料理は
鋭いのもあるけど
包み込む優しさもある
なんとも優しさの感じるオムライスだ。
やはり作っている女性が優しいと
料理は包む優しさが溢れてくる。
このカプチーノすら
泡で包み込むではないか。
料理は人の心の反映だ。
鋭いのもあるけど
包み込む優しさもある
なんとも優しさの感じるオムライスだ。
やはり作っている女性が優しいと
料理は包む優しさが溢れてくる。
このカプチーノすら
泡で包み込むではないか。
料理は人の心の反映だ。
死ぬまでにあと何食
そうした料理を食べれるかなぁ
兄弟は巡回訪問や訪問講演の招待もいつも作ってくれましたが、それ以上に会衆の方々に親切だったと思います。
時々 目立つ人にだけ親切にしている人もいますが… クリスチャンならば誰にでも分け隔てなく愛を示すべきだと私は思っています。
兄弟はそんな人でした。またお会いしたいです。兄弟が作ってくれたポトフ… 絶品でした!忘れられない味です。
自分も料理がうまくなくても他の人に親切にしたいです。
場の雰囲気や
その時の自分の体調、
作ってくれた相手に対する思いなど
味と一緒に
記憶に残りますね。
兄弟達の手料理
そう言えば一度も食べて無いかも。
親切で料理も上手
本当においしいポトフだったんですね。
交わりは、辛い思い出の方が多いかな。
でも、一つ。掘り出しました。
持病のある姉妹が、
「子どもと、遊びに行く場所無かったら
いつでもうちにおいで。」と言ってくださって、
公園に行った帰りに、アポなしで訪ねたら、
丁度、私のためにパンを作っていたところだと
おっしゃられて(多分ほんとに)。
当時姉妹、ずっと補助されていて、その後開拓者
になった時、涙流しながらハグする姉妹もいた
ので、相当体調悪かったんだと思います。
その日も奉仕の予定だったそうですが、
「エホバごめんっ!今日ムリ!」と言って奉仕を諦め
てからの、パン作りだったそうです。
「今はこねも機械まかせになったけどね。」
と言いながらパンを成型する姉妹に、
朝がつらくて、起きれなくて、学校に行く子どもに
まともな食事も作れていないと、話すと、
姉妹もずっとそうで、前の晩におにぎりを作って
朝は、子供一人でそれをたべ、身支度して行って
いたこととか話してくださって。
パンが焼けるまで、子どもは、ワンちゃんと遊んだり
しながら、お話ししました。
その頃私は研究生で、すごくご迷惑をかけていると
思いながらも、姉妹が全然迷惑そうでなかったので
甘えてしまい、
片付けをさせてもらったり
ホカホカした気持ちで、焼きたてのパンを
持って帰りました。
(後に司会者に、とても楽しかったと話したら、
あの姉妹は暇じゃない、と注意され、悲しい記憶になったのですが。)
実際の里帰りの前に洞窟にも寄ってみようと思い立ち寄りました。
自分はといえば、未だに絡みつくJW関係、とりわけ現信者である親族との関係に辟易しています。
クリスチャンとしてのアイディンティティを保ちつつJWとの関係を絶つことに清清しさと、暗中模索ゆえの難しさも感じていました。
まあ、悲喜こもごもですが下した決断は今の自分にとってプラスの事が多かったと思います。
ここでの書き込みは掘りごたつに入ってみかんを食べるような気持ちになります。(うまく伝わらないかも。)
お帰りなさい。
お元気そうで何よりです。
掘りごたつに入ってみかんを食べている感じ
ですね。伝わりますよ。
わたしも新年早々母親に会う予定ですが
先日、辞めてから初の電話での会話で
ゲリトレッシュの宣言の話をしてしまい
険悪になってしまいました。
どうなることやら…
帰省、お気をつけて。
孤独さん
あの姉妹は暇じゃないって研究生に
注意するなんて
