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井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

福岡コーヒー事情

2017-07-19 19:20:00 | 日記・エッセイ・コラム
「あ~果てしない~」で始まる「大都会」という曲、日本人なら誰もが東京のことを想像するだろう。
それが実は福岡のことだった、と先日何かで聞いた。

この気持ちは長崎あたりに昔住んでいた人でないとなかなか「わっかんねえだろうな~」と思う。
博多駅を降りると正面に黒っぽいツイン・ビルがドンとそびえていて、その前を忙しく車や人(かつては路面電車)が往来している光景。「感動したけんね」とかつての級友が言っていた。

さてその後、東京や大阪を知ると福岡はせいぜい小都会。まあ全てがそこそこ揃っていて、しかし文化面ではなかなかパッとできない、という認識を私は持っていた。

ところが、また別の級友で現在付き合いのある友人によると、福岡は全国的に見ても良い所だと思う、と言いだした。

キーワードは「コーヒー」である。

まずバリスタとして昨年全国で2位に輝いたイワセさんが、福岡市薬院のRECコーヒーにいらっしゃる。

ついで焙煎士のチャンピオン、ゴトウさんが福岡近郊の白木原、豆香洞にいらっしゃる。

さらに鑑定士のチャンピオン、タハラさんが太宰府市の蘭館にいらっしゃる。

おまけにと言っては失礼だが、ラテアートの九州チャンピオンも福岡市のTOWN SQUAREにアンドウバリスタがいらっしゃる。

どうだ、なかなかだろう、ということだ。
なるほどね~。

龍踊、踊りました

2017-07-05 21:21:00 | 日記・エッセイ・コラム
レスピーギの「ローマの祭」の第4楽章の冒頭は、長崎の龍踊り(じゃおどり)に聞こえて仕方ないのは私だけだろうか。

龍踊りとは長崎くんちの代表的な演目。正式には、長崎市内の諏訪神社に奉納する演し物で、それぞれの町で奉納する踊りは決まっている。

なので、その町に生まれ育たないと龍踊りに限らず、演じることはできない。

各種の奉納演し物の中で、龍踊りはひときわ賑やか。長崎くんちを代表するものと言っても良いだろう。
とにかくラッパのような管楽器とカネがチャンコンチャンコン鳴り響く様は、シナ直輸入の異国の風景。

長崎くんちの看板みたいなものなので、以前は毎年やっていたのだが、最近はそれを止めたのだそうだ。特定の町だけに経済的負担が押し寄せるのは良くないとのことで。(囃子方が賑やかな分、お金もかかる訳だ。)

担当の町(踊り町と言う)にいないとダメ、いても7年に一度だけ、という龍踊りを、「やってみん?」と言ってきたのは高校時代の同級生。

出身高校の同窓会の余興でやろうというのだが、そんな何回も練習しないといけなさそうなものはやめよう、とまずは反対した。

「いや、その日ちょっと練習すればできるよ」とその同級生。彼は同窓会の幹事代表である。

半信半疑ながら当日会場にいち早く集まった。本物は10人で龍を操るのだが、今回は宴会用の小型龍で6人で操る。それを長崎からレンタルしたのであった。

小型だから軽い、と言われたが、どうしてどうして、ずっしりと重かった。これを上げたり下げたり回したり。
練習時間はたっぷりとっていたにもかかわらず、3~4回やったら「もう良か」と全員ねをあげてしまった。

練習用に棒と紐だけでできたようなものが欲しいと思ったが後の祭り、いや祭りの前か、何だかわからないがくたくたで、全て終わったような気分だった。

さて本番。

段取りを覚えているかどうか怪しいけど、一か八かでやってみたら、いきなり先頭の幹事代表のズボンが脱げてしまった。大きな腹囲で、紐がほどけてしまったようだ…

段取りも何もないような状況で開き直り?あっという間に本番は終わった。
じわじわ来たのは本番終わってからである。
あそこをこうすればとか、ここをああすればとか、次やるならば、などと空想にひたっている自分がいた。

もう二度とすることはなさそうだが、やたら楽しい思いが残ったのであった。
その日のメンバー全員が思った。
「龍踊りは見るよりやるもんだ」


道路の穴

2016-11-24 00:14:00 | 日記・エッセイ・コラム
博多駅近くに巨大な穴があいた。地下鉄工事での出水が原因だそうだ。
しかし、現場から警察への迅速な通報、同じくすばやい交通規制のおかげで、なんと怪我人ゼロ。

出水事故と言えば「丹那トンネル」

寡聞にして誰もその話題に触れていなかったような気がするが、私達の年代、50代くらいの人間には深く刷り込まれている(と思っているのは私だけかもしれないけれど)。

刷り込んでくれたのは学研の科学・学習。

他に児童向けの「トンネルの本」を読んだこともあるが、とにかく難工事で多数の犠牲者が出た事件を、日本中の子供達にわかりやすく教えてくれたのが、学習研究社の「学習」などの雑誌だった。

それから半世紀くらい経って、その間、続く犠牲者、反省と対策、大勢の努力が実って、ついに「一週間で穴がふさがる」ところまで社会が成長したこと、私は深く感動したのだが…。

