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『検察の大罪 裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着』 著者:元大阪高検公安部長 三井環

2018-06-01 18:39:17 | 歴史
『検察の大罪 裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着』 著者:元大阪高検公安部長 三井環 講談社 定価 1,500円(税込)


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1022 2010.8.16
『検察の大罪 裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着』 著者:元大阪高検公安部長 三井環

 本書は、検察庁で秘密裏に行われてきた裏金作りを内部告発しようとして、口封じ逮捕された現職の検事による、検察の闇を告発する書です。
 「検察の暴走」や「機密費」が、世間を賑わせていますが、社会正義を実現するはずの検察は、内部に「裏金作り」という闇をかかえています。これを隠し通す限り、検察の正義は自己矛盾に陥り、その捜査はゆがんだものにならざるをえません。
 そして検察の抱える闇は、政権によっても利用され、政治事件の理不尽な捜査や、国策事件までを生み、検察暴走のもとになっています。
 著者は、検察の矛盾を自らの身に引き受け、でっちあげ事件で逮捕され、服役し満期出所したいま、命をかけて検察の大罪を告発しようとしています。本書では、検察がメンツで生み出す冤罪、検察と暴力団の癒着の告発に始まり、検察改革への根本的提言までが詳細に語られています。
 そして冒頭には、今回初めて三井環氏を取材し、放映した「ザ・スクープ」キャスターの鳥越俊太郎氏による、渾身の検察批判が掲載されています。

【内容構成】
特別寄稿 検察は汚れた服をきれいに洗え 鳥越俊太郎
序 章 検察の闇を告発する ●出所前の怒り ●仮釈放は却下に・・・
第1章 「けもの道」を行く検察 ●真っ黒な事件を真っ白に ●裏金報道を隠すための逮捕・・・
第2章 でっちあげ逮捕とその裁判 ●三井の首を取れ ●裏金作りを論じない検察・・・
第3章 二億円をめぐる検察と暴力団の癒着 ●射殺事件の深い闇 ●核心的証言に辿りつく・・・
第4章 国民の敵 検察 ●嘘のリークで「悪徳検事」に ●いきなり逮捕して大失態・・・
第5章 法務検察のあるべき姿とは ●職をかけて逮捕 ●調査活動費全廃を・・・
終 章 真実を露にするとき ●原田検事総長は裏金を認めた ●全面謝罪以外、道はない・・・
* * *

第一章 

「けもの道」を行く検察

検察は終わりだ

 私が裏金告発するようになった当初の動機は、加納駿亮大阪地検検事正に対する人事権の濫用に対する不満があったためである。
 ある収賄事件で、捜索と差し押さえを先行しないで、いきなり大学の講師を逮捕し、後で無罪の証拠が発見されたことがあった。その暴走を私が咎めたのだが、その捜査の統括責任者が加納だった。加納のメンツを潰したこととなり、それによって私は加納から逆恨みされ、人事や給料での嫌がらせを何度も繰り返し受けた。
 そこで私はなすすべもなくなり、検察首脳が組織的に行う裏金作りとその乱用について、加納をターゲットに、最高検察庁に匿名で刑事告発をしたのである。
 だが、これに対して、ときの原田明夫検事総長は、平成一三年一一月、加納をろくな捜査もせずに、「嫌疑なし」とした。検察組織全体としてこの問題の幕引きを図ろうとしたのだ。原田検事総長のこの判断に、私は「検察は終わりだ」と思った。

 そして私は腹が立って仕方がなくなった。原田検事総長による「けもの道」(後述)の選択が、私が「義憤」に駆られて検察の裏金問題を告発するきっかけとなった。私が検事の職に就いたときに抱いていた、「検事」としてあるべき姿、組織にどっぷりつかって忘れかけていた、「正義を体現する」という姿を呼び覚ますことになったのである。

 原田検事総長は、まさか現職の検事が告発するなど考えもしなかっただろう。原田検事総長の選択は、検察自らが正義を捨て、不正義を選択したことと同義だ。犯罪を犯したものがその犯罪を隠蔽するなどという「不正義」「悪」はないだろう。最強の捜査機関が表では犯罪を検挙しながら、裏では自ら犯罪を犯し、これを隠蔽しているのだ。

 原田検事総長の心中も複雑だっただろう。自らの決断で「裏金作り、嫌疑なし」として巨悪にふたをし、検察としての存在理由である「正義」を犠牲にしたからである。ここには、過去培われてきた「検察イコール正義」という神話と、検察OBに対する配慮もあったと思う。また、検事総長として天皇から認証され、正義を体現するはずの原田自身が、犯罪に手を染めた事実を自分自身で受け入れたくない、という思いがあっただろう。

