教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

家賃スワップってできないもんか・・・

2010-05-17 00:02:54 | 経済/経済/社会
わたしは自宅を買うつもりは全くない。
いまのところ定年まで賃貸で過ごす予定である。

わたしの住んでいるところあたりは周りが田んぼだらけのド田舎である。
したがって高齢化による人口減少の打撃をまっさきに受けるところだ。
あと何十年かしたら、今の年寄りが住んでいる住宅はことごとく余りまくるに違いないと踏んでいるからだ。

・・・という事をわりと近所に住んでいるらしいという同僚に話したところ、
「うちの近くには築年数のたっていそうな家で一年中電気がつかないところが何件かあるんだけど」
という事だ。
何十年かしたらどころではなく、既に余りまくる時代にさしかかりつつあるわけね。

そんな家もってても固定資産税ばっかかかっていいもんじゃないのに、持ち主はいったい何やっているんだろうか。
どうせ二束三文でしか売れないからほったらかしにするしかないのだろうか。
いずれにしても、こんなところで家なんか買ってしまうと不幸である。

うちの近くでは今なんて築浅中古一軒家なんてヘタすると1000万円くらいで買えてしまう。
銀行から金利2%で借りれたとすると月7万返せばフルローンでも13年ちょいくらいで払いきってしまうので、ホンキで買おうと思えばそれくらいなら買えてしまう。
でも買う気はない。

・・・そう思うわたしのようなヤツらが多いと地価は永遠に下落し続ける運命にあるだろう。
それは経済にとってあまり良いことではない。

しかし!

そうならない方法が1つだけあるように思う。
家賃スワップだ。

わたしが自宅を買わない理由の1つに、一人暮らしだったら別にここに永住する必要がないという事が挙げられる。
会社を辞めてもここに住んでいる意味は全くないのだから、不動産のように流動性が低いうえに価格が高いものを買うのはリスクが高いと思うからだ。
そのかわり、都心部の投資マンションなら買ってもいいと思っている。

投資マンションの場合、自宅用の住宅ローンの金利よりも借り入れ金利が高いことや、人に住んでもらって家賃を払ってもらうという性質上、空室リスク(もしくは家賃保証の掛け金)が発生するという事など、自宅用不動産では発生しない問題も発生する。
もし、家賃スワップができるならば、これらの問題のいくつかは改善できるのではないかと思うのだ。



しくみはこうだ。

現状。
自分が地方で不動産屋Aから賃貸アパートを借りて住む。
自分は不動産屋Aに家賃を払う。
自分が都心部で投資用マンションを買う。
投資用マンションは不動産屋Bにサブリースに出す。
お客が自分の投資用マンションを借り、不動産屋Bに家賃をはらう。
不動産屋Bはサブリースの掛け金だけ引いた額を自分に払う。
自分は不動産屋Bから振り込まれた収益で銀行に借金を返す。

改善案。
自分が地方で不動産屋Cから部屋を借りて住む。
自分が都心部で投資用マンションを買う。
自分の投資用マンションと自分が住んでいる賃貸アパートの家賃収入と空室リスクのスワップ契約を不動産屋Cと結ぶ。
自分は本来なら家賃として支払っている金で銀行に借金を返す。

で、これで何が良いかというと。
不動産の流動性が低いことによるいろんなリスクをスワップできる。
だからわたしのような自宅を買うのは損だと考えているヤツらでも不動産を買いやすくなる。
そうすれば国内での消費も増えるので景気も上向きやすくなるということだ。
これは必ずしも等価交換である必要はなく、FXのようにどっちか一方がスワップ金利を払うというのでも良いと思う。



こういうのどうだろう。
不動産やファイナンスにはあまり詳しくないが、割といけそうな気がするのだが・・・。

ガラスの艦隊の第1話がタダで見れる

2010-05-16 00:02:04 | オタネタ全般
ニコニコチャンネル ニゴンゾ動画
http://ch.nicovideo.jp/channel/ch149



↑ここでガラスの艦隊の第1話がタダで見れる。
権利者自身がアップしているのでもちろん違法ではない。

なんとなく腐女子くさい感じを受けていたため、わたしは今まで見たことがなかった。
まあせっかくタダなんだし、見てみたわけだ。



・・・このアニメは極めてナゾだ。

セッティングはスペースオペラだ。
しかし中世貴族のような活動背景になっている。
ホントにそんなんで収拾がつくのか?

