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なんでも日本が悪い? 「原爆地上起爆」という黒い嘘1

2016-06-01 21:30:09 | 原爆・原発・放射能攻撃
オバマのヒロシマ訪問に合わせて、「地上起爆」論が賑やかだった。本当だろうか?



Trinity (nuclear test)







Trinity Atomic Test complete takes
https://www.youtube.com/watch?v=7dfK9G7UDok


Nagasaki





クレーターが全くない。
プルトニウム製造用原発もなかった。
矢倉も発射台もなかった。







Hiroshima






http://rpic.jp/hygiene/world/hiroshima.html

クレーターが全くない。 「花火」の「発射台」もなかった。

http://yo-koda.sakura.tv/genbaku/bakusin.htm



原爆投下と爆心地

リトルボーイの頭部に付けられたアンテナは、今でもテレビアンテナとしても使われている八木アンテナが使用された。このアンテナが地上から反射する電波を受信し、地上からの距離を測り、原子爆弾はもくろんだ通り600m上空で自動的に炸裂した。八木アンテナは電気工学者の八木秀次と宇田新太郎が戦前に発明し、1926年~30年に日本、英国、米国で特許を取得。








8時6分説があることは承知しているが、このようなものは残っているのかどうか?それが問題である。あるいは、これらはいずれも被爆後9~10分してから、歩調をそろえて止まったのか?

聖母の被昇天

聖母の被昇天(せいぼのひしょうてん)とはカトリック教会の用語で、聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国にあげられたという信仰、あるいはその出来事を記念する祝日(815日)のこと。・・(犯人たちはこれに拘っただろう)





左の写真自体は何も問題ない。木の家は(地表で3000-6000℃と推定されている輻射熱で)すぐ燃えるし、地上の火薬庫もすぐ爆発しただろう。右の写真が後に物議を醸せるように仕込まれていたのではないだろうか。





その他関連

鳥越不二夫(とりこし・ふじお)さん(80)=広島県府中町 忘れたい過去 残す喉元
www.hiroshimapeacemedia.jp/hiroshima-koku/stories/index_20111226.html

広島市西部の山手町(現西区)で生まれ育った鳥越さん。家は山裾の小高い所で、市街地が一望できました。

1945年8月6日の朝、14歳だった鳥越さんは、学徒動員を休み、健康診断の再検査のため家で病院に行く準備をしていました。

米軍の飛行機音を聞き、外に出て市街地がある東の空を眺めていた時でした。空に黒っぽい塊が見えた瞬間、ものすごい閃光が目に突き刺さりました。同時に、炎のような熱風が顔を襲いました。「ザーッ」というごう音とともに風が押し寄せ、7、8メートル離れた防火水槽まで飛ばされました。

広島市における原子爆弾に関する調査
http://www.roswitha.jp/hiroshima@genbaku@chiyousa.html



『敵弾発火は高度約五五〇米』

こういったことが偽旗作戦の結果だと言ってみても、矢倉はなかったしクレーターはできなかった。クレーターができないのは空中爆発だろうし、隕石が空中爆発してクレーターはできないが強い熱効果がでるというのはよくあることである。そして発射台もなかった。仮説はかまわないが、検証が伴わなければ、真実には迫れない。





おまけ



硫黄島は半径 2500 m くらいの島です。

硫黄島の戦い



「硫黄島の戦い」における写真の記録。栗林忠道中将の最後。
http://matome.naver.jp/odai/2140842512286543101





おまけ2

中条一雄 『原爆は本当に8時15分に落ちたのか』 第6章 原爆だと知っていた記者 p184-187より

私の高校の同窓生は、広島在住の有志が中心となって『ヒロシマと広高』という同人誌を不定期に発行している。そこには「被爆前から原子爆弾の存在を知っていた」とする二人の証言がある。

一つは一九九七年八月発行のもので、同級の中野武彦君のものだ。彼は皆実町の高校の寮で朝食をとっている最中に被爆したが、全壊した食堂の残骸を押しのけて、やっとの思いではい出した。顔に深い切り傷を負っていた。その夜は近くの蓮畑で野宿したという。(被爆した夜、野宿していると)高校生の集団ができて、夜空になおも赤い炎をちらちら見せている市の中心部を見つめながら、私たちは時折元気づけに寮歌を歌っていた。ふと私は、京都帝国大学で物理学を専攻し、荒勝教室にいた義兄が、物知り顔に話していたのを思い出した。マッチ箱一個の大きさで、戦艦一隻すっ飛ばす爆弾があるんやデ。原子爆弾言うんや