 そんなとき、私は原田の幕引きを見て、それまでは匿名であったが、現職のまま実名で、裏金問題をマスコミに知らせようと再び動き出したのだ。
 しかし、それを原田が察知すればどうするか。「告発されるかも知れない」と知ったときの、原田の恐怖心は想像を絶する。折しも外務省の裏金問題で、世の中が外務省を猛烈にバッシングしていたころだ。それをわが身一身に受ける覚悟など、できるはずもない。彼は、半ば逃亡者のような心境で方法を探した。
 「三井を黙らせるにはどうしたらいいか・・・」
 そして、これ以上ない悪を自ら抱え込んで、法務検察は動いた。でっち上げで私を逮捕することこそが、彼らの出した答えなのだ。

ドタバタ逮捕

 でっちあげ逮捕が私に及ぶことは、私は全く気付かなかった。その気配も感じなかった。それが作られた事件であったから。だが、裏金作りを公表するというからには、検察はなにがなんでも、どんな手段を使ってでも、堀の中に閉じ込めるのではないか。裏金作りを「嫌疑なし」にして、真っ黒を真っ白にしたのと同じように・・・。

 法務検察はやろうと思えばどんなことでもできるのだ。そのことに思いを致さなかったのが、私の不徳の致すところである。

 このときの原田の焦りを端的に表すエピソードがある。ぜひご紹介したい。悲喜劇とも言えるようなドタバタ劇だ。
 平成一四年四月一七日、週刊朝日の山口一臣から、私が勤務していた大阪高等検察庁公安部長室に直接の電話があった。二二日の昼からテレビ朝日「ザ・スクープ」キャスターの鳥越俊太郎氏が取材収録をしたいといっている、とのことだった。私がこれを了承すると、二二日に場所を連絡する、といって、その電話は切られた。
 保釈になってから山口一臣から聞いたことだが、この電話をかけたとき、直通電話のはずが、なぜか違うところに転送された、ということだった。おそらくそのタイミングで盗聴なり、何かの細工をしていたのだろう。収録日程や場所の情報は、これによって検察側に筒抜けになっていたのではないか、というのだ。いずれにしても、テレビで裏金問題を「スクープ」されたらまずいと思った検察は、どこからか収録の日程を聞きつけ、すぐに行動に移る。
 翌一八日午後三時ごろ、大阪高検の大塚清明次席検事から、それまで眠っていた私のでっちあげ逮捕につながる「荒川メモ」(後述)が大阪地検に手渡された。
 しかし佐々木茂夫大阪地検検事正は、私の逮捕に反対したという。原田検事総長が、直接東京から陣頭指揮した逮捕だといわれている。そこで主任の大仲士和検事が急遽、逮捕に向けた諸準備を始めた。そして、第一次逮捕が敢行されることになる。
 結局、私は大仲検事の捜査報告書一本で逮捕され、通常は逮捕時に準備される関係者の調書は、一通もない。
 私の取り調べをした水沼裕治検事は、逮捕前日の二十一日夕方、日曜日も終わるかというときに召集された。主任検事の大仲が裁判官に令状請求し、裁判官から許可が下りたのが二十一日の深夜である。
 読者は、「微罪」ですらなく、関係者の調書もない第一次逮捕の案件(後述)で、令状が裁判官からすぐ出るのか、と不思議に思われるかもしれない。だが、これが裁判官は「自動販売機」と言われるゆえんである。待ち焦がれた令状を取るために、大仲はその日ホテルに泊まったとのことだ。
 そして、翌二二日早朝、私は当時の自宅の玄関先で、大阪地検特捜部の検察事務官から任意同行を求められ、車で大阪高検まで連れて行かれることになる。三七階が私の通常の部屋だったが、その日は二〇階あたりに連れて行かれ、何も言わずにいきなり午前九時ごろ逮捕となった。

 任意同行の情報が検察からリークされ、読売新聞社記者から同行時の写真を撮られた。リークしてもらった見返りに、読売新聞社は悪徳検事ぶりを書き立てた。もちろん、裏金作りの報道は一切しなかった。

 私が「口封じではないか」と発言すると、水沼検事はきょとんとした顔をしていた。なぜなのか。検察の裏金作りは次席検事にならないとその実態は分からない。彼はその経験がないため、知り得ない。また、私が裏金作りを公表しようとしていたことも、彼は知るはずもない。だから何のことか分からなかったのだ。急遽前日夕方に召集されたので、彼は事件の内容もさっぱり分からなかった。
 当初の取り調べはただ身上経歴を聞くだけであった。身上経歴などは高検にすべての資料が保管されている。それを見ればいいことなのだ。事件の内容の取り調べができないので、このような調べをしたのだと思う。
 その後も毎日、夕方から一時間くらい取り調べがあっただけで、二〇日間の勾留中、二~三日間はまったく調べのない日もあった。私から供述を引き出すという捜査ではなく、でっちあげ贈収賄事件の相手である企業舎弟・渡真利忠光らの供述だけを固める捜査であったようだ。
 この水沼検事であるが、その後鹿児島地検次席検事になったようだ。私がそれを知ったのは、鹿児島県志布志で県議選に絡む公職選挙法違反事件が起こった、との報道からだ。この志布志事件は架空の選挙買収事件で、すでに無罪が確定しており、まったくの冤罪事件である。その捜査手法にも問題があった。これは鹿児島県警と検察の大失態事件だ。その捜査責任者が、この水沼検事であったのだ。
 水沼検事は現在高松高検次席検事である。同次席検事は検事二号俸。これは、検事の給与階級では上から二番目の位にあたる。つまり、次は検事正になる、ということだ。大失態を演じても、処遇にはなんら影響を及ぼさない典型的な事例ではないか。法務検察の体質とはこういうものである。

