きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

リュシータ(lusheeta)さんの部屋

2013-02-19 06:07:43 | 日記
長老にこのブログをみる罪を告白され
その後、エホバからのさわやかさをあじわい二度と書き込みをしないと誓いましたが、この誰ともわからない危険を孕むブログに何度も気になり覗きこみにくる習慣的な罪になってしまったようです。
早くリアルな会衆に戻り、健全なブログを見ないであらん限りの空想力を発揮し楽園を生き生き感じ取れる生活を取り戻せるよう

リュシータさんの関わりはたいへん楽しかったです。ありがとう。
関わった他の人の意見もこの洞窟にくる洞察を深めたと思います。

あなたをこちらでは、排除いたしませんので、このトピックでいいたいことを書いてください。

わたしとしては、書き込みという習慣的な罪に陥らないよう希望いたします。

ほかのトピックでの書き込みは、申し訳ありませんが即刻削除させていただきます。

あなたにこれ以上他人を巻き込む書込みの罪を重ねて天に達するのをみるに忍ません。

最後にエホバに裁かれて楽園で幸せに生きてゆかれるよう
暗い洞察から愛を送ります。

来てくれてありがとう。

では。(リュシータ風お別れの言葉)

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29 コメント

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どうもありがとう (lusheeta)
2013-02-19 14:30:14
せっかくの新築部屋に主がただの一度も踏み入れないのは残念と思いまして…とても矛盾を孕んでいますが、これが血の通った人間なのでしょうね(←体のよい自己正当化と言い訳です)

用は他でもありません。
ピッピさん、ケイさん、もし寂しさを感じておられる立場なら、私自身は助けにはなれないけど、一時でも元気が出るかもしれない曲をご紹介します。

平原綾香の『おひさま~大切なあなたへ~』です。

これをエホバからあなたご自身へのメッセージだと思って聞きますとなかなか慰められるかなo(^-^)oと思います。

エホバは本来性別はありませんし、他ならない女性の愛、母性愛を創造された方ですから。何の問題もありません。

しかも不完全でクリスチャンでない女性が作曲(他の人かもしれませんが、それでも未信者には違いないでしょう)に、心へ感動の愛を伝える力があるのなら、ましてエホバだったらそれ以上…☆☆☆☆☆☆☆(7つ星)ですよね。

ちなみに悪霊除けに1番効果的なのはもちろん賛美の歌♪です(補足情報です)

それではお元気で!
ごきげんよう(^^)
返信する
独りごと兼つぶやき・・・ (lusheeta)
2013-02-24 12:15:33
自分が書いてしまったコメントをきちんと残しておこうと思い、プリントアウトするために一旦戻ってきたのです、が。

独り言なので合いの手は不要です。

私のHN「リュシータ(lusheeta)」をつけた当初の由来は、名前の響きが良く、私がお姫さま憧れだったのが主理由です(私はドレスを着た貴婦人と白衣と整備士のツナギを纏う科学者・発明家の両方の顔を持つ女性になりたいのです)
もう一つは後の部分のトエル・ウル・ラピュタ(ラピュタ王家の真の王位継承者の意)の歴代王女様が、必ずしも善人ばかりではなかったであろうと、若干の深い意味もこめていました(今は単に変えるのが面倒なのでそのままなだけです)

そのようなわけで、私は善人ではありません。
元開拓現僕二世さんの「義の伝道者ノア」に対する見解に微怒です。
少なくとも私よりは、聖書がたくさん読める環境で、いろいろ教わってきたはずなのにも関わらず、何ですか?あの見解は?という感じです。
ノアはエホバの目から見て「義にかなった人で、同時代の人々の中にあってとがのない者」です。言わば霊の実をたくさん持っていた人物です。
そんな人が50年以上、自分たちだけ助かればいいや~なんて思い、黙々とただ箱船だけを作っていたはずがありません。
彼のことですから、エホバが箱船の扉を自ら閉じられる最後の瞬間まで、誰かに入ってきて欲しいと奮闘していたはずです(箱船作りに全く協力していなくても、喜んで受け入れたでしょう)
でも、エホバが扉を閉じられた時、エホバに歌う♪の「101番」の歌詞にあるように、宣べ伝える業を終えるようにという指示に従ったのです。
「伝道者」ってそもそも何人助けたかなんて、意味はありません。
イエスの前で、わずかな硬貨2枚を寄付したやもめのことを考えれば明らかです。
彼女は誰かを助けたわけではありません。でもイエス(エホバ)から極めて高く評価されました。それは彼女が置かれた状況で最善を尽くしたからです。
どんな賜物を駆使していようが、何人真理に導いていようが、それは副次的な祝福にすぎません。
ノアは置かれた状況で最善を尽くした、だからエホバの目から見て「義なる伝道者」だと私は思っています。結果論ではありません。プロセス重視です。

それと個人的見解ではネフィリムに生殖能力はないと考えています。
生殖能力は人間だけに与えられたものです。
反逆したみ使いは人間ではありません。男性でも女性でもありません。
男性の仮の肉体をつけていただけです。
挿絵は分かりやすくするために、み使いを羽の生えた男性像で描いていますが、人間とは別種族です。反逆したみ使いたちがした行為は言わば、人間が可愛い猫と交わりを持って、人間と猫のあいの子を産みだしたようなものです。
自然の用に反した極めて汚らわしい反逆行為です。だからエホバは許しません。

私の奉仕時間は短いですし、何の特権も持っていません。
ですのに、開拓者で僕の兄弟が、なぜこれくらいのことを考えられないのか不思議で仕方ありません。

それから一人も音信を受け入れないのって不自然でしょうか??
ヨシュアとカレブの場合は不自然ではないのですか?
40年間荒野でさまよう決定が下されたとき、二人は独身であったかもしれませんが、あの時代で一人っ子という可能性はとても低いと思われます。
カレブの娘のアクサは当時20歳以下だったか、まだ誕生していなかったと推測できます。
彼らの親(存命であれば)及び、子供以外の肉の兄弟は全員、荒野で死ぬことになりました。
これは不自然ではないのでしょうか?はて?

