教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

聖剣の刀鍛冶 と 軍事テクノロジー

2009-11-03 00:23:48 | オタネタ全般
今期見ているアニメに「聖剣の刀鍛冶」がある。
ここではあらすじがどうこうというのはおいといて、とあるなかなかに興味深い設定がなされている所があるので記してみたい。



聖剣の刀鍛冶の時代、世界は平和であった。
あまり軍事的ないさかいが発生しない世界であった。

それはすばらしい。

しかし!

世界の平和は長すぎた。
武装というものの形骸化が進みすぎてしまった。

武力の象徴である刀。
すべてが鋳造で作られるようになっていた。
鍛造にくらべれば鋳造の刀は驚くほど安かった。

鋳造は型さえあれば冷蔵庫で氷をつくるがごとくカンタンに量産できる。
しかし、もろいうえに切れない。

鍛造は餅をこねるがごとく何度も何度も叩いて伸ばして折り曲げるという気の遠くなるような手間がかかる。
しかし、粘りがあり、しなり、折れず、切れる。

かくして、手間がかかり高価で量産性の悪い鍛造の刀は市場から排除されてしまった。
世界からは鍛造の技術が失われつつあった。

そんななか、いままで見たこともないような化物が出現した。

化物は硬かった。
人の武装では歯がたたなかった。
人々は殺されるか逃げるかしか手立てがなかった。

町外れの片田舎で鍛造の技術を失わず伝承しつづける一家があった。
その男の鍛えた刀はすばらしかった。
人の武装では歯がたたないと思われていた化物を切り伏せることができた。

この物語は、鍛造技術を持つ刀鍛冶の男と、当初から鍛造の刀に慧眼のあった女騎士の物語である。



・・・とまあ、こんな感じだ。

実はこれと良く似たことがかつて日本でも起きていた。

平安時代末期、時は戦乱の時代を迎えようとしていた。
その当時、戦は力が強いもの、体格の良いもの、筋力に優れるものが勝つ時代だった。

しかし、少なからずその現状に満足しない者たちが現れた。

ある者は剣の腕前を磨くことで絶望的な体格差をくつがえそうとした。
後にその者は剣の道の基礎を築き上げる。

ある者は刀の性能を上げることによって絶望的な体格差をくつがえそうとした。
後にその者は日本刀の製法の基礎を築き上げる。

鎌倉時代が到来するころ、それらは完成の域に達していた。
そして個人戦ではなく集団戦により勝敗が決する戦国時代には廃れはじめる。
江戸時代にはかなりの形骸化が進行するにいたる。
帯刀が禁止され、産業革命をむかえて安価な製鉄技術が確立される明治、それらは完全に失われた。

どんなに現代の最先端の製鉄技術を駆使したとしても、それでも鎌倉時代の名刀の性能には勝てはしない。
我々の持つ現代のテクノロジーが鎌倉時代に追いつくには、あと幾年の歳月を要するのだろうか・・・。



平和であることはすばらしい。
これ以上の良いことはない。

しかし、平和であることに慣れきってしまい、平和を維持するために不可欠な鍛錬や技術の継承まで怠ってはならない。

「聖剣の刀鍛冶」はそれを教えてくれる。
鍛造の刀でなければ勝てない敵が現れたときの無力さを教えてくれる。
鍛造技術が完全に失われていたとしたら、その世界は完全に魔の手に落ちていたに違いないのだ。



現代でもまたそれと同じようなことが起つつある。

NECがスーパーコンピューター事業から撤退した。

もともとスパコンは砲弾の着弾地点の予測計算から始まった技術である。
それが現代では、核融合の量子力学的な計算や、マッハを超える速度で飛行する戦闘機の空力計算などにも用いられている。
それが民事転用され、今日では天気予報に使われたりタンパク質の解析に使われたりしている。

それがどうだろう。
NECがスパコン事業から撤退したことで、数少ない日本のスパコンメーカーが1つ減った。
別に日本でも軍事に結びつくわけではないが、そういったハイエンドの技術が失われるのは日本全体としても大きな痛手であろうと思われる。
わたしはNECともスパコン屋とも利害関係はないが、人ごとながらこれは無念でならない・・・。