裏金作りの実態

 話を「けもの道」に戻し、その全容をじっくり振り返ろう。これを暴き、告発していくことでしか、正義を全うすることはできないからである。
 その前にまず、法務検察の裏金作りの実態を簡単に説明しておこう。
 裏金の原資となっていたのは法務省予算である調査活動費である。本来は情報提供者に謝礼として支払う予算である。だが、これがすべて裏金に回っている。
 そのからくりはこうである。
 架空の情報提供者をでっちあげて領収書を偽造し、支払ったことにして金をプールする。領収書偽造のほかにも、架空の支出伺い書などの虚偽の公文書を作成する。その金をプールした金は、地検であれば事務局長、高検の場合は事務局次長が自分の部屋の金庫に保管する。裏金を使えるのは地検であれば検事正、高検であれば検事長、最高検であれば検事総長、法務省であれば事務次官、刑事局長、官房長だけである。

 したがって、次席検事や事務局長などは、領収書の偽造や裏金の保管などにはかかわっていても、一切使うことができない。その裏金は検事正などの遊興飲食費、接待費ゴルフ代、マージャン代、観光代等に使われる。一晩に四〇万円くらい使う場合もある。マージャン代として一〇万円を毎月その裏金からもっていった検事正もいたほどだ。

 全国一律に、このようなからくりで裏金作りが行われていた。年間調査活動費予算は、全国の検察で約六億円ないし七億円であった。一円も本来の用途には使われていない。すべてが裏金として使われていた。

 この裏金は国民の血税であることを決して忘れないでほしい。一〇年間で約六〇億円ないし七〇億円、二〇年間で一二〇億円ないし一四〇億円。これらが遊興飲食費などに使われたのだ。

 樋渡利秋現検事総長は、刑事局長当時、参院予算委員会(平成一六年三月一九日)において、
「裏金作りは業務上横領、詐欺、私文書偽造罪などが成立する」
 と、犯罪であると明確に答弁している。

 私は昭和四七年に検事に任官し、昭和六三年に高知地検次席検事になった。そのとき初めて裏金作りを知った。以来三年、平成五年から高松地検次席検事の三年、合計六年間、裏帳簿などの決済をした。検事正のお供で接待などもしてきた。したがって裏金作りの実態とからくりは十分承知している。裏金作りは虚偽公文書作成、同行使、私文書偽造、同行使、詐欺などの犯罪である。したがって、私も"共犯者"である。

 ちなみに、いまの検察庁の調査活動費予算は七五〇〇万円くらいのようだ。私のころと比べると一〇分の一程度になっている。これはさまざまな告発の成果といえるだろう。だが、法務省全体の調査活動費予算は変わっていない。つまり、その一〇分の九はどこかでダブついている状態と考えられる。まだ、私が知っている裏金の使われ方は、変わらない悪習として残っているといえる。

 だからこそ、私はこの裏金をめぐる真実を伝える義務がある。先に述べた検察の組織的な裏金作りという犯罪の分岐点は、平成一三年一〇月末にあった。原田検事総長の判断の誤りが、後に大きな災いをもたらすことになる。そのきっかけは、大阪にあった。

加納を辞めさせるか、検事長にするか

 私は平成一三年三月と五月に、私の盟友である四国タイムズ社の川上道太社長を表向きの告発人として、大阪地検の加納駿亮検事正を裏金作りの犯罪(虚偽公文書作成、同行使、私文書偽造、同行使、詐欺)で最高検察庁に刑事告発していた。そして週刊文春(平成一三年一一月八日号)、週刊朝日(平成一三年一二月七日号)が大々的に私への取材により、報道していた。

 週刊文春は「現職幹部がすべてを語った 最後の聖域 検察庁組織ぐるみ 『機密費』横領を告発する!」「公金を私的に使っての贅沢三昧が国民の怒りを買った外務省の機密費事件。だが、信じられないことに、それを捜査する立場の検察庁でも、まったく同様の「裏ガネ横領疑惑」が発覚した 最強の捜査機関における、この重大疑惑を断じて看過するわけにはいかない!」などと報じていた。

 また、週刊朝日は「現職幹部が衝撃告発!! 検察「裏ガネ」の全貌」「組織ぐるみの裏ガネ「調査活動費」の驚くべき実態」「裏ガネづくりどころか、高検検事長人事をめぐって自らの「罪」がバレそうになると、驚くべき隠蔽工作に走った」と、原田検事総長による「嫌疑なし」などの判断を報道したのだ。