伝道者の業は決してスタンドプレーではないというのが私の認識です。
何年か前のことで詳細は忘れましたが、全世界共通キャンペーンのパンプレットを配布したところ、世界で76名の方が、それをご覧になって本部・支部に連絡をして来られたそうです。

全世界で76名です。少ないですか?
それとも76名の貴重な魂でしょうか?
その中に日本人がいたのかはわかりません。
はっきり判るのは、もし皆が配布をしなければ、この76名の方はエホバを知ることができなかったということです。伝道者チームワークの成果の結晶です。
誰が届けたのかが大切なのではありません、誰が援助してバプテスマまで至らせたというのもそれほど大事ではありません、チームとして何を成し遂げたかです。
これはエホバがグループとして組織を祝福されておられるということと一致しています。

でも兄弟の奉仕に対しての心境の変化は理解できます。
街路に出ている奉仕者はエホバのメッセンジャーではありますが、コンピュータではありません。皆それぞれに肉のとげがあり、難しい状況の中で、やっとの思いで来ている人もいます。だから気づくことができないこともあります。

話しかけて欲しいと一生懸命がんばってくださった女性には大変申し訳なく思います。
と同時に彼女のことをエホバがどう思われたかは容易に想像できます。
マタイ7:7「求めつづけなさい、探しつづけなさい、たたきつづけなさい」のイエスの指示を忠実に果たされたのです。エホバから見ればとっても貴重なダイヤモンドのような人で、すごくうれしく思われて、天では喜びの舞だらけ♪だったでしょう(もちろん今でも)置かれた状況で最善を尽くされたのです。エホバの目に留まらないはずがありません。
必ず神のご予定の時に、神の方法で助けに行かれると私は確信しています。

ちなみに公式サイトから、訪問してよ~とメッセージをいただければ、然るべき人が遣わされると思いますので、どうぞご検討ください。

特に研究生の女性の方々に思いに留めていただきたいことですが、私の半生をご覧になってお分かりの通り、必ずしもエホバの証人になったからとはいえ、即幸福が約束されるわけではありません。今は本当に終わりの終わりの時なので、むしろ辛いことの方が多いかもしれません。組織は助けにはなってくれますが、あくまで山岳ガイドです。登頂するにはご自身でご自分の荷物を背負い、一歩一歩自分の足で歩いてゆかなくてはなりません。
ただし、歩き続ける限り(もしくは向かい風に踏みとどまり続ける限り)エホバは絶対に見捨てられません。

私はご想像いただいた通り、両親の愛情を殆ど受けていないので、論理的にエホバが正しく、私に愛情を持っておられることは知っていても、どうしても心で実感することができませんでした(今でも時々そうなってしまいます)何とか、エホバの愛情を正常に受信できるように私のアンテナを直してくださいと、20年以上祈り続けました。そうしてちゃんと応えていただきました。

基本面倒屋の私は日記を付けないのですが、10年位前から、お祈り記録帳(←何だか怪しい響き)と、良かったノートとネガティブノートを作りました。

ネガティブは、ネガティブなときにいろいろ書きました。
良かったノートは良かったことがあった時に書きました。別に霊的なことだけではなくて、美味しいものを食べたとか、電車で席をゆずれたとか、そんなことも含めてです。
まれに今日は洗濯が1回できた、なんて書いたこともあります。
このノートは後で読み返すと意外と力になります。良かったことしか書いていないので、積み重なった数がたくさんあるわけです。
最後に、お祈り記録帳です。これはささいなことでもエホバにお願いをした内容を書き留めておくものです。10年経過して読み返した時、お祈りは全てかなえられていました。
正にヨシュア記23:14「エホバの話されたすべての良い言葉は、その一言とはいえ果たされなかったものはありません」を教えていただきました。
よろしければご参考まで、と思いました←あくまで独り言です。

つぶやきです。
bereshit007さんの記事「○○兄弟が、○○された、こんな光景を見ました」関連ですが、これはbereshit007さんご本人以外は全員伝聞該当者です。
事実関係を確かめようともせず、支持される方たちの気持ちが私には全く判りません。
bereshit007さんがこの部屋を用意してくださった真意と、次の記事の言わんとされることは何となく理解をし、彼なりの愛情は感じ取れたのでbereshit007さんご本人の人間性は全く否定しません。
ですが、万が一彼が嘘をついていたとしたら、それに何の疑問も抱かずに賛同された方は全員テモテ第二4;4の預言を自ら成就させたのだなぁと思います。一個人の感想として。

幼児虐待などをしたエホバの証人ももしかしたら存在するかもしれません(ものみの塔:1995年11月1日号の「打ちひしがれた霊」を持つ人々のための慰め―にそれらしきことを感じさせる記事がありましたので)
でもエホバはそんな悪人を絶対見逃したりしません。
必ず、彼が最も嫌な時に恥をかくようにされ、罰を受けるでしょう。
聖書の教えをゆがめたキリスト教世界を憎んでおられる神なのです。
ましてエホバの民の中でのそんな不届き者に対して、どれほど怒っておられることか、こちらの方は怖くて想像できません。

私が組織に従っているのは、エホバが家令として任命されているからです。
万が一、神から任命をはずされたのが判れば、私はさっさと組織を捨てます(そのようなことはないだろうと確信してはいますが)

私個人と致しましては、元開拓現僕二世さんの「義の伝道者」に対する見方をするようなアマチュアなエホバの証人ではなく、聖書を人間の歴史書とは捉えずに「神の王国を主題とする書」として考え、自分を研鑽し、感覚を研ぎ澄ませることのできるプロフェッショナルなエホバの証人が増えれば(私のことを指しているのではありません、まだまだ道半ばです)必然的に組織は自浄され、関心を持たれる方も入りやすくなるかと思います。

