これでググると
もしかして「上手い演奏」
と出る。
どこかに「上手い演奏」の定義が書いてあれば、それはそれで大変興味深いが、実際にはそれらしきものは見当たらず、核心部分の周辺をうろうろしているような文が散見されるのみ。
しかし、今回のテーマは「上手い伴奏」である。
実はこれで検索をかけた方がいらして、本ブログがひっかかった、というのがきっかけになる。
なかなか奥が深い話題だ。
まず「伴奏」の有り方が、一筋縄ではいかない。
そもそも「伴奏」とはアッコンパニメントaccompagniment(共に行動する意)の訳語。訳として全く問題はない。主従関係で言ったら決して主ではなく従、それも正しい。
問題はその受け取り方にある。従だから、主につき従っていれば良いような印象を持つ人が多い。これは、敢えて「間違い」と言っておこう。
ちょうど今放映中の「あまちゃん」、KYON2は主役ではないから脇役、だけどKYON2だとか宮本信子だとか薬師丸ひろ子が出るから面白いのだ。だから伴奏はKYON2みたいな主役級の脇役と考えればわかりやすいだろう。(あくまでも2013年的比喩だが。)
さて、ではそれが「上手い」のと「下手な」のとの違いは?
ググった方は、合唱における「上手な」伴奏を考えているかもしれない。合唱の場合、難しいのは指揮者がいない場合(校内合唱コンクールのように形だけの指揮者の場合も含む)だ。その時は、音楽のリードを考えなければならない立場になってしまうだろう。そうなったら、その時点で上手い伴奏であることをあきらめ、ひたすら自らの信じる音楽を奏でることに没頭するよりほかない。
また、声楽と器楽では、上手い伴奏の方法がやや違うところを感じる。
声楽の場合は子音と同時にピアノが出るのを良しとする、という説を聞いたことがある。
これに関して、私はまだよく理解していない。
私が思うのは、声楽の場合はテクストの内容をピアノにも雄弁に語らせるのを良しとする傾向があるのではないかということ。
一方、器楽の場合、特にヴァイオリンの場合は、二人で一つのものを作る意識が随所に出るため、その手段として「溶け合う音色」を理想とする状況がしばしばある。
換言すれば「溶け合う音色」を出せるピアニストは最高なのだが、声楽サイドから同様の意見は聞いたことがない。「きれいな音」というのはあるのだけれど。
では、合唱で「溶け合う音色」を出すピアノが良しとされるか?
幸か不幸か、合唱界からもそのような意見を聞いたことはあまりない。(溶け合わないピアノに対する批判はある。)
溶け合ってしまったら、何のためのピアノ伴奏だかわからない、と思う人もいるだろう。
しかし、と私は思う。
実際に「溶け合う音色」で伴奏してもらったら、絶対美しく感じるはずだ。なぜなら、合唱の理想を「ア・カペラ」(無伴奏)に置く考え方はかなりの支持を得ているからだ。溶け合う音色で合唱とピアノが一体になったならば、「ア・カペラ」同様の美が生まれると思うのだ。
それで「上手い伴奏」の私なりの結論は「溶け合う音色」で演奏できること、となる。
これがなかなか難しいのだけれど、ピアニストの皆さんにはぜひ目指してほしいし、共演側もそれを要求できる見識を持ちたいものだ。