B29一機か二機の爆撃で、これほど広範囲に被害を与え得る爆弾は、原子爆弾以外にないのではないか。そのことを持ち出したが、居合わせた化学を教えるH先生は、きっぱりと否定した。

「理論的には可能じゃが、いくらアメリカだって、まだそこまではいっとらんじゃろう」

けれどもやはりあれは、世界で最初に人類の上に落された、一発の原子爆弾だったのである。

これまた呉鎮守府の三井大佐の「京大荒勝研究室(海軍)ニテ行ヒアルモ」と符合する。物理学者の間では、弁当箱とかマッチ箱とか、その大きさこそ違え原子爆弾は公然と語られていたようだ。

いま一人は私の中学、高校で二年先輩の水田泰次さんだ。二〇〇〇年八月発行の同人誌の中で、やはり「広島に原爆が落とされることがわかっていた」と次のように書いている。

当時、小生は京大工学部冶金教室の学生でした。原爆が投下される三カ月前の一九四五年五月のある日、冶金教室の主任教授の西村英雄先生に突然呼び出されました。先生によると、アメリカの学会から秘密裡にニュースが先生に送られてきて、当時原爆製作を競争していた日本より先にアメリカで成功したというのです。そして、その第一回現地テストを広島で行なう予定が決まった。できるだけ早く両親を疎開させなさいということでした。水田さんは西村教授の忠告にしたがって、両親をすぐに広島近郊の廿日市に疎開させた。おかげで両親は原爆の被害にあわなくてすんだ。この西村教授の忠告は、今や想像もできないくらい奇想天外ともいえる秘密情報だが、水田さんはこう言う。

西村先生に呼び出された時、先生の横に原子物理の湯川秀樹教授が座っておられた。それで、てっきり湯川教授からの秘密情報かと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。西村先生がアメリカとの独自のルートを持っておられたようだ

独自ルートで考えられるのは『もはや高地なし』の一節だ。原爆投下の約半年前の一九四五年初めごろから、一部の米学者の間から「原爆使用反対」の声が出て、その中心になったのがシカゴ大学の冶金研究所だった。アーサー・コンプトン所長を中心に政治家や軍関係者に対し、さまざまな反対運動を繰り広げたようだ。その様子は「届かなかった原爆使用反対の声」という項目で詳しく紹介されている(同書一一一ぺージから一一九ぺージまで)。六月四日には「同研究所で対日原爆使用を阻止しようとして七人の科学者が会合を開いていた」とあるが、結局反対の声は通らなかった。

シカゴ大と京大、そして同じ冶金研究所と冶金教室。冶金つながりに不思議な符号がある。学者の間では、あの戦時中でもスイスあたりを経由して、日米間でひそかに情報を交換していたという話もある。終戦後、西村教授が亡くなったのち、水田さんは同教授のご子息に「生前、こんな話を聞いていましたか」と尋ねたところ、「そんな話は一切聞かなかった」という返事だったという。だが、水田さんは、今でも日米間の「冶金つながり」を信じている。


なぜ、2発の原爆が落とされたのか? 供永涼助 14/11/26 AM02 
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=298405


おまけ3






ピラミッドに献花

日本の精神を無くした神道 七色堂 (抜粋)
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/6249721fce772ecccbf006bbf16b436d


例の


113から放送ですか



おまけ4

113番元素の名前と元素記号の案を日発表へ 6月1日 22時31分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160601/k10010543081000.html

物質のもとになる元素のうち、日本に初めて名前を提案する権利が与えられた「113番元素」について、化学に関する国際機関は日本の提案を踏まえた名前と元素記号の案を日本時間の今月9日に発表し、一般から意見を募ることになりました。

物質のもとになる元素のうち、九州大学の森田浩介教授を中心とする理化学研究所のグループが12年前に埼玉県和光市にある大型の実験装置を使って人工的に作り出すことに成功した113番目の元素について、化学に関する国際機関、国際純正・応用化学連合は去年12月正式に元素として認定し、名前を提案する権利を日本に与えました。