あ、スナフキンさん、良かったら「目ざめよ誌:2001年7月22日号の言葉にできない悲劇に対処する」をご覧ください。何かのお役に立つかもしれません。ご返答のお礼です。

あ、それから私は「見よ!」の表紙に出ている青い服の女性が持ってる某千疋屋より高級なレモネード(しかもガラスピッチャー入り)は飲みたくて飲みたくてたまりません。実際一人暮らしを始めた初期の頃に、ガラスピッチャーを買いました。
表表紙と裏表紙とくっつけてみるとなかなか壮観な絵画です。

あ、あと、「地上の楽園で永遠に~旧版」の中で、一番好きな挿絵は158ページの楽園(庭園)の図です。滝がさりげなくあるという、センスの良さ(少しだけ海老名べテルのホールみたい、随分ご無沙汰しているけれど)あの小径の先には何があるんだろうという探究心に掻き立てられ、あと同じページの下の絵で、私の食べるのも実験するのも大好きな紫キャベツ(今はレッドキャベツというのでしたかしら?)があって、とても美味しいに違いないと信仰(笑)を持ちました。

ではプリントアウトも終わりましたので、お気に入り削除します。
さようなら。
返信する
あ~うらやましいなぁ~ (lusheeta)
2013-03-05 00:00:38
私、結構旅好きなのですが、今まで旅行先で一度もエホバの証人に出会ったことはないのです。
休暇でヨーロッパに行った時も、街路に出ていないものかと何度か捜しながら歩いたのですが、全然見当たりませんでした。本当に日本に世界に存在しているのかなぁ?と思ったものです。

あ~bereshit007さん、エホバに愛されていますね~♪ 羨ましいなぁ(←本心です)

えーと、確かこちらのプログの趣旨は、人を裁くな、弱い人を思いやれ、でしたよね。
私から見ますと、この場所が一番人を裁いているような気がするのですが・・・気のせいでしょうか?

街路で一般の人に反応しないエホバの証人たち―
皆さん、これら仲間の兄弟姉妹の家庭環境、その日のコンディション、悩み事などなどは、全部ご存じなのでしょうか??

店舗に入ってきた無気力な伝道者たち―
もしこの兄弟、伝道デビュー3日目だったら同じように感じますか?
bereshit007さんと同じように、暫く囲いの外に出ていて、ようやく戻ってきて、久しぶりの奉仕再開日だとしたとしたら・・少し見方が変わりませんか?
もしそのうち一人の兄弟が、このブログに好意的に書きこみされている兄弟だとしたら、感じ方がだいぶ違うのではないでしょうか?むしろ好意的に思いません?

あと何時間でOKよ、とおっしゃる姉妹たち―
その時間の動機はその通りかもしれません。でも他の時間はいかがでしょうか?
全体奉仕時間の半分は本当に心を込めて奉仕をされていたかもしれません。
他の人はその辺りは正確にご存じなのでしょうか・・?
エホバ神はごく小さな良いことをごく大きく評価されますよね(列王第一14:13より)

発している言葉はその人の心全体のごく一部の発露に過ぎません。
海面に出ている氷山の頂点部分だけです。
氷山本体(メイン)は海の中です。
だからイエスは心が読めない人間に人を裁いてはならない、とおっしゃったのではありませんか?
これは私個人の見解に過ぎないことですけれども。

今年のカレンダーの最後の月の挿絵は、イエス・キリストがエホバに王権をお返しするシーンです。
私はキリストご自身は、エホバが反逆した人間に対して最初に予言された言葉の成就を、最終目標にされていると考えています。
つまりすべてのものが神のものとなるように、人間が失ってしまったエホバとの絆を王国の仲介なしで結べることを最大の目的としておられると思っています。
ですので、イエスは王になるよりも王権を返す時の方を遥かに喜びとして待っておられる方だ、というのが私のイエス・キリストに対する見方であり、お手本です。

誤解のないように申し上げますが、私が元開拓現僕二世さんの見解に横槍を入れたのは、彼の人格を否定するためでも裁くためでもありません。もし彼がおおよそ信者の方に対して言われた言葉でしたら私は放っておきました。
ですが、元開拓現僕二世さんは信者ではなく研究生の方(つまり私たちよりも弱い立場の方)に回答されたので、弱い人を思いやりなさいと語られる、こちらのプログの趣旨に沿う形で書きました。


※生きるのがせいいっぱい、自分には価値がないと思われる皆さんへ※
私もそういう時期を経験しましたし、これからもそういうことは思い続けてしまうだろうと予想しています。
20代でもう歯ブラシさえ重くて持てなくなってしまったとき、私は生きていることそのもの、呼吸をし続けていること自体が、私の最大の神への愛の表明だと思うようにしました。
生きたくなくても、生き続けるのは自分にとって本当に大きな犠牲であり、その犠牲の大きさこそが、自分の神への愛の深さだと考えるように心がけました。実際エホバもそうお考えだったと思います(ヨハネ第一3:20←ご参考まで)
両親は最も苦しい時、私を助けには来ませんでした。でもエホバはしっかりと守ってくださいました。
それ以来、私は仕事をこなせる能力を持っていることを自覚していても、量はセーブしています(体力保持のため)それでもきちんと日々のパンは与えられています。

幸いなことに人間には忘れる能力と、一つに一つのことしか考えられないという能力があります。
想いがネガティブな時は、まぁとことんネガティブでも良いのですけど、何か手を動かしていると別の方に思いが向きやすいです。ちなみに私はあまり動けないときは小学生の百ます計算ドリルをしていました。
ちょっと動けるときは散歩したり(海が近いので浜辺とか)、もう少し動けるときは運動で唯一好きな乗馬をしていました。高いところからの眺めは良いですよ(←決してお嬢様ではないです、結構泥くさいスポーツです)

