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井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

アイネクの時代は終わったか

2019-05-21 20:06:00 | 音楽
「アイネク」とは《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》の略称である。

先日、ある喫茶店を会場にしたミニコンサートで弦楽四重奏を演奏した。

企画の段階で「クラシック音楽にはあまり詳しくない60代くらいの人が中心ですから、どうかその人たちにわかりやすい内容で」と再三言われていたので、そのような場合は、まずアイネク、が無難な選択だと思った。

そして、ハイドンの《皇帝》第2楽章を続け、次あたりに(本当に演奏したい)ベートーベンの作品18-4の第1楽章を並べた。

その後、リクエストの小品も交え、井財野の作品も適宜演奏して、まずまずの出来で終わったかに見えた。

多分その見方は間違っていない。

今回、お客様にアンケートをとらせてもらった。そこからも、そのように読みとれる……。

が、一枚のアンケートに我々は釘付けになってしまった。

「最初(選曲)にがっかりしてしまいました。徐々によくなって、ベートーベンは素晴らしかった……」

これが一人ではなかったのだ。演奏会後、直接話を聞いた人にもいらっしゃった。30人のお客様に二人だから、かなりの率だ。

その後、アンケートを集計すると、必ずしもアイネクの評価が低い訳でもなかった。しかし、ベートーベンの評価がその日では一番高かった。

「もう、(アイネクは)やめてほしいと思いました」
と、件のお客様がおっしゃるので、
「そうは言っても、すごい曲ですよ。主和音(ドミソ)と属七(ソシレファ)だけのメロディですからね。こんなこと誰も思いつかない。」
「あ、その話を聞いてから聴けば違ったと思います」

うーん、そうか。

少なくとも令和の時代「とりあえずアイネク」ではない方が良さそう、との結論を得た。

今上天皇にまつわる音楽

2019-04-30 10:57:35 | 音楽
何かにつけて「平成最後の~」が連発され、辟易している人もいるらしいが、私の周りには幸か不幸か誰もいない。よって私が一人で「次は令和で~」を連発する今日この頃。いや今日までだった…。

「クラシックの迷宮」というFM番組は、常に驚かされるのだが、先日も今上天皇にまつわる音楽が紹介され、びっくり仰天だった。

まずお誕生を祝って、中山晋平、山田耕筰、橋本國彦が曲を作っていること。大正天皇が祝福された話は寡聞にして知らないし、浩宮様の時代にはすでになかったのではないだろうか(あったのかなぁ)。

とは言え、中山の童謡も橋本のカンタータも初耳。しかし、その後、平成を振り返るテレビ番組ではBGMで繰り返し使われていた。要は聞き流していただけか…。

もう一つ驚いたのは、演奏したことがある曲が2曲含まれていたこと。

一つは「祝典行進曲」。
高校の体育館で先輩方が演奏しているのに、何だか引き込まれてしまって吹奏楽部に入ってしまったきっかけの曲。
佐世保のオーケストラで團伊玖磨特集をやった時、オーケストラ版の指揮もさせてもらったこともあった。

もう一つは山本正美作曲の「ねむの木の子守唄」。こちらは美智子妃殿下の作詞という関係だが、やはりここ数日テレビで流れることが多かった。

こちらは正直言って子どもの頃はあまり好きな曲ではなかった。
が、夫君である山本直純氏の指揮で演奏した時、その編曲の素晴らしさに驚嘆し、評価を180度変えたのだった。

ついでに述べれば、山本正美さんは、あまりに奇抜な格好をされるので、ちょっと近づき難かったが、「春が来た」という管弦楽曲はとても面白く、またそれを指揮する直純さんも素晴らしかった。

ということで、私の好きな曲が今上天皇陛下に関わる曲だったことを、ほぼ考えたことはなかった。

次の浩宮様に関わる音楽は、どれだけあるのか、作られるのか。

ご成婚の時の「新祝典行進曲」は同じく團伊玖磨作曲だったが、出来が良くなかったようで、その後耳にすることがない。

良く考えると2曲とも高度成長期に作られている。平成ではない。

うーむ……。

とにかく、令和は実りある時代にしたいものだと、今さらながら思った。

平成14年に始めた本ブログ、ここまで読んでくださりありがとうございました。

令和でもよろしくお願いします。

豊肥本線「平成駅」ごった返しています。

ハイルマンの《マタイ受難曲》

2019-03-16 13:04:00 | 音楽
3月15日、鹿児島市民文化ホールでウーヴェ・ハイルマン指揮の《マタイ受難曲》の公演が行われた。
私も第2オーケストラのトップとして参加した。

この公演で特筆大書すべては、ソリストと合唱(そしてオーケストラの3分の1)が鹿児島国際大学の学生であるということ。

エバンゲリストやイエスを学生でやりきってしまうこと、自分の学生時代を考えたら信じられないことだ。その後、もっと学生レベルは上がったのかもしれないが、それでも、歌い始めて5年ちょっとでエバンゲリストまでいくとは、ヴァイオリン並みのハイ・スピード、というと語弊があるかもしれないが、とにかく驚異。