これを受けて理化学研究所のグループは名前と元素記号の案をことし3月に国際機関に提出し、国際機関がふさわしいものかどうか審査を行ってきました。

その結果、国際機関は日本の提案を踏まえた113番元素の名前と元素記号の案を日本時間の今月9日に発表し、一般から意見を募ることになりました。

意見の募集は5か月間行われ、国際機関では集まった意見を検討したうえで、ことしの末か来年の初めごろ、名前と元素記号を正式に決定する予定です。



おまけ5

写真家 菊池俊吉が捉えた昭和 展 最終更新日 平成25年12月6日
http://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/501/yorozutetsugoro/p004162.html


広島原爆の記録「ガスタンクに残る影」爆心地から約2キロメートル広島瓦斯広島工場のガスタンク。 表面に塗られたコールタールは熱線で溶け、流れ落ちた。ハンドルが熱線をさえぎった部分だけが溶けずに黒い影のように残っていた。

++
もうおわかりのように、この写真は「地上起爆」の証明にはならない。むしろ逆である。空中爆発の証明になっている。

距離 2 km、高さ(高度の差) 0.55 km で簡単に概略計算すれば、cosθ=0.96423 となるので、θは約15.38度となる。
あるいはθ=tan-1(0.55/2.0)で計算すれば直ちに計算できる。
(注:もっと正確には、影ができる熱線が輻射されるのは、火球直径200 mくらいの時だそうなので、θ=tan-1(0.55/(2.0-0.1))=16.14度)
そして、そもそも真横からだと、ハンドルの形が影にならないではないか!同程度の高さからの熱線ならば、(そして熱線照射時、バルブのハンドル部が水平だったのなら)直線状の影ができでしかるべきである。他の建築物に遮られないで届けばであるが。 呆~

CIAは日本人の知性あるいは痴性を観察している・・と思います



ついでに、広島瓦斯のガスタンクのあった 皆実町 (広島市)・・みなみまち・・も知っておいてくださいね。


1945年被爆後の広島の航空写真 / 皆実町地区の中では宇品通り(電車通り)の西側、京橋川沿いの地域が原爆により大きな被害を受けている(全壊全焼のため白く見える)のが分かる。(引用注:爆心地を中心に白い円が浮かんで見えますが、その右下のあたり)
次は広島電鉄より

『1945年アメリカ軍作成の廣島市地図』より抜粋 赤丸近辺が広島瓦斯


これはgoogle2016




ハンドルの手前が、影ではちゃんと下になって映っています。


これも参照
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?gallery=2011063015205199_ja

(7)皆実町1丁目(手前)から西方面。中央は京橋川。ガスホルダーの残がいが写る広島瓦斯工場の東側は、市内電車の通りで遮られ延焼を免れた。千田町(京橋川の奥)を撮った別カットとともに、皆実・千田地区の全壊・全焼の際が分かる。左端が爆心地2.2キロの御幸橋




この際、ついでなのでこれも載せておこう
原爆投下と爆心地 を再訪

・・爆心地の特定 熱線によってできたこのような複数の影を延長することにょって、爆心地(空中の爆発地点)を特定することができた。 (広島貯金支局 / 爆心地から1.600m / 1945.10.4撮影)

++
この場合、仰角θ=tan-1(0.55/1.6)=18.97度(tan-1(0.55/1.5)なら20.14度)
なお、この写真で下部の様子が上部と異なって帯状に白っぽいまま残っている様に見えるのは、熱線照射時、下部全体が他の建造物・部分の影になった(ところを撮影した)のではないだろうか。もちろんこの点はまだ断定はできない。建物はもうないのでどなたかの証言が得られればよいのだが。



千田町 (広島市)

・・1945年8月6日:原爆被災。町域は北半部を中心に全壊・全焼、南半部も全壊地域となる。

広島貯金支局
http://yo-koda.sakura.tv/genbaku/tyokinkyoku.htm

爆心地からの距離 1610メートル
中区東千田町1丁目15番(千田町1丁目)
1937(昭和12)年7月竣工
鉄筋コンクリート造/4階建・地下1階


これも

万代(よろずよ)橋(爆心地から約880メートル)
http://tarutani.com/hiroshima/bridge/window/yorozuyobashi.html

原爆の強烈な熱線をさえぎった欄干は、その形を影として残しました。アスファルトの上には、欄干の柱と一番下の鉄棒の形がはっきりと映っていました。影の位置と形から爆発の方向を知ることができました。この橋の上には、その時、歩いていた人の影や荷車、リヤカーの陰も残っていました。(欄干の陰が焼け残った万代橋 米軍撮影)
++
この場合、仰角θ=tan-1(0.55/0.88)=32度(tan-1(0.55/0.78)なら35.54度) となります。目視でもだいたいあってるようですね。

http://p2walker.jp/peace/ja/hiroshima-cu/detail/yorozuyo.html

これって有名なんですけどね。なぜ気にしないで地上起爆と言い続けているのでしょうか。地上起爆でどう説明するんでしょうカネ?