この感動には、学研の科学と学習が一役かっていること。これにも感動してしまう。あの頃は、こんなに真面目な出版活動が成り立っていたのだなぁ、と。

道路陥没事故を傍で見ながら、昭和の御代から続く、日本人全員による努力の成果を見た思いがしたのであった。

ちなみにふさがった穴の写真。

道路の舗装の色が変わったところだけど、言われないと全くわからない。

リオ・オリンピックは素晴らしかったけど

2016-08-27 14:13:16 | 日記・エッセイ・コラム
今回のオリンピックは、お盆休みが含まれたこともあり、比較的テレビ観戦ができた方だ。

そして、日本人の活躍がめざましいと、やはり嬉しいものだ。

昔、成績がさほど奮わなかったとき「やはり飛んだり跳ねたりは日本人には合わないなあ」とか「オリンピックで国威発揚の時代じゃないな」などと思っていたものだ。
それが間違いだったと言えるかもしれないし、間違いでなければ、それを大勢で克服した、とは言えるだろう。

次の東京大会が控えているからとは言え、大した報奨金が払われる訳でもないのに頑張った日本人達は本当に偉いし、誇るべき人々だ。

そして、閉会式がこれほどの話題を呼び、目を釘付けにされたこともかつてなかったに違いない。

比較的「正しい」和声づけの「君が代」に始まり、渋谷とリオを土管で結んで、安倍マリオが出てくるなんて、自分が考えた訳でもないのに、諸外国人に向かって「どうだ、まいったか」と言いたい気分だった。
よく見ると、土砂降りの雨の中、それを全く感じさせずに演じた方々にも、感銘を受けた。

しかし、

最後の最後になってから、大変残念なことがあったのである。

競技場のトラック等の地面がスクリーンになっているのだが、そこに表れた文字は、

“See you in Tokyo”

なぜ英語だけなの?

君が代の後には、世界各国の言葉で「ありがとう」が表記されたのだ。
ならば、ここも世界各国の言葉でしょうが。

百歩譲って、まず日本語、リオで使われているブラジル・ポルトガル語、そしてオリンピック公用語の英語とフランス語で表記すべきだろう。

また会いたいのは英語圏の人だけなの?
開催国ブラジルは日系人の努力のおかげで、かなりの親日国だと聞く。そのブラジルに対して失礼だ。

また非英語圏の人からは「日本はアメリカの影響下にあるんだな」と受けとられる。それを狙った訳?

何も考えない日本人が国際語=英語の発想だけで実行したとしたら、その間違った知識を悲しく思う。

それだけが面白くないリオ・オリンピック閉会式だった。

いまいち・ナウい・おしゃれ

2016-08-12 17:34:41 | 日記・エッセイ・コラム
やっと生徒さん達の発表会も終わり、やれやれ、とほっと一息ついているところ。

みんなでヴィエニアフスキは大学生にとどまらず、高校生もみんなでヴィエニアフスキの発表会だった。

私はもともとヴィエニアフスキが好きではない。中身の乏しい音楽なので、10年前くらいは誰にも弾かせなかった。

宗旨替えした理由は前記事の通りだが、果たして、高校生達の指は着実に強くなった。
演奏の出来はイマイチではあるが、内輪の発表会である、その後のコンクールや試験でバッチリやってくれれば良い。

と、ここで脱線、と見せかけて本題。
イマイチ、という言葉を初めて聞いたのは1981年、鮮明に覚えている。使ったのは指揮科の先輩O野さん。

その後、あっという間に普及し、現在も使われているから、完全に定着した訳だ。だから正規の日本語だと思っている人も多いだろう。

ひょっとしたら、さすがに流行語とは言えないので、正規の日本語仲間入りしているかもしれない。
でも、多分、NHKのアナウンサーは使っていない(と思う)。

少なくとも1970年代までの言い方は、

「今ひとつ」

である。

上品だとは思いませんか。



さて、同じ頃、はやっていた言い方に「ナウい」がある。
これはさすがに、今は使わない。

私は当時も使わなかった。
なぜならば、1970年代はナウなフィーリングのヤングの時代で、「ナウな」が正しい使い方と勝手にインプットされてしまったからだ。(全く訳の分からない乏しい論拠であるが)

これは、現在○○なう、の形で復活したかに見える。

しかし、厳密には違うのだ。

1970年代のは「○○がナウ」

格助詞が入ってカタカナ表記、そして○○はその時流行の先端の言葉が入ったのであって、現在のような「バス待ちなう」みたいなくだらない言葉は、入る資格はなかった。

という次第で、○○なう、の言い方は、死ぬまでしない所存である。


一方、それから遅れること数年、「おしゃれ」の用法が拡大した。

最初に聞いた時「今は『おしゃれ』っていう言い方がはやっている」と言われたのだが、何のことやらさっぱりわからなかった。

その後、じわじわとあちらこちらで聞くようになり、やっと納得したのだが…。

1970年代(こだわります)、おしゃれはファッション・美容関係で使う言葉で「おしゃれな店」とか「おしゃれなやり方」などとは言っていなかった。
そういう時は「洒落た」と言っていたのだ。

この言葉のみ、私はよく使っている。「流行語」として!

それが「かわゆ~い」と思っているから。



蛇足:その頃「かわいい」を「カワユイ」と言うのがはやっていたのです。
その流行をみんながとっくに忘れた頃、指揮者の故岩城宏之が説明に使ったので、私は「カワユイ」を一生忘れなくなりました。