分類ノートを作り出したのは、若干の科学者的思考によるものです。
○○かもしれないという仮説に白黒をつけるには、先ず実験データを地道に採ることだと考えました。
自分で獲得した数字的な根拠、目に見える論拠があれば、自分の助けになるだろうと思ったのです。

自分のコメントを読み返して、私の賜物は感受性と想像力と書いたのを確認しています。
感受性はエホバの証人でないのならば、この世ではものすごく邪魔な能力だと思います。鈍感な方が上手く世渡りできるでしょう。
しかしエホバの証人として生きるならば、これはとても優れた賜物です。
確かに悪意は敏感に感じ取りやすいですし、人の痛みを追体験してしまうというデメリットがあります。
でも、感受性は人の長所を素早く感知できるという素晴らしい力があります。
イエス・キリストはこの能力に非常に卓越されていたので、人の良さを見抜いたり、必要をすぐに察知することができました。
自分には価値がないと思われる兄弟姉妹は、私見ではほぼ間違いなくこの能力に長けています。
もしも全員がこの良い方の力が使えたら、本当に本当にすご~い素晴らしい組織になるだろうなぁって思います。そして、私がこういうことを考えられるということは、当然エホバはもっと人の可能性をご存じのはずです、よね?


パリサイチックな兄弟姉妹たちのことですが、この兄弟姉妹を裁くのもエホバとイエスのお仕事です。(矯正の機会の件は置いておいて)もしもこのお二方から「パリサイ人」と判定されてしまったら、たとえ組織に属していても多分救われないでしょう。西暦70年のエルサレムの滅びの時に必ずしも「全てのクリスチャン」が救われたわけではないのと同じです。可哀想に、それまでのどんな輝かしい霊的な業も全て無駄だったという結果に終わります。

一方で、もし終わりの日に研究生、もしくは関心を持つ方々、エホバの証人と接触は持ったことはないけれど霊的な飢えを自覚している人たちについては、神はその人の心の氷山の全てをご覧になるでしょう。
聖書には救いにバプテスマは必要とありますが、同時にエホバは法令授与者でいらっしゃいます。
その神が超法規的措置をしたからといって、一体誰が異論を差し挟むことができるのでしょう。

1世は牧草地の良さが判って来るので、その点では恵まれています。
2世は最初から育った牧草地なので、食べた後でじわじわと良さが感じられるまでは、隣の牧草地の方が輝いて見える事でしょう。
私の2世の友人が2世は2回バプテスマを受ける(2回目は自分の心の中で)と言っていたのを思い出します。何となくそうなのだろうと思います。
いずれにしても、親の信仰と全く同じ信仰は持てません。個性がありますから決して同一にはなり得ません。
必ずご自身の判断が必要になる時が来るのでしょう。

私は強い者ではなく、弱い者なので、これ以上の助力はできません。
それに牧者ではありませんし~(逃)
そのようなわけで、一匹の弱い羊と致しましては、パリサイ人の生き方には倣わないけれど、その教えには従うという、地上におられた時のイエス・キリストと同じ考えで生きたいと思います。
今はどうしてエホバが、ネットで群れるな!と言われたのか理由が判ります。
賢い者と一緒にいないと、やっぱり賢くはなれません。それは何と言っても聖霊の流れる場所です。
少なくとも個人のブログに聖霊は流れませんので、これ以上の高みは望めないと私は思います。


bereshit007さんと私は、きっとご本人はお嫌でしょうけれど、共通点があるように思えます。
エホバから目をつけられてしまった(誤解用語1)のだと思います。
「こいつはとっておこう」と思われたら最後、逃れられません(笑)
私、何度も自死計画立案しましたが、いつも心の片隅でエホバに阻止される(誤解用語2)という不安を(誤解用語3)を抱いていました。
全くの個人意見(←ここ強調)ですが、エホバは執着心をとてもお持ちの方です。
もうたぶんbereshit007さんは既にターゲットに入ってしまっていると考察します。
逆にそういう執着心をお持ちでないと、人類を救うというのは困難ではないかな~と愚考するところです。


で、最初に戻りますけど、bereshit007さんはさりげなく他の兄弟たちに会えてしまうなんて、本当にうらやましいです~♪
でもね、実は私、bereshit007さんのために祈っちゃったんですよ。
こんなに早く叶えてもらえるとは思いませんでした(笑)
なので、私の予感では今後bereshit007さんの現実世界において、あなたの視界の端にエホバの証人が入ってくる可能性は増大です。
私としては心底羨ましいのですが、bereshit007さんは・・どうぞ頑張って、くつろげないお時間をお過ごしください。
最終判断はあなた次第なので、これ以上の口出しは致しません。では。
返信する
Re:あ~うらやましいなぁ~ (bereshit007)
2013-03-05 09:36:37
リュシータさん

かわいい。

では。
返信する
うん! (ピッピ)
2013-03-05 10:47:26
lusheetaさん かわいい。

私 好きだなぁ~

では。← これって流行りそうね♪
返信する
かなりこれで最後にしたい(お返しなしでお願いします) (lusheeta)
2013-03-09 00:39:51
ああ、まずい。良心に焼き印が押されるってこういうことかぁ。
・・・あ~しみじみしている場合じゃないわ。
もうそろそろ、ここを見たらロトの妻!と思いこまないと、私ダメかもしれない。
後でめちゃくちゃ祈ろう、うん、そうしよう。←って先にしなきゃ意味がないじゃない。

そんなわけで?不完全な人間は常に矛盾、多面性を抱えており、いつも葛藤を持ち続ける生き物です。

臥せりがちな私の分も含めて、野外に出てくださって本当にありがとう。助かっています。ありがとう。
以下、超個人見解です。

記念式=イベント、宣伝、はい正にその通りです。
楽園が来たら、きっと記念式は皆さんのイメージ通りの厳粛な式典になるでしょう。
当日伝道も当然なくなるでしょう。
記念式が千年統治以降も続くのかまではわかりませんが。