酷いですね。楽しかったのが一気に悲しくなりますよね。
それを言った方
イエスのところに来た幼子を弟子がっていう
記述とかどう思うんですかね。
上手に注解して忘れてしまうんですかね。
でも
そういう感じのなんとも残念な発言する
人多かったですね。
ただの一般的な無神経とか
あっ やっちゃったっていう失言とは違う
確信犯的な。
でもね、その姉妹
パートナー生活してる
タイトなパンツ履く兄弟達と
ラーメン食べにいったり
なかなかの母世代でしたよ。
きっと新緑さんのお母さんの
盲信、猛進的なこともなんとなく
わかって、新緑さんのことを
サポートしてくれるような人。
海外の会衆では、
神権家族も多くて、
そういった家族同士での交わりばかりで、
はじかれてたそうだから、
そういった中で、姉妹は、もっと
会衆の人達が、自分の子ども達を
気にかけてくれてたら、
進歩出来てたのかなーとか言ってましたから。
ご主人の稼ぎとはいえ、
不在が多いなか、
両方の親の介護や子育て
ご主人の超優秀な秘書でしたね。
仕事のこなす量半端なかった。
個人研究や、再訪問先の資料の準備も。
私の研究司会も教えるという面ではパーフェクト。
私が、殻にこもっていただけで。
彼女は海外の方が長く、よく
日本の奉仕の仕方が解らないって
苦労してました。
お局的な姉妹に上品に注意されるのが
辛かったのかな。
私が、他の人に注意される前に
言っといてあげなきゃという
彼女なりの優しさだったと思います。
私としては、病気の人を無神経に
訪問するような人間に見られたことが悲し
くて。
どちらにしても、
めんどくさね、こーゆーの。
海外でも、ご主人の赴任に伴い
会衆を転々とした彼女。
会衆の中でも、人種差別あったり
伝道者カード無くされたり
つまずくこと多かったそうです。
そんな彼女を繋ぎとめた経験。
大会で講演された兄弟(統治体の成員かは忘れました)
子どもを抱えて近寄れず、兄弟の背中に向かって、
「ありがとうございました」
と心の中で言ったそうです。
すると兄弟が、振り返り、
「日本の兄弟姉妹たちは、頑張っていますよ」
と言ったそうです。
姉妹、自分の弱気な心を見透かされたように
感じ、頑張ろうと思えたそうです。
アジア人が、少ない地域で
目ざとく幼子を抱えた元気ない姉妹を
見つちゃうそんな兄弟がいたんですね。
ゲリとティッシュの話し、ひどかったですね。まあ、ひどい話だらけなので、免疫が出来てきていますね。
時々ここをのぞいていた中で、新緑さんの親との葛藤のコメントも見ていました。自分と重なるところがあり居た堪れなくなります。
親の自己中心的な(とりわけ宗教的部分に対しての)ものに振り回された事への恨み?憎しみ?や簡単に信じる浅はかさ、無能さに対する無念もあれば、まだ少しほのかに残る親に対する情愛もあり、複雑な思いです。
ずっと今に至るまで「早く終わりが来て欲しい」と言い続けながら、終わりまでの準備はせず困窮する親を見るといたたまれません。
JW社会の中で散々嫌な思いをさせられても、ものみの塔を読むのが好きと言い、問題を解決してくれる事が無かった巡回監督にいまだに相談しに行って、さらに問題がややこしくなって困っている親を見るのもいたたまれません。
自分は“宗教を信じる人は弱い人”という概念を覆したくて頑張っていましたが、親をみるとやはり宗教を信じる人は騙され易く、依存心が強く、主体性が無い人が多いようにも思えます。
これらの視点から見れば、寂しく悲しい親子ですねw。
無論、人生はこれだけが全てではありませんが、今後介護の必要な状況になどなれば頭が痛いです。「息子よ集会に連れて行っておくれ」なんて言われたらどうしましょうね?
はっはっは…