井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

念仏効果

2007-07-11 10:39:31 | 受験・学校

 学内演奏会というのを開いた。管楽器とヴァイオリンを主として勉強する芸術コース,1年から3年までの発表会である。学年を追う毎に,演奏がしっかりしてきているのは,非常に全うであり,順当であり,正直安心した。

 しかし学生がみな真面目にやってきたかというと,そうではない。授業にろくに出ないのもいるにはいるので,その発表については最悪の結果を覚悟していた。

 ところが,そんな学生でも下の学年よりはまともな瞬間があったのである。今年のヴァイオリンの3年生には「古典派の様式の把握」を課していた。課題曲はベートーヴェンの協奏曲。これは音階と分散和音だらけの曲なので,様式の把握なしには音楽にならない。かつて「ここは何調の何の和音を使っているの?」ときいただけで絶句し泣き出した学生もいた。しかし和声の動きを知らないことには話にならない曲なのである。知った上でヴァイオリンの役割を理解して音楽を作るのだ。これが一部の学生には意外と難しいらしい。なかなかスタイリッシュな演奏をしてくれないので,今年ははっきり目標に掲げた訳だ。

 そういう説明を授業中にして,演奏を研究する。その説明を聞かないと様式の把握は非常に難しいはずだ。なぜなら,様式こそ教えてもらわないとわからない類のものだからである。(注意深い観察と莫大な時間があれば独学でも可能だが,そういう人は大学に来る必要はない)

 授業に来ないのだから,目もあてられない状況を覚悟していた。実際は・・・

 音程は定まらない,音はフニャフニャ,しかしポイントが逸れていない,つまり様式だけは把握している演奏だった。授業に出てきている学生以上に把握だけはしていたのである。なんじゃこりゃ・・・。

 頭で弾いていたとも言えよう。その学生は,私が教え始めて5年以上たつ。正直まじめとは言い難い。特に最近はシーカレができてからはヴァイオリン離れは顕著。シーカレはいてもいなくても結構。師のたまわく「君たちがヴァイオリンさえちゃんと弾いてくれれば,銀行強盗をやろうが構わない」。その弟子たる不肖,ヴァイオリンをまともにやらない人からは急速に興味が遠のいていくのである。そうなると,どうせ言っても馬の耳に念仏だろう,てな感じにこちらもならざるを得ない。

 ところが馬ではなかったことが演奏によって判明した。馬と人を見抜けなかった自分に愕然ときた学内演奏会であった。念仏も潜在意識に蓄積すると,頭のいい人は,それが実力となって顕在化するのだろう。様式のことは常々言い続けてきている訳で,今年始めて口にした訳ではない。
 これからは念仏の効果をもっと信じるようにしようと思った。それと,馬の仮面をかぶった諸君,早々に仮面を脱いでくれ給え,と願わずにはいられない。

 注)シーカレ:「シ」を後ろに移動させて読んで下さい。


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