もうちょっと粘りますか

トリニティ実験


水平線からするとたいしたことなくはない

・・現地時間(アメリカ山岳部戦時標準時)の5時29分45秒に爆弾は爆発し、TNT換算で約19kt(87.5 TJ)のエネルギーを放出した。この爆発で砂漠の爆心地には放射能を帯びたガラス質の石からなる深さ3m、直径330mのクレーターが残された。

http://inapcache.boston.com/universal/site_graphics/blogs/bigpicture/hiroshima_08_05/h11_12.jpg

確かに護岸の一部が崩れていたのはわかるが、とても小さく、爆発は川の中や数十メートルの低空ではあるまい。もし川の中爆発なら「原爆」的威力の爆発ではない。また、ドームの壊れ方が説明しにくく一貫しない。極近場のハズの橋も「地震」をくらうはずの橋脚はまるで壊れていないようだ。上空から熱線・爆風の方がこの状況を説明しやすい。上空爆発でも砂地で崩れやすいところに小さなクレーターはできる。しかも、後で見るように砂地の円弧は最初からあったもちろん川の中爆発では2キロ先のガスタンク(基部)の影が説明不可能。 ちなみに、写真左手の元安橋あたりの川幅は 50 m がいいとこです。

広島原爆の破壊力と被害

広島原爆には約50キログラムのウラン235が使用されており、このうち核分裂を起こしたのは1キログラム程度と推定されている。

広島原爆はウラニウム型原爆であり、計算上得られる一定量以上のウラン235を「寄せ集める」だけで臨界核爆発を起こす。従って分割したウラン235の塊を合わせるだけの簡単な構造のもので、爆発そのものはほぼ確実であることから、複雑な構造を持つ爆縮型の長崎原爆(プルトニウム型原爆)とは異なり、事前の核実験(爆発実験)による動作の検証はなされず、設計図通りに作られたものがそのまま広島に投下され、後に広島の被災実態から詳細な計算がなされた。

1キログラムのウラン235の核分裂によって0.68グラムの質量欠損が生じ、アインシュタインの特殊相対性理論が示す「質量とエネルギーの等価性 E = mc2 」によってエネルギーに変換される。

爆発で放出されたエネルギーは約63兆ジュール(62.8 [TJ(テラジュール)]、6.28 × 1013 [J])、TNT火薬換算で1万5千トン(15キロトン)相当に及んだ。エネルギーは爆風(衝撃波・爆音)・熱線・放射線となって放出され、それぞれの割合は50パーセント・35パーセント・15パーセントであった。 → 地上爆発なら直径 290 m くらいのクレータができるんじゃないかな


原爆写真 「効果」誇示の24枚 米、広島に寄贈へ 毎日新聞2016年5月19日 15時00分(最終更新 5月20日 14時08分) (今年のオバマ訪問直前ですか~)
http://mainichi.jp/articles/20160519/k00/00e/040/253000c
http://mainichi.jp/graphs/20160519/hpj/00m/040/003000g/1

この絵では中心が川の上にあるのは確かだが、爆発中心というものは各所の影や建物の崩れ方などから最も妥当な位置を推定したものであり、多少の推定のズレはしかたがないもので、完全に正確な決定版を得るのは難しい。ヒロシマはナガサキに比べてまだ怪しさも漂うが、いずれにせよ、上空爆発でなければ、「クレーター」はもっと大きいだろうし、遠方の建造物に残された影を説明できない点は動かないだろう。ところで周辺の残留ウラニウムの分布はどうなっていた(or いる)のだろう?特に低純度ウラニウム235を大量に川に投げ込んだとするならば。

