そろって冷たいし、娘のよろしくない状況を長老に伝えてあるのに「どうして大会にいけないのか」って優しい顔で言われるし。あの時牧羊でもしてもらっていたら 少しは救われたかなぁ。でも、してもらわなくてよかったです。ここにたどり着けたから。目をつぶって ぽちっとした夏。アメブロのブログも面白かったけれどここはなんというか うまく言えない優しい空気が流れています。皆、エホバを愛しながら神を求めて苦しんでいるんだ。今も胃痙攣と付き合いながら深呼吸しながらですが今を穏やかに一生懸命適当に生きようと思えるようになりました。ここがなければ、死にたい気持ちを必死でおさえて見えない神を恐れて必死で集会に行っていたと思ます。おとうさんにもここにいる皆さんにも心から感謝しています。 返信する くれよんさん (新緑) 2014-12-26 12:47:22 書き込みありがとうございます。昼休みなので、急いでコメントします。いつもながら大雑把なコメントになりますが気持ちが少しでも伝わったら嬉しいです。くれよんさんが娘さんの顔を眺めながらわたしの事を考えてくださったという以前の書き込みとても嬉しかったです。昨年、いろいろたいへんだったんですね。読ませていただいて前から思っていたことを書きたくなりました。JWを辞めても神を求めたりエホバを愛している方たちには呆れられそうですが今わたしは神を自分を直接助けてくれたり愛してくれたりという存在とは捉えていません。女子高生コンクリート詰め殺人事件や他にも世界中である、紀元前からある様々な残虐行為の被害者が助けを求めても救ってくれなかった訳ですしなんというのかな、人間に動物にはない良心や信仰心があってそれが各宗教、文化において自己に、他者に良い形で働くなら良いことで、十分だと思います。そもそも子供の時もね 3年生くらいかな母にも言ったんですよ別にJWじゃなくても昔話の笠地蔵のおじいさんおばあさんみたいな気持ちがあればいいんじゃない?って偽りの宗教だからというようなしょーもない返事だった気がします。>神に受け入れられているって実感がありませんでしたよくお気持ち伝わってきます。今は亡きアシュリーちゃんという難病と共に生きた少女ですがわたしは彼女が抱いているような神様に対する思いや平安こそがクリスチャンであることの幸いのように思うんです。彼女の言葉を引用したいところですが、時間と根気の関係で割愛させていただきます。不遜極まりない表現ですが私が神なら子供の頃からのくれよんさんをとても愛おしく思いますし去年の今頃のくれよんさんにもうJWから出なさい。そこは居るべき場所じゃないよって抱きしめたい気持ちになると思います。JWの中で幸せな人って…なんなのでしょうね。昨日奉仕風景を見ました。寒空の中頑張っていましたが…ダサかった… 服装が私が最後にいた会衆が派手めだったからか…↑そこかい車を寄せられない場所だったり条件が悪かったですが次の機会にはコンティ裁判の話をしたいです。猛進する親 の記事がブログの人気記事になってました (笑)もうちょっと進めたいんだけどスーもさんにも参加して欲しいですね。くれよんさん 今日も悲しみを心に湛えながらも明るく穏やかに人と生き物の命を尊びながら生きてみましょうね。午後仕事がんばります! 返信する Unknown (新緑) 2014-12-26 12:52:31 あれスーもさんになってるスーさん 返信する 新緑さんへ、 (さがほのか) 2014-12-27 15:52:42 新緑さんへ、 お仕事頑張っておられるご様子、何よりです。かげながら応援していますね。立ち止まると居場所が無くなる所ってやっぱりおかしい、離れて見るとよく見えるね、 鬼束ちひろ 月光 YouTubeでご覧になってね、こんなもののために生まれてきたんじゃないって、作り笑顔の子ども達に言いたい。 返信する 新緑さんへ (くれよん) 2014-12-27 17:05:32 抱きしめてくれてありがとう。とてもうれしいです娘がにこにこしながら 帰ってきたので真っ赤なお花のトナカイさんはぁて20年ぶりに歌ってみました。この歌もよく考えてみれば傘地蔵と同じですね。真っ赤なお鼻を笑われていたトナカイさん。でも、クリスマスの晩はそのお鼻がお仕事の役に立つ。