その裏にはハイルマン夫妻による特訓につぐ特訓があるそうだ。
これは、まあ他大学ではかなり難しい。

一つにはハイルマン氏が超体力の持ち主であることに起因する。何でもドイツではサッカー選手になるかテノール歌手になるかの選択を迫られたほどだとか。沖縄芸大の教授時代は学生と毎週サッカーをして、連戦連勝の日日。

一体何の先生やら、という感じもある一方で、バリトンからメゾソプラノまでの声域をカバーしてしまう。
ソプラノのアリアを学生の横で一緒に「実音で」歌ってしまうから恐れ入る。

そして、そのハイルマン先生のソプラノアリアに感動のあまり、私は涙してしまうのであった。

写真はリハーサル時のハイルマン氏と筆者。



ちなみに今回、クライマックスのソプラノアリア「愛ゆえにAus Liebe」はカウンターテナーの学生さんが歌う。
既存のイメージだと、カウンターテナーが歌うのはアルトのアリアなので、このキャスティングには始めびっくりしてしまう。
が、感傷的には絶対になってほしくないこのアリアに、カウンターテナーはとてもマッチする。

学生さんのソリストなので、中には(学生らしく)不安定なピッチの人もいる。しかし、声量、声質、これに不足を感じる人は皆無というのも素晴らしい。世阿弥が言うところの「時分の花」を持つ集団である。

その集団を撮ろうと思ったら、もうあまりいなくなってしまった舞台の写真。



それでも、少しわかるだろうか、左右にスクリーンが出て、字幕代わりのスライド(パワーポイント)が映しだされる。
近頃の《マタイ》は字幕が定着したので、寝る聴衆は皆無である。昔は、マタイといったらぐっすり寝るお客様の前で演奏するのが相場だったのに…。

その代わり?演奏者を凝視されることもなくなった。

そして左側、舞台下手に高い場所に位置するピアノ椅子が見えるだろうか。そこがエバンゲリストの場所である。
このようにエバンゲリストを高いところに立たせるのはシュライヤーなどが採用している。

このように、過去の様々なアイディアは取り入れられ、消化吸収されている一方で、全く独自の考えも併存しているところが、かなりユニークである。

外面的なことであれば、カール・リヒターがミュンヘンでやっていたように、聴衆の拍手は不要と思っている。(ドイツでは、聴衆も黒スーツ黒ネクタイで、公演が終わったら拍手せずにしずしずと会場をあとにするそうだ。)
鹿児島でも、拍手不要のサインをハイルマン氏は出していた。成功しなかったけど。

かと思うと、ハイルマン氏の本番衣装は黒の半袖シャツだった。私は本番を半袖シャツで振る指揮者をこれまで見たことがない。

使用楽譜はペータース版。今どきペータース!?

しかし、リハーサルが進むにつれ、エディションはほぼ関係がないことがわかってきた。

ペータースの記号に左右されることもなく、独自の強弱やアーティキュレーションの指示があるからだ。

コラールを頻繁にスタッカートで歌わせたり、メンゲルベルクよろしくフェルマータでしっかり止まったり。

古いものとの共通項だけではない。アーノンクールとも共演していたから、いわゆる前衛的解釈も飛び出す。
私が弾いたバスのアリア「私のイエスを返せ」は「これは怒っているんじゃない。ユダは先に死ぬけど、後でイエスと一緒に天国に居られるから幸せなんだ。そんなドイツ人みたいに力ずくで弾かないで。」

正直言ってその解釈は、まだ半分しか理解できない。でも、本番でいきなり、四分休符にフェルマータがかかった時、アーノンクールの《フィガロの結婚》「もう飛ぶまいぞ」を思い出してしまった。アーノンクール的発想も随所に出てくる。

こういうことは、我々日本人がやると「身勝手な演奏」としか受け入れられないのではないだろうか。

私は「文献的演奏」と呼んでいるのだが、昔このように書いてあったからこう演奏しよう、というものが日本では受け入れられやすい。
なぜなら日本人はオリジナル尊重主義だからだ。
舶来のものは良いものしか入ってこなかった歴史が長いから、その傾向は多少のことでは変わらないだろう。

この「文献的演奏」の最大の難点は、感動につながらないことが往々にしてあること。仏作って魂入れず、の状態になりやすい。

そこまでには至らなくても、例えば「ドイツ語としてはつながっているから、つなげた表現にするのが自然だろう。」と考える。
一般的な日本人は、ここまでが学習の限界だ。

「いや、ドイツ人でも強調したい時はこのように切って発音する」と言われたら、もう反論の術がない。
ドイツ人と日本人の厚い壁が見えてくるだけである。

ここでまた思い出すのは斎藤秀雄が師のフォイアマンから言われた言葉「音楽とは自分で考えぬいて作るものである」

これは規則一点ばりと言われることを自他共に認める斎藤秀雄の言葉の一部だ。
考える手段を教えるのに心血を注ぎ、最後には「歌え!心で歌え!」としか言わなかったそうだ。

