井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

「感動」の定量評価

2011-11-08 23:38:01 | 学問

中学校の同級生で、長年音信不通だったけれど、忘れられない人物がいる。忘れられないのは、(多分高校生時代)ある年の年賀状に書いてあった一文。

夜も寝ずに昼間は寝てがんばっちょります。

でも本当に頑張ったようで、東京工業大学に合格し、大学生の時分に何回か会ったことがある。そして彼のがんばりはそこで終わらず、その後に大阪大学の医学部に行ってしまった。

以来、昼間寝て夜頑張る人というのは大したものだと思うようになったのである。

その後、どうしているのか全くわからなかったのだが、インターネット時代というのはすごいものだ、ある時思いついて検索をかけてみたら、しっかり浮かび上がってくるではないか。大阪の私立大学で研究者になっていた。機械をいろいろ扱う医師(?)とでも表現するのだろうか、とにかく今までの人生を全く無駄にしていない立派な肩書に圧倒されたのだった。

それで四半世紀ぶりに連絡をとった次第である。

その彼ならば、という期待をこめて、積年の思いをぶつけてみた。

曰く、音楽の世界の評価は、コンクールであれ試験であれ、どれだけ客観性を装っても主観が入ってくる。世界中がそうなので、別にとやかく言わなくても良いかもしれないが、問題が起きていないかと言うと、問題は常に起きていて、それを「仕方ないこと」と割り切っている。

そこで時々考えるのは、人間の「感動」を数値化できないものか、ということ。音楽は、聴いている人が感動することを目的にしているので、本来は感動が大きい演奏が優れた演奏のはずだからだ。

雑駁に「感動」と言っているけれど、具体的には大脳のどこかが、何かしらの反応を見せているということなのだと思う。そして、その電流か波形か何かの大きさや種類で判断できるのではないかと思うのだけれど、これは医学の世界だろうから、我々音楽人には立ち入れない部分だ。それで、ずっとその辺に関心のありそうなお医者さんはいないものかと思っ ていた。

そして、やっとそれをきけそうな相手に巡り合えた、という訳。

などと書いてE-mailを送った。

すると、その何倍もの分量の返事が返ってきたのである。まさに私は「感動」してしまった。その内容にも感嘆したので、これを公表してもいいか再びメールした。

今度は無反応。多分OKと解釈し、以下に紹介するものである。

冠省 なるほど我々が感じている以上に問題はあるのですね。しかし感動の定量評価ですか。
大きなテーマですね。大学でやるには良いテーマかもしれませんね。

まあ、儲からないから大学で、ということも考えられるが、先ずは良い感触だ。「定量評価」と言うのですね・・・。

 今現在で御期待にそえる機械や研究はないと思います。

やっぱり・・・。

感性工学などいうものがありますが、私は信用していません。まやかしに近いものが多いと思います。こんな研究をしている人たちの、ほとんどの人たちが生理学を知りません。大脳生理学に至っては私もよく知りません。それほど複雑でとらえどころのない分野ですから、最先端は実際に脳の実験をしている人たちでないと出来ないと思います。

おお、なかなか辛辣。

脳科学で盛り上がっているのも記憶のメカニズムや視覚情報、嗅覚、聴覚の情報分析のメカニズムの研究が大半のようです。ようやく痛みや触覚などの研究が臨床の一部にフィードバックされています。高血圧や心臓弁膜症で遺伝子が変化することや、環境によって遺伝子が変わる(遺伝情報にはDNA以外の要因もあるようです)ことを、まだ知らない臨床医も多いと思います。ですから一般の医者に脳の最新研究での知見を聞いても、ほとんど答えられないでしょう。さらに現在のところ感動の定量化をテーマに研究している人たちも少ないと思います。

さあ、段々話が難しくなった。続きはまた次回。





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