失われた技術を取り戻すのは大変難しい。
技術の設計情報は会社に残るが、技術の腕前は人の中にしか残らない。
これは、作りかた(設計情報)だけわかっていても、なぜそうすれば良いものが作れるのかという技術そのものは失われたことに相当する。

人が絶えてしまった日本刀の製造法、現代をもってしても未だに鎌倉時代のテクノロジーにも追いついていないのだから。

VISIO ⇒ Incscape へ

2009-11-02 00:00:58 | 描いてみた(他)


(↑クリックするとデカくなります)



このまえ描いた絵(※1)を着色しようとしたら挫折した・・・。
さすがに産業用の簡易CADでしかないVISIOで色塗りまでやるのはムリがあったようだ。

これはそもそも
「VISIOで描くほうが悪い」
とか言われそうだし、無論それはごもっともなことだ。

とはいえ、わざわさVISIOで描きはじめたのには紆余曲折がある。
すこし前にまでさかのぼろう。



かつて、ふとイラストを描いてみようかと思った。
わたしとしては初の試みである。
なんか描くなんぞ中学の美術の授業以降だから、か~なり久々なことになる。
(まあ、工業用の製図とかはおいといて・・・)

そのときは、ついでだからPCで描いてみようかと思った。
そこでwebをウロウロし、マンガイラストの描き方を解説してあるいくつかのサイトを眺めてみた。

しかし!

わたしの当ては見事に外れる。

ほとんどのサイトにでこう解説されていた。
『まず鉛筆で描いた絵をスキャナで取り込みます』

ちょっとまった!
その元ネタの鉛筆で描いた絵が描けねえから困ってるんじゃねえかよ!!

・・・ということで、当初の目論見は早々に敗北した。



さてどうするか?

鉛筆で描くしかないか・・・。
それだとPC上では描けないよな。

ではスキャナかタッチペンのタブレットでも買うか・・・。
とはいっても、元のイラストが描けない以上、それ買ってもムダだよな。

とりあえずお絵かきソフトだけでも入手するか・・・。
どのソフトがマンガイラストに向いてるのかも解らんしな。
ほとんど使わずに投げてしまいそうなもんに金かけて買ってくるのもムダだよな。

とりあえず持ってるもんで描いてみるか・・・。
Windows付属のペイントだと、マウスがブレたのがそのまま伝わるし、これじゃそうそうマトモに描けねえな、こりゃ。



既に八方ふさがりになりつつあった。

しかし、まだ手段は残されていた。
自在曲線ツールがあり後で座標修正できるタイプの産業用のCADならば多分描ける。
該当するソフトで手持ちであるのはVISIO2000だけだ。

ということで、VISIOでマンガイラストを描いてみるという、世にも奇妙な方法を選択することとなったわけだ。



さて、何とかVISIOで少しはイラストが描けることはわかった。
あんまりマシなもんじゃないが、とりあえずblogにのせてみようかというものができた。

しかし、自在曲線ツールで線を描いているだけだと色が塗られていない。
いちおうVISIOにも色を塗る機能はついている。
しかし、ないよりマシだからガマンしろと言わんばかりの体たらくでしかない。
ムリヤリ色塗りやってみたが、早々に挫折してしまった。



しかたがない。
VISIOとはおさらば。

いままでVISIOで描いていた手前、自在曲線ツールのような後で座標修正する機能を駆使して描けるもんでないと困る。
それに、どれくらい使うかどうかもわからんので、カネかかる市販ソフトだとちょっとイヤ。
ということで、その条件で漁っているとIncscapeというフリーソフトにたどり着いた。

他のイラスト用ツールはどうなんか知らんが、こいつにはベジエ曲線なるツールが用意されている。
こいつで曲線を書こうとすると、マウスで途中何箇所かの座標やその座標の微分値などを指定することで描けるようになっている。
そのうえ、VISIOとほぼ同機能のフリーハンド線というのも用意されている。
ベジエ曲線もフリーハンド線も、もちろん書いたあとでの座標修正も可能だ。



