教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

「モバゲは高学歴の方はやりません」 (下巻)

2011-11-06 00:07:03 | オタネタ全般
(・・・前回からのつづき)



さて。
高学歴厨やゲハ厨はなぜモバゲをやらないか?

そんなものはカンタンだ。
彼らがゲームに求めているおもしろさが、DeNAがGREEが提供するおもしろさと、1ppmもかみ合っていないからだ。

ではどう違うのか?

彼らがおもしろいと感じるための要件の1つは「達成感」。
しかも、自分の力で成したことによる「達成感」である。



たとえばシューティング。

「これを避けられるものなら避けてみやがれ!」
と言われでもしているかのような鬼畜の所業の弾幕の嵐。

それでもシューターは避けてみせる。
何度地べたを這いつくばらされても、何度全滅させられても、それでも戦い、みずからの腕前と反射神経だけを武器に戦う。
そして最後にはそのシューティングをクリアし、シューターは自分の力でそれを成したことに達成感を味わうのだ。



たとえば歴史シミュレーション。

信長の野望で武田信玄を選べば、誰がやっても天下統一など造作もない。
しかしそれではすぐに飽きる。
そして飽きた者はまるで
「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」
といった山中鹿之助のごとくさらに難しい課題へとみずから率先して手を伸ばす。

たとえば、敵軍より少ない兵力をもってして粉砕してみせるとか。
たとえば、ゲーム開始後すぐに消えてなくなるような泡沫候補を選択してなお天下統一を成し遂げるとか。
それを成してこそ信長の野望の真のおもしろさを味わえる。



たとえば格ゲー。

対戦台で戦ってみるといい。
確率論からいえば勝率は5割だが、ちょっとやってみた者が勝てる確率は0割である。
その格ゲーに熟練した魑魅魍魎の猛者どもにコテンパンにのしてやられる。

格ゲーマーはそれでも戦う。
人に負けを認めさせるのがいかに難しいことかを肌感覚で知っているからだ。
そう、負けはみずからの腕の未熟さであることをよく知っているからだ。
そして彼らはより熟練し、再度戦い、そしていつしか自分が魑魅魍魎の猛者どもと呼ばれていることに気がつく。



それがゲームのおもしろさなんだ。

シューティングを1コインクリアできる人は尊敬する。
歴史シミュレーションで誰もクリアできない高難易度武将でクリアできる人は尊敬する。
ゲーセンの格ゲーで二つ名を持つほど強い人は尊敬する。

でも、モバゲにはそれは無い。
ネトゲにはあるかもしれないが、モバゲには無い。
よくネトゲは
「リアルでの強さとネトゲでの強さは反比例する」
と揶揄されるが、ネトゲはそれだけやりこみ要素が強くプレーヤーに依存した面があるということの裏返しでもある。
その点でモバゲのそれと決定的に異なる。

ではなぜモバゲにはそれは無いかというと・・・
ドリランドはオカンでも楽しめると語るにふさわしいゲームだからに他ならない。



とりあえず「探検を進める」を押せば進むだけのダンジョン。
なんの工夫もなくパラメータの強弱だけで一方的に決まる戦闘。
課金アイテムを使わなければ絶対倒せない敵。
プレーヤーの腕がたつかどうかでなくいくら払ったかで決まる強さ。

くわえて、ゲームボーイカラーでももうちょっとマシだろうと言いたいような演出。
モバゲは広告にプレイ中の画面を絶対出さない。
というか出せないほどお粗末というべきか。
これはふつうのコンシューマーゲームとは全く違う点の1つである。
この演出のひどさはゲーム全体が子供だましにしか見えなくなるため、個人的には大変気に障る。

これではマトモな人間は寄り付かないのは当然だ。
ヒマさえあればモバゲで遊んでいる人たち、ようするにDeNAがGREEの上得意様がたは、統計をとってみると実はガッカリな人たちばかりだったとしても、わたしは全く驚きはしないだろう。



まっ、ゲームではなく、ヒマつぶしか出会い系だというのであれば、それは間違ってはいないかもしれないが。
(ってか、事実その通りのように思う)