 平成一三年一〇月、法務省は加納を福岡高検検事長にすべく、森山真弓法務大臣に上申していた。しかし森山法務大臣は、加納が刑事告発されていることを理由に、この人事に難色を示した。小泉内閣としてこの人事を承認し、刑事告発が「黒」であれば、その責任は内閣が負わなければならないからだ。法務省は内示がなかなかできなかったため、報道が過熱し、大手新聞まで報道しかねない状況下にあった。

 複数のジャーナリストらの報道によれば、原田検事総長は、加納大阪地検検事正を辞職させればそれでことが収まる、と考えた時期もあったらしい。なぜなら、私と加納との人事をめぐる確執であったから・・・。加納が辞職さえすれば、私が矛を収めるだろうと考えたようだ。

 だが、元検事総長である土肥孝治が動いた。原田検事総長に対し、加納を検事長にすべしと、検察OBが人事に口を出したのだ。

苦渋の選択

 そこで原田検事総長がしたのが「けもの道」という苦渋の選択だった。それは法務検察幹部が一堂に集まって決めたことではない。
 検察の組織的な裏金作りの犯罪は、内部では「公知の事実」である。それゆえ原田検事総長は自ら国民に謝罪し、ある程度の処分者を出して使った金を国に返還するだろう、それ以外の選択肢はないだろうと私は考えていた。
 そうすれば検察の信用は一時的には失墜するかも知れない。だが、さすがは他の省庁とは違うと評価されただろう。私はそれを期待していた。ところが「けもの道」という最悪の選択をしてしまった。

 原田検事総長は、平成一三年七月二日の総長就任時の記者会見で、
 「広く国民の胸に落ちる検察を念頭に努力したい」
 と表明した。自らの組織内部の不正を強権によって隠蔽する行為の一体どこに、「広く国民の胸に落ちる検察」の姿があるというのか。

 原田検事総長は法務省を中心に異動した、いわゆる赤レンガ派の代表格で、捜査現場はほとんど経験がない。これが現場派総長であれば、このような選択はしなかったのではなかろうか。

 一〇月末、法務検察の世紀最大の汚点が実行された。

 元法務大臣の後藤田正晴氏に近い筋からの情報によると、原田検事総長と松尾邦弘法務事務次官、古田佑紀刑事局長が、他界された後藤田氏の事務所を訪ね、加納人事が承認されないと裏金問題で検察がつぶれると、泣きを入れたと言われる。これを後藤田氏は後に「けもの道」と名付けたと言われる。

 検察がときの政権にすり寄って、貸し借りを作る。これは検察が政権に対して取るべき道ではない。人が取る道でなく、私が「けもの道」というゆえんなのである。
 政権側も、検察が隠し持つ毒を「飲み」、表面的にはうまくおさめる。そうするとその共犯の行為が、検察と政権のその後の関係を決定していくことになるのである。
 なぜ、このような選択をしたのか。

 多分、検察の組織的な裏金作りの犯罪が公表されると、約七〇名の検察幹部の懲戒免職、国民からの刑事告発、使った金の国への返還、検察幹部OBへの波及など大問題に発展し、検察の信用は一気に失墜し、一時的にその機能が麻痺すると考えたのだろう。

「真っ黒」な事件を「真っ白」に

 検察の原点は、
(一) 真実のみを追究し、それを確定する
(二) 政権に貸し借りを作らない
 という二点にある。
 (一)、(二)を破ってしまえば、政権への捜査が進む中、検察最大の弱点である「裏金作り、公表しようかね」と一言いわれたら、捜査を打ち切りせざるを得ない。
(一)についていえば、検察の裏金作りの犯罪は、内部では公知の事実である。それなのに原田検事総長の指示により、最高検から加納氏への刑事告発事件を回された大阪高検と高松高検は、「嫌疑なし」と裁定し、「真っ黒」を「真っ白」にした。検察自らがほとんど捜査もしないで、「真っ黒」を「真っ白」にしたのだ。自らの犯罪を隠蔽するために、検察自ら正義の全うを否定した。

 逆に言えば、検察が暴走すると「真っ白」な事件を「真っ黒」にすることもできる。検察はやろうと思えば何でもできる。それを検察自らが実証したのだ。私の事件がまさにこれである。えん罪と言われている事件を検証すれば、このような事件は多い。「嫌疑なし」としたことは、原田検事総長らに犯人隠匿罪が成立する。加納氏は裏金作りの犯人である。検察は自らの捜査権を盾に取り、完全犯罪を犯した。
(二)についていえば、結局、時の政権への原田検事総長が選択した「けもの道」により、小泉内閣は加納人事を一一月一三日に承認した。そして一五日、人事が発令され、天皇を欺して、犯罪者を認証式で認証させた。
 さらに平成一四年四月二三日、私の逮捕の翌日に原田検事総長、森山法務大臣は記者会見をして、
 「検察の組織的な裏金作りは事実無根である。そもそも存在しない」
 と国民に大嘘をついたのである。

