教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

日本人とロシア人に共通する感覚

2018-05-02 21:25:42 | 経済/経済/社会
これは何度か書いたことだが。

まえにオーストリアにいったとき、ゲルマン民族の本場のメイドさんを見てとんでもなく驚愕した。

なぜか?

すげえ強そうだったからだ。

メルケルみたいなのが出てきたよ。
我輩より肩幅広いんだもん。
これメイドさんじゃなくてガードマンだよね、みたいな。

テラ屈強すぎましたわ。
さすがにあれは異性には見えんかった。

生粋のヨーロッパ人ってみんなこんなんなん?
これがテンプレなんだとしたら白人スキーとか趣味悪くないかおいwww

……とも思っていたんだけどね。

ロシア人はそうでもなかったわけ。
そういうのも中にはいるけど。

で、実際にロシア人と話もしてみたが、これがまたアメリカ人とかよりもだいぶ日本人に近い感じがする。

たしかに日本から一番近い外国はロシアだ。
しかし言語的には日本語と英語よりもロシア語はさらに離れている。
にもかかわらずだ。

なぜか?

というのが当記事の話。







↑これ何だかおわかりだろうか。

海外限定版の岡田真澄の写真集、ではもちろんなくて。
我輩がサンクトペテルブルクの土産物屋で買ったロシアプロパガンダポスターの絵はがき集。

なんと16枚も入っていて99ルーブル(200円くらい)。
安い!!!

まあそれはいいとしてだ。

問題はあれだ。
なぜスターリンが表紙にいる!?

一般的な日本人の感覚からすると、たぶんありえないチョイスだろう。

もしスターリンが好きだなんて公言したらどうなるよ?

日本におけるスターリンのステレオタイプから察するに、そりゃあんた、人が戦争で死ぬのを喜んで見てるような人間かと思われますわ。
日本では。

しかし!

ロシアではスターリンは絵はがき集のトップを飾っている!

なぜか!?

ロシアだからさって片づけてしまえば終わりなのだがw
しかも、ロシアだからって言葉、ロシア人すら使うわけだがw

それでは何の解決にもならんわけ。

では正解は?

我輩が思うに、恐らくロシア人から見たスターリンはだな……

「たしかにスターリンのせいで2000万人死んだかもしれん。
けどな、スターリンは大祖国戦争で我がロシアを守りきり、その後のソヴィエトがアメリカと肩を並べる超大国へと成長する道筋を建てたんだよ」

……という感じではなかろうか。

で、そう言われてみれば、まあたしかにそう思うのもわからんでもない、みたいに思わないだろうか?

ちなみに大祖国戦争というのは、第二次世界大戦においての独ソ戦のことをロシア側から見た呼称ね。
第二次世界大戦においての日米戦のことを日本では太平洋戦争と呼ぶのとたぶん同じ感じ。
うんちくはまあそれくらいにしておいて。



この感覚は韓国人には絶対わからない。

韓国人はすぐ
「ヒロヒトは悪魔! ヒロヒトを擁護するヤツは親日派! 民族に対する名誉棄損で刑務所にブチこんでやれ!」
となる国民性である。

または、
「2000万人死んだのはスターリンのせいじゃない!
たくさん戦争で死んだのは侵略戦争に来たドイツのせいだし、
とんでもない餓死者が出たのはたまたま来た天候不順のせいだし、
めちゃくちゃ粛清されたのは絞首刑にされて当然な反政府テロリストがそれだけいたからだ!
スターリンはすばらしい尊敬すべき人物で、ほんの少しも欠点などない!
それに反論するヤツはグルジア人(スターリンの出身地)に対する差別主義者!」
とまあ、こんな感じにもなろうか。
いまの韓国における金三胖の報道がちょうどこんな感じなので、韓国ウォッチャーにはこの異様さはすごくよくわかるだろう。

ようするに何が言いたいかというと、韓国人は儒教的世界観に過剰適応してしまっていて、日本人には理解しがたいあっちのキチ〇イかこっちのキ〇ガイかのどっちかにしかなることはないということだ。



ではこの日本人とロシア人のこの感覚の親和性はどこから来るのだろうか?

文献を見るに、ヨーロッパ人から見たロシアの異質さは、ロシアのヨーロッパ的なところとアジア的なところのうちのアジア的側面が出たからそうなるのだ、みたいな極めて単細胞な論理であらゆるものは片づけられている。

これで説明になっているだろうか?

そんなんでいいわけあるかwww

っていうか、サンクトペテルブルクの街の雰囲気なんて、東欧の雰囲気そのまんまで、とてもアジア的な気質をそこで感じ取れるものは無かったぞ。

では実際はどうなんだ?

何かを守るためにその身を犠牲にしたことに対するヒロイズムの感覚が近いのだろうか?

たしかに日本もロシアもアメリカナイズなスーパーヒーローは定着しなかった。

はかなさに対する美学を持ち合わせているところが近いのだろうか?

たしかにドイツ人ようなまっちょしぃではなく、もっと日本的なはかなさを感じる。

まあしょうがないねぇ、みたいな運命に対する諦観の感覚が近いのだろうか?

たしかに韓国人のように何かがおきたら誰かのせいだといって喚き散らすような下品さよりも、日本人のように耐えてしのぶほうに近い感じはする。

とはいっても我輩まだそこまではよくわかっていない。






追伸:

日本人とロシア人は「近いところがある」とは言うけど、「近い」とまでは言わないよ。
アメリカ人より近いんじゃないかという感じはするけどね。










追伸2:

我輩のアタマの中を画像化するとこんな感じ。
実際そのとおりのはずだとまではとても言えんけど。