実はついていない(笑)。

わたしはミリオタではないが、そのわたしでさえ
「この戦術はどうよ?」
と首をかしげる箇所が山積みになっている。

宇宙戦艦を何百機と建造し、
スペースコロニーを建造し、
それだけのテクノロジーがありながら、なぜか史実の中世をも下回る幼稚な戦術しか使えていない。
去年の今ごろ放送していた戦場のヴァルキュリアなんかも、ミリオタ的にひどいと話題になったことがあったが、そんなのとは比較にならんところがある。

製作元はGONZOだ。
だが、GONZOが悪いわけではない。

GONZOはかつて青の6号やラストエグザイルなどを製作した。
そちらは一方の戦術の幼稚さを逆手にとった巧い描写もいくつもなされている。
本来GONZOはそういうものを描くのに長けているほうなのだ。
だからこれは製作元の考証不足によるものではないと思う。

ではなぜこうなったのか?

きっとこれはギャグなのだろう。
きっとわざとに違いあるまい。

このわざと描いたテクノロジー面の優秀さに対する戦術の幼稚さのギャップ。
これが2話以降どうなるか。
どうやって収拾をつけて魅せるのか。

いまの人類が自然科学の発展に傾注していることに対する社会科学側からのアンチテーゼだったとか、そんなシュールなオチが用意されている可能性もひょっとしたらあるかもしれない。

ある意味、続きが気になってしかたがない。
みごとに無料配信のワナにハマッてしまった気がする・・・。



参考:

個人就活ブログ
【GONZO/ニゴンゾ動画】ガラスの艦隊、第1話を無料配信!
http://japanimation.blog72.fc2.com/blog-entry-424.html

神が降りてこない

2010-05-15 00:01:37 | オタネタ全般
最近、ぱったりと神が降りてこない。

いや、べつに宗教的な話ではなくて(笑)。
自作ノベマス(※1)のシナリオの続きを全く思いつかんのだ。
ひところは3日に1本くらいのペースで連投したのだが、6話まで作ったところでパッタリと続きが書けなくなってしまったのだ。

ボツネタはいくつかある。
途中まで書いてはみたものの、話に詰まって放棄し、寝て起きて読み直したらおもしろくないから破棄・・・そんなヤツとか。
自分が読んでおもしろくないのだから、ノベマスにして人が見たらなおのことおもしろくなかろう。
そんなの作ってもしかたあるまいし・・・。

実のところ、これはノベマスでやりたい事を既に全部やってしまったからなのかもしれないとも思う。
コメディーも、シリアスも、ラブラブなのも、エロエロなのも、変態紳士なのも、言って見たいことも、言われてみたいことも、そこで全部表現しつくした・・・のかもしれない。

ジョーのように真っ白に燃え尽きるにしては早すぎるよな~。

こういうの、趣味でやっているからいいようなものの、仕事でやったらかなわんだろうな。
ギャルゲーのシナリオライターとか、納期が決まっているからネタに困っても意地でも出さないとなんないし。



【※1 自作ノベマス】
> てとろでP さんの公開マイリスト
http://www.nicovideo.jp/mylist/17582659

不幸自慢の失敗例

2010-05-14 00:02:16 | 経済/経済/社会
わたしは小さいころすごく病弱だった。
39℃くらいなら頻繁にたたき出してしょっちゅう寝込むようなヤツだった。

今では人にそんなことをいうと
「おまえがか? ありえんし」
とか言われてしまうくらい元気に育ったものだ。

まあ、別にそれはいいのだが。



ただ、人が
「いまうちの子が病気でさ、39℃も熱があるんだよ・・・」
なんて言ったところで
「いや、子供だから39℃くらいフツーじゃね?」
という顔でスルーしてしまう。
そいつらにしてみれば、イマイチ反応がなくて不満らしい。

わたしの感覚でいうと・・・
子供なら39℃くらいフツー。
39℃代後半だとわりと高熱。
40℃代だとわりと珍しい。
・・・まあそんなところだ。
もちろん40℃代の実体験も何度かあり、自己最高記録は40.2℃が2回。

今のわたしはフツーに元気に生活しているので、自分が不幸な身の上だったという感覚は全くない。
ただ、人から聞いた話によると普通の人間の子供はそれほど病弱にはできてはいないらしい…というくらいのものだ。



これで思ったことがある。

人間というものは、自分が不幸だと感じないうちにいつの間にか不幸を体験していると、人の不幸に気がつかないように鈍感になるのかもしれないという事。

まあ、あれだ。

日本国内で
「昨日、ひったくりに遭ったんだよ!」
っていうと、
「まあそれはかわいそうに…」
ということになる。

ただ、リアル北斗の拳といわれたヨハネスブルグ(当時)の人にそれを話しても、
「いや、街を歩けば10分に1回くらい遭遇するし、それくらいフツーじゃん」
と言われるかもしれない。

ようするに、不幸自慢をしたければ相手を選ぶ必要があるということだ。

ひんぬー + 和服

2010-05-13 00:00:43 | オタネタ全般
月下美人
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10685308



