井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

作品の解釈は作曲者の死後始まる?か②

2017-10-09 19:32:00 | 音楽
もう少し詳しい説明が必要かもしれない。

楽譜を全く読まないで歌うのは不可能。
推測であり感覚的だが、楽譜を8割くらい読むと、大まかなことはわかる。そこで「あとは歌いながら読めば良いだろう」と、歌う方に努力をかたむける。

確かにこれで9割程度楽譜を読めたところに達するだろう。

しかし、残りの1割に、見落としたニュアンス等々があって、それをコレペティトールから指摘され「凄い」と言っているのではなかろうか。

と、これは若手のお話。

ベテラン、つまり團先生の指揮で直接歌った方まで同じように「凄い」と言われると、ことはそれほど単純ではなくなる。

様々なことを考えたのだが、結論はこうだ。

作曲者が目の前にいれば、楽譜の細かいところなど読まなくとも、直接尋ねれば良いのである。作曲者だって、譜面に書ききれなかったこともあるだろうし、譜面と少し違っていても「それはそれでいいか」と作曲者が思えばそこまでだ。

となると、作曲者がお亡くなりになって尋ねようがなくなった時、初めて本格的に楽譜の「解釈」というものがスタートするのだろうか、と思ったのである。

ベテランの場合は、作曲者存命中のスタンスから抜けきれないゆえに、最終的に「コレペティ凄い」になってしまうのかな、と思った次第である。