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井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

日本弦楽指導者協会の思い出②

2018-02-15 18:52:00 | 日記・エッセイ・コラム
日弦協の東京の大会は小学生の時も出て、水道橋あたりのどこかで練習して、東京文化会館で本番。必ず、楽器のトラブルがどこかで生じて、その度に「神田楽器さん、神田楽器さん」と場内アナウンスが入る。まるで当時の「お子様が迷子になっています」というデパートの店内放送のように(迷子アナウンスも懐かしいな)。

本番も、リハーサルと区別がつかない客席の騒がしさ。こんなことだけ覚えていて、演奏の内容は相変わらず覚えていないが。

中学生になると、福岡の大会に出た。
こちらも頑張っていて、その時はライプツィヒ・ゲバントハウスのコンサートマスター、ゲルハルト・ボッセ先生をお呼びして、モーツァルトのディベルティメントをボッセ先生の指揮で演奏するというのが、目玉だった。

ボッセ先生は、その後 霧島音楽祭や東京芸術大学に招かれるようになったけど、その前というのがポイントである。

福岡のヴァイオリンの先生方のやる気は無論のこと、生徒達の弦楽合奏の方もなかなか充実していて、私の隣にいた小学生は、現在読響でビオラを弾いているようだし、セカンドヴァイオリンには、現在N響コンマスで活躍している彼がいた。

要するに、福岡でもそれなりに盛り上がっていたのである。

日本弦楽指導者協会の思い出①

2018-02-14 22:14:54 | 日記・エッセイ・コラム
略して日弦協と呼んでいるが、今も一応社団法人としてあるようだ。

私が子供の頃は一応あるどころか、かなり華やかに活動していた。

私が生まれる前は、さらに派手だったような話が伝わっている。

コーガンが来た、シェリングが来た、さあ奏法を研究しようと集まって、講習会のようなものが頻繁に開催されたと聞く。

推測だが、多分 鷲見三郎先生あたりが先陣きって音頭取りをされていたのではなかろうか。
「外人の偉い先生がくる度に奏法が変わって大変だったよ」と鷲見先生の門下生だった人から聞いたことがある。

まあ、全てうまく機能することはなくても、そうやって日本は水準を上げていったのだろうということは容易に想像つく。それに弦協が後押ししていたことも。

私も、ワケわからずに弦協の東京の大会や福岡の大会に出ていた。

幼稚園児の時に参加した東京の大会は東京文化会館で、NHKの収録があり、生まれて初めてみたテレビカメラだったから、そのカメラはよく覚えている。(演奏内容はさっぱり覚えていない。)

とにかくそのくらい存在感がある大会だった。

虹と雪のバラード

2018-01-10 21:21:00 | 日記・エッセイ・コラム
前記事で、人生の応援歌が増えたと書いたが、それを聞いて励まされたかと言うと、否である。

テレビの字幕を読んで、ああ応援歌なんだ、と思った次第で、耳からは何も飛び込んでこない。

だいたい言葉の無駄遣い、言葉が多すぎて、かえって印象に残らないのだ。
もちろん昔だって、さだまさしさんのように饒舌の歌はあった。でも、ものすごいインパクトがあって、強烈な印象を残す。

ひるがえって最近の歌はというと、伝わる人に伝わればいいでしょのような、自己満足的な歌ばかりに感じる。
これじゃ素人でしょ、と言いたくなる。

どれもこれもつまらん歌ばかり、と思っているかたわら、ラジオから時々懐かしい歌が流れてくるのを偶然聞いた。

しかし、偶然にしてはすごいことに、同じ歌を3回聞いた。「虹と雪のバラード」である。

これだよ、これ!

1972年の札幌オリンピックのために作られた歌だが、日本で作られたオリンピックのための音楽で、最高傑作ではなかろうか。

ついでのことながら、札幌オリンピックはファンファーレも素晴らしく、また、あまり知られていないが山本直純作曲の行進曲も私は好き。

そして「虹と雪のバラード」。
トワ・エ・モワの歌声が良い。
作曲の村井邦彦氏の作りは職人芸。
前半はパッヘルベルのカノンを代表とするシャコンヌバス風、後半のサビはヴィヴァルディを代表とするロザリオ風反復進行、これだけで骨格を作っている。

この二つの、いわばテンプレート、通常どちらかをサビに持ってきて盛り上げるのだが、二つとも含む例を筆者は寡聞にして知らない。

プロの技である。

オリンピック関係の音楽も、1988年のソウル以降ろくなものがない。
だから、本来なら平昌関連の音楽を流すところなのに札幌オリンピックが流れてしまうのだと推察する。

オリンピック選手が体ボロボロにしながら頑張っているのだ。応援する音楽も、それにふさわしい最高のものを作ってほしいなあ。

「天才の育て方」のはずだけど

2017-11-09 17:51:00 | 日記・エッセイ・コラム
将棋の「天才」の育て方という記事が新聞に載っていた。

詰め将棋で実験したら、プロ棋士は盤面を見ると「楔前(けつぜん)部」と「尾状(びじょう)核」という部分が活発に働いていることがわかったそうだ。

その回路が直観を生んでいるのだろう、との分析。

訓練の積み重ね以外に秘密があるのではないかと、東大の先生に取材したら、物事の上達には、

①具体的な目標を立てる
②集中して取り組む
③結果を基に訓練内容を見直す
④できるようになったら新たな目標を立てる

という四つを繰り返すのが効果的、という返事だった。

何のことはない。PDCAサイクルのことだ。Plan計画 Do行動 Check評価 Action改善である。
ちょっと前だが、すべてのプロジェクトにPDCAサイクルを取り入れるように文科省あたりから言われて、私は辟易した言葉だ。

つまり、東大の先生は一般論を述べたに過ぎず、ケツゼン部とビジョウカクの回路を作る方法が書いてある訳でもなく、天才の作り方は書いてない、という記事だった。残念。

マジックナンバー3・5・7

2017-10-15 09:33:00 | 日記・エッセイ・コラム
昔から言われていることでもあるが。

何か説明する時にまず「要点は三つあります」と言うと、とても頭が良い印象を与えることができる、とその昔、「頭の体操」で有名になった多湖輝先生の本に書いてあった。

人間は三つのポイントなら理解しやすい。なので、どんな話でも三つにまとめてしまう。そうすると相手に伝わりやすいからだ。

また、ヒトが一度に認識できる対象は3、5、7のいずれかだと、昔のテレビ番組で紹介されていた。4とか6をいっぺんに把握するのは難しいのだそうだ。これを称して「マジックナンバー」という。

そんなことを思い出したのは、ヴァイオリンを練習するのを観察していた時。
よく「10回繰り返して」とか、深い考え無しに言ってしまったりする。一流の人々も10回、20回の繰り返しは当たり前だから、単なる一つの目安でそう言ったりするのだが、つぶさに観察すると5回め、あるいは7回めでできることが多いようなのだ。

なので、最初から7回繰り返すつもりで練習して、それでできなければ一旦やめた方が効率的かもしれない、と思った。