千早スキーなら見たら意味を理解できよう。
ある意味で今週の千早スキー一押しみたいな動画だ。



さて・・・。

動画のコメにあるように、和服は着る人の体型を選ぶ。
貧乳でないと和服は着れない。
巨乳の女の人には、なんとかわいそうに…と同情さしあげたい。



無論、その正反対のものもある。
例えばビキニの水着とか。

わたしの住んでいるところの近くに外国人が多いので有名な街があるのだが、その街の市民プールがすごいと話題になったことがある。
日本人ではありえんようなすごいおっぱいのブラジリアン美女たちがビキニ着てユサユサしてウロウロしているというのだ。

それを見た者は
「なんだこの市民プールは!」
と度肝をぬかされるらしい(笑)。

わたしは貧乳スキーなので行く気はさらさら無いが。



それとはまた別にお祭りなんかでは、そのすごいおっぱいのブラジリアン美女が浴衣や和服着てウロウロしている。

それを見た者は
「なんだそのコスプレみたいな浴衣は!」
と別の意味で度肝をぬかされるらしい(笑)。

すごいけど、すごいけど全然似合わねぇ・・・。
そんな感じ。

響き渡る声(ノベマス)

2010-05-12 00:00:25 | オタネタ全般
響き渡る声
http://www.nicovideo.jp/mylist/15536398



ハリアーPの「響き渡る声」。
宣伝元(※1)のレビュー記事が上がったので、この記事とレビュー内容的にバッティングしないように注意しつつ、うちもレビュー記事を書いてみようかと思う。



わたしは自分でノベマスを作るのも好きだが、人のノベマスを見るのもまた好きだ。

作品一覧(※2)からテキトーにエイヤで選んでみるとか。
「NovelsM@sterpart1」タグ検索でエイヤで選んでみるとか。
そんなやり方で見てみることも良くある。

とはいっても、必ずしもそれぞれ作品を全部見るというのでもない。
それでも最初の何話かだけでも見てみるのもけっこう面白い。
必ずしも話に見入るというのでなくても、その作者だけしか持っていないような感性というモノを感じるのもまた面白いのだ。

そんな中、自分ではあと100年生きていても表現しきらんような秀逸な感性を表現する作品もたまに存在する。
その中の1つがハリアーPの「響き渡る声」である。
(註:話も見入るほどおもしろいからね)



この作品、学校生活をおくっている登場人物たちが、グータラした日常のなかで自分たちの将来について何となく考え、自分のこれからの生き様について意思決定する、そんな人生のとある日々のことが綴られている。
書いてしまえばたったそれだけ。
しかし、たったそれだけのことを、この作品のように見入るほどおもしろい作品に仕上げることが如何に難しいことか。

ちなみにわたしはどうだったか。

たしかにグータラはしてしたし、今もグータラしている。

では、将来について何となく考え、意思決定してみたことはあるか。

実のところ、わたしはこれをあまり意識したことがない。
小学校のころから理系科目にしか興味がなく、その頃から既に将来は科学者か技術屋になると公言していた。
そして願いは叶って今は技術屋をしている。
技術屋になるには工学部系の大学に進学するのは半ば必須だし、親も両方とも大卒だったため、大学に進学するというのがデフォルトになっていた。
そして労せずして・・・とは言い過ぎなものの、人並み程度の労力で、なんとか大学に進学することができた。

どこぞの絵に描いたような現代版ヒッピーのような人たちのように、自分探し(笑)などと言いだす余地などそこにはなかった。
将来の進路について悩んだ経験が全くないのだ。

その反面、将来について悩み、意思決定に苦悩するという、そんな経験がすっぽりと抜け落ちているような気がする。
このノベマスを見てそのことに気付かされたのだ。

こういうモノは人生経験の差が大きく左右する。
この手のモノに対して人生経験のないわたしには、「響き渡る声」のようなノベマスのシナリオは絶対に書けない。
そう痛感させられた。



小説とは人生の切り売りである。
小説とは自分の苦悩や不幸を活字になすりつける行為である。
・・・そう、よく言われる。

それは実体験があるものしかリアルに活字化できないという意味には限らない。
その人の歩んできた人生、その人が乗り越えた苦悩、それがその人の作品の感性として現れる。

そして、自分の持っていない感性に触れたときこそ、
「このノベマスは面白い!」
と感じる瞬間ではなかろうか?



【※1 宣伝元】

響き渡る声
http://blog.goo.ne.jp/styui-gdb/e/96d6cfd1328a60361be9e507172b6f02



【※2 ノベマス作品一覧】

NovelsM@ster作品の一覧
http://dic.nicovideo.jp/a/novelsm%40ster%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