ハイルマン氏、その意味ではドイツの純潔な考え方を守っていることにもなる。

楽譜の指示を、時に全く守らないこともある。が、そもそも楽譜は不完全なもの、書いてはみたが、そうしない方が条件によって効果的なことはよくある。
特にバッハの時代は、バッハが演奏現場に大体いたから、細かいことは口で説明していたはず。ハイルマンの解釈が見慣れないものでも、バッハの意図と全く違うとは言いきれない。

アカデミックに学習してきた人ほど、ハイルマンの音楽には抵抗を示す可能性がある。

でもシュヴァルツコップフに師事し、ウィーン国立歌劇場で歌い、チェリビダッケ、アバド、バレンボイム、ショルティなどと共演し、そこから培った感性は強靭。
胸襟を開いて接すれば、必ずや感動の世界に導かれることを確信している。

3/21東京「第一生命ホール」13時から
3/23神戸栄光教会15時から
3/24岡山建部町文化センター15時から

残席僅少のところもあるらしいが、可能なら是非お越しいただきたい。

もはや伝統芸能の「現代音楽」

2019-01-17 19:11:00 | 音楽
フェイスブックというのが苦手である。仕組みがよくわからないのである。

が、懐かしい人に出会える媒体でもある。
特に、大学の先輩が友達申請などしてこようものなら「これを断るなんて」ことはできない。

それで、最近友達になっていただいた作曲科の先輩から聞かせてもらった話である。

その先輩作曲家は受験指導もされていて、現在の学生や院生に元生徒さんも何人かいるのだそうだ。

我々が学生だった頃から、かれこれ40年くらい経つ。
だが、現在の東京芸術大学の作曲科学生の作品の発表を聞かせてもらうと、我々の時代とほとんど変わらないスタイルの曲をいまだに作っていてびっくりするという。

かつてベートーベンから40年経つとシューマン、リスト、ワグナーの時代だ。

一方、我々の学生時代から40年遡れば戦争中。橋本国彦、信時潔の時代である。
学生時代に聞いた山田耕筰の話なんて、今思う感覚と同じで大昔の話と思っていたけど、よく考えたら20数年前程度の話だった。

つまり1940年代から1970年代は大幅に変化した作曲様式が、どうもそこでほとんど止まっているようなのだ。

それが聴衆の心を掴んで離さないスタイルならば良いのだが、そうではなくていわゆる「現代音楽」。このほとんどの人が積極的には楽しまないスタイルを40年も作り続けるとは、もはや伝統芸能化しているぞ、と先輩はのたまわった。

伝統芸能の「現代音楽」と考えると、修行のためには良いのかもしれない、と少々愉快になってしまった。

発展しないタイプの音楽、ボッケリーニ

2018-12-13 22:25:00 | 音楽
西洋発祥の音楽は「発展(development,展開)」する方向で発達してきたものが多い。特に芸術音楽に分類されているものは。

しかし、先日「発展しない」ことを特徴にしている作曲家もいる、という説明の後に聴いたのが、ボッケリーニ作曲の《弦楽五重奏曲「鳥小屋」》。

ボッケリーニの弦楽五重奏曲はチェロを2本使うのが特徴で、しかもどの曲もチェロが高音域を使用するため大変技術的に難しいと聞いている。
腕の良いチェリストを一人頼むだけで大変なのに、二人お願いするなんて、夢のまた夢。自分の企画では無論、他人の企画でも演奏されたのを聞いたことがない。

という訳で、生まれて初めてボッケリーニの弦楽五重奏曲を生で聴いたことになる。

演奏したのは福岡の演奏者グループ「コンセール・エクラタン」と客演の皆さん。

「鳥小屋」というだけあって、鳥の鳴き真似が随所にある。ハイドンやベートーベンの「描写している箇所がある」というレベルではなく、始終続くのである。
しかも、ビオラが最低音を演奏して、チェロ2台が高音域で鳴き真似、みたいな箇所もあり、ずっと飽きずに聴いてしまった。
名手が演奏すると、実に面白い曲だった。

アンコールは、期待通り「ボッケリーニのメヌエット」。
これも、このオリジナルである五重奏版の楽譜を手に入れたいと何度か試みたが、何故か手にできず、初めて生演奏を聴いたことになる。

毎年、ヴァイオリンを教える教材に使っているから、否応なしに弾いたり聞いたりするのだが、その度に「属七から全く動かないフレーズがあったりして変な曲だな」と思っていた。
が、「発展しない」というキーワードのおかげで、とても楽しめる結果になってしまったのは素直に演奏者に感謝したい。