この世には 素敵なお話があふれていて十分に心を豊かにさせてくれます。エホバの証人でなくても神にしか与えられないような奇跡の日がありエホバの証人であっても神に見放されてしまったかのような絶望の日がある。「耐えられない苦難を許されない」なんて信者を励ますのはやめるべきこの言葉は「神が苦しみを与えられているわけではない」という 組織の売りと 激しい矛盾を生みだすから奇跡は起きません。エホバが個人的に誰かをささえているとも思いません。でも、わたしは静かに神を求めていたい。穏やかな心を与えてほしい。そして、せめて 天からあなただけは私たちの苦痛をいつも見ていてほしい。誰も気づかなくても あなただけはともに涙を流してほしいと そう願っています。 返信する さがほのかさん と くれよんさんへ (新緑) 2014-12-27 20:15:34 月光 ありがとうございます。何度も歌詞を見ながら聴きました。この曲が出た当時ラジオでよく耳にして自分の根っこにある何かと共鳴するような感覚があったのですが当時は研究を何件も司会して夜も飛び回っているような「充実した」jwライフを送っていたのでなんとなくそういう この歌でたぶん表現されていること根源的な違和感というのでしょうか?救いようもないものに対するストレートな哀しみとかその中でこその慈愛とかそんな方向にあまり気持ちを向けてはいけない気がしていたんですね。いつもニコニコとかヒラヒラした服で眉を八の字に寄せて同情心たっぷりな様子で相槌を打ちながら人の話を聞くとかっていう模範的っぽい雰囲気の姉妹ではなかったのですがやはりどこか幸福で輝いている姉妹で居なければいけないと思っていたのだと思います。いや、心の底から神を身近に感じ人に仕えたり(←あ~この表現ww)愛情を示すことに幸福感を感じていたはずなのですが… なんだったんだろう。うーん いいか どっちでも。歌詞を見ながらじっくり聴いたのは初めてでした。心に沁みました。ありがとう。ここからはくれよんさんへの返信にもなるのですけど少し前にアンデルセンがなぜマッチ売りの少女の童話をあのような最後にしたかという意図に関して書かれたものを読みました。その少女のような状況はいつの時代もある現世で報いが与えられない 報いを期待することさえない状況死によってしか解放されない苦しみそれは身近にいつもあることを忘れてはいけないというようなことでした。雀一羽が落ちるのも神は見過ごされないという聖句が好きでした。くれよんさんの神についての思いよくわかります。インドで酷い暴行にあって亡くなった女子大生は亡くなる直前まで生き続ける希望を捨てずに息を引き取る直前には父親にゼスチャーでわたしは天に行くと示したそうです。私もこの世界全てで起きている哀しみを見ていてくれる神がいたらという思いは心の片隅に残っています。知識の本の1章を司会する時私たちでさえ人が残酷な目にあったり殺される様子を目撃してしまったりニュースで知ると心が張り裂けそうになって眠れないほど悲しくなるのだから全てをご覧になっている神はどんな気持ちでしょう?と話していました。くれよんさんの娘さんがニコニコして帰宅されて良かったですね。嬉しくなります。子供の笑顔は見ていると幸せになりますね。わたしも深刻なことばかり考えているわけではなく人生半分カルトで無駄にしちゃったよ辞めるの遅すぎたよ チェッと思いながらもそれなりに楽しいこともある日々を過ごしています。TVがないのでyoutubeはよく観ます。仕事で煮詰まった時にはエレキテル連合を見てモノマネをして楽しんでいます。くだらないんですけどね。ちなみにあの朱美ちゃんのではなく三好ナイトとか妖怪図鑑です。って知らないか。 返信する Unknown (孤独) 2014-12-28 01:04:25 さがほのかさん、>立ち止まると居場所が無くなるすごく、すごーく、そう思います。無輸血で大手術をされ、ご主人からの御守りも、それだけはごめんなさいと拒んだ姉妹が、家で療養中、兄弟姉妹に訪問されるたびにどんどん孤独になっていったって。私が離れてから、話す機会があり、今その姉妹のお子さん達が、徐々に、会衆から距離をとっているそうです。彼女は、子供が、進学校に進んだ事を、申し訳なさそうに、自分が至らなかったかの様に話していたけど、子供の決定を尊重されてやはり、素晴らしい姉妹だったなって。