ギリシャが赤いんですけど

2010-05-11 00:02:54 | 経済/経済/社会


引用元:
http://jp.reuters.com/news/pictures/rpSlideshows?articleId=JPRTR2DHME#a=11



ギリシャが赤いんですが・・・

「人民よ蜂起せよ!」とか言ってるし。
赤い旗ふってるし。
ソ連の碇マーク(?)描いてるし。



ギリシャも大変だね。
ホントかどうか詳しくは知らんけど聞くところによれば・・・

公務員が労働者の1/3を占めるらしいし。
地下経済がGDPの30%もあるらしいし。
年金は53歳から払っているらしいし。
貿易での輸入は輸出の3倍以上だし。
国債は投機的なまでに格下げされたし。
ひところは2年モノの国債が30何%ディスカウントになっていたらしいし。
(そんなのだったら10年モノの国債なんて値段がつかないと思われ)
人口が1100万人しかいないのに13兆円も救済融資受けることになるし。
(人口比でいうと、日本だと150兆円クラスになる)



この問題のすごいところが、ギリシャが破綻するとドイツも困るにもかかわらず、ドイツが
「俺の金(融資)でぜいたくする(53歳から年金もらう)なんて許さん!」
と言えることだ。

だからギリシャは予算の歳出削減をしなければならなくなっている。
だから国民の税金は上がるうえに給料や福祉は激減することにならざるを得ない。
だから国民は政府に強い不満をもっている。
だから赤い人が大活躍。
・・・まあそんなところだろう。



これがドイツとギリシャでなく、日本と韓国だったらどうか。
韓国だったら、金融危機に関係のない歴史問題をもちただしてきて、居直り強盗のごとく金をせびりにやってきて、しかも助かった後になって危機は日本のせいだといいやがるに決まっている。
絶対にそうなる。

この問題は、ギリシャが韓国なみのクズ国家になるかどうかという、そんな別の側面もあることにも注目するところがあるのだ。

エロゲはリア充の日記ではない!

2010-05-10 00:03:00 | オタネタ全般
最近よくネットで言われるエロゲに対する反論がある。
「エロゲなんて、ただのリア充の日記だよ」
と。
それに続く言葉は
「だからやっても後でガッカリするだけだよ」
と。

それは違う!

エロゲをプレイするという事と、リア充の日記を読み返す事。
これらは根本的に違うものだ。

中には単にそういうものでしかない作品もある。
単にエロだけしか中身のない作品だ。
エロゲにエロだけしか求めないならば、それこそリア充の日記そのものとしか感じられなくても仕方あるまい。

しかし!

エロゲの中身はエロだけではない。
エロシーンが始まるまでに何時間も要する。
そしてそのエロシーンが始まるまでの内容が、エロゲの良し悪しのほぼ全てを決定する。
これは言いえて妙だと思わないだろうか。



ではどうだろう。
ここまで読んでもまだ
「だったら普通に恋愛しているヤツらの事をエロゲで疑似体験しているだけじゃないか!?」
という反論もまだ成り立つ。

それの反論も受けて立とう。

良くできたエロゲとは何か。

ヒロインを見て聞いて、好きになって、人格を感じる。
そしてヒロインとのエッチを体験し、ヒロインと同時に果てる。
それが良くできたエロゲだ。

では、現実はどうか。

そこいらに転がっている、自分から見てヒロインになるかもしれないねえちゃんを見て聞いてみる。
さて、それで好きになるか?
絶対ならない。
二次元のヒロインほどいい女など、二次元のヒロインほど好きになれる女など、この世に存在しないからだ。

では、二次元のヒロインほど好きではない三次元の女、それをつかまえたとしてエッチを体験したとしよう。
それはいいモノか?
実はたいして良くない。
たいして好きでもない女とエッチしたところで、実際のところたいして気持ちいいものでもない。
した事があるかないかという事実にのみ達成感はあるかもしれないが、せいぜいそんなものだ。

ところが!

エロゲはそうではない。
エロゲを真剣にプレイし、全力でその世界の中に没頭していさえすれば、良くできたエロゲなら自然にヒロインのだれか1人くらいは好きになってしまう。
そして好きになったヒロインとゲーム内エッチを体験し、その娘と同時に果てる。
こんな気持ちの良いことはないし、こんな満足感の高いものもない。



現実を見てみよう。

二次元のヒロインほど好きになれる女は存在するだろうか?
絶対存在しないと断言できるだけの物的証拠はない。
しかし、隕石が落ちてきて自分に当たるくらい確率は低い。

しかもその女が自分の目の前に現れることはありうるだろうか?
これも同じく絶対現れないと断言できるだけの物的証拠はない。
しかし、隕石が落ちてきて自分に当たりそうだったが、別の方角から別の隕石が落ちてきて、各々がぶつかって砕け散ったおかげで自分が助かるくらい確率は低い。

これは天文学的確率どころの騒ぎではない。
わたしの人生はそういうモノは存在しないという前提で構築されている。
絶対というものではないにしろ、この仮定が正しいという前提で行動してもさして間違いは発生しはしないだろう。