要は優先順位の問題です。
ニサン14日にイエス・キリストの死を厳粛に受け止め、感謝し、思いを馳せる、確かにとても重要です。
しかし、今の最重要事項は一人でも多くの人をエホバの側に引き寄せ、立ち返らせることです。
その目的のためだったら、言い方は悪いですが記念式さえも大きな手段の一つです。

一企業人観点で申せば、なぜ宣伝に力を入れるのか、当然商品を買っていただきたいからです。
企業の設立目的は第一に利潤を得ることです。
利益が出なければ(売れないなら)従業員に給料を出せないし、会社も大きくできませんし、開発もメンテナンスもできません。

CMに力を入れる理由は、圧倒的多数の人に自分の会社名と商品を紹介することができるからです。
買ってもらうための第一歩はまず名前を覚えてもらうこと、それが出来ればCMの当初目標は充分達成です。
やり手の営業は、新規開拓する時にお客さんと会話し、自己商品のPRしつつも、そのお客さんが何を望んでいるのかを察知し、お客さんの期待に応えるように話しを展開させます(頭で計算して作っていきます)成績優秀者はたいていセールストークでも人心を掴むのに長けています。
経験の浅い営業さんは自己商品の良さを説明して帰っていきます。
世の中では前者を求められますが、エホバはその両方を必要とされています。

言い方が悪いのですが、結局そういうことです。

記念式シーズンは、一番一般の方が王国会館へ来てくださるチャンスであり、エホバと王国の事を宣伝できる時期です。なので一年で一番稼ぎ時?と言えるかもしれません。
30時間補助の理由はここかもしれません(従業員も一段と褒められるので喜びが増えるでしょう?)

記念式に来られる方が、次にいつ来てくださるのかは全くわかりません。
こちらとしてはとにかく少しでも、どの話の部分でも良いから覚えていてほしいと思います。
話のどこの部分が来てくださった方々の心の琴線が触れるのかは、記念式の時は全く不明です。
だからたくさん話します。(まぁ真理の水をコップではなくて、バケツで渡す感覚です)
記念式は不特定多数の人向けのものであり、いつものオーダーメード仕様の奉仕とは異なります。

イエス・キリストがゲッセマネの園で取り除いてほしいと切望された杯、それはご自分の命を守ることではないことを皆さんはご存じでしょう。偉大な人の本によれば「犯罪者として死ねばみ名に恥辱となる」ので、イエスにとってはそれが非常に耐えがたいものでした。
けれども地上に来た目的は、人間はどんなことがあっても神に忠節が示すことができるという証明と、その人間に永遠の命の望みを渡すためでした。その目的のためなら一時の神への恥辱というのは一手段に留まります。
イエスはいつでも自分の命を守ることができました。捕まることも避けられました。法廷で言い返したら誰も勝てませんし、バラバとの釈放選択の時、少しでも口を開けば群衆はたちまちイエスの味方になったでしょう。でもあえて、そうされませんでした。

なので、もしかすると記念式はエホバの証人には試みの時なのかもしれませんね。
言葉の言い換え(カタカナ語)、私もあれれ?って思うことがあります。
でも自分の中では、もし新しい言い方は良くないと決めてしまうなら、それは私自身が保守的な人間の第一歩を踏み出したのだな、と思います。
一種の軽い?教理の変更のようなものだと思って対応しています。

ビラ類は私たちがどう思うかではなくて、世の中一般の方がどう思われるかを重視している作りなので、もしその言い方が世の中に合わないと判ったら、別の言い方か、もしくは元の言葉に戻すでしょう。
いずれにしても組織は常に動いているので、根幹はしっかりしていても、枝葉が固まるということはないです。かつ人の目には見えにくいけど空へ空へと成長していきます。

ドレスアップは最初私も否定的でした(自分が着飾れないというやっかみも混ざっていましたが)
今は本人の動機次第かなぁというところです。
単に見せびらかしたいだったら問題かもしれませんが、年に一度の厳粛な式典です。
天皇陛下の御前とは比較にならない程のすごい式典に来るわけですから、本人の一張羅を着て出席するのは充分有りでしょう。
私の会衆では前後の写真撮影は禁止です(多分これ他もですよね?)つまずきのもとなので。


話は変わりますが、私はプチ歴女です(鉄子さんも入っているかも、JR時刻表隅々読み大好きです)
とりあえず、復活後に会いたいフランス人はマリー・レクザンスカ(ルイ15世の妃)
イギリス人はエドワード6世とその母ジェーン・シーモア(女優さんじゃないですよ)です。
ちなみにエドワードパパのヘンリー8世が自分の離婚目的のために(生涯6回結婚)ローマ法王のカトリックを一部脱退、イギリス国教の基礎になりました。後に娘のエリザベス1世がそれを確立しています(エドワード6世の2代後で彼の異母姉に当たります)
アメリカ人ではルイザ・メイ・オルコットとその妹のエリザベスです。ああ~きりがないですね・・・。

吉田松陰も佐久間象山も時代の先見性に富む非常に優れた人物だったと思います。
とはいえ、彼らに影響を受けた人たちが敵味方に分かれて明治維新を行ないました。分裂ですね。
結局、明治維新は成し遂げられましたが、敵も味方も個人としてその後で幸せに暮らしました~めでたしめでたし~♪という人は殆ど皆無です。少なからず新政府に失望し、政治舞台を遠くから眺めるだけになった人は多いです。といいますか、あまり良い死に方もしてませんよね。
自分の利益追求のためだけの人は良かったかもしれませんが、志の高かった人ほど挫折も大きかったでしょう。維新を見ないで亡くなった高杉晋作は、どういう想いで件の有名な辞世の句を詠んだのか、興味深いところです。