ただし、 原爆ドーム




陸側の方ががよく崩れてて、川側の方が残りがいいですよね。どう説明するんですカネ。

元安橋 の方からは

・・具体的な被害は、欄干・親柱上の笠石および火袋が左右相反方向にずれ欄干のみが川に落下した[3][19]ことと、この付近のみ間知石積の護岸が6箇所崩壊した[25]ぐらいだった。被爆直後から同年9月下旬まで科学的な手法による爆心地の調査が行われ、この橋の欄干および笠石の状況から「爆心地は橋の延長線上の上空に位置する」と特定された[26]。(上からの爆風なら分かりますね。横からの爆風では迷路)

http://blogs.yahoo.co.jp/mitokosei/34283637.html


http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/tour/ireihi/tour_44.html
親柱の上の笠石は左右逆方向にずれ、欄干も橋の両側にそれぞれ落ちました



物理的にこれに分がありますね。ドームなどの建物の影にならなかった対岸の河岸が壊れたことも容易に説明できます。(この模型で、対岸が壊れていないのは問題ではありますが)



しかし実は、爆撃前写真をよく見てもらいますと


堤防の状態は不明だが、市街崩壊後「クレーター」的に見える土地は最初から弧を描いてますよ~



これもよく見てみましょう
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/500/24/16/46/500_24164646.jpg?1325663323

岸辺のラインきれいですね~ 川の中が爆心ですか~??

ヒロシマの日 ハードボイルドのごとく 2009年08月06日
http://furukawa1961.hamazo.tv/e1939097.html



広島平和記念資料館の模型は結構正確だったということですね。爆圧で堤防が壊れたとして、背後が洲の砂地のところが地盤が弱くそこの堤防が壊れたのでしょう。

ついでに相生橋周辺もよく見ておきましょう



特に、欄干の状況。残っている一部の傾きの方向に注目。上からの爆風優勢なら説明可能。左からは無理筋。



結局、「川の中」であれ、「島病院の中庭」であれ、地上起爆・大爆発の証拠はないですね。後者の説については、島院長は名誉毀損で訴えてもよいレベル。




おまけ6 くらい?


実は、黒い 酒 鬼薔薇 だったりして。アイコンに騙されてちゃダメよ、ちょっとお兄さんたち、いやおじさんたち。






https://twitter.com/_kazumasa_/status/738024457080475649

nakanishi@八割れ猫@_kazumasa_

「原爆地上説」は「原爆特許天皇説」と同根、同目的。


8:08 AM - 1 Jun 2016


これも載せておきたい

長崎原爆の手記 「原爆を忘れぬために」 第3章 被爆の記録 田中 孟
http://sky.geocities.jp/stantanaka_charlotte/page1-2-3.html

(3)アグニュー フィルムは語る より

・・ 国防総省からの回答に続いて、フーヴァー研究所から次の朗報が舞い込んだ。

当研究所所蔵のハロルド アグニュー コレクションの中に、原爆投下の実写フィルムがある。広島の映像はグレートアーチストから撮影されたものであるが、長崎の場合は、撮影に当たった航空機も カメラの方位も不明である。フィルムには海岸線が写っている部分もあるので、あなた自身で御覧になる方がよいと思う。要請があれば、フィルムのビデオコピーを送る」(注.ハロルド アグニュー[Harold M. Agnew,1921-2013]氏は、1970年から1978年まで、ロスアラモス科学研究所長を務めた)とのことであったので、折り返しカセットの郵送をお願いしておいた。

この年の春3月は亡父の三年忌に当たり、長崎に帰省する予定にしていた。出立の前日、フーヴァー研究所から小包が届いた。開けてVTRにかけてみる暇はなかったし、ちょうど良い機会でもあったので、そのまま長崎に運び、国際文化会館(原爆資料館)で担当の方といっしょにビデオを見ることにした

 法事の翌日は、早朝から濃い黄砂が長崎を覆い、山々は黄色にかすんでいた。その午後、国際文化会館(原爆資料館)の映写室に関係者10名程度が集まって、カセットの封を切った。

映像は、テニアン基地の展望に始まり、広島任務から帰還したグレートアーチストの出迎え風景などがあって、いよいよ急降下中の観測窓から見た下界の雲のショットに進んだ。

低空から片積雲の群れがせり上がってきたかと思うと、俯角(ふかく)30度辺りに、いきなりシャボン玉のような半透明の火球が出現し、直下の地表が赤く火照った爆煙に覆われた。火球は膨れ上がってきのこ雲となり、上昇を始めた。