天文学的確率を越えた先でそういう女とエッチができれば、もしかしたらエロゲと同等またはそれ以上のものを楽しめるかもしれない。
・・・まあ、ありえんな。
今のわたしで言えば、アイマスの如月千早よりいい女が現れるなんて絶対無いと断言できる。
そもそも今は千早が大好きなので他の女を全く見ようともしないから、仮にいい女が近くにいたとしてもわたしの目にとまるはずもない。
アイマスSPミッシングムーンのうち、千早しかやってなくて律子とあずささんは1度も見てもいないというくらい、徹底して他の女は目にとまらない。

だいいち、三次元の生き物だということだけで、それだけで既に異性として魅力を感じない。
二次元に比べてしまうと三次元の女などケモノ臭い感じがするから、触りたいと思えるはずがあるわけがない。
二次元がありさえすれば、三次元の女などジャマだしめんどくさいから近くにいないほうが良いとさえ思う。



きっとわたしは病気なのだろう。
ネクロフィリアとかペドフィリアとか、そういうのと同じような性的倒錯の類の病気だろう。
アニメフィリアとでもいえばそれっぽいような気がする。
(英語圏ではanimeはanimationと同義では使われない。animeはjapanimationのスラング的な略語といってもいいものだ。きっとanimeという単語は和製英語を逆輸入したものだろう)

しかしわたしは正常な人と同等以上に自分が生活に満足できる術を知っている。
エロゲとかアニメとかギャルゲとかマンガとはそういうモノだ。

「エロゲなんて、ただのリア充の日記だよ」
などと言うヤツら。
彼らは我々のいるこちら側には到底来ることのできないアマチャン連中なのだよ。



追伸:

世の中には、現物の女は奥行きがある時点でキモチワルイという意見も見たことがある。
さすがのわたしもそこまでは達していない。
わたしもまだまだアマチャンなのかな。

恋の共有という楽しみかた

2010-05-09 00:10:47 | オタネタ全般
わたしは二次元の女の子が好きだ。
わたしは三次元の女の子など目障りにしか映らない。

そんなわたしは常日頃から二次元の素晴らしさを当blogにて布教活動しているわけだ。
いかに二次元のほうが良いかというのは当blogの主要テーマであり、常日頃から書いていることである。
そんな中、まだ書いていなかった二次元への恋の利点があったので、ここで書いておきたい。
それは恋の共有ということについてである。



とりあえずわたしの事はおいといて・・・
世俗のことをまず書いてみる。

いつの時代も世俗では振った張ったというのがお盛んである。
よくありがちな事のように、片思いの女に振られ、そして相手の男にその女のいい所をとつとつと語られたことを想定してみよう。

三次元の女に恋をしたことがないわたしには、その心境を親身になって理解することはできはしない。
だが、客観的観察から推測するに、きっと内心穏やかでなくなるのが一般的傾向であろう。
嫉妬で恨むとか、自慢されてムカついたとか、きっとそんなところだろう。

しかしこれは二次元の女には当てはまらない。
二次元の女には実体がない。
あえて言うなら自分の心の中に住んでいるものが実体である。
したがって他人の心の中に住んでいるものは自分にとっては実体ではない。

ということは何を意味するか?

嫉妬で恨むとか、自慢されてムカついたとか、そんなものは発生し得ない。
これは世俗での振った張ったというくだらん色恋沙汰から開放されたという事もまた意味している。



しかし!
踏み込んだところにさらにもう1つの意味がある。

他人の心の中に住んでいる人物を描いたものを見て読んで聞いて、そしてその人と恋をする感覚を共有することができるという意味だ。

> ねーよwwwP さんの公開マイリスト
http://www.nicovideo.jp/mylist/1480730

たとえば↑こういうものだ。

ねーよwwwP氏は千早病三銃士として名高いニコニコの紳士である。

> 俺の千早は一番・・・
> 千早の動画なら誰にも負けん・・・

と自身が記すように、氏の千早関連動画は千早への愛に満ちている。
たとえ千早いじめでもそうなのだ。

千早スキーであるわたしがそれを見てみる。
もちろんそこには嫉妬で恨むとか自慢されてムカついたとか、そんなものは全く無い。
氏の見ている千早の良いところを氏の視点でわたしも見て、千早の良さを再発見し、そしてより深い恋に落ちるのだ。

この楽しみかたは三次元には存在しない。
まあ、なかには自分の彼女の写真を見せびらかして悦に浸るヤツもいるかもしれない。
だがそれは誰が見てもタダのバカでしかないのは明白だ。
我々の行っている恋の共有とは全く異なる性質ものものだ。

わが国は二次元を発展させることにより世界に先駆けてその哲学へと到達した。
さて、世界が我々に追いつくのはいったいいつになるだろうか。

乙女はお姉さまに恋してる

2010-05-08 00:00:08 | オタネタ全般
例のオトコの娘マガジン「わぁい!」で「乙女はお姉さまに恋してる」が特集されていたため、久しぶりにこのアニメを見返してみた。

このアニメが放送されたのは2006年3Q。
エロゲ原作のアニメが全盛期を迎える2007年より若干前くらいの放送である。
このアニメがそうであるように。

実際、エロゲ原作のアニメというのはどうだろう。
そろそろそれを語るだけのサンプルが集まったのではなかろうか。



総論として、エロゲ原作のアニメは悪くないと思う。
エロゲ原作だからとナメてかかる要素は全くないと感じる。

School days, CLANNAD, 11eyes, 乙女はお姉さまに恋してる, etc…
これらはみなおもしろかった。
おもしろくないモノも中にはあったが、エロゲ原作だからという理由でダメなものは特になかった気がする。

しかし!