 それが出発点となって、仙台オンブズマンによる裏金作りの情報公開裁判(平成一四年)では、裏金についてまったく言及しないという虚偽の準備書面を提出した。また、法務委員会での社民党の保坂展人議員による追及でも、法務省幹部検事が「裏金は一切存在しない」という虚偽答弁をするにいたった。オンブズマン裁判でも私の裁判の控訴審でも、検察の裏金作りの犯罪は一部認定された。

 それでもその裁判を無視して、平成二〇年三月、鈴木宗男議員による福田内閣への質問趣意書による追及でも、内閣は「以前調査済みで、調査の必要はない」と回答したのである。検察から政権への「けもの道」を選択したことにより、法務検察最大の弱みである検察の組織的な裏金作りの犯罪を、政権に握られてしまう。そこで自民党政権と法務検察とが一体となった。そこに貸し借りができたのだ。

 検察と政権の両者は後ろめたい関係となり、両者はゆ着して検察権はゆがむ。これがその後の特捜部捜査に、大きな影響を及ぼすのである。

 法務検察は政権への「けもの道」によって、加納人事を乗り切った。だが自らの組織的な犯罪を隠蔽し続けなければならなくなった。犯罪者が犯罪を隠蔽しようとすることは、ままよくあることである。だが、検察という最強の捜査機関が自らの犯罪を否定し、隠蔽を続ければ一体どうなるであろうか? それを政権は利用するであろう。また、弱みを握られているため、検察は本来の検察権の行使ができなくなる。

 私の逮捕と、その後に起きた外務省三等書記官の佐藤優をめぐる背任などの事件、鈴木宗男議員をめぐる贈収賄事件、日歯連事件、朝鮮総連ビルをめぐる元公安調査庁の緒方重威の詐欺事件、小沢幹事長の公設秘書による政治資金規正法事件、小沢幹事長の土地購入をめぐる事件などを振り返ると、その底流には法務検察最大の弱みである犯罪を隠蔽し続けていることが、特捜部の捜査に大きな影響を及ぼしていることに気づくであろう。

 大きな影響とは、ある事件は捜査を打ち切らざるを得なくなり、ある事件は政権与党が法務検察を利用する、特捜部の捜査そのものが「けもの道」になっていく、という意味である。捜査が右往左往するだけでなく、現場サイドと、法務検察首脳との間で、捜査の進め方をめぐっての乖離が見られる。それは「けもの道」を知っている首脳と、知らない現場との乖離、と言ってもいいのではないだろうか?

裏金報道を隠すための逮捕

 私の逮捕は、先にも述べたように、法務検察の組織的な巨額の裏金作りの犯罪を隠蔽するためにでっちあげられた、口封じ逮捕である。

 ちなみにその中身は、登録免許税の軽減の証明書一件を区役所から詐取した詐欺事件。銀行ローンを組むため先に住民票を移動し、その空白期間の一週間を不実記載とした事件。前科調書等を検察事務官に指示して入手した、公務員職権乱用事件。事業資金として二〇〇万円を無利息で貸与し、その謝礼として三日間二二万円相当の飲食接待を受けた収賄事件である。その詳細は後で書くことにする。(第二章参照)

 私を口封じ逮捕したのに、マスコミがずっと報道し続けるならば、逮捕した意味はない。そこで、法務検察はどう動いたのか、この点について触れたい。
 私が逮捕された八日後のことだ。東京地検特捜部はいわゆる「ムネオハウス」にからむ偽計業務妨害罪で、鈴木宗男議員の公設第一秘書である宮野明ら七人を逮捕した。

 また、五月二日、千葉地検は元参議院議長である井上裕の元政策秘書ら六人を競争入札妨害罪で逮捕した。
 同日には静岡地検が、マイクロソフトの日本法人元常務を所得税法違反の罪で在宅起訴をしている。加えて同地検は航空機事故でパイロットを在宅起訴。さいたま地検は元東京都福祉局長を、特別養護老人ホームの建設を巡って国庫補助金を不正受給したとして逮捕した。

 五月一四日には、東京地検特捜部は外務省の三等書記官の佐藤優を、外務省関連の国際機関「支援委員会」の不正支出事件(背任罪)で逮捕。
 六月一九日、製材業者「やまりん」に絡む斡旋収賄罪で鈴木宗男議員を逮捕した。
 ご存じの通り、その間に外務省官僚、民間業者ら一〇人を逮捕。
 このように東京、千葉、静岡、さいたまの各地検が、次々と摘発を続けた。
 この一連の動きについて、多くのジャーナリストは「検察自らが創りだした裏金問題の報道をさせないため、自転車操業的に逮捕を繰り返した」という。

 検察捜査に詳しい元産経新聞社会部記者の宮本雅史氏は、検察幹部が「あんまり三井事件で検察庁を叩くと鈴木宗男事件の捜査情報が入りませんよ。分かっていますね」と、露骨な恫喝をされたと伝えている(『歪んだ正義 特捜検察の語られざる真相』情報センター出版局刊)。

