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ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

自由な発言はどのように妨げられるか、「支持党」や押し付け思想が危険

2025年05月12日 | 政治

 本日二度目の投稿です。(ブログ主)

国際政治学者、倉西雅子氏のブログ記事から抜粋。


自由主義国の国民が‘自由’ではなくなる理由 - 万国時事周覧

自由主義国の国民が自由を失うとき、それは、上記のモンテスキューの言葉を借りれば、‘党派の偏見の奴隷となるとき’となります。確かに、自由であるからこそ、世界観、国家観、価値観、思想・宗教的信条、自らの置かれている立場、あるいは利害関係等など、様々な軸において人々の意見や見解は分かれるものです。自由は、それ自体が分裂要因となり、党派が形成される下地となり得るのです。もちろん、全ての人が必ずしもいずれかの党派に属して相争うわけではないのですが、学校の教室から職場に至るまで、いたるところで党派やグループ間の争いは散見されます。

心の中ではライバル側の意見や見解に賛同していたとしても、ライバル側に対する偏見や敵対心、あるいは、自らの属するグループに対する仲間意識や忠誠心から、本心を偽ることも珍しくはないのです。この結果、党派心は人々の理性や判断力を歪め、自らの所属する党派の言いなりがちとなるのです。

「注意深く見極め必要」林外相 中露首脳会談受け - 産経ニューストランプ氏、ゼレンスキー氏に「いら立ち」 停戦交渉巡り批判の応酬 | 毎日新聞孫文は日本に亡命中、頭山満邸の隣に住んでいたこともある(Getty Images)
こんな記事を見つけました。これにはいろんな意見があります。

頭山満と孫文 「中国革命の父」孫文、「インド独立運動家」ボースを相次ぎ支援した頭山満 そこで得た“大きな信頼”は歴史を変える可能性すらあった【革命への投資】

19世紀にヴェルディのオペラに熱狂した人々はガリバルディ将軍を立て、本当にイタリアを統一し、独立国家にしてしまうのです。
Italy’s Giorgia Meloni elected president of European Conservatives and ...
メローニイタリア首相 5月9日
>1978年5月9日という悲劇的な運命によって結ばれた2人の異なる人物、アルド・モーロ首相とペッピーノ・インパスタート(1970年代にシチリアの小さな街で、マフィアの一員である父に逆らい、反マフィア運動を繰り広げて殺された)
テロとマフィアの暗黒時代に我が国を血で染めた2つの暗黒勢力、赤い旅団とコーザ・ノストラの手によって命を落とした。

暴力とイデオロギー的不寛容によって国家を屈服させようとする者たちによって誘拐され、殺されたアルド・モーロ。 ペッピーノ・インパスタートは、マフィアの権力を公然と糾弾し、大胆不敵に挑戦したために殺害された。 国家に仕える者、政府機関の代表者、市民、さまざまな政治的思想を持つ若者たち......あまりにも多くの罪のない人々の血でイタリアを染めた "ピオンボの年 "の真っ只中に倒れた2人の象徴。

テロの犠牲者に捧げられたメモリアルデーに、私たちは自由、正義、合法性を守る決意を新たにする。 彼らの遺産は、イタリアが死と恐怖を撒き散らす者たちの前に屈しないことを思い出させてくれる。 我々は彼らの犠牲に敬意を表し、より強く、より団結した自由な国家を日々築いていく。 いかなる政治的暴力も、マフィアによる弾圧も許さない。


ブログ主・・・倉西雅子氏のご意見は、私自身が定型のホシュの在り方が少しづつ今に至るまで経験してきたことだ。
それをこのようにハッキリお書きになることは、今回がはじめてではない。
ご自身の経験や知識に裏打ちされた正直なご意見が散りばめられている。
私は「保守です」と書いてきたが、本当に定められたような語彙は嫌い、避けてきた。
どこに属するかで、言葉を選ぶのは自分自身の考えではない。むしろ「虫唾が走る」ほどの居心地の悪い感じがするのだ。
例えば「我こそホシュ」といわんばかりに皇室を尊重?し、「皇族に側室を」と平気で述べるN元議員、それでもアタマのカチカチで彼の下僕と化した人たちは「さすがですね~」とか賛同する。どこの親が今時かわいい娘を側室に出すか!!
「天皇万歳と叫んで兵士は死んだ」と平気で書く、私はこれには公然と反論した。しかし彼は「そういわずに死んだのは病院で死んだ兵士たちだ」という。これは傲慢な答えだ。こういう輩が皇室を利用する。そして「臣〇〇」と書く。
こういうのはアタマがおかしい、いくら自由に発言していいと言っても節度というものがある。
エラそうに宣教師のように(そういえば彼はクリスチャンだった。彼が天皇万歳とか臣とかいうのは悪質だ)