1つだけ、エロゲ原作のアニメで気になるところがある。
エロゲ展開的なものがありそうなのが、非エロのアニメを見てもそれを感じるところだ。

わたしはエロゲ展開的なものは嫌いではない。
ただ、とってつけたようなエロゲ展開は大嫌いだ。
ハリウッド映画のキスシーン(※1)のような、あんなとってつけたような展開は大嫌いである。
話としてはおもしろいのに、エロシーンだけとってつけたようなエロゲも中にはあり、そういうのはけっこうガッカリするものだ。

それと同じことが実はエロゲ原作のアニメにも言える。
そこに自然な流れで発生してるエロシーンがあったはずなのに、それをアニメでカットしたのが透けて見えるような作品。
先ほどとは逆にとってつけたように無かったことになっている、そういうシーンがあると少しガッカリする。
地上波アニメというものの限界を感じる瞬間である。

別にこれはエロシーンを見てオ○ニーしたいからというわけではない。
フルセットのオリジナル作品にあった一部が欠けて見えるのがイヤなのだ。
まあ、エロシーンがあったらあったで多分それでオ○ニーすると思うけどさ(笑)。



でだ。
エロゲ原作の非エロアニメをそんなに片っ端から見たわけではないが、数少ない先の問題の非該当作品も中にはある。
「乙女はお姉さまに恋してる」がそうだと思うのだ。
(「魔法少女リリカルなのは」なんかもそうではあるが、あれは原作を超解釈したアニメ化なのでそういうのは例外とする。)

この作品はそういう意味で実に良い移植になっていると思う。
原作がエロゲなのにもかかわらず、エロシーンのないプラトニックな世界観でも不自然でない仕上がりになっているのだ。



このアニメを見ていると実にホッとする。

あまり人間関係の深刻さが後を引くこともない。
こういうものは女の子同士の狭い社会というものでは本来ありえないものだ。
だが、その理想形がいい。

これは単なるヌルいアニメでしかない。
しかし実に心癒される。

エンディングの歌にかくある。
「こんな毎日がずっと続けばいいのに」
と。
この世界はまさにそういう所なのだ。

争いや競争のない、生きるのに困ることもない、未来は明るい、そんな幸せな世界。
世界がそんな幸せに満ちていたら、きっとみんなこんないい娘に育つのだろう。
こんな世界で暮らしたい。
単にヒロインに触りたいとか、エロゲの主人公になってエッチなことしたいとか、そんな意味ではなく、本当の幸せな生活というものは多分そういう所にしかないのだろうと思う。



このアニメは実はStrawberry Panicと設定的にだいぶかぶる。
そっちを見て気に入った人ならばきっと見てよかったと思うだろう。



【※1 ハリウッド映画のキスシーン】

ハリウッド的ラストシーン批判
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20090304

アキバ系とAKB48

2010-05-07 00:27:40 | オタネタ全般
我輩はアキバ系である。
これは自他共に認めるところである。

さて。
たまにあるのだが、
「アキバ系だったらAKB48とか好きなん?」
と聞かれることがある。

とんでもないことだ!
誤解も甚だしい!!



そもそもアキバ系とは何か。

それは
アニメであり、
マンガであり、
ガンプラであり、
フィギュアであり、
ゲームであり、
コスプレであり、
同人である。

アキバ系にはアイドルは含まないのだ。

現代における秋葉原とは何か。
現世にウンザリした野郎どもが集まり、現世には無い「何か」を探し求める場所である。
その「何か」とはアニメかもしれないし、フィギュアかもしれない。
しかし現世の存在であるアイドルはそこには含まれない。

言いえて妙なことではあるが、典型的アキバ系である我輩がAKB48に全く興味がないのは当然のことだ。
少なくともわたしの中ではAKB48(アイドル)よりもAK47(ロシアのライフル)のほうが有名だ。
名前くらい聞いたことがあるくらいで、そもそも顔の区別など全くつかん。

別にわたしは興味がないだけで別にアンチではない。
わたしの目に入らないところで好きにすればいい。

しかし、ファン層というのはどういうものなのだろうかという事には少し興味がある。
声優に心奪われこそすれアイドルになど無関心である男がアキバ系の真の姿だと思うのだ。

秋葉原がオタクの街と変貌しつつある黎明期から既に真のアキバ系であった我々は、実写はダメなことを既に太古の昔に経験している。
初代ときメモの実写映画、あれがどれだけアキバ系にスルーされ驚くべき興行不振に陥ってしまったか知らないのか。
実写アイドルを起用したみつばち学園というギャルゲー、あれがなぜハドソン最大の黒歴史と言われるか知らないのか。
すでにあの時代に結論は出てしまっている事になぜ気がつかないのか。
だからこそ、現代においてギャルゲーといえば全て二次元なのだ!