 しかしテレビ朝日の報道番組「ザ・スクープ」は、四月二七日、私の逮捕劇と調査活動費問題について特集した。これは、本来なら四月二二日に、私が「法務検察の裏金問題」について受けたインタビューの内容を報道するはずだった番組だ。

 そして、五月二三日の参議院法務委員会で、調査活動費問題が集中審議される。すると、東京地検特捜部は鈴木宗男議員の自宅、事務所などの捜索をその日に合わせて実施した。この「効果」は凄まじく、ニュースの内容はほとんどが「鈴木宗男議員の"疑惑"」一色となり、調活費関連のニュースは流れてしまった。

 結果的に特捜部によって、調活費問題のニュースが潰された格好になったのだ。
 このようにして法務検察の情報操作が功を奏し、裏金問題を報道するマスコミは、それ以降なかった。

何でもいいから逮捕しよう

 鈴木宗男議員は、国後島の「ムネオハウス」入札をめぐる事件や、国後島ディーゼル発電施設入札をめぐる事件で、大いにニュースを騒がせる。この情報源は検察からのリークだ。これによって宗男議員は、「疑惑の総合商社」とダーティなイメージのレッテルを貼られることになる。そして大手マスメディアや世論の関心は否応なしに、鈴木宗男議員逮捕にむけた検察の動向に集中していった。逮捕された六月一九日には、すでに鈴木宗男議員は大悪人に仕立て上げられた。

 当時の政権である小泉内閣は構造改革を推進していた。鈴木議員はその抵抗勢力として生贄にされたわけだ。また、「鈴木宗男=大悪人の逮捕」という勧善懲悪な逮捕劇によって裏金問題の報道を封じるという意味も、この逮捕にはあった。「けもの道」により、小泉政権と法務検察の利害が一致したことによって作られた逮捕であると私は見ている。

 ところが国後島の「ムネオハウス事件」にしても、「ディーゼル発電施設事件」も、捜査は不発に終わる。そのため、「やまりん」に絡む斡旋収賄罪、島田建設の工事受注を巡る受託収賄罪で逮捕せざるを得なかったのだ。これだけ大々的に報道されたのであるから、「何でもいいから逮捕しておこう」というところだったのではないだろうか。

 しかし、やまりんや島田建設の事件は、発生から四年が経過しており、こうした贈収賄事件の場合、従前は贈賄側が時効(三年)となった事件を検挙することはなかった。というのも、収賄側の時効は五年であるが、相手方(贈賄側)の時効が完成しているので、相手方は起訴されることもなく、供述が得やすいため、検察の思うとおりの調書がいくらでも作成できる「危険性」があるからだ。

 また、本件で特徴的なのは、斡旋収賄罪はいずれも「表」の金であり、領収書も存在し、政治資金規正報告書にも記載されている金である、ということだ。「表」の金で立件逮捕した事例は、鈴木宗男議員の事件くらいではないだろうか。いずれにしても、東京地検特捜部の鈴木議員に対する捜査は当初の目的を達成しておらず、私は失敗した捜査の一例だと思っている。

急な捜査打ち切り――日歯連事件

 次に日歯連(日本歯科医師会)をはじめとする政治資金規正法事件違反につき、みてみたい。
 この事件は、大物政治家の関わる事件の検察による捜査が途中で不可解に打ち切られ、当事者は起訴されず、当事者でない人間が起訴された冤罪事件として、特異なものである。

 日歯連とは、全国の歯医者から会費を取って、運営している公益法人である。日歯連は、医者と歯医者との診療費の格差が広がる一方だと危機感を抱き、診療報酬改定を自民党議員に強く要望し、多額の裏献金を続けていた。

 平成一三年一月から同一五年の間に、自民党の国会議員に約二二億円の金をばらまいたとされる。その結果、平成一四年には「かかりつけ初診料」が前年二一〇億円だったのが、一〇七〇億円に増加した。

 日歯連の裏献金システムは、いわゆる「迂回献金システム」ともいわれる。日歯連は特定の自民党国会議員に金を渡すに当たり、最終的に金を渡したい国会議員を指定。まず、自民党の政治資金団体である「国民政治協会」に献金する。「国民政治協会」は献金を受け取って、領収書を発行し、協会への献金として会計処理する。最終的には指定された国会議員に金を渡す。

 事件の発端は、平成一三年七月二日夜、東京・赤坂にある高級料亭「口悦」で橋本龍太郎元首相、野中広務元自民党幹事長、青木幹雄元参議院幹事長が、日歯連の臼田則夫会長らと夕食をともにし、臼田会長から橋本元首相に、額面一億円の小切手が手渡されたことから始まる。