私はクラシック(古いジャンルですが、作曲時代としては世情の最先端の音楽だと思うのですよ)も大好きで、N響曲付大河ドラマは余程つまらなくない限りは見ています。
特に今回の会津藩の山本八重(新島八重)は当時は異質な女性として見られていたという点に共感を覚え、いつも以上に感情移入して見ています。
お兄さんもお殿様もかっこいいし、役者演技もかなり上々と思います。
会津の忠誠心は良いですよね、私は自分たちが不利益になると判っていても、先祖の家訓に従う姿はレカブ人と似ていると思うのです。ある時、割と仲の良い姉妹にそれを話したら「逆に会津藩の歴史を知っている姉妹の方が少ないと思う(笑)」と言われて、それもそうか(^^)と得心しました。

会津藩開祖の保科正之は検索すればすぐに判りますが、2代目将軍徳川秀忠のいわゆる隠し子で、3代将軍の家光の異母弟に当たります。
家光はこの自分の政権の邪魔にはならない異母弟(自分が将軍になってから存在を知る)をとても可愛がりました。家光の育った背景を考えれば、大人になってから唯一の安心できる血族を得たことに対する愛情は想像に難くないです(興味がありましたらお調べください)一方で家光は自分の政権にとって邪魔となる実弟は自害に追い込んでいます。

逆に保科正之は実の親とは離されましたが、養父が愛情を注いだのでその恩義を忘れず、自分の身分が回復しても終生保科姓を捨てませんでした。
同時に自分を愛してくれた兄将軍にも感謝していました。
そんな中で会津藩の家訓が誕生します。
意訳すれば「何があっても徳川宗家を守ること、これをしない子孫は私の子孫ではない」という遺言です。
今のドラマのお殿様はそれに忠実に従っているのです(天皇を守っているだけのように見えますが、宗家に征夷大将軍を任命する者を守っているので、実際は倒幕を防いでいるのです)

そんな素敵なお殿様ですが、別の面もあります。
山本八重はあくまで上流階級の娘です。テレビは彼女をフォーカスしているに過ぎません。
幕末会津の下層階級はものすごい重税に苦しんでいました。
会津はJW縦割階級??も真っ青の超縦割の封建社会で、かつ保守的でした。
新天地に青森を選んだのは会津農民の恨みが恐ろしかったからという説もあります。
たいていは良識人物として描かれる、越前の松平春嶽もこのドラマでは強かで腹黒い役です。
歴史にはいろいろな側面があるということで、見方も立場によって異なるということが分かります。
そういうことで多少のフィクションが入っても、史実を展開させる大河ドラマは私の好みです。

ええと、余計な口ですが、感情論を抜きで言うのならば
子供の生存権を守る(自分の血統を保持する)のと、子供の人権を守る(一個人として愛情を注ぐ)のは必ずしも一致しないというのが私の考えです。

ところで現実世界の会衆における私は静かちゃんです。
口は災いの元、沈黙は金なり、箴言17:27を地で行く姉妹・・のはずです(見た目)
人畜無害、敵を増やさず、という路線はかなり確立していると思いますが、味方を増やすのは、自他共に不得手でしょう(こちらでご覧のとおり)実は本当は厄介な姉妹という事はごく一部の人しか知りません。

でありながら、この世界での私は饒舌以上によくしゃべっているなぁ~と最初も今もそう思いながら入力しています。書きながらその理由が判りました、今まで私は本とばかり会話していたからでした。
他の人の洞察は知りませんが、自分の洞察は少しできました。

そっか、生きた人間に関心を持たなすぎだったんだ(!)

漸う自分が判りかけてきました。皆さん、どうもありがとうございました。ではでは。

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Re:かなりこれで最後にしたい(お返しなしでお願いします) (bereshit007)
2013-03-09 12:20:31
はからずもリュシータさんが、擁護した例えが本部のコーポレーション組織の考え方だと思います。

今回は、よくコメントされましたね。

会衆に静かちゃん状態のあなたより

こちらであばれまわってるあなたのほうが

よっぽど素敵だよ。

そして書いてゆきながら再発見する態度も素晴らしい。

さいごは、やっぱり

では。って区切るのが好きです。

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静かちゃん! (ピッピ)
2013-03-09 20:53:11
かわいい♪

最初に感じたとおり
やっぱり私はあなたが好きです!

で は 
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そっか☆ (yura)
2013-03-12 10:21:08
bereshit007さんが
>はからずもリュシータさんが、擁護した例えが本部のコーポレーション組織の考え方だと思います。

という表現に、そっかナルホドと思いました。自分の感じたことをbereshit007さんが
別の表現で別の角度から述べてくれたように感じました。

私がリュシータさんのコメントを読んで、最初に感じたのは、
私が自分の感じていることを話した時に返ってくる典型的なと
言いましょうか、標準的なJWの?一般的なJWの?多数派JWの?
普通のJWの?どの表現が適切なのかはわかんないんだけど…
そういう方々の反応だなぁ…ってこと。良い悪いではなく。
いかにもこう返ってくるだろうなぁという。

つまり、色々書き込んだ皆さまは、リュシータさんがおっしゃったことは
すべて「踏まえて」、その上で思うところを表現しておられる、ということですね。

この種の会話はとてもよくあることです。正直な気持ちを述べると
正論でさとされる。こちらは「いや、あの、おっしゃるすべては私も
まがりなりにもJWですからすべて承知しておりまして、それらを
踏まえての今の私の“気持ちや感じ方”を述べただけなのですが」的な。

例えばカタカナ等新しい言い方に関しても、それが「よくない」と
決めつけているわけじゃないんだけどなー☆
「好きじゃない」って言ってるだけなんだけど。このあたりも
とても典型的な反応ですね。好き・嫌い=良い・悪い、正しい・間違い、に直訳して、人間の自然な気持ちを抑圧・弾圧する。
ま、でも、このあたりも二世独特の敏感さなのかもしれません。

好き嫌いといった、人間に自然にある感情を抑圧し続けると
変な場面でその抑圧された感情が変な風に顔を出して、悪さを
する…といった興味深いことを土井健郎氏が書いています。最初に
読んだ時に、会衆内でしょっちゅう直面するこの種の「?」な
物言いの文脈が少しわかった感じでスッキリした覚えがあります。

