怒れる中年

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石巻:大川小学校跡に立ちすくむ…自分たちの愚かさに痛恨の想い(その1)

2012年05月01日 | 東日本大震災…山形から

報告が遅くなりましたが、4月14日に石巻に行ってきました。大震災後、2回目の訪問です。今回は大川小学校跡を訪ねました。

どう書いたらよいのか、「軽々しく書けないなあ」と思い悩んでいたのです。

     

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土曜日ということもあるでしょうが、次々と弔う人たちが続いていました。みなさん、さまざまの想いを持ってのことでしょう。

中には香川県のバスで来られた方たちもおられました。

献花する後ろ姿は万感の思いを伝えているようでした。

ただ、立ちすくむほかありませんでした。

裏山の手前では、7~8人の方たちが、1年経った今もなお、「何か、遺品などを捜しているんだ」とのことでした。 

言葉もでませんでした。

          

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小学校跡です。惨状です。

子どもたちや先生方が、津波に襲われ、どんな思いで瓦礫と一緒に流されていったのか・・・!

避難してきたお年寄りたちも一緒に流されたとのこと・・・

北上川沿いのこの場所が避難所になっていたのです。

     

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子どもたちは、この写真の正面の北上川の橋の左手、ちょっと高くなっている所へ逃げようとしていたとのこと。

そして真正面から津波に襲われたのです。

なんという無残・・・。

どんなにか怖かったでしょう、どんなにか苦しかったでしょう・・・。

さらに痛ましいのは、子どもたちが、こんなときでも列を組んで避難しようとしていたと言われていること。走っていたか、急ぎ足だったかは分かりませんが。

さらにもうひとつ、列の最後尾の先生と生徒たち数人は、津波を見て裏山に逃げ、助かることができたらしいということ。

もっともっと助かった生命があったのかも・・・と、どうしても思ってしまいます。

親御さんたちの無念さは、如何ばかりか・・・。自分が親だったら、多分、先生方を、市や行政を、責めて責めて責めぬくでしょう。

でも、きっと一生諦めきれないでしょう。

     

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これが小学校の裏の山です。正面中央に山道があります。

子どもたちが大地震直後に集まっていた校庭のすぐ裏です。小学生が登れないような急な坂道ではありませんでした。

偶然、「ここの卒業生です」という女の人(この写真の女性)にあったので聞いたところ、「この山道は裏の集落に行ける道なんです」とのことでした。

山の手前に何人かの人たちがいます。この方たちが「遺品などを捜している」人たちです。

どんな思いで、この1年を・・・、

これは自然災害による悲劇なのか、人災による悪事なのか!

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(この続きは、また次回に書きますので勘弁して下さい。自分が、この1年考えてきたことをまとめるつもりです。 2014年5月1日 記)

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