井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

翼をください

2011-07-09 08:37:27 | 音楽

この曲も、かなり苦手な曲である。

作られたのは1970年頃らしいが、その少し後に「赤い鳥」というグループによって有名になった。「赤い鳥」というのは、カレッジ・フォークの流れを汲む、いわゆるフォーク歌手のグループ。自作自演のシンガーソングライターがグループメンバーに含まれているのだろうと勝手に思っていたが、そうではないらしい。これは山上路夫、村井邦彦というプロ中のプロが作った曲だった。

2フレーズ目にいきなりドッペルドミナントが出てくる、かなり斬新な曲想を持っている。前半でそのように調関係を揺るがせておいて、後半のサビでは根音が順次進行でなだらかに降りてくる、と文にすると何のことかよくわからなくなるけれど、プロポーションはすばらしい。

よくできている曲は、普通好きなのだが、この良さをぐしゃぐしゃにした演奏が、昔まん延していたのだ。

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結構すぐに小中学校で歌われ始めた。こぞってとりあげた先生達は、今考えてみると皆さん団塊の世代、全共闘世代、私から見れば目の上のたんこぶ世代である。この方々の琴線を見事にキャッチしたのだと思われる。

しかも学校教育に都合の良さそうな「非・恋愛」の歌。

だが、この歌のサビは時々シンコペーションが含まれ、正確に歌うのは難しい。そのあたりが無視され、さらにテンポも本来よりずっと速くなってしまい、元々の良さは消滅摩耗してしまったような形の歌が、全国で歌われていた。

その上、「富」とか「名誉」に価値があることをほとんど知らない子供に「そんなものはいらない」と洗脳する、というおまけまでついてしまった。

今、みんなで歌える歌はとても少ない。それを考えると、みんなで歌える歌として歓迎されるべき存在のような気がしないでもない。だが、プロが歌うのを聞いて、しみじみ思った。これはやはりプロが歌うのを静かに聞くのが一番良い、と。

ついでに、同じコンビが作った「美しい星」

記憶ではNHKの歌謡番組のオリジナルだったように思うが、その後「みんなのうた」でも放送された。同様に「非・恋愛」の歌で、歌唱力のない歌手にかかると一挙につまらない歌になったけど、「翼をください」ほどはやらなかったので、私は好きなままでいられた。

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落ち葉のコンチェルトとドリカム疑惑

2011-07-05 00:55:58 | テレビ番組

先日「題名」で、私の好きな歌をたくさん、嫌いな歌を2曲聞いてしまった。

皮肉なことに嫌いな曲が耳に残って困ったものだ。

そのうちの一つがドリームズ・カム・トゥルーの「Love Love Love」

皆さんは、これと「落ち葉のコンチェルト」の区別がつくだろうか?

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そして「落ち葉のコンチェルト」

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この歌、このように日本語訳もあって、実は私が覚えたのもこの歌詞だった。NHKのヤング101というグループのLPを持っていて、その中に収録されていた。

原曲には全く落ち葉などなく、反戦歌だったというのは、今調べて初めて知った次第。

それはともかく、この「落ち葉のコンチェルト」も不正確に覚えているものだから、「Love Love Love」を聞いても、頭の中で適当に「落ち葉のコンチェルト」へ変化してしまうのである。とにかく気持ち悪いったらない。だから嫌いなのである。

しかし、今回動画を調べると、結構、盗作疑惑でにぎやかだったことがわかった。私自身はドリカムのオリジナリティを認めていない。何を聞いても何かに似ているようにしか聞こえないので、独創性のない人でも売れるんだな、くらいにしか思わない。

盗作を言うなら、「夜明けのスキャット」と「サウンド・オブ・サイレンス」だよ。でも、これはお笑いのネタにまでなった周知の事実。それでも、いずみたくさんや由紀さおりさんは平気だったから、売れれば多少何かに似ていようがそれでいいのだ。「上を向いて歩こう」がベートーヴェンの皇帝の1楽章に似ているなんて、故・黛先生くらいしか言わないぞ。

さて、久しぶりに落ち着いて聞くと「落ち葉のコンチェルト」、なかなかいい曲だ・・・。YouTubeのコメントを見ると、現在50代後半あたりの人達のノスタルジーが詰まっていて、これもなかなか風情がある。関心のある方、ご一読あれ。


知って得する健康の話「放射能」

2011-07-02 06:19:13 | 健康・病気

「安全の目安は累積で100ミリシーベルト」

とサブタイトルがついた文章が、某新聞社が発行する小冊子に載っていた。サブタイトルの内容は正しいようだ。

しかし、奇妙な文章なのである。

抜粋すると、

実は宇宙からも、大地からも、通常の食べ物からも放射線が出ています。地球に生きているだけで自然の放射線を浴びてしまうのです。その自然放射線量は世界平均で年間約2.4ミリシーベルトです。

大半の専門家は「被爆量が100ミリシーベルト以下なら、健康への影響はない」と言っています。

一方、放射線はがんを起こす作用を持っています。これも「100ミリシーベルト以下ならまず大丈夫」と言われています。

覚えておく目安は「これまで浴びた量が累積で100ミリシーベルト以下かどうか」です。

聞くところによると、福島県では某大学の教授が「人間は1年間に100ミリシーベルト浴びても問題ない。安心してください」と福島県民に説いて回っているとか。

これはまっかな嘘。なぜならば一般人の年間許容限度が法律で1ミリシーベルトと決められ、放射線従事者でも年間限度20ミリシーベルトと決められているからだ。

さて、上記の文章は、何気なく読むと、同様のことを書いているように読める。が、よく読むと違うのである。「1年で」とは全く書いてなく「累積で」としつこく書いてあるのだ。

しかも自然放射線量のことまで書いてある。2.4ミリシーベルトを41年半くらい浴びると100ミリシーベルトになる。つまり、みんな危ない。確かにがんで死ぬ人は一向に減らないし・・・。

という訳で、この文章の意図は一体何なのだろうか。

マスコミの記者は、真実を伝えられるとは限らない。様々な圧力がかかって、歪曲されたりボツになったりは当たり前だと聞く。その中をすり抜けるために、このような回りくどい手法を使って、せめてもの真実を伝えようとしてくれた・・・のではないかと勝手に思うことにした。

この文章の最後の方に、

人の体には放射線の害を修復する力があります。

とも書いてある。いわゆる自然治癒力とか自己治癒力、免疫力の類だ。この治癒能力を高めるために音楽は有効な手段、我々音楽家が役に立つのは、この場面において、なのだということを自覚したい。