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井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

ラフマニノフならワールト、らしい

2018-07-26 08:15:02 | 音楽
我ながら訳のわかっていないご託を並べていたら、自称〈ラフマニノフの専門家〉から連絡があった。

ラフマニノフなら【エド・デ・ワールト】が第一人者とのこと。そして、大分距離をおいてヤンソンス、かなぁ、だった。

ワールトのラフマニノフは交響曲のみならず、協奏曲の指揮者としてもかなり良いそうだ。

ワールトですか…。

考えてみたら、生演奏はもちろん、録音でさえ、ワールトの演奏は聞いた記憶がない。
それはラフマニノフの専門家が日本にいなかったからか…。

冗談はともかく、なぜオランダ人なのだろう。

オランダという国は、なかなかよくわからない。
平地だから隣国ドイツのテレビ電波が普通に入ってくる。
そして、ヨーロッパでイギリスの次に英語が通じる。

ラフマニノフの性質は英国人をくすぐる何かが多いのか。
それを言えば、日本人だってなかなかどうして、ラフマニノフは大好きな部類だろう。

私は敬遠していたが、ある時、ラフマニノフの《ヴォカリーズ》のピアノパートを弾いて愕然とした。
気持ちいいのである。
道理でピアニストがやりたがる訳だ。
あのまとわりつく音型が、自分を包み込む快感!
ヴァイオリンではなかなか味わえない感覚だった。

多分、そう思う人は多いだろう。
その中から、ワールトを超える存在が出てくることを期待しよう。

再びラロ・シフリン讃

2018-05-28 20:31:00 | 音楽
ミシェル・ルグラン自伝によると、パリ音楽院では、その学生の資質によってブーランジェ・クラスとメシアン・クラスに振り分けられたという。

なるほど、古典のフォーマットを軸に考える方が伸びる学生と、前衛趣味を持つ学生に分けるのか、と勝手に思っていた。

その後ポップスに進む学生は、当然ブーランジェ・クラスだろうと思いきや、このラロ・シフリンはメシアン・クラスだったそうだ。

あの「スパイ大作戦 Mission Impossible」のテーマ音楽を書いたラロ・シフリンである。

メシアンとスパイは、なんとなく結びつくけど、あのテーマ音楽とメシアンは、なかなか結びつかない。そんなこともある、と無理やり納得するしかない。

そのラロ・シフリンのCDを偶然見つけてしまった。

“Jazz meet symphony 5#”というのだが、聴いてみたら、交響曲第5番自体は全く出てこなかった。
ジャズメン4人がケルン放送管弦楽団と共演する演奏会のライブ録音で、シフリンの指揮。
第5番は演奏したけどCDに収録されていないのか、クラシック音楽の象徴としての言葉なのか、どちらかだろう。

その中にシェヘラザード・ファンタジーというのがあった。
例のリムスキーのシェヘラザードのテーマで作ったジャズなのだが、これにはシビレた。
中近東を暗躍するスパイ大作戦なのである。

何というカッコよさ!

これぞミュジシャン・コンプレ。

こういうのが、日本になかなか入ってこないのは残念だが、私は運よく出会えて幸せである。

今さらですが《ルグラン・ジャズ》

2018-05-20 10:25:47 | 音楽
ミシェル・ルグランの《ルグラン・ジャズ》というCDを、今頃ではあるが手に入れた。
かなりのロングセラーで、私がコメントするような立場ではないのだが、のっけからあまりの美しい音に息をのんでしまう。

私でも名前を知っている超一流ジャズメン達の、一度きりの共演。

この録音に、ルグランのオリジナルがある訳ではなく、ルグランは編曲と指揮なのである。

クラシックよりも、各メンバーの力量に依るところが多いだろうが、適度な所で調和されていて、全体にはルグランのカラーを感じる。脚本と監督を兼ねた映画のようなものだろうか、とにかくクラシック音楽の姿に近い存在でもあるところが、私にはとても心地よい。

こんな大仕事を30手前のフランス人がやってしまうのだからすごいなあ。

ルグランの師、ブーランジェ

2018-05-18 07:46:00 | 音楽
ミシェル・ルグランからは音楽上の母とまで呼ばれたナディア・ブーランジェ、今度はこちらの伝記を読んでみた。

こちらはこちらで、ものすごい実力と業績なのだが、その割には名前が一般に知れ渡っていないように思う。

その昔「ある愛の詩」という映画が大ヒットした。そこにも軽くナディア・ブーランジェが登場している。主人公の女の子がブーランジェ奨学金を得て留学する資格を持つのだが、それを放り出して男のもとに行くという大馬鹿者の物語である。

それでも何故知名度が落ちるのか。これは、一番の業績が教育活動であることと、多く育ったのが、なぜかアメリカ人の作曲家だったという事情があるだろう。

コープランドはともかくピストンやカーペンターなど、なかなか耳にしない。学生時代、先輩達の授業のオーケストラがロイ・ハリスの交響曲第3番を練習していて、自分もいつか弾ける日が来るのかなと、内心ワクワクしながらその日を待っていたのだが、弾くどころか聞く機会さえ、未だにない。

だから「ピアソラに『タンゴを作れ』とアドバイスした人」と説明するほかないのだが、本を読むとオリビエ・メシアンにも指導したことがあるそうだ。

それどころか、当時の大音楽家の名前が次々と出てくる。ラヴェルの手紙というのがあって、「ガーシュインという男が弟子入りしたいとやってきたなだけれど、彼の才能を潰しそうだから断った。そのうちそちらにも来ると思うから」などと書いてあるようだ。

そのくらいラヴェルと親しいけれど、ルグランには「どちらかが後世に残るとすればドビュッシーです」と、言ってのけたという。

そして、心底評価が高いのはストラヴィンスキーだった。
そうなんだよね、ストラヴィンスキー存命中は美術のピカソ、音楽のストラヴィンスキーという扱いだった。

しかし、ストラヴィンスキーに対するブーランジェの評価は、三大バレエ曲が中心のような感じを受けたし、それならば大いに納得だ。

新しい手法を積極的に研究し、その結果、それを受け入れられないこともある、という姿勢は、私の理想とするところでもある。

そして、ブーランジェが受け入れられなかったものは、やはり音楽として完成度が低いのでは、と思わずにはいられない。

ミュジシャン・コンプレのミシェル・ルグラン

2018-05-13 21:59:00 | 音楽
さて、最近ミシェル・ルグランの自伝のような本を読んだ。ルグランは「シェルブールの雨傘」で有名、と言いたいのだが、最近の若い人はそれを知らなかったりする。
そうすると、もはや説明は不可能。

ちなみに「華麗なる賭け(風のささやき)」をピアノで弾いて聞かせたが、40人くらいの大学生、一人も知らなかった。聞いたこともないという。私はその翌日スーパーマーケットのBGMで聞いたのだが…。

そのミシェル・ルグランが、パリ音楽院であのナディア・ブーランジェに教えを受けていたのは、この本で初めて知った。教えを受けていたどころではない。ルグラン自身が「音楽上の母」と呼ぶほど、重要な存在だとあかしている。

実は昔、ルグランにはがっかりさせられたことがある。
手塚治虫の「火の鳥」が映画化された時、主題歌だけミシェル・ルグランに委嘱された。
これは、と思って子供心にものすごい期待をしたら、全くもってつまらない曲が発表されたのだ。

それ以来、個人的に、ルグランは終わっていた。

しかし、この本のおかげで、一挙に尊敬の対象に変わった。

何と言っても、クラシックもジャズもできるのが良い。
これぞ「ミュジシャン・コンプレ」である。