彼女は葛藤されたと思うけど、本気で子供のことをおもっていたら、そうなるよねって、よかったねって、心で言いました。姉妹のご主人、批判サイトを見ているそうで、悪いことばかり見るから真理が入らない、と残念そうだったけど、自分の奥さんの宗教を調べる家族思いのお父さんで、本当良かったなって思います。新緑さん、新緑さんが、特定の事件をあげらるたび、あーそれだしてしまわれますか...と、暗くなっていました。何と言うか、JW時代は、悲惨なニュースを聞くと、しばし、ぐっと目を閉じ悼んでいつかきっと...に思いをむけていれた。くれよんさんが、焼却場で、他の方がすぐ帰って行かれたという話のことを考えていて、亡くなった方を悼む時間は皆違うのだと。女子校生古田順子さんのことは、リアルタイムのニュースでは知らず、4年前にスマホを主人に使うよう渡されたころ、一人の兄弟が、天安門事件の写真の話しを何故か奉仕中に話され、嫌だなと思いながら、暴虐を愛さない、の聖句を考えながらも、見てしまい。その後も様々な動物や人間の苦しみを知りました。虐待の犠牲になった子供、搾取される子供、その詳細を知ることで、私は頭の中でそれを追体験し深く、暗く沈み込みそのように、悼みました。 古田順子さんの受けたものは時間の延々といい、恐怖と、圧倒的な力による肉体の破壊といい、このように比べるのは間違っていますが、イエスの受けたもの以上だとサタンの支配する世聖書の言葉に「我々の狂気を生き延びる道を教えよ 」長年の答えを見出せました。でも、尊厳なく、理由も解らず恐怖と、激苦の中奪い去られたいのちを悼み続けます。新緑さんと、苦しみを、共有できたようでした。くれよんさん、本当に大変でしたね。私も、ラジオかけながらクリスマスソング歌いました。ヒット曲だから意味も考えず。主人は参加拒否(一応研究生)だったので子供と始めてクリスマスパーティーもどきをしました。キャーキャー言いながら子供用シャンパンを開けました。以前、トイレで死にそうにった話で119に電話して、でも話しているうちに耐えられそうで、一旦断って、ゼーゼー脂汗かきながら耐えてたら、子供達が、「救急車くるのー?」ってワクワクしていて、その笑顔がものすごく可愛くて、あーこのまま死んで行ってもいいわーと始めて思ってしまい、自分で驚きました。それぐらい私は子供達にとって毎日くそばばぁで。いいね、子供の笑顔。 返信する 月光 (くれよん) 2014-12-28 02:36:48 今夜は三日月がとてもきれいでした。寒い日の すぅーっとした空の三日月月光 わたしもよく聞いていました。トリックの主題歌で イカサマ宗教にだまされる話を見た後にかかる曲で、ちょっと怖い曲でした。マッチ売りの少女も火垂るの墓もハッピーエンドでないことが現実なんですよね。エホバを愛して イエスの模範に倣えばこの世の中であっても このような苦しみを減らせると思っていました。だからこそ、奉仕に行くべきなのだと。新緑さんがいくつもの研究を司会していた時きっと 同じ気持ちだったんだろうと思います。わたしは朱美ちゃんをかった社長の真似が上手ですよあのお話も 笑いながら ふと悲しくなりますね。壊れているから 別のがほしいってところ。ロボットだからそれでいいのかもしれないけれど人間だとそうはいかないし。親もかえれるもんじゃないし。こんな親イランかったわぁってよく思ったけどこんな親からじゃないと わたしは生まれなかったんだし。ああ、これを考えると永遠にループし始めるのです。生まれてきた身としてはこれを変えることはできませんもん。毒親って言葉、よく聞くようになりましたね。親が嫌いって こんなに正直に言っていいんだなぁってわたしは救われた気持ちになりました。孤独さんトイレで死ななくてよかったね。わたしも経験したけど、あそこでだけは死んだらあかんと思った。発見されたとき 悲しいから。 返信する いつか (かれん) 2014-12-29 01:02:46 以前くれよんさん、私のブログに来ていただき、コメントして下しましたね、うれしかったです。私も親を許すか否かは重くて重くて・・・。でも、目が覚めたからいいかなって。すごい寛容、自分でいうのもなんですが。