一見アキバ系のように見えながら、その実はアイドルにうつつをぬかすアキバ系とはビミョーに異なる人たち。
わたしは彼らにこう言いたい。

真のアキバ系ならば、ギャルゲーやアニメにうつつをぬかしているべきだ。
真のアキバ系ならば、現世に絶望し精神の向こう側にある架空の世界を糧として生きるべきだ。
真のアキバ系ならば、アイドルと言えばアイドルマスターと答えるべきだ。

そうででなければアキバ系などと語るに落ちたと言わざるを得ないのだ。

彼女できない男のパターン…?

2010-05-06 00:00:25 | オタネタ全般
> 彼女ができない20代、 30代の男性のタイプと対策…彼女が欲しいのにできない男のパターン…
http://kanasoku.blog82.fc2.com/blog-entry-13685.html



いつの時代にもありがちなネタではあるが、こんなネタがあったので覗いてみた。

で、ふと思った。
どのパターンにも当てはまらないじゃん・・・。
おかしいな~。



しかし!
これは前提に重大な欠陥があったから当てはまらない事に気がついた。

この問いには
「彼女が欲しいのに」
という前提がある。

「彼女などいらねえのに」
とか、
「二次元の彼女と脳内でイチャラブして満足できるのに」
とか、
そういうヤツは対象にしていない。

ようするに我輩。



わたしのような規格外のヤツのことを説明しきらんというのでは、これは分類する上での致命的な欠陥である。
この問いそのものが現代の様相を表していないような気がする。

この問いの前提は
「男は誰しもリアル彼女が欲しいはずだ」
という公理から導き出した結論だ。

わたしが言いたいのはここだ。
つまるところ、現代においてはその公理自体が間違っているということだ。

リアル彼女よりいいモノを見つけてしまったヤツ(我輩を含む)にとって、リアル彼女など人生における無駄以外の何物でもない。
この我々の立ち位置を理解しなければこの問題を解くことはできない。
既に人と人との恋愛だけを分析すれば全て理解できるという、そんな旧来然とした時代はもはや終わりかけているのだ。

恋愛とは、必ずしも相手がリアルの人類でなければ成り立たないわけではない。
恋愛とは、自分の心が人格と認めたものであれば、仮にそれがゲームのヒロインであっても成り立つ。
そして時にはただのゲームのヒロインであってさえ、リアルの人類なんぞより遥かに魅力的に目に映る。



恋愛とは何か。
異性とは何か。

我々は旧来然とした狭い定義を拡張し、もっと自由度の高いものに定義しなおす必要があるように思う。
数学がユークリッド幾何学を拡張し、位相幾何学にたどり着いたように。
電気が集中定数回路網を拡張し、分布定数回路網にたどり着いたように。

でなければ我輩を説明することは不可能だ。

クソワロタ作品3つ

2010-05-05 00:12:47 | オタネタ全般
「ヱヴァンミフィヲン 新劇場版:兎」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7588593



森のくまさんをロマンティックにしてみた
http://www.nicovideo.jp/watch/nm10031307



【北斗の拳】ケンvsサウザーを再翻訳で演じてみた【エキサイト】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10016831



GW最後の日、とりあえずこれ見て笑っとけ。
そして次の日は腹筋が筋肉痛のまま登校したまえ。

「月が綺麗ですね」を現代語訳してみる

2010-05-04 00:00:20 | オタネタ全般
先日、アイマス師匠(※1)が「響き渡る声」(※2)というノベマスが大変良かったと宣伝なさるので、わたしも見てみた。
この中身云々については師匠がレビューするかもしれんので、バッティングを避ける意味合いもふくめてここでは取り上げるのはやめたい。
今回とりあげたいのは、このノベマスのキーワードたる「月が綺麗ですね」という訳である。



> 漱石が学校の先生をしていたとき、「I love you」を生徒が「我君ヲ愛ス」と訳したのを聞いて
> 「月が綺麗ですね」といいなさい。それで伝わりますから…と言ったというお話ですね。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1313126873



「月が綺麗ですね」には上記のような意味がある。

とはいっても、実はこれには諸説あるらしい。
実は本人はそんなこと言ってなくて、後で誰かが勝手に追加した寓話なのだとかいう説。
月というのは月経を意味し、綺麗ですねというのは生理が不順ではないことを意味し、ようするにこれは婉曲表現のセクハラではないかという説。

