先々週、最後の「ソルフェージュ」の授業で「聴音」(書き取り)をやった。
エリザベート音大が編纂した「音楽家の耳トレーニング」という本がある。その中にある問題を初めて使ってみた。
この本は細かくグレード分けされていて、とりあえずグレード7まではできないと困るような主旨だったと思う。
それでは、どこまでできるか、という意図でグレード8,9,10から聴音の問題を出して1年生にやってもらったのである。
G8はフォーレのピアノ四重奏曲第2番の冒頭。
G9はバッハ「マタイ受難曲」テノールのアリアの前奏、オーボエで演奏する部分。
G10はブラームスの交響曲第3番第3楽章の冒頭。
結果はさんざんだった。
G8は1/3、G9は1/4くらいの正答率だったが、G10は手も足も出ないという感じ。
もっともG10はチェロとベースの二声の書き取りで、しかもチェロはテノール記号で、という指定があったから、かなり難しいのは確かだ。
ただ、ここでもう一つ大事なポイントを指摘しておいた。
チェロとベースを書きとるというのがミソ。この二声部は、とりあえず聞こえる。しかし同時に弾いているヴァイオリンやヴィオラを書きとるのは不可能。全く不明瞭だからである。
「皆さんが覚えておくべきなのは、この各声部のバランスのとり方です。」
つまり主旋律が一番強く、次に低音が強く、それ以外の内声部は、聞こえるか聞こえないかくらい弱くてちょうど良い、というバランスである。
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さて翌日、ヴァイオリン(初心者)のレッスンの日。
「サンタルチア」を伴奏したAさん、ごく単純な4分音符だけの伴奏なのだが、極端に内声を抑えた演奏だった。
一方、ラヴェルの「パヴァーヌ」を伴奏したBさん、音色は美しいのだが、右手の伴奏音型がまるで旋律のように堂々と聞こえる。
同じ授業を受けながら、全く違う結果を出した二人。しかも「答え」を示しているにも関わらず、それが「答え」と認識していない人がいる。さらにBさん自身は、ピアノが自分の専門だと思っている学生だというところが、こちらの頭痛のネタになる。
「昨日の授業が全く役にたっていないねぇ。」
驚くBさん。
「何ですか、それは?」
「Aさんは、それを考えて演奏したんだよね?」
軽くうなずくAさん。
「Aさんは今から伸びると思うよ。」
「え? 教えて下さい。」
「答えは昨日言った。よく思い出してよ。」
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さらに数日後、Bさんに会った。
「わかったかい?」
「強拍と弱拍、ですか?」
「うーん・・・」
「Aさんに聞いたら、そう言っていたんですけれど・・・」
「?!」
Aさんのこと、ちょっと買いかぶってしまったかな。
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またその翌日。
「何ですか。教えて下さいよ。」
と、またBさんが言ってくる。それで、Cさんのメモを見せた。Cさんは聴音ができなかった代わり(?)に、上記の私の言葉を書きとっていたのである。
すばやく書き取ったのはCさん一人。Cさんは「伸びる」だろうか?
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その数時間後、ヴァイオリンの試験。
Aさんは、他の人の伴奏も引き受け、絶妙なバランス感覚をみせた。
一方Bさんは、少々右手の伴奏音型が小さめになったかもしれない、という程度。
できる人は簡単にできて、できない人はなかなか、という現実をつきつけられた一場面であった。
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