ショーソンは不幸にして自転車事故(自動車ではない!)で亡くなった。享年44才。早すぎる死のため、作品は多くない。でも「詩曲 poème」という名曲を遺せただけでも素晴らしいことだと思う。
さて、ショーソンには交響曲が一曲ある。これが、ちょっと日本人には受け入れられないのでは、と思うところがある。しかし、実際はそうではなく、例えば九州交響楽団は5年に一回くらいの割で演奏している。
それはそれで良いことだ。でも、不思議なのは、次の一点が全く話題に上がらないこと。
「ぞうさん」にそっくり・・・
真面目な交響曲なのだが、真面目なだけに、この延々と「ぞうさん」そっくりを繰り返す交響曲は、日本人にとって耐えられないのではないか、と思っていた。
ところが、実際はそうでもないらしい、ということがわかってきた。
演奏者には全体像が必ずしも聞こえないため、「ぞうさん」には聞こえないのかもしれない。
お客さんも、ショーソンだと思って聴くから、やはり「ぞうさん」には聞こえないのかもしれない。
では、両方鳴らして「これでどうだ!」というのを、いつかやってみたいと思っていたのだが、今年の9月、ついに実現した。
関係各所の了解がやっととれて、この度、このブログのみで公開する「童謡メドレー」である。
ついでに「ぞうさん」のオリジナルに無い「増三和音(ぞうさんわおん)」も入れさせてもらった。
さらについでに、チャイコフスキーの交響曲第2番もつなげさせてもらった。この第2番は、第4楽章さえなければ、かなり良い曲だ。だがフィナーレがガンで、「やぎさんゆうびん」そっくりの主題(ウクライナの民謡「鶴」だそうだ)を延々と繰り返す。チャイコフスキーが大好きな私でも、ちょっとやってられない。
この曲も「やぎさんゆうびん」とくっつけることで、その下らなさが和らいだのでは、と勝手に思っている。
しかし、團先生の曲が二曲とも交響曲にそっくりとは、偶然とはいえ興味深い。
そんなこと言ったらキミ、ベートーヴェンの皇帝の終楽章と「早春賦」、モーツァルトの「春へのあこがれ」もそっくりだよ。
と、あの世から聞こえてきそうだ。(これについては團先生がエッセイに書いていらっしゃる。)
はいはい、仰せの通りでございます。だから、ちょっとこのくらいのお遊びは許していただけますように。
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