私の場合は音楽が自由にする。例えば戦後、ナチスと無関係のヴァーグナーのオペラの演出を完全に歪めたり。
私は自分の考えをハッキリ言うことにしたのは変な演出を押し付けられたヴァーグナーをバイロイトの一時の映像を拒否して音楽そのものをCDで鑑賞したこと。
そして中国の歴史ドラマも見る。本当に素晴らしいのがあるから。(最近のラブ史劇などは人気取りにしかすぎない)
ところでロシアのオペラやシンフォニーが何と「反ロシア」であることが興味深い。
それこそ本当の「祖国思い」であろう。

ショスタコーヴィチでも「スターリン賛歌」と見せかけて、曲には「カルメン」の「ご用心!」という箇所の旋律を織り混ぜているのだ。保守の定文句はコピペする気もない。大変危険な要素を何とも思わない低劣な人がもてはやされている現状は、中国との現実的なバランスを取りに行こうとすると、異論を許さない人たちの暴言が待ち構えているのである。
また、極左も非現実な綺麗ごとを並べ、実現不可能なことをいうのはあきれることが多い。

こういった極左・極右の暴言はネットに溢れているが、相手にしないことだ。
本当に日本のことを考える人たちは普通の環境の人々に大勢いる。


ブログのティールーム
紅茶ゼリー に対する画像結果
紅茶ゼリー

ヴァーグナー作曲「神々のたそがれ」~フィナーレ

いろんな対立がすべて無に帰す時・・・マゼール指揮、ベルリンフィルハーモニー

Wagner: Götterdämmerung (final scene) / Maazel · Berliner Philharmoniker

 ヴァーグナーは音楽だけではなく、自作のオペラの脚本も書いています。より多くヴァーグナーの考えが理解できるような気がします。この場合の「たそがれ」は、古代のドイツ地域の多神教からやがてキリスト教が伝わる新しい時代へと、しかし、音楽を聴いていますと、それだけではなく中世・近代も含めて大きく世界観が変わるような節目を感じさせるのです。

巨大な思想のヴァーグナー、そして「リッソルジメント」祖国統一運動を推進するイタリアの偉大な古代の歴史と中世のカトリックの歪み、平和のために進もうとする美しくも厳しい現実、一貫してヴェルディから感じるものはそれぞれの思惑です。

ではイタリアでは・・・
ヴェルディの傑作「レニャーノの戦い」は演奏面で最高峰の芸術家が必要不可欠なので演奏する機会は少ない。
これは歴史的な事件で、都市国家で成り立っていたイタリアに神聖ローマ帝国(ゲルマン民族)の「赤ひげバルバロッサ」ことフリードリヒ一世が大軍で攻めてくる、イタリアはミラノを中心に各都市国家が強い団結をし、フリードリヒ一世を敗北に追い込みます。
かつてのコレッリ、バスティアニーニ、ステッラらのヴェルディ歌手たちが一世一代の名演奏を繰り広げ、いまだに伝説となった名演奏の録音です。

La Battaglia di Legnano - Corelli - Stella - Bastianini (Scala, 7/12/1961) [LP Remastered Sound]

神聖ローマ帝国とは(前編) - 中学生のための、よくわかる歴史


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徹底的自由主義者 フリードムファイターより (奥山篤信)
2025-05-12 20:21:22
コメント:
〜好き嫌いは全ての人の好みであり、そんな基本的人間の権利を言えなくさせる今の社会に怒りを感じる。好きだから好きなのだ!嫌いなものは嫌いなのだ!冗談じゃないよ!なぜ僕の好き嫌いに国や社会がリンチするのだ!〜