親の上を行く感じになるのかなぁ、いつかは。そう思っていたけれど、そのいつかが来た感じです。そう思わないと、自分自身の人生が始まらないから。・・・断絶してよかったです。 返信する 来年は素敵な年に (くれよん) 2014-12-29 18:16:19 かれんさん断絶って すごいです。頑張ったよね。いや、今も辛い体でよく頑張ってる。来年はみんな素敵な年になるといいな 返信する 笑うって身体にいい (tarutaru) 2014-12-29 22:49:01 私も、たまにしかお笑いは見ないのだけど、笑うというのは身体にいいそうです。私も実は、まだ検査結果の出てないのがありまして。主人もいつ入院になるかわからない身体で。いつも悩みは尽きないわけです。近頃はテレビが見れてないので、本当は日本エレキテルさんのも、はまるほど見てないのですけどね。共感してもらえる歌とするなら、上を向いて歩こう。かな。坂本九さん、飛行機事故で早くに亡くなってしまったけど、あの歌は施設の入居者さんにも響いているようです。皆さんの来年が良い年になりますように。 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
痛くて目が覚めるほど
懸命に今年も
生きてこられたのですね
わたしの2014年
まあなにかと静かにも激動していましたが
ここ洞窟にて久しぶりに
ネット参加したことは大きかったですね。
洞窟内も
なにかと事件出来事があり
考えさせられることが多かったです
洞窟に
定住の皆様
たまに参加された皆様
覗いているまだ見ぬ皆様
今年一年
お世話になりました
何より
忙しくて
身体が常に痛いにもかかわらず
この場所を維持してくださった
bereshit007様
本当に
お疲れさまでした
そして
ありがとうございました
心から
感謝申し上げます
姉と連絡取れるようになり、喜ぶべきであるのだけど。
この一年で、いろんなことを調べまくってしまい。。
連絡を取れるようになっても、嬉しくない日々となりました。
でも、悩んでも仕方なく、仕事に精を出し、頑張っている毎日です。
皆さんも体には十分気をつけて。
昨日、とっても重たい人を抱き上げようとして、腰を痛めてしまいました。
とほほ。。。
ベレ様も、体に気をつけて。
悩みましたが、
せっかく 与えてくださった場所
書き込みたいので 書きます。
去年のこの時期、何をしていたかと
娘が原因不明の熱をだし
医大に通っていたなぁと
彼女が熱を出すたび、
輸血のことも同時に考えなければなりません。
自己免疫が低いので ガンマグロブリンとか
アルブミンとか 必要になります。
去年わたしも手術して
「術後出血したら 死ぬしかありません」って
怖かったです。祈っても祈っても、みんなが祈ってくれているとわかっていても
怖かった。やっぱり自分の身が一番いとおしい
人間って情けないです。
再発のリスクを減らす薬で
体はぼろぼろになりました。
歩けなくて 腹ばいになって 娘の介護をしました。
こんな体でどうやってこれから生活するんだろうって
そんなに大変なのに集会に行って
補助開拓して。それはでも、エホバへの感謝でもありました。純粋に助かった命を感謝できるとしたら
それしか できる方法がありませんでした。
だけど、なんというか
神に受け入れられているって実感がありませんでした。新しく来た巡回監督は夫婦そろって
冷たいし、娘のよろしくない状況を長老に伝えてあるのに「どうして大会にいけないのか」って優しい顔で言われるし。
あの時牧羊でもしてもらっていたら 少しは救われたかなぁ。
でも、してもらわなくてよかったです。
ここにたどり着けたから。
目をつぶって ぽちっとした夏。
アメブロのブログも面白かったけれど
ここはなんというか うまく言えない優しい空気が流れています。
皆、エホバを愛しながら
神を求めて苦しんでいるんだ。
今も胃痙攣と付き合いながら
深呼吸しながらですが
今を穏やかに一生懸命
適当に生きようと思えるようになりました。
ここがなければ、死にたい気持ちを必死でおさえて
見えない神を恐れて必死で集会に行っていたと思ます。
おとうさんにも
ここにいる皆さんにも
心から感謝しています。
昼休みなので、急いでコメントします。