これなら使えそうだ。
VISIOで描くというムダなスキルをそのまま流用できそうだ。

ということで、このたびIncscapeに乗り換えようかという次第である。
Incscapeの第1作目が上のあずささんなわけだ。

とりあえず影やグラデーションつけとけば少しはそれっぽくなるのはわかった。
とはいえ、色塗りは色塗りでかなりの熟練技能を要するのも身にしみて良くわかった。
現状は線で描くだけでもままならんのだが、色塗りでまともに見れるくらいになるレベルは遥か彼方に位置する。

ツールを使いこなせる腕前があるかどうかは別にして、なんとか色がつくところまで完結して描けるような環境にはなったわけだが・・・、わたしはさらに泥沼化する先の見えない深淵へと向かおうとしているのだろうか・・・?



追伸:
なぜ貧乳派がデカチチを描いたのかというツッコミはナシの方向で(笑)。



【※1 このまえ描いた絵】
神や女神が降りてくるとか
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20091030

能力デリバティブ

2009-11-01 00:01:20 | オタネタ全般
人には得意不得意のバラツキがある。
6σくらいの確率で何でも得意な人とか何でも苦手な人とかいるかもしれないが、まずふつうの人はそれには当てはまらない。

わたしの場合でいうと、論理的思考能力や立体把握力は日本人平均を上回っていると思うのだが、語学力や記憶力は日本人平均を下回るのは間違いない。
異性から見た魅力や身体能力などもかなり悪い。
人間の持つ全能力の平均値でいうとやや人並み以下な気がするが、そのかわり分散がかなり大きい、それがわたしだ。

こういう場合、とりうる作戦は何があるか?

・人並み以上の努力をして、すべてにおいて平均的な能力を身につける。
・努力配分は自分の得意な分野を強化するのに特化し、苦手な分野は努力配分の効率が悪いので切り捨てる。

わたしの取る作戦はもちろん後者である。
中学生のころには既にそうだった。

この作戦は、ある程度という以上の成功を収めた実績がある。
たとえば公立高校の入試では[英/数/国/理/社]と全科目必要で、わたしの苦手な科目が60%も含まれるという、かなり不利な状況下にある。
だが、院試はたとえば[英語+数学+専門(必修) +専門(必修) +専門(選択) +専門(選択) +専門(選択)]となり苦手な科目は14%しか含まれないので、それに比べればかなり有利となる。
たとえば合格ラインが60点平均なのに英語で20点しか取れなかったとしても、他でわずか7点づつ余分に取れれば十分合格ラインに到達できるというわけだ。
これは能力特化が大成功した典型例であろう。



さて。
では苦手なまま放置した能力はどうなるのか。

それを承知で放置したのだからあきらめる。
それも選択肢の1つではある。

しかし!

苦手な分野の能力を駆使しなければ手に入らないモノを他の能力で代替する手段も少ないながら存在すると思う。
仮にそれを能力デリバティブと呼ぶことにしよう。



一番カンタンな能力デリバティブは親の財力と学歴のスワップだろう。
たとえば多額の寄付をすれば、どんなバカであろうとも某私立医学部に入学できる。
FXでやっている通貨スワップのごとく、自分が持っているモノと持っていないモノの等価交換が行われたわけだ。
まあ、それが倫理的に良いかどうかは別として。

これがおこるためにはひとつ重要な事実がある。
ここで親の財力と学歴のスワップをしなければならないのは、学歴についてほぼ完全な自由化が行われている自由競争社会であることに起因する。
ようするに、頭の切れ味さえよければ、(特別な諸事情がないかぎり)どんな人でも東大に入学することができる、そういう意味だ。

これは完全な共産主義社会ではおこりえない。
勉強してもしなくても全員が同じ学校で学ぶとすれば、そんな能力デリバティブでスワップをやるインセンティブは発生しないのだ。
逆に、普通の人ががんばって勉強しようというインセンティブも同時に失われるわけだが。