火球がまだ地表近くに浮いていた時その左肩に一際高く立ち上がっている爆煙があり、その位置と形から、私は「あれは油木谷(あぶらぎだに)の市商ではないか」と思った。同時に、これと同じ映像をどこかで見たような気がした。(引用注:長崎市立商業学校、北西1.1キロ 油木町)

画面が爆心付近から港湾の方向へゆっくり振れ始めた時、だれかが「右旋回しとる…」と声を立てた。

カセットに収められていた映像は全9分間で、その内、長崎の場面は約3分間と短く、その中で地表が写っているのは最初の30秒間だけであり、後はきのこ雲の映像ばかりで拍子抜けした。・・

++
このフィルムを見せてもらったらどうでしょう?昨今のような捏造マトリックスフィルムではなさそうですが。


被爆の実相
http://h-s-o.net/shihi/ja/fact/index.html

原爆の威力

原爆のエネルギーは熱線35%、爆風50%、放射線15%と言われている。

熱線

投下直後、地上600mで炸裂した原爆は、火球となり瞬間的に摂氏100万度に達し急速に膨張、10秒後に消滅した。爆心地付近の地上では約摂氏3000~4000度の照射があったと推定される。
少し離れたところからこの火球を目撃したある被爆者は、「太陽が広島に落ちたかと思った」と表現している。
この太陽の表面温度にも匹敵する高温の熱照射は、半径3キロ以内の地上にいる生き物に多大な被害をもたらした。

爆心地より半径1キロ以内の屋外にいた人では、一週間以内に90~100%が亡くなっている。

即死者数は把握されていない。 爆心地近くでは、影だけ残して人体がすべて跡形もなく熔けてしまった例もある。瞬間的な照射により、影以外の部分が焼け、あたかも影が道路などに転写されたように見えるためである。また半径2キロ以内の遮蔽物のないところにいた人では一週間以内の死亡率は83%であった。


ここでこれを追加

http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/VirtualMuseum_j/exhibit/exh0702/exh070206.html


広島護国ごこく神社参道さんどうの大鳥居おおとりい

撮影場所 基町もとまち 爆心地からの距離 約170m

広島護国ごこく神社には3つの鳥居とりいがあったが、爆心地ばくしんちに最も近い参道の大鳥居おおとりいは、爆風ばくふうを垂直すいちょく(引用注:爆発中心に対する俯角は72.8度)に受けたためか唯一ゆいいつ倒壊とうかいをまぬがれた。爆心側ばくしんがわに掛かかっていた扁額へんがくも、傾かたむいただけで残っている。


この島病院のがれきの写真右手に見えている鳥居です。横からの爆風とすると変ですね。

他方

D 広島護国ごこく神社中津宮ちゅうしんみや

撮影場所 基町もとまち 爆心地からの距離 約350m

拝殿はいでんの北にあった中津宮なかつみやは、爆風ばくふうによって全壊ぜんかいした。その後、現在の青少年センター前に社殿しゃでんが再建さいけんされ、下水道工事の際さいに見つかった鳥居とりいの脚部きゃくぶも近くに保存ほぞんされている。


アングル:オバマ大統領の広島訪問、核なき世界への一歩か 2016年 05月 27日 07:36 JST
http://jp.reuters.com/article/hiroshima-obama-idJPKCN0YG00H






広島訪問は猿芝居 オバマは“原爆投下”映像に拍手していた 2016年6月1日
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/182490

・・「14年6月、第2次大戦で米英などの連合国軍が当時のナチス・ドイツを撃破する転機となった『ノルマンディー上陸作戦』を記念した70周年記念式典がフランスで行われました。欧州やロシアなど20カ国以上の首相が参加した盛大なイベントで、会場の大スクリーンには日本へ原爆を投下するモノクロ映像も流されました。この時、会場から大きな拍手が湧き起こったのですが、ドイツのメルケル首相は拍手せず、ロシアのプーチン大統領は胸の前で十字架を切って哀悼の意を表していました。ところが、ガムを噛みながら無表情で手を叩いていたのがオバマ大統領。とても原爆投下を悔いている態度とは思えませんでしたね」(在欧特派員記者)




これも追加

第5編 平和公園とその周辺 7.西向寺の墓石  (中区大手町一丁目6-18)
http://tomura.lolipop.jp/9/905/07.saikouji.htm