いつもながら大雑把なコメントになりますが
気持ちが少しでも伝わったら嬉しいです。
くれよんさんが娘さんの顔を眺めながら
わたしの事を考えてくださったという以前の書き込み
とても嬉しかったです。
昨年、いろいろたいへんだったんですね。
読ませていただいて前から思っていたことを
書きたくなりました。
JWを辞めても神を求めたりエホバを愛している方たちには呆れられそうですが
今わたしは神を自分を直接助けてくれたり愛してくれたりという存在とは捉えていません。
女子高生コンクリート詰め殺人事件や他にも世界中である、紀元前からある様々な残虐行為の被害者が助けを求めても救ってくれなかった訳ですし
なんというのかな、人間に動物にはない良心や信仰心があってそれが各宗教、文化において自己に、他者に良い形で働くなら良いことで、十分だと思います。
そもそも子供の時もね 3年生くらいかな
母にも言ったんですよ
別にJWじゃなくても昔話の笠地蔵のおじいさんおばあさんみたいな気持ちがあればいいんじゃない?って
偽りの宗教だからというようなしょーもない返事だった気がします。
>神に受け入れられているって実感がありませんでした
よくお気持ち伝わってきます。
今は亡きアシュリーちゃんという難病と共に生きた少女ですが
わたしは彼女が抱いているような神様に対する思いや平安こそがクリスチャンであることの幸いのように思うんです。
彼女の言葉を引用したいところですが、時間と根気の関係で割愛させていただきます。
不遜極まりない表現ですが
私が神なら子供の頃からのくれよんさんをとても愛おしく思いますし
去年の今頃のくれよんさんにもうJWから出なさい。
そこは居るべき場所じゃないよって抱きしめたい気持ちになると思います。
JWの中で幸せな人って…なんなのでしょうね。
昨日奉仕風景を見ました。
寒空の中頑張っていましたが…
ダサかった… 服装が
私が最後にいた会衆が派手めだったからか…
↑
そこかい
車を寄せられない場所だったり条件が悪かったですが
次の機会にはコンティ裁判の話をしたいです。
猛進する親 の記事がブログの人気記事になってました (笑)
もうちょっと進めたいんだけど
スーもさんにも参加して欲しいですね。
くれよんさん
今日も悲しみを心に湛えながらも
明るく穏やかに人と生き物の命を尊びながら
生きてみましょうね。
午後仕事がんばります!
スーもさん
になってる
スーさん
お仕事頑張っておられるご様子、何よりです。かげながら応援していますね。
立ち止まると居場所が無くなる所ってやっぱりおかしい、離れて見るとよく見えるね、
鬼束ちひろ 月光
YouTubeでご覧になってね、
こんなもののために生まれてきたんじゃないって、作り笑顔の子ども達に言いたい。
とてもうれしいです
娘がにこにこしながら 帰ってきたので
真っ赤なお花のトナカイさんはぁて
20年ぶりに歌ってみました。
この歌もよく考えてみれば
傘地蔵と同じですね。
真っ赤なお鼻を笑われていた
トナカイさん。でも、クリスマスの晩はそのお鼻が
お仕事の役に立つ。
この世には 素敵なお話があふれていて
十分に心を豊かにさせてくれます。
エホバの証人でなくても
神にしか与えられないような奇跡の日があり
エホバの証人であっても
神に見放されてしまったかのような絶望の日がある。
「耐えられない苦難を許されない」なんて
信者を励ますのはやめるべき
この言葉は「神が苦しみを与えられているわけではない」という 組織の売りと 激しい矛盾を生みだすから
奇跡は起きません。
エホバが個人的に誰かをささえているとも
思いません。
でも、わたしは静かに神を求めていたい。
穏やかな心を与えてほしい。
そして、せめて 天から
あなただけは私たちの苦痛をいつも見ていてほしい。
誰も気づかなくても あなただけはともに涙を流してほしいと そう願っています。
何度も歌詞を見ながら聴きました。
この曲が出た当時ラジオでよく耳にして
自分の根っこにある何かと共鳴するような感覚があったのですが
当時は研究を何件も司会して夜も飛び回っているような
「充実した」jwライフを送っていたので
なんとなくそういう この歌でたぶん表現されていること
根源的な違和感というのでしょうか?