別の例も示そう。
異性から見た魅力という能力も能力デリバティブの対象になると思う。

やりかたはいくらでもありそうだが、たとえばキャバクラにいってカネ払って擬似恋愛を楽しむというのも手段の1つだろう。
たとえばわたしのように、現物のねえちゃんの調達コストは高すぎるし、かといって調達したいという欲求が沸くような現物のねえちゃんは1人たりとも見たことが無いし…ということで、絵に描いたねえちゃんを好んで消費する、ようするにギャルゲーしかやらないというのも選択肢の1つだろう。

キャバクラはカネを稼ぐ能力と女を調達する能力の等価交換という能力デリバティブと解釈できる。
ギャルゲーはちょいと解釈が難しいが、これはREITに似ているかもしれない。

いくら収益が高いからといって個人で億単位もする投資用不動産に手を出すのはリスクが高すぎる。
それに、個人が投資用不動産に手を出したとしても、相応の目利き能力がないかぎり変なのを掴まされる危険性を排除しきれない。
そこで、代わりにプロが高額の不動産を買って運用し、その収益を受け取る権利を個人でも気軽に買える程度の小口で売買する。
それがREITである。
そしてREITはデリバティブ商品でもある。
不動産の調達コストとそれから上がる収益の等価交換といってもいい。

ギャルゲーに例えてみよう。
現物のねえちゃんは調達コストが高すぎる。
それにハイリターンなのかもしれないがハイリスクでもある。
わたしに目利き能力がないからなのかもしれないが、はっきり言ってロクなものは転がってない。

じゃあどうするか?
プロのデザイナーがストーリーをつくる。
それを個人で気軽に買える程度の小口で販売する。
たとえば窪岡俊之氏がアイマスSPをつくり、それを定価5040円で販売する。

これは立派な恋愛デリバティブ商品ではあるまいか?
これもカネを稼ぐ能力と恋愛を調達できる能力の等価交換という能力スワップではあるまいか。

わたしは現物より恋愛デリバティブ商品のほうが安いと思っているからこそ好んでそちらを買っている。
そして、REITも比較的安いとふんだからこそ、REITも一部買っている。

そしてさっきの例でいうと、これは学歴と同様に恋愛について完全な自由競争社会だからこそ成り立つものでもある。
成人の男全員に対して可もなく不可もなく程度のどーでもいい女を1人1台づつ強制的に割り当てるという恋愛共産主義社会であれば、そういうことはほとんどおきない。
(例外的にわたしはそれでも絵に描いたねえちゃんを消費しようとすると思われるが、まあそれは特殊例としておいておこう。)

逆に言うと、自由競争社会であるかぎり、何らかの能力デリバティブは必要となる。
たとえば風俗全般を非合法化すれば必ず社会に歪がおきる。
ギャルゲーや萌えアニメなどを全面禁止にしても同様に変なことがおこるであろう事は想像に難くない。

わたしの例でいうと、そうなるとリスクをおかして性犯罪に走る恐れも否定できないし、そうでなかったとしてもわざわざ女にモテる能力を磨くというムダな努力を消費しなければならず、他の能力を研鑽するための努力を大幅に浪費してしまううえに効率が大変悪い。
しかも手に入るのはロクなもんじゃないわけで、努力した割には満足感も薄く不満ばかりが後に残る。

そういうムダなことを強いられる人たちが大量に現れたとすると、きっと日本人全体のパフォーマンスが大きく低下するだろう。
日本人全体のパフォーマンスが大きく低下するということは、外貨を稼ぐ手段がなくなり日本が早々と衰退することも意味する。
すくなくとも、いまのわたしは少々の専門知識を有し、外貨をかせいで日本全体を豊かにするという任務の一端を担っているのは間違いない。こんな言いかたは多少大げさではあるが(笑)。

だから思う。
民主党副代表の円より子のように、男を犯罪者予備軍とみなしギャルゲーを目の仇にして徹底排除しようとするやりかたは間違っている。
全面禁止をやるとするならば、恋愛共産主義に戻す勢いで社会の価値観がひっくりかえるほど手を入れなければきっととんでもないことになるだろう。