井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

九州セカンドシティ考1~福岡県北九州市

2014-03-04 23:27:00 | アート・文化

九州のあちらこちらに行き、土地や人々に接すると、その度に、その地独特の個性を感じる。

最近、興味を持っているのは、その県の「第二の都市」の有り様である。通常は「第一の都市」、つまりは県庁所在地が、その県の個性を代表するし、大抵の場合、そこに接するだけでも各県の個性が浮かび上がってくる。

それが基準であることは間違いないのだが、では「第二の都市」を見た時、どうなるか。

これが決して「第一の都市」に準じていないこと、各県少しずつ事情が違うことが度々訪れるとわかる。そして、それは県外の人には知られていないことも多く、同時にそこに住んでいる人も自覚していないことが含まれる。これが面白い。

という次第で、本ブログらしく少々音楽文化のことまで含めながら、今まで見聞した限りの「セカンドシティ」考察を、ここで披歴してみたい。

まずは筆者の住む福岡県から、そのセカンドシティ、北九州市。

極めて人工的な街である。まず、かなり細長い。北端の門司から西端の折尾まで何と30キロある。東京駅から30キロとは、大宮、千葉、立川あたりなのだ。ここを昭和の頃は西鉄北九州線(路面電車)が30キロ走り抜けていた。信じられない長さである。

ちなみに井財野は「西鉄北九州線」という名の子供用ピアノ曲を作った。曲は2分で終わるので、新幹線並みのスピードで駆け抜ける曲ということになるか・・・。

自然発生的に30キロの街ができる訳がない。人工的な街なのである。

昨年が五市(門司、小倉、戸畑、八幡、若松)合併50周年だった。しかし、半世紀たっても合併以前の意識が市民から抜けない。八幡の人は小倉がいくら賑わっても、あまり行こうとしないし、小倉の人が八幡に行くことは無いと言いきっても良い。そして、口を揃えて「門司は遠い」、「若松は北九州だったっけ?」

この意識がイベントを打つ時に、かなりの障害になる。要するに市民は隣町に行こうとしないので、北九州市は百万都市だと思って計画すると、かなりの確率で頓挫することになる。人口数十万の規模の街だと思わないと、どこかに無理が生じる街である。

市民の意識が一つにならないのは、実はもっと根深いものがあって、小倉は豊前国の城下町、八幡は筑前国の漁村、国が違うので一つになる訳がない、という説を唱えた方もいらっしゃった。

まさかそこまで、と言いたいが、現実を見るとあながち否定できない。

ただ、この市民が唯一一つにまとまる瞬間がある。それは「福岡市」に対するライバル意識が顕在化する時。

北九州市が誕生して、何となくめでたかったのは九州初の百万都市になったことである。これがほどなくして抜かれる。これが北九州市民にとっては何となく面白くない。

とにかく行政を筆頭に、あの手この手で福岡市に無いものを何とか作り出そうとしてきている。音楽祭、音楽ホール、どれも福岡市より先行していた。

それでも福岡市との差は開くばかり。それは、やはり八幡でがんばっても小倉の人には通じていないという、前述の「意識」の溝が、どうやっても埋まらないからではないかと思う。

ちなみに北九州市は少年少女合唱団とジュニア・オーケストラの2団体を運営している。それなりの実績も挙げている。福岡市のジュニア・オーケストラが出来ては消えを繰り返しているのと好対照。

市民オーケストラも北九州交響楽団というのがあって、こちらもそれなりの歴史がある。何年か前に40周年誌が作られて拝読したのだが、作曲家の團伊玖磨が自作以外の指揮をした貴重な記録から、誰と誰が喧嘩したまで載っている、極めて興味深いものだった。

また「響ホール室内合奏団」というNPO法人の弦楽合奏団、これはプロの演奏団体として活躍している。

このように、かなり立派な活躍をしている団体もあり、並のセカンドシティではない。県外の方には「九州の中の東京が福岡市で、大阪が北九州市」と説明している。大阪の皆さん、ごめんなさい。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