一番安全なのは言う相手を間違えないようにするってことで、
気を付けてはいるんだけど、時々やっぱり間違えちゃって
痛い目を見ることもありますね涙 


私は、エホバが宣べ伝えなさいと言っておられるのは、エホバにとって子供である人間すべてがエホバを知って
幸せになって欲しいからだってことで、しかもその業だって別に人間がやらなくちゃエホバが困るってわけでもない。

私の中イメージは5歳くらいの子供がお母さんのお手伝いをしたいって言う図。
お母さんとしては自分でやった方が全然早いし、うまくできる。
でも子供のやりたいという気持ちを尊重したいし、手伝うことで
子供も色々な面で成長できる。成功するにせよ、失敗するにせよ。
だから子供のためにも自分の時間と手間をさいて、あえて
お手伝いさせてあげる。

エホバが私たちに伝道しなさいっていうのはこんな感じなんだろうなって
いつも思うのです。だから聖書には「石が叫ぶ」ってあるし。

究極、キャンペーンやってもやらなくてもエホバがこの人は羊だと
思われればいずれは引き寄せられる。それでもそこに至る過程を
私たち人間に任せて、させてくれている。それは色々な意味で私たち自身にも、また人類にも益になるから。
エホバってそゆ方ですよね、信頼して任せる。創世記でも人間を造る際に、
「さあ、(私たちは“英語でlet us”)私たちの像に…作ろう」ってイエスに言われてて、部下に命令するような言い方じゃなく、幸せな協調関係を彷彿とさせる言い方。
10代で本当の意味でエホバを知るようになってから、割と最初の方に
このことを知って(74年の塔に資料あったと思う)心底感激したことを
今でも覚えています。

キャンペーンをして、普段だったら絶対会えないような人に
会えて…とか、初めて記念式にビラを見て来て研究になって…とか
必ずそういうことは起きます。それはこの業に携わっている
私たちにとってとてもうれしかったり励みになる経験になる。だから「キャンペーンにまったく意味がない」とは思わない。

そして、キャンペーンがなくとも、そうした人に対するエホバの手は短くないので
必ずなんらかの形でサポートされる。

だからキャンペーンがなされているなら、そのこと自体に対して
良心的キャンペーン忌避者にはなりませんが、ものすごい
勢いでノルマみたいにやりたくはないって感じです。自然な
ペースでやりたいです。それが自分のエホバへの気持ちに沿うから。
この部分は開拓しているころから変わってない。今年は「開拓者は
何枚…」的な実質的ノルマがなくなって、大変良い変化で評価できますね。


本当のところ、エホバはどっちが好きなんだろうなぁ…絶対私のだ☆的な
気持ちもあるんだけど、でも上記のことを考えると、まぁきっとどっちでも
いいんだろなーとなる。好きなようにやってみなさいって感じなのかなって。
創造物を見ているとその多様性に圧倒される。だからきっと
色々でいいんだろなって。

もうちょっと実際的に言えば、どうせキャンペーン張るなら
特別講演とかのほうがいいのになぁ…とか思います。講演の内容が
一般的だから。でも記念式のほうがインパクトがあるからなんだろうなぁと。まぁそうなってくると、イエスの犠牲の死に関する
集まりでインパクトとか…って自分的にはちょっと気持ちがざわつくから…
で、また元に戻る。

色々なやり方はあれども、一度「組織」というものに属せば、
いつもいつも自分が最善だと思う方法が実施されるわけでもないし
ある程度は受け入れていかなきゃいけない、組織とはそういうものなんだろうって。自分がここにいる、と決めた以上は。でも
時々気持ちは吐きださせてもらって、良き友人たちに。

そして、良心的にどうしても無理っていうことだけはスルーして。
聖書を日ごとによく読んでエホバと日々お話して。心からの初物をできる範囲でお捧げして。

そんな日々を送って行きたいと思います♪

昨日はそんな中、マルコの通読範囲を読んでいて(聴いていて)
様々な思いに圧倒され…エホバの思い、イエスの思い、弟子たちの
思い… そしてマタイ受難曲が聴きたくなって通して聴いたり…
記念式の時期に福音書の通読が重なるのはいいですね。







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歴女リュシータの戯言1 (lusheeta)
2013-03-12 16:24:36
今回のコメントは《自称クリスチャンのリュシータ》ではなくて、《自称プチ歴女》リュシータの戯言です。
ここの家主さんから許可が下りていますので、時々剣が出てきます(ご注意!)

最初に・・・過去分も書いていることは全て主観が混ざっている、やや自分なりにの客観意見です
生育上、厳しい環境で呼吸して来ましたので、誤解を招く表現はどうしても消せませんが、他の人を意志をどうこうしたい意図はないのです。ただこんなことを思う個性の人もいるよ、っていう表現したかったつもりです。
これが標準のJWなのかは自分ではよく分かりません。

芸術鑑賞の姉妹たちってすごい素敵ですね~羨ましいです。
私は科学館ならともかく、美術館に行くと、作品より、壁とか柱とか階段とか床とか、配置の距離とか空間の使い方に注意が取られてしまうので・・・何をしに行っているんだか・・・ってなってしまいます。
ルーブル美術館もモナリザが思ったより小さい、ニケが思ったよりも大きい、作品の前で絵画を模倣している画家の卵さんを見て、さすがフランスは芸術の度量が広いわ~と思ったくらいで、実は近所の元駅舎のオルセー美術館の方が好きです(素敵なレストランもあるんですよ♪)