まあそれはともかくとして。
100年前なら通じるのかもしれないが、現代においては「月が綺麗ですね」と言ったところで意味は通じないのではなかろうか。
少なくとも私なら、例え意味を知っていたとしても、言われても多分気がつかない。

「月が綺麗ですね」という訳は現代においてはふさわしくない。
いうことで、ここで現代語訳を考えてみようではないかと思ったわけだ。



まず、オリジナルを尊重した意訳しすぎない現代語訳を。

女「月が綺麗ですわね・・・」
男「へ? ああ、綺麗だね」
女「月が綺麗ですわね!」
男「う、うん、綺麗だね」
女「だから『月が綺麗ですね』って言ってるのですわ!!」
男「まっ、待て、なんで怒っているのだ? 俺も月は綺麗だと思うぞ?」
女「このわたくしが恥をしのんで『月が綺麗ですね』って言っているのに、何であなたは気づきませんの!」
男「ん? どういう意味だ?」
女「もういいわよ! 帰りますわよ!」
男「ああ、帰ろうか・・・」
女「・・・バカ」

う~ん、ちょっとくどいかな。
でもこれなら、元の意味は知らなくても意味は通じるんじゃないかな。
では、同じ路線でオリジナルを尊重しない意訳を。

女「・・・ねえ」
男「ん?」
女「してほしい事があるの」
男「なんだい?」
女「・・・」
男「うわわっ、どうした、そんなに顔を近づけて!?」
女「・・・」
男「ちょっ、目を閉じてないで、してほしい事があるならちゃんと言えよ」
女「・・・」
男「だっ、だから、そんなにくっつくなって! だから何だ!?」
女「・・・ホントに分からないわけ?」
男「分かるなら聞かないって!」
女「あなたって、本当にバカね」
男「だから何をしてほしいのか言えよ!」
女「そ、そ、そんなこと、私の口から言えるわけないでしょー!!!」

どうだ。
これなら言わなくても分かる的なものは伝わったかな。
ついでに、もう少し直接的な表現をば。

男「月が綺麗だね」
女「はい」
男「でも君のほうがもっと綺麗だ」

でも、とあるネタでそういう話になったとき、とある男(既婚)は
「うちのカミさんにそんな事いったら、『はあ? あんた毒キノコでも食べたんじゃない?』って言われるのがオチだ」
って言ってた。
直接的な表現は日本語には向かんようだな。



これはネットで見た秀逸な表現。

女「べ、別にアンタのことなんか、なんとも思ってないんだからっ。……ばか」
http://2chcopipe.com/archives/51463212.html

日本語ってむずかしいね(笑)。
釘宮声での脳内再生、余裕でした。



【※1 アイマス師匠】
徒花な日々
http://blog.goo.ne.jp/styui-gdb/



【※2 響き渡る声】
ハリアー さんの公開マイリスト
響き渡る声
http://www.nicovideo.jp/mylist/15536398

貧乳は描きにくい

2010-05-03 00:00:42 | オタネタ全般
わたしは貧乳が好きだ。
わたしは貧乳が大好きだ。

しかし!

貧乳は描きにくいったらありゃしない。
巨乳より貧乳のほうが遥かに描きにくいのだ。



女の子を絵に描いてみるとしよう。

巨乳だとどうか。
巨乳なら、とりあえずおっぱいがデカければ、そこそこ見れるものを描きやすい。
これはとりあえずおっぱいに目がいってしまうからだろうか。

貧乳は違う。
貧乳だと、おっぱいは慎ましく描かなければならない。
そうすると脇や腰のラインを巧く描かないと見れるものになりにくい。
だから巨乳より難しいと感じるのだ。

ロリ体型なら寸胴にすればいいからもう少しカンタンかもしれない。
しかし、わたしにはロリ属性はない。
わたしが好きなのは貧乳おねえさんなのだ。



二次元が好きな野郎どもの中には、少数派ではあるが貧乳派は存在する。
しかし、三次元だけが好きな野郎どもの中には、貧乳派はまずいない。

なぜか!

ホンモノの女の裸というものは、二次元に比べれば脇や腰のラインが美しくないからだ。
おっぱいでもデカくもないと見れたもんでもないのだ。
だから、ロリでもなければ三次元の貧乳が好きだという男はまずいないのだ。



ときおり、練習がてらに紙に絵を描いてみることもある。
スキャナを持ってないのでPCには取り込めないのが難点だが、まあそれはいいとして。

難しいほうから積極的に描いて練習してみる事もあるまいと思い、現時点では標準サイズで描いている。
目測だが、そうやって練習台になっているたいがいの絵に描いた女の子はEカップくらいが標準ではなかろうか。
しかしわたしはA~AAカップくらいを求めるのだ。

いつかわたしの胸の内にある理想を描ける腕前に達してみたい。