救いようもないものに対する
ストレートな哀しみとかその中でこその慈愛とか
そんな方向にあまり気持ちを向けてはいけない気がしていたんですね。
いつもニコニコとかヒラヒラした服で
眉を八の字に寄せて同情心たっぷりな様子で相槌を打ちながら人の話を聞く
とかっていう模範的っぽい雰囲気の姉妹ではなかったのですが
やはりどこか幸福で輝いている姉妹で居なければいけないと思っていたのだと思います。
いや、心の底から神を身近に感じ人に仕えたり(←あ~この表現ww)愛情を示すことに
幸福感を感じていたはずなのですが… なんだったんだろう。
うーん いいか どっちでも。
歌詞を見ながらじっくり聴いたのは初めてでした。
心に沁みました。ありがとう。
ここからはくれよんさんへの返信にもなるのですけど
少し前に
アンデルセンがなぜマッチ売りの少女の童話をあのような最後にしたか
という意図に関して書かれたものを読みました。
その少女のような状況はいつの時代もある
現世で報いが与えられない 報いを期待することさえない状況
死によってしか解放されない苦しみ
それは身近にいつもあることを忘れてはいけない
というようなことでした。
雀一羽が落ちるのも神は見過ごされないという聖句が
好きでした。
くれよんさんの神についての思いよくわかります。
インドで酷い暴行にあって亡くなった女子大生は
亡くなる直前まで生き続ける希望を捨てずに
息を引き取る直前には父親にゼスチャーでわたしは天に行くと
示したそうです。
私もこの世界全てで起きている哀しみを見ていてくれる
神がいたらという思いは心の片隅に残っています。
知識の本の1章を司会する時
私たちでさえ人が残酷な目にあったり殺される様子を目撃してしまったり
ニュースで知ると心が張り裂けそうになって眠れないほど悲しくなるのだから
全てをご覧になっている神はどんな気持ちでしょう?
と話していました。
くれよんさんの娘さんがニコニコして帰宅されて
良かったですね。嬉しくなります。
子供の笑顔は見ていると幸せになりますね。
わたしも深刻なことばかり考えているわけではなく
人生半分カルトで無駄にしちゃったよ
辞めるの遅すぎたよ チェッ
と思いながらも
それなりに楽しいこともある日々を過ごしています。
TVがないのでyoutubeはよく観ます。
仕事で煮詰まった時には
エレキテル連合を見てモノマネをして楽しんでいます。
くだらないんですけどね。
ちなみにあの朱美ちゃんのではなく
三好ナイトとか妖怪図鑑です。
って知らないか。
>立ち止まると居場所が無くなる
すごく、すごーく、そう思います。
無輸血で大手術をされ、
ご主人からの御守りも、
それだけはごめんなさいと
拒んだ姉妹が、
家で療養中、兄弟姉妹に
訪問されるたびに
どんどん孤独になっていったって。
私が離れてから、
話す機会があり、
今その姉妹のお子さん達が、
徐々に、会衆から距離を
とっているそうです。
彼女は、子供が、進学校に進んだ事を、
申し訳なさそうに、
自分が至らなかったかの様に
話していたけど、
子供の決定を尊重されて
やはり、素晴らしい姉妹だったなって。
彼女は葛藤されたと思うけど、
本気で子供のことをおもっていたら、
そうなるよねって、
よかったねって、心で言いました。
姉妹のご主人、
批判サイトを見ているそうで、
悪いことばかり見るから
真理が入らない、
と残念そうだったけど、
自分の奥さんの宗教を調べる
家族思いのお父さんで、
本当良かったなって思います。
新緑さん、
新緑さんが、特定の事件をあげらるたび、
あーそれだしてしまわれますか...