 橋本元首相はこれを受け取り、同派の政治団体「平政研究会」の滝川俊行事務局長が金庫に入れて、まもなく現金化した。

 平成一四年三月が提出期限となっている同一三年分の政治資金収支報告書に、一億円の献金の事実を記載しないで裏金として処理したという。まぎれもない政治資金規正法違反事件なのである。

 東京地検特捜部が、政治資金規正法違反の情報を入手したのは、平成一五年になってからである。同年八月に滝川事務局長を逮捕、起訴。同人の証言を唯一の根拠として、平成一五年三月一三日、村岡兼造元官房長官を在宅起訴した。現場にいた橋本龍太郎元首相、野中広務元自民党幹事長、青木幹雄元参議院幹事長の三人は、起訴せずにである。
 なぜ、このようにゆがんだ捜査となったのか。

 結局、村岡は一審で無罪となった。その判決理由は、「滝川事務局長の証言は橋本氏ら派閥の幹部や自民党全体に累が及ばないよう」虚偽証言をした可能性があるというものだった。

 しかし東京高裁は逆転有罪とし、「禁固一〇月執行猶予三年」の判決を下した。その判決理由の中で「他の派閥幹部も起訴する処理も考えられた」と述べ、検察捜査に異例の注文をつけた。

 また、東京第二検察審査会は、平成一七年一月一九日、橋本、青木、野中の三人を起訴しなかった検察の判断につき、「不起訴不当」の議決をした。しかし特捜部は三人とも「不起訴処分」の判断を下している。

 この事件の検察捜査は、きわめて不透明な形で幕引きがはかられたことで、多くのジャーナリストの見解が一致している。

「本来裁かれるべき巨大な不正の痕跡にはふたをし、引退した老政治家にすべての罪を押しつけるかのような捜査からは、政治と検察との間に沈殿する腐臭すら漂ってくる」
 と評するのは、ジャーナリストの青木理氏だ。

 まず、同違反の事実についてみる。
 一億円の金を、いったい何に使ったのか。それが捜査の最大の争点である。当時は参議院選挙の直前であった。平政研究会には約一〇〇人の議員がいた。それらの議員の選挙活動資金ではなかったのか? そうであるなら、公職選挙法違反事件へと発展する。
 また、当時は診療報酬改定にむけ、日歯連は奔走していた。その依頼の趣旨の金ではなかったのか? そうであるなら、贈収賄事件へと発展する。
 領収書を発行しないで裏金処理したのは、犯罪性があるからではなかったのか? 当然これらの点が、重大な捜査の対象となる。

 ところが、なんらその使途についての捜査をした形跡が認められない。
 橋本元首相は取り調べ時、「一億円の小切手をもらった記憶がない」と供述したが、それ以上突っ込んだ取り調べはなされていない。「記憶がない」というのは、木で鼻をくくるようなことではないか。結局はお茶をにごした捜査だったのだ。その巨大な闇にすべてのふたをしてしまった。通常ではあり得ない、信じがたい捜査なのだ。

 小沢幹事長をめぐる土地疑惑事件では、四億円の原資を追及するため、石川議員らを逮捕勾留した。小沢幹事長を狙った捜査と対比すれば、いかに異常な捜査であるかがわかる。

 日歯連事件は本来、献金を自ら受け取り、秘書が政治資金収支報告書に不記載としたことの監督責任があった橋本龍太郎が主犯格であり、野中、青木も同席したことで関与の責任を問われ、逮捕、起訴を免れ得ない、闇献金事件なのである。

 巨大な闇にすべてふたをした理由は、いったい何だったのだろうか? その回答はやはり、政権と検察との「けもの道」にある。

野中広務に裏金問題を聞かれる

 実は、私のでっちあげ逮捕直前の平成一四年三月末、京都駅前にある新都ホテルにおいて、私は野中広務と会ったことがある。京都の野中の事務所の青木秘書から、裏金問題で野中が会いたいと言っているという連絡があった。そこで私が新都ホテルに行くと、青木秘書ともう一人の秘書が出迎えてくれて、エレベーターに乗り、だいぶ上の階だったと記憶しているが、ホテルの部屋に行った。そこに野中が待っていてくれた。

 その部屋はホテルを事務所に改築したもので、一対一で一時間くらい裏金作りの実態と、「けもの道」の話をした。
 野中は「裏金問題は改革しないとダメだ」と言われた。当時は鈴木宗男議員の疑惑報道がなされていた。野中は、「北方領土問題解決のためには鈴木宗男は必要な人です。彼がいないと解決できない」と話されたのをよく覚えている。

 このように、野中は法務検察の組織的な裏金作りの実態と、政権と検察がゆ着した「けもの道」を知っていた人物の一人である。

 当時の政権は、平成一三年一〇月末の「けもの道」のやりとりのときと同じ、小泉政権である。検事総長は、「けもの道」当時の法務事務次官であった松尾邦弘検事総長であった。当然、橋本元首相、青木参議院幹事長らも、「けもの道」のやりとりを知っていたものと思われる。