西蓮寺のすぐ隣、原爆ドームのある緑地帯の道路を隔ててすぐ左に小さな墓地があります。あたりにいた人は、一瞬のうちに遺体も残さず影だけになって死亡。被爆の跡を残している墓石は数少なくなっていますが、まだかなりあります。被爆した墓は「石ハネ現象」といいすべて頭頂部のみが原爆の熱線で焼け、ザラザラしています。これは、花崗岩で出来ている墓石の表面の石英が、熱変成により膨張し、他の造岩鉱物の膨張率との間に差が生じてはじけ飛んだ物と考えられています。原爆の熱線は、1秒の何万分の1という一瞬の内に墓石表面を焼いて、石英部分をはじき飛ばし、その後に爆風が墓石を吹き飛ばしました。・・


2013年5月17日撮影


第6編 平和大通りの南(加古町、千田町や吉島周辺)14.浄宝寺の墓石 (中区大手町三丁目1-24)
http://tomura.lolipop.jp/9/906/14.jouhoujihakaisi.htm






広島はなぜ破壊されたか by Eustace C. Mullins 上
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/bbfaa9adacf709b3d7b05acf628815d5


例によって、「ロスチャイルド家やバルークなどのイルミナティ銀行家たちの話がでてこない」方向に向かうわけですナ 「日本人が自分たちで原爆作って自分たちで地上起爆しました」「ユダヤ爆弾ならぬ天皇爆弾」ですって。オメデタイことです

広島はなぜ破壊されたか by Eustace C. Mullins 下
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/a5977a541838987dfdce8a3e5f9eaa36

広島はなぜ破壊されたのか 起訴状 by Eustace C. Mullins
http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/db81d21d16e81b7e155713629940ab50

日本沈没作戦進行中 「娯楽」と311
http://satehate.exblog.jp/18226916/



いやー メデタイなー




原爆 広島 長崎 トリニティ実験

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3 コメント

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さすが!! (千早)
2016-06-07 02:50:20
さすが、oninomaeさん!!
とてつもなく たくさん画像と情報を集めましたね~。
すごい!!
長年、貯めてらしたのかもしれないけど。
早速これは拙ブログからリンクさせて戴きます。(^^)

この問題については、私も記事をふたつ書きました。
先ほど(コメント入れた)のすり替え説もちょっと含むが

カレイドに続き、やっぱり!怪しかった「wantonのブログ」は邪悪な在日か?~奴等にいいように利用されてた日本人は恥を知れ!!&昭和天皇発言の真相は
http://insidejobjp.blogspot.com/2016/05/wanton.html

wanton他は、工作員確定。日本人よ、自信と尊厳を取り戻せ!! というより、いつまでも邪悪な在日の<真っ赤な嘘>の数々に騙され、それを拡散=垂れ流すのはやめろ!!&日銀を会社にしたのは
http://insidejobjp.blogspot.com/2016/06/wanton.html

ホントに、戦後の「日本のみが邪悪だった」洗脳が根強いうえに
今回のこの<到底放置しておくわけにはいかない>アホ話ですから。

こんなのに 更に騙される日本人がいるのか??
と思うけど、結構いるみたいで
その後もwanton等は(偽物黒酢ほか ってこと)
oninomaeさんが「666に777」の記事に「おまけ2」として
書いていらっしゃる本田稔氏の話も、仰る通りなのに ねじ曲げて、

本田氏が「見ていない」からといって、
「空から落としたのではない」と断言出来るはずがない!!

9/11の「飛行機はなかった」説と似ています。
目撃者はたくさんいるのに、「見てない」人の証言をもって
「なかった」という。

もう、本当に色々な証拠があるのに...
騙される人は今後、マジで「アホか工作員」とみなすしかないかも。
Unknown (アナスタシア)
2018-04-07 14:46:39
こういう記事をクソ真面目に上げ続けられる執念というか怨恨というか、目の前の現実を楽しめないクソ脳ミソを持ち続けてなんの苦痛も感じないであろうあなたのような人生を歩められるなら歩みたかったです。
Unknown (アホスタシアさんへ)
2018-04-07 23:12:13

ブログ主さんがここまで完膚無きまでに原爆地上起爆説が偽りである証拠を示しているにもかかわらず、このような意味不明な糞コメをしてくるアンタに憐れみさえ感じてしまいます。
アンタが目の前の現実を楽しむのは勝手ですが、反論があるのなら、少しはその根拠とやらを示してからにしてはどうですか。

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