と、暗くなっていました。
何と言うか、JW時代は、悲惨な
ニュースを聞くと、しばし、ぐっと目を閉じ悼んで
いつかきっと...に思いをむけていれた。
くれよんさんが、焼却場で、他の方がすぐ
帰って行かれたという話のことを考えていて、
亡くなった方を悼む時間は皆違うのだと。
女子校生古田順子さんのことは、
リアルタイムのニュースでは知らず、
4年前にスマホを主人に使うよう渡され
たころ、一人の兄弟が、天安門事件の写真
の話しを何故か奉仕中に話され、嫌だなと
思いながら、暴虐を愛さない、の聖句を
考えながらも、見てしまい。
その後も様々な動物や人間の苦しみを
知りました。
虐待の犠牲になった子供、搾取される子供、
その詳細を
知ることで、私は頭の中でそれを追体験し
深く、暗く沈み込み
そのように、悼みました。
古田順子さんの受けたものは
時間の延々といい、恐怖と、圧倒的な力
による肉体の破壊といい、
このように比べるのは間違っていますが、
イエスの受けたもの以上だと
サタンの支配する世
聖書の言葉に
「我々の狂気を生き延びる道を教えよ 」
長年の答えを見出せました。
でも、
尊厳なく、理由も解らず
恐怖と、激苦の中奪い去られた
いのちを悼み続けます。
新緑さんと、苦しみを、共有できたようでした。
くれよんさん、
本当に大変でしたね。
私も、ラジオかけながらクリスマスソング
歌いました。ヒット曲だから意味も考えず。
主人は参加拒否(一応研究生)だったので
子供と始めてクリスマスパーティーもどき
をしました。キャーキャー言いながら子供用
シャンパンを開けました。
以前、トイレで死にそうにった話で
119に電話して、でも話しているうちに
耐えられそうで、一旦断って、
ゼーゼー脂汗かきながら耐えてたら、
子供達が、「救急車くるのー?」
ってワクワクしていて、
その笑顔がものすごく可愛くて、
あーこのまま死んで行ってもいいわー
と始めて思ってしまい、
自分で驚きました。
それぐらい私は子供達にとって
毎日くそばばぁで。
いいね、子供の笑顔。
寒い日の すぅーっとした空の三日月
月光 わたしもよく聞いていました。
トリックの主題歌で イカサマ宗教にだまされる話を
見た後にかかる曲で、ちょっと怖い曲でした。
マッチ売りの少女も
火垂るの墓も
ハッピーエンドでないことが現実なんですよね。
エホバを愛して イエスの模範に倣えば
この世の中であっても このような苦しみを減らせると
思っていました。だからこそ、奉仕に行くべきなのだと。
新緑さんがいくつもの研究を司会していた時
きっと 同じ気持ちだったんだろうと思います。
わたしは朱美ちゃんをかった
社長の真似が上手ですよ
あのお話も 笑いながら ふと悲しくなりますね。
壊れているから 別のがほしいってところ。
ロボットだからそれでいいのかもしれないけれど
人間だとそうはいかないし。
親もかえれるもんじゃないし。
こんな親イランかったわぁってよく思ったけど
こんな親からじゃないと わたしは生まれなかったんだし。
ああ、これを考えると永遠にループし始めるのです。
生まれてきた身としては
これを変えることはできませんもん。
毒親って言葉、よく聞くようになりましたね。
親が嫌いって こんなに正直に言っていいんだなぁって
わたしは救われた気持ちになりました。
孤独さん
トイレで死ななくてよかったね。
わたしも経験したけど、あそこでだけは死んだらあかんと思った。
発見されたとき 悲しいから。