 東京地検特捜部は、野中と村岡元官房長官の二人を起訴したい方針であった。だが、松尾邦弘検事総長は一人でいいと指示し、結局、野中は起訴猶予処分となった。

 野中が「裏金を公表しようかね」とさえ言えば、自らの起訴は免れたであろう。いや、そこまで言わなくとも、匂わせさえすれば十分だ。また、橋本元総理、青木元参議院議員幹事長らに対しても、起訴することはできなかったと思われる。
 どうしてか。
 起訴すればその報復として、法務検察の裏金問題が公表されるかも知れないからだ。そのため、その巨大な闇にすべてふたをしたのではないか。私はそれ以外の理由はないと考えている。

 日歯連事件は、約八ヵ月にわたって捜査が遂行され、大々的に報道された事件である。国会議員一人だけは何としても起訴しないことには、検察のメンツ丸つぶれである。だが、中心人物は「けもの道」により守られ、起訴できない。そこで、目を付けられたのが村岡であった。議員を辞めており、「けもの道」のなんたるかすらも知らない村岡は、いわば「けもの道」の犠牲者である。

迂回献金捜査の打ち切り

 特捜部は政治資金規正法違反の捜査の過程で、日歯連から約五億円が、診療報酬改定をめぐって自民党議員約二〇人に渡っているとの確証を掴んだ。贈収賄事件などの大疑獄事件へと発展する様相を呈した。

 そのまま捜査が進展したなら、小泉政権そのものに大きな打撃を与えただろう。自民党政権が崩壊する危険性もあった。
 ところが、捜査の最終局面において、松尾検事総長が捜査の打ち切りを指示したと言われる。それに反発した特捜検事の一人が辞職したという。検事総長が特捜部の捜査の打ち切りを指示する。通常ではあり得ない。

 松尾検事総長は若手検事の頃から、贈収賄事件などの独自捜査を遂行した。以前は現金による贈収賄事件のみの立件しかなかった。飲食接待の贈収賄事件は立件することもなかった。大蔵省のいわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」を、初めて立件逮捕起訴した人でもある。清廉潔白な人で、大疑獄事件に発展するような政界の大贈収賄事件の捜査を、途中で打ち切るような人ではない。

 というのも、以前、松尾検事総長の松山地検検事正時代に、私は氏と手紙のやりとりをしたことがあるからである。平成一二年四月一七日に送られた手紙には、彼の独自捜査の経験や検察官の心構え、使命感について書いてあった。少し長いが、引用させていただく。

 独自捜査の過程で困難に直面し、安易な道を往けばよかったと、一度ならず思ったものでしたが、そうしたことに懲りずに同じ道を往き、一度は辞表を書くまでに至った こともありますが、このときは検事正、先輩に助けられ、職に止まることになりました。

 大切なことは、事件にきちんと向き合う姿勢を堅持することにあるように思います。送致事件であれ、独自捜査事件であれ、事件の捜査の終局処理を国民から託されている検察官としての誇りを心の底にしっかりと持つことが大切だと思います。

 力強くしたためられた文字を見る限り、彼の本心の言葉であると私は確信している。
 そんな松尾検事総長が、独自の考えで打ち切りを指示したものでない。断じてそれはあり得ない。松尾検事総長は涙ながらの苦渋の決断をしたのだと、私は考えている。検察首脳が「けもの道」という最悪の選択をしてしまったために・・・。

 他方、特捜部では一人の若手検事が辞表を提出し、退職した。彼は「将来の特捜部を背負っていく存在」とまで言われた優秀な人材だったという。退職の本当の理由は定かではないが、「日歯連事件の捜査方針が納得できない」と周囲に漏らしていたという話だ。彼はなぜ捜査が打ち切られたのか、まったく知らないはずだ。

 松尾検事総長が下した判断の「本当の意味」を知っている法務検察幹部は、ごく一部である。特捜部の連中は多分知らないだろう。この事件はそれぞれの立場で苦悩し、人生を歪めた事件だった。

 それではいったい、何があったのか? 打ち切りの闇には何があるのか。

 それは、検察が抱える自らの大罪、つまり政権へのすり寄りという「けもの道」以外にないのではないか。それ以外の理由では、政治資金規正法違反事件において、一億円の闇献金の捜査をしなかったことを説明することはできない。迂回献金疑惑の捜査を打ち切ったことも、説明することができない。

 法務検察は日歯連事件の真相解明よりも、解明をした場合の小泉政権による反撃が恐ろしかったのであろう。個人が犯罪を犯したとき、ひた隠しにする。いつ発覚するかもしれない恐怖を持ち続ける。それは、法務検察組織もまったく同じではなかったろうか。

 最悪の道を選択したその影響は、計り知れない。

検察の大罪 裏金隠しが生んだ政権との黒い癒 著者:元大阪高検公安部長 三井環

(講談社刊)本文29~59ページより抜粋
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人事 法務省 毎日新聞2018年1月22日 東京朝刊
https://mainichi.jp/articles/20180122/ddm/002/060/186000c

法務省(22日)

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