あと数学ができそうな姉妹に思えるかもしれませんが、私は数学は好きですけど得意ではありません。
せいぜい高校初級レベルです。それほど若くない(笑)ので因数分解程度しかできません。
数学の点取り方法は、小学生の時に±×÷計算をたくさんしておく(桁数の多いもの)ことと、関数のグラフを描きまくることです。たいていこれで悪い点にはなりません(図形系とか代数幾何・確率辺りは少し違いますが)文章問題は、数学力というより国語力の問題です。内容自体が超難問という訳ではありません←くれぐれも(強調)上から目線のつもりではないのです。
リュシータ家では数学より算数の方が難しいというのが定説です。
中高生の数学はいろいろな定理や公式が使えますが、算数はそれが使えません。
大人になって変に知識のある状態で、算数をするのは結構難しいです。
ちなみに1+1=2は当然ということですが、どうして1や3は間違いで、2が正しいのかを深く追及するのが大学です。
一番好きでかつ得意だったのは地学です。このときの知識のおかげで、震災の時は他の人より落ち着いていられました。

で唐突に、前回の日曜日の大河ドラマも良かったです~♪
火薬実験~懐かしいなぁ~(遠い目)♪
そういえば若い頃の私、手作り火薬(ちゃんと学校の合法で仕入している理科室の薬品です)をトイレットペーパーの芯に入れて火をつける実験をして、学校近くの公園のベンチを焦がして逃げたことがあります(もうベンチはないので時効です←!??今だったら補導対象かも)
三谷劇場の香取君の新撰組よりは、今回の方がより史実に近いと思います。あんなものでしょう、実際のテロ対策の警察機関は。
池田屋事件は会津の頼母元家老曰く「仇を造った」事件で、小規模とはいえ日本国内の、第一次世界大戦のきっかけとなったセルビア人青年の銃弾に匹敵する事件ではないでしょうか。
憎しみの対象が存在するだけで、人間は生きる意欲が出ますから、恨みというのは強い力です。

吉田さんも佐久間さんも坂本さんも、超個性派だったと思います(そうでないと、そこそこの身分の人は歴史に名が残りません)良し悪しについては、時代も価値観も異なるし、聖書の基準も未導入なので、今の時代からの判断は不可です。
私、国籍は日本ですけど、別に上記3名に魅力は感じません。(私の場合、大先生って敬愛するのは唯一キリストだけです)
でもお三方の大変国を憂いていて、何とかしたい!というひたむきな情熱は伝わります。
それは会津も他藩も同じことで。
ただ時代の先読みができて、行動が取れる人たちの登場順の違いではないかと思います(最初の権力者は薩摩のお殿様でしょうね)
15代将軍はわかりませんが、幕末時代にお国のことを思っていた人はたくさんいたはずでしょう。
そういう意味では、会津も長州も薩摩も土佐も、新撰組も共通だったと感じています。
それぞれの義は違うけれど、目的は自らのためではなくて、お国のためでした。

吉田さんは面白い人ですが、上位の権威には反しまくった人です。
有罪で処刑になる以前に、軽~く前科数犯です(脱藩するし、密航しようとするし)
明治政府を善とすれば善かもしれませんが、徳川幕府にとっては間違いなく悪です。
そういう彼がとても日本人から愛されるという事は、日本国民の個人レベルは表向きルールを美化していても、本心ではルールを破りたいという、自分は別格になりたい憧れがあるのかもしれません。
・・考えてみれば、アメリカの憧れ人物の発明家エジソンも子供時代は(無意識ですが)相当悪い子でしたね、私と違って列車の中でマッチ(リン)の燃える研究とか(え?何か不満ですか?)先駆者はちょっと変わった人が多いような気がします。

とはいえ日本国民、集団になると話は別です。
勤勉な明治の日本は良かれ悪かれ、日露戦争に勝ってしまいました。
もし負けていたら、今頃は植民地、何処かの属国だったかもしれません。
しかし勝たなければ、少なくともミッドウェー海戦での大敗北はなかったと思われます。
世界時代は既に「空」でしたのに、日本はずっと「海」を見続けていました。
この一戦史だけでも、日本人がいかに過去の栄光が好きか、過去の遺物を信じすぎる国民であるのかが読み取れます(←あくまで個人の感想ですよ)
GHQ草案とはいえ、正規軍隊を持たずに来られたこと、アメリカは自分たちで軍も銃も手放せない中、少なくとも日本は選択の余地があるだけ恵まれている、と誰かに言ったら、ものすごい反感頂戴しました。

話を戻しますが、吉田松陰と佐久間象山は、義の通し方が会津に似ていると思います。
正々堂々で正直すぎです。
とりあえず、ロクに話も聴かないはずの幕府の役人に真実ばらすとか、暗殺されても良いから~なんて威風堂々としているとか、すごい素直ですよね。
その点、坂本龍馬はある意味、隠して欺くのが上手いです。桂小五郎もそういうタイプでしょう。
坂本さんも好きな日本人は多いですけど、彼が存在しなければ会津が徹底的に滅ぼされるという可能性はずっと低かったはずです。

きっと彼は天秤状態にあった、志の高い藩同士のどこを組み合わせれば、最も時代に効果的か熟考したと思いますよ。会津と薩摩を合わせても良かったし、会津と長州でも強さの上では良かったはずです。
薩摩と長州の組み合わせを選んだのは、権力のある家臣に柔軟思考者がいて、外国と戦った経験があって、海路で行き来ができて、地理的に近からず遠からず状態にあったことが挙げられます。
でも一番の共通の土台は両藩とも外様だったことではないでしょうか(過去に少なからず徳川に恨みがある)むしろ2藩は外様故に新時代を見据える賢くなった藩ではないかと思います。
個人的に薩摩藩は竹姫(5代将軍綱吉の養女)をしぶしぶ受け入れた辺りから、歴史が変わったのではないかと思います。何の文献も見ていないので想像の域を出ませんが。
薩摩は竹姫を受け入れたので、将軍家に輿入れが可能になった唯一の外様藩でしょう(宮家の養女にさせてからとはいっても)

とにかく幕末の皆さんは、端的にお国のためなら個人の命はどうなっても良い、という考え方が主流でしょうね。くれぐれも個人の感想です、はい。

続きます―。
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