僕が今、日本的レベルというか世界的レベルともいえる自由主義、言い換えれば言論の自由が失われてきた状況だ。いずれ僕の怒りをそのうち爆発させたいと思っているが:
言論の自由なる自由主義の最も大切な部分が言葉狩や偽善と欺瞞の多様化という言葉でそれに議論を唱えることが実質弾圧されている事実だ。言論の自由とは、僕たち個人個人が自分の考えで好き勝手に意見を吐ける自由です。だから保守に対して反論する、たとえば皇室の存在に意義をとなえ、皇室のなかの非常識な考えに意見をすることが、皇室を認めないのは日本人では無いとのリンチにあうことの不条理性。特攻が国のために死んだという事実を、それは個人としての幸せを放棄させられたという反面があるのにそれを言うとリンチにあう。安倍さんの政策について、光と陰があるのは当然だが、陰について、非難すれば<死人に鞭をうつ人間ではない>とリンチにあう。徹底的自由主義・言論の自由を求める僕などの思想には全く違和感がある。全て多様化寛容と言いながら、四文字風に反対すると差別者だとリンチにあう。なぜ自分の個人的な好き嫌いを言えないのだ!僕は共産主義者が自由に物を言い、核武装を大いに唱える人々が自由に物を言う社会こそ素晴らしい社会だと思っている。それをいうと全てリンチにあうこの日本はまさに恐怖社会だ!言い換えると今の日本では、言論の自由とは絶対的自由が無い限り全くの弾圧なるリンチにあうのだ!宗教を廃止しろというとキチガイのように攻め立てるリンチが予想されるが、冗談じゃない、宗教組織は我々の血税を垂れ流しで使っているのになぜ我々はそれを批判できないのだ。ここにも言論の自由へのリンチがある。
すべては<多様性><寛容なる社会><差別のない社会>という押し付けがましい欺瞞と偽善が弾圧の基準となって言論の自由を弾圧しているだけなのだ!
ガンガン容赦無く、なんでも喋れる、まさに自己責任による社会での言論の自由、政治や社会が勝手に異なる意見をリンチで言葉狩する社会を絶対にみとめてはならないのだ!
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コメントありがとうございます。 (ベッラ)
2025-05-12 21:24:59
仰るように「多様性」などと言いながら、言論の自由を許さない、それどころか口汚くののしり、攻撃してくるのは「何の多様性?」と言論の貧しさにうんざりします。
また「保守」と称する頑くなで排他的な人たちも似たようなものです。
そして日本の政治はそういった人たちに牛耳られ、それらの言葉をうやうやしく尊重し、反対意見を述べようものなら「お前は日本人じゃないな」と無礼千万なことを言って退け、仲間が同じように卑しいことを言って囃し立てます。

最近、評判の評論家の動画をあまり見なくなりました。見る前から何を言うか察しがつくのです。

この人は保守じゃない、反日だ、と決めつけ、話そのものを聴こうとしません。

日本人は「忠誠」が好きなのかもしれませんが、間違っていることは毅然と言うべきです。
政治も知性のない政治家たちがなにやら決まり文句を繰り返し、いい気になっています。

たった一度だけ尖閣事件でヒーローになったお方も、何やらあやしいことを言って「コウゲキ的文章」を書いています。ダメなものは誰であれ、「それは私は認めない」というと寄ってたかって「撃退」しようとし、追い込んだ、勝ったぞ、などと小学生にも笑われるレヴェルです。

政治家こそ勉強をしなければならない、特に歴史の勉強を・・・「八紘一宇」でなく、真実の歴史の勉強です。それと海外のニュースをある程度読める、或いは察する能力が絶対に必要です。

つじつま合わせのことが多く、国民はあわれです。
国民は働いたり家のことなどで精一杯です。
その為に「代議士」を税金で雇っているのです。

奥山様の「爆発」、これでもかなり堪えてお書きになっていることでしょう。日本を本当に良くするためには「苦言」こそ聴くべきなのに。

未だに不当なおカネでニュースを賑わせている状態では未来が心配です。
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